プロローグ
書き溜めはありませんが、のんびり新連載を始めます。
(…後宮に入るなんて、考えてもみなかったな……)
明玉は高校こそ通わせてもらったものの、生まれは商家に出入りする庶民である。容姿も普通。やや背が高いが痩せぎみで、この幻唐の国で、いわゆる男の好む容姿ではない。それは明玉も知っていて、後宮など話に聞くだけの遠い話だと思っていた。
後宮入りに必要なのは容姿と家柄だ。しかし、もうひとつの道があるのだと、突如降ってわいた、後宮入りの話に、明玉はただただ俯いた。
高校の卒業式も終わってもう10日になる。まだ進路は決まっていない。人生の岐路に立つというと大袈裟だが、今、明玉が大きな選択をしようとしていることは確かだ。
考え事をしていたせいで、待ち合わせの場所にいつの間にか到着してしまっていた。
「明玉」
と、明玉に手を振ったのは、異国情緒にあふれた青年だ。
「ごめんね、アンドリュー、待った?」
と明玉は彼を見上げた。
西方の国の血を引く彼は、絹の道とよばれる幹線道路を行き来する商人の家の出だ。生粋の唐の者より少し上背もあり、くるくると巻く髪の色も少し茶色い。生家の風習で、彼は幞頭はしない。短く切りそろえられた髪が、彼の性格の如く軽やかだった。
「全然。それに待つのも楽しいよ――こうして、明玉に直に逢えるから」
と笑うアンドリューに、明玉は顔が熱くなるのを止められなかった。
アンドリューと明玉は幼馴染だ。幼い頃、親の仕事の関係で幻唐国にやってきたアンドリューは、たまたま明玉の通う小学校に転入してきた。その後、親の仕事の関係ですぐにまた西に戻ることになったのだが、その後も二人の交流は文通ベースで続き、彼が再び幻唐国にやってきたことでこうして会う仲になった。というか、やってくるなりアンドリューに「ずっと好きだった!」と真正面から交際を求められて、まだ1月も立たないような初々しい関係である。
今日はこの後、二人で買い物の予定だ。
しかし、この前に聞かされた話が心に引っかかっている明玉の顔は晴れなかった。
「何か言われた?」
明玉が高校の同級生の繋がりで、とある名家を訪ねたことを知っているアンドリューは、明玉が浮かない顔をしていることをすぐに見抜いた。
その名家、べつに明玉がこれまで親しかったわけでもないことも知っている。
明玉は言葉を探して、視線をさ迷わせた。
「言われた……から、相談したいことがあるの」
と素直に言うが、この後の切り出しが難しい。
(麗霞も相談した方がいいって言ってたし…)
「えっと…なんていうか………麗霞のお手伝いの話をいただきまして…」
逆鱗に触れそうな言葉を避けて明玉は事の次第を説明しようとした。
しかし、麗霞という同級生の名前が出た途端、アンドリューから笑みが抜け落ちた。少々危険な雰囲気を感じ取り言葉を明玉が止めてしまい、アンドリューがゆっくりと抑えたような声を出す。
「麗霞は10日後には後宮入りだと思うんだけど…それってここ数日の話?」
「ううん…後宮入りの後の話で…」
「ということは、もしかしてお手伝いの場所って、後宮なのかな?」
「うん、そうなるんだけど」
「ダメだよ!」
珍しく、アンドリューは明玉の話を聞かなかった。
「後宮に行くなんて絶対ダメ」
と強く言い切り、明玉の手を掴む。彼の大きな手は痛いほどに明玉を握り締めていた。
「なんで一回試験に落ちたぐらいで焦るのさ…」
というアンドリューの顔は怖いほど真剣だった。
「僕言ったよね? 来年も挑戦すればいい。それまでは僕の父の店で働いてもいいって。結婚だって君が納得してからでいいって……でも、こんなやり方でそれをぶち壊しにするぐらい不安だった? それは僕も納得できないよ。それぐらいなら――僕と結婚しよう」
アンドリューの怒気に身を竦めていた明玉は、最後の言葉にきょとんとなって彼を見た。
(あ、あれ…?)
怒られながら求婚されるという事態に、頭が追い付かない。
というか、怒られながら求婚されるってなんだ?
大事なことだから2回言った。
「あの…話を、聞いてほしいのだけど…」
とりあえず、どさくさ紛れの求婚は脇に置いておくことにして、明玉は恋人に声をかけた。
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