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この作品には 〔ガールズラブ要素〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

呪いを受けた少女は今日も元気です(子豚になったけど呪われたままでいいかも)

作者: 尹久 多英

エレーナ・フォン・ブラウン侯爵令嬢は、5歳で呪いにかかり現在進行中で絶賛呪われ中である。呪いをかけた犯人も理由も分からないままだけど、大好きな家族やお嬢様思いの使用人たちに囲まれ何不自由がない生活を送るうちに、最近この屋敷で一生過ごすのも悪くはないかもと思い出した。でも、お父様やお兄様は絶対呪いを解いてやると言ってるし・・・聖女の神託まで下りた。呪いをかけた犯人は?そして聖女は誰か?

エレーナ・フォン・ブラウン侯爵令嬢である私は、5歳で呪いにかかり現在進行中で絶賛呪われ中である。


両親やお兄様の話によると、私が生まれた時は愛くるしい瞳にぷっくらとした頬、筋の通った鼻筋とチェリーのように赤い唇を見て、誰もが間違って天使が生まれたかと思ったらしい。


鏡を見ると見慣れたぼってりとした鼻に分厚い唇。“子豚ちゃん”のようにまん丸の顔が今の私の顔。お父様とお兄様は必ず呪いを解くと意気込んでいるが、5歳までの記憶もあまりないので内心このままでもいいじゃないかと思っている。


確かに結婚相手が見つかるかと言うと難しいかもしれない、だがブラウン家は貴族だ。

私一人ぐらい食い扶持が増えても問題はないはず。

心地のいい屋敷で一生過ごすのも悪くはない。だって、邪魔くさい令嬢たちとの確執やお家のしがらみもない。考え方によっては今の生活は最高ではないかと本気で思っている。


***


私が、幼い頃はいつも元気に屋敷中を走り回っているようなお転婆さんだったらしい。

それが5歳のある日を境に、呪いにかかったようだ。


3日間うなされ、目を覚ますとお母様に「エレーナが子豚ちゃんになっちゃったのよ」と言われた。

お父様もお兄様も屋敷の使用人が全員この部屋に集まっているのではないかと思うぐらい、所狭しと私を心配そうに見つめていた。そしてメイドのリズから鏡をもらって自分の顔を覗き込めば、そこには子豚のような私がいた。


子供だから美醜の感覚も分からず、笑ってしまった。

身体も重たいなと思ったら、ドラム缶のように太っていた。


慣れるまでは少し疲れたけど、身体が不自由とか地味に好きなものが食べられないという呪いだったら泣いていただろう。でも、その時の私は顔が変わったぐらいで、どこが呪いなのだろうか分からなかった。


すでに学園に通っているお兄様や王宮で宰相をしているお父様の顔が変わると対人関係に問題が起こるかもしれない。美しいお母様はこのままでいて欲しいしい。

そう思うとまだ屋敷もでたことがない私で、むしろ良かったのではないかと思ったぐらいだ。


頭を過ったのは大好きなおじい様やおばあ様が、私を嫌いになったらどうしようということだけだった。それも、手紙を読んだおふたりが領地から駆け付けてくれたことで払拭した。


***


エレーナが寝静まったころ、家族会議が開かれた。

エレーナが呪いにかかってからほぼ毎週行っているこの会議はすでに200回を超す。


「誰があんなに可愛いエレーナを呪ったのかしら」

犯人が見つからず、5年が過ぎた。会議はお母様のこの言葉から始まる。

「犯人が分かれば呪いを解く方法も見つかるかもしれませんね」

「そうだな。犯人探しは継続するとしてもエレーナは気丈で立派な子だ。アレンも良く支えてくれている」

お父様の大きな手がお兄様であるアレンの頭を優しく撫でた。


お父様は領主でありながら陛下の信頼も厚く、宰相を務めている。政治や経済に強いお父様が行う領地経営の手腕は素晴らしく、毎年順調に農地の収穫量も増え、特産品の開発も盛んだ。領地は潤い領民からも親しまれている。

そんなお父様にあやかりたいと社交界でも引く手あまたなのだが、お父様は最低限の付き合いしかしない。なぜなら、最愛の妻と一緒の時間を少しでも邪魔されたくないのだ。

そんな父は愛妻家でも有名だ。野性的で男らしく整った顔は仕事柄崩すことはないが、社交界でお母様にだけ見せる穏やかな眼差しにご婦人たちは熱いため息をこぼすのだ。


昔からお母様しか見えていなかったお父様は、学生の時からファンクラブが存在したことを知らない。

ファンクラブ歴30年を誇る公爵夫人は、若いころ手に入れた絵姿を今日も大切にハンカチで包むとファンの集いに向かった。


***


「でもエレーナはどうなるのでしょうか。僕の可愛い妹に変わりはありませんが・・・」

お兄様のアレンは父に似てとても頭が良く幼い頃から神童と言われている。

そして、美しい両親から生まれたお兄様も恐ろしく整った顔をしている。


王都で人気の高いお兄様には婚約者がいない。

貴族の子息たちの婚期が遅れると国王からも『早く婚約者だけでも決めてもらえないだろうか。なんなら王女はどうだろう』と言われているようだが、両親は貴族には珍しく恋愛結婚だった。

『本人の意思を重んじる』と丁重にお断りをしている。

そのためお兄様が通う王都学園では、婚約者の座を巡って令嬢たちが水面下で火花を散らしている。

お兄様が受験した年は、学園には通わず家庭教師をつける傾向にあるはずの貴族令嬢たちがお兄様目当てにこぞって受験をした。突然巻き起こった受験ブームが女性の社会進出に大いに役立ったことをお兄様は知らない。


驚いたのは当たり前のように学園に通う予定だった貴族の子息たちだ。

今まで不合格と言うと病気や怪我で受験出来なかった不運な子息ぐらいしかいなかった。しかし、その年は受験をしたにも関わらず不合格になった子息が続出した。受験さえすれば受かると思っていた、子息の親たちは戦慄した。その反面令嬢たちは何年も前から家庭教師をつけ、お茶会を通じて情報を交換し対策を練っていた。

『キャスリン侯爵令嬢 隣国から入学予定だったセザン王子と婚約解消』とセンセーショナルなニュースが巷をにぎわした。王都学園に詳しい専門家(初めて聞いたが)のマイケル氏のコメントでは、留学予定だったセザン王子が試験に落ち学力的に釣り合わなくなったせいではないかと解説していた。

翌年の受験に向けて死に物狂いで勉強に励む子息たちに親たちが喜び、受験者数増加に学園側も嬉しい悲鳴を上げている。


***


「いつも元気なエレーナが屋敷でしか暮らせないなんて・・・」

お母様は悲しそうにうつ向きながら、絹のように流れる美しい金色の髪を指ですくい後ろに流した。

慣れていなければ、お母様の色気に心奪われる男性が何人いるだろう。

お母様がお父様からの求婚を受けた時は、ショックで社交界に出席できなくなった男性陣が多くいたようだ。

『傾国の美女』と言われたお母様に一目ぼれしたお父様が、お母様の知らないところで男どもを蹴散らしていたことをお母様は知らない。


今でもエレーナと姉妹と勘違いされるほど若く見えるお母様は、一歩屋敷を出れば毎回花や果物をプレゼントされる。

もちろん、お父様にぞっこんのお母様が浮気をすることはない。

お母様のストーカーが屋敷の周りをうろつき、最初は気まずかったストーカー同士が照れくさそうにしゃべるようになり、妙に意気投合し誰も頼んでいないのに自警団を結成。

周辺の犯罪がめっきり減り、安全になったと地域の人は喜んでいる。


***


執事のベンは外見、性格ともに特に特徴はない。

特徴のないベンはお兄様のアレンやエレーナが産まれる前からこの屋敷で働く古株だ。

家族会議の邪魔にならないよう存在を消しながら、壁際に立ち犯人の目星を考える。

ベンにとっても産まれた時から知っているエレーナお嬢様が呪われたのだ、使用人の誰もが怒りを隠せない。

そして、ご家族の話を聞きながらご主人様であるクロード様の政敵か。アレンに恋するストーカーの令嬢か。奥様を寝取りしたい男性かと思考を張り巡らすのだが、犯人の目星が多すぎると心の中で嘆く。


「とりあえず、エレーナは身体が弱わって屋敷から出ることができないと引き続き噂を流し様子を見よう」

「元気すぎるエレーナには可哀そうだけど、安全にはかえれないものね」

貴族の子供は誘拐を恐れ、幼い時は屋敷から出ることが少ない。

エレーナが外出しないことは、さほど珍しいことではなかった。


呪いにかかってから、少しでも屋敷の中で快適にエレーナが過ごせるようにと、庭師が丹精込めた花々が美しく咲き乱れ、いくつかのブースに分けられたロココ庭園やバロック庭園と言った趣の異なる庭に作り直された。

屋敷で働く料理人も異国の料理まで学び、王宮料理人顔負けの鮮やかな腕前を披露する。エレーナが喜ぶ顔見たさに多くのレシピを考案した。

メイド達も負けじとエレーナに教えるため刺繍や編み物を極め、美術作品のような大作を日々量産している。使用人のなかには、手品がプロ級の者や単独コンサートを行うほどバイオリンを極めた者までいる。どこに向かっているか不明な使用人たちは今日も努力を重ねている。


他の貴族の使用人を見比べることができないエレーナは、これが普通と思っている。王宮からのヘッドハンティングを使用人たちが断っていることをエレーナは知らない。

それでもエレーナは使用人を家族のように思い、身内のいない使用人を看病し看取った時は家族も他の使用人たちも感動した。

庭師のヨハンが貴族の庭園を特集したプロフェッショナルズの新聞に『こんなに使用人を思ってくださる屋敷がどこにあるか言ってみろ』と語ったことは記憶に新しい。


***


「ヨハン、手伝うわよ」

「エレーナお嬢様手が汚れます」

「体力が有り余っているのよ。何か手伝わせて」

「嬉しいですが、旦那様に怒られない程度にしてくださいよ」

「そうね・・・前に大鉈オオナタを振り回して怒られたから、今回は雑草抜きぐらいにしておくわ」

「上手に使いこなしておられましたが、さすがにドレスに大鉈は良くなかったかもしれませんな」

「そうね」

この身体になって唯一良かったことは、重たいものも平気で持てるようになったことだ。

この屋敷には古くからいてくれる年配の者も多い、ヨハンの腰を心配して大鉈で雑草を刈っていたのをお父様に見つかってお叱りを受けたのだ。

その前にはワインの樽を軽々と持って馬車から屋敷を往復しているところを、メイドのリズに見つかって、やっぱり怒られた。


***


14歳になるとエレーナにも家庭教師が付いた。

最近では令嬢も王都学園に通うのが流行りらしいが、私は通えないので屋敷で勉強をしている。

家庭教師の先生はお父様の妹であるカテリーナ叔母様だ。

カテリーナ叔母様は、結婚もせず好きな研究で生計を立てている。家庭教師の授業がない時間は離れで魔法陣の研究をしている。私も離れに行って魔法陣を眺めるのが好きだ。


昔のご先祖様たちは魔法が使えたらしい。でも、平和になるにつれ魔力を持って産まれる者が少なくなった。叔母様は1000人に1人という魔力を持って産まれた。それでも蝋燭に火を灯すことや、テーブルクロスの汚れを落とすぐらいだ。それでも、叔母様は私の呪いを消すために研究を続けてくれている。

姪が呪われたのも気に入らないが、好きな魔法を屈辱されたようで腹が立つらしい。


叔母様にもお父様が事前に呪いについて手紙を出していたが、エレーナに会うと驚いていた。

そんな反応も慣れたものでエレーナは「ゆっくりでいいので慣れてくださいね」と笑って答えた。

そして、一緒に過ごすと誰もがエレーナの内面の美しさに気づくのだ。


***


今日は厨房で働くマイルがふらふら歩いていたので様子を見ると、小麦の入った麻袋を運んでいた。

「まあ、マイル。もう年なんだから無理をしては駄目よ。私がさっさと運ぶわ」

「あ、お嬢様の小麦は服が汚れますから・・・・またリズに怒られます」

「大丈夫よ。この量だったら2往復もすれば終わるわ」


「お嬢様、重たいものを運ぶ時は私に声をかけてくださいと何度も言っていますよね」

エレーナが小麦を背負ったとき視線に長い脚が見えた。

「ほお?」

「ほおじゃありません」

「カ、カイルじゃない。今日は休みじゃないの?」

「休みで今まで出かけていましたが、戻ったらお嬢様が見えたので」

「はっはっは・・・大した量じゃないから、いいかなって」

「いいかなじゃありません」


カイルは1年前から私専用になった護衛だ。

お父様が腕に見込んで連れて来た。

「カイル殿、わしが頼んだので許してもらえんか」

「マイルさんも無理をしてはいけません、いつでも私に頼んでください。問題はなぜエレーナ様が小麦を運んでいるかです。マナーの時間を増やすよう旦那様に申し上げましょうか?」

「ぐっぐ・・・それだけは勘弁」

「ふっ。さあ、私が運びましょう」


カイルは会った時からこんな私を令嬢として扱ってくれる奇特な人だ。

お父様はカイルがエレーナに会って、少しでも嫌な顔をすればこの屋敷から叩き出せたのにと言っていた。自分が雇っておいて変なお父様だ。


「あなたの護衛ですが、あなたの友達でもあります。よろしくお願いします」

「屋敷から出ないのに護衛というのも変な話ね。こちらこそ、よろしく」

カイルは話上手で、特に旅の話になると引き込まれるように聞いてしまう。


ギュリール王国の話も興味深かった。ギュリール王国は軍事力や技術が発達している大国だ。

発展した理由は身分に関係なく努力した者を評価し、しかるべき地位を与えたからだ。

例え孤児であったとしても大切に保護され、平民と同じ教育を与えてもらえる。そんな孤児から努力して将軍に上り詰めた人、宰相になった人の話を聞いた。

王族や貴族も古い考えに囚われず、平民が王族に見初められ結婚したシンデレラストーリーもあるという。この国なら、外見が醜くても私にもできる仕事があるかもしれない。


カイルとふたりで盛り上がっていると、ここ最近お父様が『未婚の男女の距離が近すぎる』言って注意をしてくることがある。カイルが私に手を出すなんてあり得ないのに、逆に親ばかで恥ずかしい。今日も中庭で話をしているだけなのに『楽しそうだな。私も一緒にお茶をいただこう』と言って邪魔してきた。カイルが苦笑いをしていた、本当に止めて欲しい。


***


そんな私は愛情一杯に育てられ、気づけば16歳になっていた。


お兄様も20歳になり学園を卒業し、今は騎士団に入団し立派に騎士として勤めている。

屋敷から騎士寮に移るときは『エレーナは私がいないと寂しくて、眠れないかもしれない。ここは病気の妹がいると言うことで屋敷から通う特別許可を取った方が・・・』としつこく言っていたので、「もう大人ですからお兄様がいなくても大丈夫です」と答えると、ショックで熱を出した。お兄様の方がよっぽど繊細である。


カイルが「エレーナ様は私がお守りしますのでご心配なく」とお兄様に伝えると、なぜか機嫌が悪かった。護衛なのだから守るのが仕事なのに、どうしてお兄様は怒るのかしら。


それでもお兄様は、週末のたびに帰ってきて王都で流行りのお菓子や小物を買ってきてくれる。

素直に言えないけど、呪いのかかった邪魔くさい妹を大切にしてくれる優しい兄だ。


今日も帰ってきたお兄様は、私のマシュマロのように柔らかい頬に手を這わしプルプルゆする。

「もう、お兄様はいつもそればっかり」

「ふっふ。気持ちいいからね」

「カイルがいるのに・・・」

「・・・・なぜ、カイルを気にする」

殺気を込めた目でカイルを睨むお兄様に「リズがいてもヨハンがいても誰でも同じです。もう大人ですもの。見られたら恥ずかしいわ」と答えた。

「そうだよね~カイルはヨハンと同列。くっくっ」

そんなアレンは、カイルに見せつけるように存分にエレーナを庇い倒す。


そんなお兄様を心配して、早くお兄様も婚約者を決めなくてはと言っても『妹より可愛いと思う子がいない』と言うばかり。

「身内のひいき目としても私が可愛いだなんて、少し異常だわ」お兄様はもしかして目が悪いのか、まさか病気かもしれないと真剣にカイルに相談すると『正常だから問題ない』と言われた。


***


「父上、母上。戻りました」

「おかえり、アレン」

「騎士団の方はどうだ」

「はい。一度国境沿いで小競り合いがありましたが、小規模で大したことはありませんでしたよ」

「そうなのね。怪我もないようで良かったわ」

「はい、母上」

学園での成績も優秀だったアレンはお父様の跡を継ぐものと思われていたが、妹を守りたいとあっさり騎士の道を選んだ。叔母様と同じく魔力を持っている貴重な存在として、アレンは騎士団でも重宝されているらしい。


「父上今日は重要な話があるとか・・・」

椅子に座ったのを見ると、お父様も戸惑いながら話し出した。

「ああ・・・エレーナもよく聞きなさい。聖教会から神託が下りた。内容はこの国の15歳から16歳の貴族令嬢に聖女の力が現れるそうだ」

「それは・・・どういうことです」

「古の時代魔獣や魔王がいた名残で、今でも500~1000年に一度のサイクルで聖女がこの国の国民から現れるのは知っているね。それが神託によるとまさしく今だと言うのだ。にわかに信じられんが、聖女が現れれば怪我や病気を治せる治癒魔法の使い手として大切に保護されるだろう。他国が動く前に見ける必要がある」

「まさかエレーナも連れて行くと?」

「今までエレーナの安全を考え外出を控えてたが、今回ばかりは王命だ。15歳から16歳の貴族の娘は全員王宮に呼ばれている。宰相である私だけが断ることはできない。すまないが、アレンは仕事なのでカイルと私が王宮へ付き添う」

「王女の子守りですか・・・」

「そうだ。アリフォンヌ王女がアレンを自分の護衛に引き抜こうとやっきなのが気に入らないが、聖女選出に王女を引き離せるのは好都合だ」

とんでもなく我儘で思いやりのかけらもないアリフォンヌ王女が、エレーナを見れば辛辣な言葉を吐き出すことは目に見えていた。

「しょうがありませんね」


「・・・ねえ、私王宮に行けるの?」

「そうよ。エレーナが一番お気に入りの薄紫のドレスで行きましょうね」

「あれを着ていいの?」

「ええ、いいわ。家族だけのお祝いパーティーには、また違うドレスを作ればいいわ」


成人の16歳になると王宮で開催されるパーティーに出席するのが貴族の習わしだ。

エレーナは参加できないが、お母様が家族でお祝いをしましょうと言い出しドレスを作ってくれた。普段と違う豪華なドレスは、胸元がすっきりするようカットされ大人っぽいデザインになっている。くるくると周るとドレスの裾が何重もの花びらのように広がる。

大人らしくハーフアップした髪形に興奮して嬉しそうに鏡を見る。

「ああ、太い腕と足がもう少し細くなればいいのに」と普段通りに感想を言っただけだが、母やリズの顔が一瞬曇った。不味いと思い「でも、家でドレスを着るのもいいものね」と笑うと、ふたりが微笑んでくれたから良かった。


この屋敷では私が中心に回っているのではないかと思うことすらある。


カイルが言うには、この屋敷の使用人はちょっと変わっているらしい。お茶の時にリズが得意のバイオリンを弾いてくれる。そして、少し暇そうにしていると執事のベンが、突然何もないポケットから鳩を出した。カイルは目を見開き「今のは、魔術か?」と聞くものだから笑ってしまった。みんなが私を気にかけてくれている。

毎日感謝してもしきれない。


昔を知らないカイルだけは平気で私を「子豚ちゃん」と呼んでくる。

カイルのように元の私を知らない誰かと、恋愛ができればいいのに。


***


国王の謁見当日には、お母様とリズが朝早くから身体を磨きあげ髪の毛を結ってくれた。

仕上がりを見て満足そうなお母様が「貴方はどこに出してもおかしくないぐらい立派にマナーも覚えたわ。堂々としていなさい」と抱きしめられた。


階段の下で待っていたお父様は目にうっすら涙を浮かべ「小さかったエレーナが、すっかり大人になったな」と褒めてくださった。カイルも「とても美しいよ」言ってくれたのはお世辞でも嬉しかった。


「カイル、私は本当に呪いがかかっているのかしらと思う時があるわ。だってこんなに幸せだもの」お母様も屋敷のみんなも馬車が見えなくなるまで手を振ってくれた。私も必死に手を振った。

カイルは心の中で『エレーナはありのままの姿が美しい』と囁いた。


***


馬車が王宮に着くと、お父様が昔一緒に来たことがあると言っていた。

幼すぎて記憶がないので、初めて見る王宮の大きさに気後れしながら廊下を進む。宰相を務めるお父様を見て騎士たちがすぐさま頭を下げた。

そして私を見て『誰だ?』という顔をしている。

お父様が「娘のエレーナだ」と答えると、口をあんぐり開けて驚いていた。

(そうなるわよね・・・)


晩餐会でも使用される1番広く豪華な広間に着くと、奥に祭壇が置かれていた。

今は椅子だけが並べられたがらんとした空間になっている。奥には白い制服の聖騎士たちと教皇や王宮の黒い制服の護衛達が並んでいた。

(いよいよね。何を言われても堂々としていよう)


周りを見れば年の近い可愛らしい令嬢たちが両親に付き添われ並んでいる。

普段から磨かれ、美を追求している令嬢たちだ。

髪は艶があり、肌もきめ細かい。

化粧も自分に似合っているものを心得ている。普段から着なれているドレスも様になっている。

それも貴族の令嬢にとって、男性に見初められることは人生を左右するほど重要なことだ。

絶食をしてまで体型を維持している、私のように太っている令嬢は皆無だ。

(私は、食事を制限しても運動をしても痩せないかなら。ずぼらに見えるわよね)


みんなが驚いたように私を見ていた。

「まさか、ブラウン侯爵家の深窓の令嬢ってあの方なの?」

「深窓の令嬢というか、ただ恥ずかしくって家から出せなかっただけじゃない」

「あの美しいアレン様と全然似ていなじゃない。あの方は養女なの?」

興味津々な目線が、エレーナに突き刺さる。

「私だったら人前に出るのは遠慮するわ」


エレーナが着ているドレスは胸の開いたデザインで少しでもエレーナが痩せて見えるように工夫されている。でも、太った身体は隠せない。この醜い顔も化粧ぐらいではごまかせない。

(自分でも醜いと分かっているけど、直接笑われると心が折れそうになるわね)


屋敷ではそんな私を可愛いと言ってくれる家族や使用人たちがいてくれたお蔭で、自分の醜さは忘れがちだ。厳しい現実に歩みが遅くなると、お父様が私の手を強く握って『愛する娘のエスコートができて嬉しいよ』とつむじにキスをしてくれた。

後ろを振り返ると、カイルと目が合った。

カイルはいつものふざけた笑顔で「躓いて転ぶなよ」と言ってきた。


カイルの笑顔を見た令嬢たちも何故か顔が赤い。

「ねえ、あの方も貴族かしら」

「素敵だわ。婚約者はいらっしゃるのかしら」

そして、私を交互に見て「なんであんな醜い女に」と言い出した。

「可哀そうに、絶対無理やりお金で雇われたのよ」

「宰相陛下のお力があれば、嫌とは言えないでしょ」

「何か断れない理由があるのよ」

更に視線はきつくなる。


一瞬もやっとした黒い染みが心の中で浮かんだ。

こんな私にも少し口は悪いが、優しいカイル。

醜い私に優しくする理由・・・父はこの国の宰相だ。父の力を求めて近づく者も多いだろう。

カイルが、我が家に来た理由が他にあるのだろうか。


指定された位置に着くと、私の隣にカイルが立った気配がした。

今まで何も意識していなかったけど、今思い返せば調子に乗って何時間も旅の話をさせたことや、休みや仕事の時間外でお茶を飲もうと誘ったこともある。カイルが余りにも普通に接してくれるので、使用人が断われないことをすっかり忘れていた。私恥ずかしいわ。後でお詫びをして、お父様に賃金の値上げか迷惑料を支払うかお願いをしなくては・・・。


それに気づいたのかカイルは膝を少し曲げ、私の耳元で「エレーナ、君が好きだよ。他人の言葉は毒だ。気にするな」それだけ言って元の姿勢に戻った。驚いて隣を見ると、カイルの逞しい喉仏と整った横顔が見えた。

(え?なんて・・・)

カイルの「くっくっ・・・」と笑いを殺した声が聞こえる。

(からかわれた?)


頭が真っ白になっていると最後に王族たちがこちらに歩いてくるのが見えた。

最初に歩くのは、この国の第一王子のオーエン王子だ。

噂では気高く美しい王子と聞いてアレンお兄様より美しい人って、どんな方かしらと乙女心でどきどきしたものだ。歩いて来る王子は確かに金髪で背も高く、そこそこ顔も良かった。


私の周りにはイケメン度が高い。目だけが肥えているのでオーエン王子の登場で「キャー」という黄色い声に理解ができない。

自信過剰なのか、手を振って歩いている。

「オーエン王子様だわ!」

「こっちを見たわ」

王宮でのマナーはお母様から習ったが、お母様も時代によって多少変化があるかもしれないと言っていた。私の知らない最近のマナーだろうか。

私も「キャー」と言って騒がないと不敬罪になるのだろうかと悩んでいると、王子がピタっと私の前で止まった。


「宰相、隣の令嬢は・・・」

「王子お久しぶりです。ひとり娘のエレーナです。身体が弱く普段は屋敷を出ることができないので紹介が遅れました」

「そうか、そういうことか。何度も紹介しろと言っていたが、この顔であれば王宮に連れて来れないわけだ」

「オーエン様、女性に笑うなど失礼ですわよ・・・ふふ」

豊満な胸を見せつけるように大きく胸元が開いた真紅のドレスに、重たそうなダイヤのネックレスとイヤリングを付けた令嬢が横に立っていた。

「さあ、行きましょう。あなたが歩かないと国王陛下が入場できないでしょ」そう言って、王子の腕に絡みつき、胸を押し付けるように王子を連れて歩き出した。

「すまん。余りにも面白い余興だったものでな」

「もう、王子は他の女性より私だけを見てくださいませ」

「あんな女も数に数えるのか・・・」


父の腕が怒りのせいか、ぷるぷる震えている。

「耐えてくださいクロード殿。計画通りに」とカイルが宥める。


次に向かって来るのはこの国の国王陛下と王妃様である。

国王陛下は王族らしいオーラを纏い威厳があるが、その瞳は優しそうなのが印象的だった。

隣で歩く王妃様は綺麗な人だったが、意地が悪そうにツンと顎を上げ王族の威厳を示すためか高級な生地を無駄に使ったドレスにやはり重そうな宝石をいくつも身に着けていた。その姿に国民を労わる国母という印象はなかった。

そして、通り過ぎる時横目で私を見て鼻で笑うように王座に向かった。


国王陛下がこの度の聖女誕生を迎えた経緯を話し「聖女にはぜひわが国で幸せになってもらう準備がある」と締めくくった。そして次にオーエン王子が話し出した。

「誰もが聖女になる可能性がある。誰が聖女になってもその者を愛しみ大切にすると誓う・・・若干1名を除いて」と口元をゆがました。

一斉に私に視線が集まると、今まで笑いをこらえていた令嬢や貴族たちが許しを得たと言わんばかりにくすくすと笑い出した。

壁際に立っている騎士達もつられて笑うのをこらえている。


ジョークのつもりなのだろうか、センスがないなと見つめているとオーエン王子は真紅のドレスを着た令嬢の腰に手を回し、耳元で何かを話すと令嬢も扇子で口元隠し笑っているようだ。

「絶世の美男美女よね~。婚約者のナタリー様は今日も美しいわ」

周りからふたりを褒める声が聞こえるが、エレーナからすれば父上ほど渋くないし、兄上ほど美しくない。それに、カイルみたいに野性的で魅力があるわけでもない。


(困ったわね、どこが素敵か分からないわ)

ナタリー様に関してはお母様の美貌に慣れているせいで、次期王妃の高貴な美しさや親しみを一切感じない。むしろ、性格の悪さが滲み出ている。


笑いが止まっても私をじろじろ見つめている視線が痛いが、しっかり立てているだけで褒めて欲しい。心の中では『帰りたい』と何度も叫んだが。


騒がしくなった場を戒めるように教皇の声が響いた。

「ごほん。今から聖女の儀式を始める」

説明によると、今からこの水晶に手を当てると聖女にだけ変化が起きると言う。


どのような変化が起きるかはわからないが、聖騎士たちに促され令嬢たちが順番に並ぶと指示通り両手で水晶に触れた。

広間にいる誰もがかたずをのんで変化を待つ。

何も起こらないことを確認し「次」と言われると、令嬢は元の場所戻るよう促される。

なぜか悔しそうな令嬢もいるし、涙を流し親に慰められている令嬢もいる。


父に何故悲しそうなのかと聞くと『聖女になれば王族より立場は上になる。それに王族との結婚も約束されるから、出世願望の強い貴族たちが必死なのさ』と説明してくれた。

(はあ、愛おしみ大切にするって結婚することだったのね。益々聖女になんかなりたくないわ。さっさと終わらせて帰りたい)


どんどん令嬢たちが入れかわり、列が短じかくなると王子の隣に立っていたナタリー様が歩き出した。

取り巻きの令嬢たちが、神経質なぐらい気を使っている。

側にいる使用人たちも頭を下げつつナタリー様の後ろをついて行く。

明らかに年上の使用人にもきびしい口調で命令している姿が堂に入っている。


「やっぱりナタリー様が聖女候補だという噂は本当なのかしら」

「そうね。ああ、王子様の口づけを夢見ていたのに残念だわ」という声が聞こえた。

「口づけ?」

不思議そうにカイルを見ると「聖女は口づけで覚醒する。そして口づけをするのは太古の昔にさかのぼると勇者の血縁者と決まっている。つまり勇者の子孫である王族だ」と言われた。

「うわ、なにそれ最悪・・・」

「ああ同感だ。聖女だと後が邪魔くさいしな」


***


ナタリー様が水晶に触れると、誰もが息を止めたように広間は静かになった。

今か今かと待ちわびるが、数分経っても何も起こらない。

不思議そうに首を傾げだした貴族たちを見て、ナタリー様も焦ったようだ。

「では、次」

無情な声が響いた。

「待ちなさいよ!ありえないわ、この水晶壊れているのよ。もう一度試させて」

ナタリー様は顔が引きつっている。


他の令嬢たちは1分程度だったのでナタリー様の約3分は、王族に気を使った方だと思う。

「いえ、水晶は壊れていません。次」

「ま、待ちなさいよ。私が誰だかわかっているの?この国の王妃になるのよ。あなたをクビにすることもできるんだから」

教皇は眉をしかめ「そのような脅迫には屈しません。次」とジェスチャーで合図する。

「お願いです!ナタリー様はこの国の第一王子であるオーエン王子の婚約者です。我々のためにももう一度。一度でいいのでお願いします」

この後のお咎めを心配するメイド達を見て、ため息をつくと「何度やっても変わりはありませんよ」と再度ナタリー様に水晶に手をかざすよう促した。ナタリー様も気合を入れて水晶を手で包み込む。

やはり、何分待っても変化が起こらない。

会場はざわざわと騒がしくなり、彼女の周りを取り巻く人たちもなんだか顔が真っ白になっている。

広間には、異様な空気が取り巻いていた。

「あり得ないわ!」


ガシャン


「ひぃ、ナタリーお嬢様・・・」

怒ったナタリー様が、祭壇の上に置かれた水晶を持ち上げ床にたたきつけたのだ。

ガラスが割れる嫌な音とともに、水晶の破片が床中に散らばった。

「な、な、な、何と言うことを!」

教皇が、今にも泡を吹いて倒れるんじゃないかと思うほど真っ青な顔だ。

異常事態に聖騎士団が一斉に剣を抜くと、陛下を守っていた騎士達も慌てて剣を抜いた。


教会は4つの国境にまたがる土地にあり、どの国にも属さず独立した機関になる。

4つの国に多くの信者を持つ教会の影響力は王族に匹敵するほど絶大だ。

教会と問題を起こせば、この国の運営も厳しくなるだろう。

広間にいる王族や貴族たちも王宮での抜刀に緊張が走った。


***


それを見ていた私はラッキー!もう帰えれると思ってしまった。


床を見ると部屋中に散らばった水晶が日に当たり断面がキラキラ光っている。

私の足元にも飛んできた水晶が落ちていた。

危ないわねと何気に拾うと、拾った破片は熱を持たないはずが温かい気がする。

水晶が段々明るく輝きだした。

「ん?」

そして、目を開けることもできないような眩しい光源となり部屋中に広がった。


何が起こっているのか良く分からないが、私は早く帰りたい。さっさとこの場から。聖女にもなりたくない、あの王子と結婚するなどまっぴらだ。

変化とは何か分からないが、今非情に不味い状態な気がする。


手をぶんぶん振って、破片を手放そうとするのだが水晶がぴったりくっついたように手から離れない。

段々焦る私を誰かが抱きしめた。

カイル?

森の中のように清涼感のあるカイルの香りだった。


目が慣れたのか光が弱まったのか、目の前の光景が見えるようになってきた。

腰を抜かした貴族や固まっている令嬢が見えた。

床を見ると飛び散っていた破片がなくり、私の手には球体の元の水晶があった。

(おう!アメージング!)


「まさかエレーナか?」

信じられない顔で私を見つめる人たちに混ざって、何故かお父様も驚いているようだ。

カイルも後ろから抱きしめながら、私をじっと見つめている。

「どうしたの・・・」


教皇が大きく手を広げ、「おおお、聖女様のお力だ」という甲高い声で我に返った貴族たち。

(あれ?私の腕・・・細くない?足も細くなっているみたいね。もしかして、呪いが解けたとか)

広間にいる誰もが、絶世の美女を見つめていた。

先ほどの睨むような視線はもうない。女神でも崇めるような視線に変わっている。


エレーナが痩せて見えるように工夫されたはずだったドレスがほっそりとしたエレーナの体形に変化していた。そのドレスはエレーナの女性らしい豊かな胸を強調し、幾重にも広がったレースが腰の細さを目立たせ抜群のスタイルをアピールしてる。


「エレーナなのか・・・」父の声が震えている。

目を開けると、そこには若かりし妻を彷彿とさせる美しい娘が立っていたのだ。

5歳の娘が戻ってきたような、今まで育てた娘がいなくなったような不思議な感情だが、娘の呪いなどない方がいいに決まっている。

「はい。お父様」

「呪いが解けたのか」

「そのようです」

「子豚ちゃんも十分可愛かったが、今のお前はセレナの若い時そっくりに美しいな」

「お母様と・・・」

カイルも私の身体から腕を離し、不思議なものを見るような顔をしている。

「エレーナなのか?」

「そうよ」

(元々カイルは以前の私を知らないものね、そら驚くわよね)

どう返せばいいのか迷い、いたずらが成功した子供のようにぺろっと舌を出した。

カイルは目を逸らしたが、耳は真っ赤だった。


そんな家族の感動のシーンも馬鹿の一言で終わった。

「おお、其方は今までどこにいたのだ!」

オーエン王子が祭壇から興奮したように走ってきた。

息も荒く、とても気持ち悪い。

「何という美しさ!聖女というか、女神ではないのか」

そう言って私の手を握った。

ぶるっと寒気がし、一歩後ろに下がろうとすると逃がさないとばかりに腰を掴まれた。


「聖女と王族の結婚は古から決まっていることだ。其方を私の妻にしてやろう」

馬鹿が高らかに叫んだ。


「オーエン様!その豚に騙されないで」いつの間にかナタリー様もここにいたようだ。

「はあ?」

「ええ、その豚で間違いありませんが」

「・・・本当にさっきの豚か?」

「はい。それにオーエン王子様と結婚をする気もありません。誰でも大切にするが一人を除いてと言われましたよね。私はそれで結構です」

「いや、それはお前がひどく醜くいからそう言っただけで・・・・今なら、問題はない。結婚してやっても構わない」

「ですから、お断りしています。聖女の儀式も終わったようですから、もう帰っていいでしょうか」

何を言われたか理解できなかったが王子の顔が、みるみる険しくなった。

「な、な、お前。俺を誰だと思っている。その馬鹿にした態度はなんだ!」


やっぱり邪魔くさいことになった。

ナタリー様も私を鬼のように睨みつけてくる。

「お待ちください、オーエン様。私はあなたの婚約者です。そして、今日この場で結婚の報告をするはずですよね」

「ああそれか。お前とは婚約破棄する」

「なにを言っているのです、私たちの結婚は国王陛下が認めた結婚です」

「それは、お前が聖女だと言うからだろ」

オーエン王子が冷たく言い放つと、ナタリー様はあふれ出そうな涙を必死に堪えていた。

「聖女が現れた以上お前に価値はない」

「な、なんですって。お父様の後ろ盾がなくなってもいいと?」

「聖女を妻になれば、誰も文句は言わないだろう」


見かねたお父様が私とオーエン王子を引き離した。

「失礼ながら、ナタリー嬢が言う通り国王陛下が決めた結婚です。簡単には覆りません。それに、私も娘をここまで馬鹿にされて、王子との結婚を許す気にはなれませんな」

お父様の冷たい一言に一瞬ひるんだ様だが、子供のような言葉を吐き出した。

「じゃあ、ナタリーを側室にすればいいんだろ」

「娘が聖女であれば立場はあなたより上です。言葉に気を付けていただきたい」

「それは、口づけをした後の話だ。そうでなければ侯爵令嬢のままだ。家族を思うなら逆らうなよ」

「オーエン王子様と口づけをしないと、聖女になれないなら。聖女を辞退します」

「なんだと、馬鹿な女だ。お前には後で口の利き方をしっかり躾けてやろう」


それを聞いていたカイルが、奪うように私を抱き込むと「では、私とは口づけができるか」と聞いてきた。

「え?」意味が分からず首をかしげると、真剣な顔で同じことを聞いてきた。

「私となら口づけはできるか?エレーナ」

「そりゃ・・・カイルとなら・・・・」

小さな声でもごもご言っていると、カイルが急にエレーナの顎を掴んで口づけをしたのだ。

(ええええええ!!!)

本日2度目のイリュージョンである。


今度は、春の日差しのような暖かい光がふたりを包み込んだ。

金色だった髪の毛がビロードのように滑らかな黒色に変化した。黒い髪の人はこの世界にいない。聖女だけがもつ高貴な色だ。

滝のように流れる黒い髪が、美しいエレーナをさらに神秘的な雰囲気にさせている。

エレーナも驚いたが、カイルはほっとしたように唇を離した。

「エレーナ。時間がなかったので急に唇を奪ってすまない、説明は屋敷に帰ってから聞いて欲しい」

「//////」


「なんだ・・・何が起こった?貴様は聖女に何をした!」

エレーナも真っ赤だが、オーエン王子も違う意味で真っ赤になって地団太を踏んでいる。


教皇が近づくと深々と頭を下げつつ、エレーナが持っていた水晶を受け取るとそれは大切なものを抱えるように祭壇の元の場所に水晶を戻した。

満足そうに水晶に手を合わせ「レオン王子が聖女の力を発現させたのです。こうなった以上あなたの国で聖女を守るのが筋です。聖女様には改めてご挨拶にお伺いします」と言って騎士達を連れて、広間を出て行ってしまった。


「どういうことだ!なぜ発現した・・・発現には勇者の血脈が必要なはずだ。お前は何者だ!」

「レオン兄上!こんなところで素性をばらさないでください」

そう言って駆け寄ってきたのは、カイルを少し幼くしたような少年だった。

「こんな時に失礼しました。私はギュリール王国の第二王子のマリオンです。そしてそこにいるのは我国の第一王子のレオン兄上です。兄がこの国に魔獣の調査に訪れたまま2年も帰ってこないものですから、しょうがなく私が我儘な兄に成り代わっていたのです」

「・・・・・・王子?カイルが王子・・・・・」

「エ、エレーナ、騙すようなことになってすまない」

お父様を見ると顔を逸らした。

「お父様・・・知っていたのですか」


ギュリール王国は周辺を取り巻く、4つの国の中で一番軍事力が高く、あらゆる面で他国を抜き出ている。馬鹿でなければこの国に喧嘩は売らないだろう、オーエン王子も少し顔色が悪いところをみると馬鹿ではなかったようだ。


「お前はこの国の王族だけが勇者の血を受け継いだと思っているのか。なぜ、勇者の血脈が他国の王族にも流れていると思わないのか」


「そんな・・・。隣国の王子がこの国の聖女にキスを迫るなど侵略行為だぞ。いますぐ捕まえろ!」

やっぱり馬鹿は馬鹿である。


「聖女になる条件は王族からのキスではない。勇者の血を持つものと、聖女の力を持つ者が愛し合うことで聖女の力は再現する。勇者の血を色濃く持つこの国のものがそんなことも忘れたか!」

「ぐう・・・」

「もうひとつ教えてやる。聖女を怒らせた国は加護を受けることができない。今からでも国の崩壊に備えよ」

それを聞いた護衛達は、うろたえるように国王陛下を見た。

国王陛下も判断に迷っているようだ。


広間にいる全員が緊張するなか、また静寂を切り裂くような叫び声が響いた。

「痛い!痛い!痛い!痛い!痛い!痛い!痛い!痛い!痛い!痛い!痛い!痛い!痛い!痛い!痛い!」ナタリー様が床で転げまわっている。

「次は何事だ!」とオーエン王子が叫ぶと、ナタリーは見る見るうちに豚のように醜くなっていく、エレーナの時は確かに子豚のようにぷくぷくではあったが、愛嬌のある目が可愛らしく自分が思うほど醜くはなかった。

でも、ナタリーの場合は目が吊り上がっていて何倍も醜い。


「どうして、何が起こって・・・まさか、お前はあの時の子供なの?」

エレーナを信じられないと言うばかりに見つめる。

その間にも身体がどんどん太り、真っ赤なドレスが無残にも所々破れ入りきらない脂肪が見えている。

「そうなのね、あの時の子供なのね・・・」


「そう言うことか、お前がエレーナを呪っていたのか」

カイルが冷たい目線でナタリーを睨んだ。

「ナタリー様が?私はずっと屋敷から出ていないのよ、ナタリー様とお会いしたこともないのに」

「会っているわ。あなたとは一度王宮で会っているのよ」

「・・・?」

「幼い頃お前を王宮で見たわ。あの時オーエン王子があなたを見初めて、婚約者にしたいと言い出したのよ。産まれた時に決まっていた婚約者の私を捨ててね。だから、呪ってやったの・・・・でも、どうして生きているのよ」


ナタリーがエレーナを睨む。吊り上がった口が締まらず涎が流れている。

「どうして生きていると言われても・・・」

「醜くなって誰からも愛されなくなったら、あんたは死ぬという呪いをかけたのに。なぜ生きているのよ!」

ナタリーはとっくの昔にあの子供は死んでいると思っていた。

だって、醜い子豚のような少女を誰が愛するのかと。


エレーナは納得したように話し出した。

「誰からも愛されなくなったら死ぬという呪いですね」

「あんなに醜かったのに!どうしてなの、なぜ死んでいないのよ」

「今のお話を聞く限り私が死ぬ要素はどこにもありません。だって、私には醜くなっても愛してくれた家族や使用人たちがいたのですから」

「嘘だ!醜い姿を愛するものがいるなどあり得ない。あり得ない。あり得ない・・・」

焦点が合わない視線が宙をさまよい、ぶつぶつと同じセリフを繰り返している。


「エレーナには愛してくれた人がいた。お前には愛してくれる人がいるのか?」

カイルの言葉を聞いたナタリーがカイルを睨んだ。

「当たり前でしょ。オーエン様・・・オーエン」

「よるな化け物!」

ナタリーが歩み寄ると、怯えたように後ろに下がり護衛を盾にした。

「私に触れることは許さんぞ」

「そんな・・・オーエン様。婚約者として支えてきたのに、どうして」

オーエン王子に向かって伸ばした手がだらりと落ちた。


ナタリーが次に見たのは、さっきまですり寄っていた令嬢たちだった。

令嬢たちは慌てて目を逸らした。

「ふん、所詮金魚の糞ね。後で覚えていなさいよ」

「わ、私の使用人がいるわ・・・」と後ろを振り返ると使用人たちは「ひぃ・・・来ないで」とブルブル震えている。

「この役立たずが・・・お父様、お母様はどこ」

目が泳ぎ広間の隅に避難した人だかりから両親を探しているようだ。


人ごみに必死に隠れていた人物が、みんなの目線で居場所がばれると「お、お、お前が行け、お前が産んだ子だろう」と言って侯爵が自分の妻に怒鳴った。

「何を言っているのです。あなたはいつも厄介なことは私に押し付けるばかり。こんな時に父親として抱きしめてあげればいいじゃない」

「あんな化け物、私の娘ではない。そうだ、お前が庭師と浮気していることは知っているぞ。そいつの子供だろう」

「な、なにを・・・愛人を何人も連れ込んでいたのはあなたでしょう!それに、あなたがナタリーに頼まれて呪いをかける手助けをしたのを知っているのよ」

「ば、馬鹿。何を言っている・・・」


ナタリーは首を掻きむしり、荒い息を吐いた。

「息が・・・息ができない」


「どうすれば、ナタリーが呪いで死ぬわ」

「エレーナ見るな。ナタリーが自分で蒔いた種だ」

ナタリーはもがいて苦しみだした。

「あなたを愛する人は誰もいないのね」

「五月蠅い!馬鹿にするな!」

そう言ってオーエン王子を見ると、オーエン王子は震えて騎士の後ろに隠れている。

ナタリーの失望が顔に広がった。

「こんな未来はいらない」

あっという間の出来事だった。

どこにそのような力があったのか、王宮の厳重な窓を突き破り5階から飛び降りたのだ。


少しの間がありドッスと重たい音が聞こえると、1階から「キャーーーー!」と切り裂くような悲鳴が聞こえた。公爵夫妻はぶるぶると震えていた。真っ青な顔をしているが娘の死を悲しむと言うより、この先の自分の未来が気になるようだ。


国王陛下は「何と言うことだ・・・」と呟いた。

王妃は一部始終を見て、その場で腰が抜けしゃがみ込んでいた。

オーエン王子はお漏らしをしたのか、足元には水たまりができている。


「もうよい。オーエンとデイビス侯爵たちを地下に連れて行け」国王陛下の低い声が広間に響いた。

「陛下!なぜオーエンを地下牢へ」

王妃は王子を溺愛していると聞く。

真っ青になって、夫に許しを乞うが陛下が冷たい目で「そんなに可愛いいなら王妃も一緒に地下へ行くか」と尋ねた。

「・・・・・・・・・・それは」

わが身が一番かわいいのか、王妃は我が子から目を晒した。

「母上?」

護衛たちが王子の腕を掴んで、広間から連行する。

「父上!何故私が地下牢に行かねばいけないのです!やめろ私に触るな!」

盾にされていた護衛たちに無理やり腕を引っ張られ広間から退室した王子の後をデイビス侯爵夫妻は力なく連行された。


***


屋敷に戻ると呪いが解けた姿にお母様もお兄様も屋敷のみんなが喜んでくれた。

そしてお母様は「貴族の馬鹿な価値観で狂ったナタリーが気の毒だわ」と涙を流した。

叔母様はいくら聖女でも呪った本人に跳ね返ってきた呪いは解けないと言って悲しんだ。


「それと、レオ王子の正体がばれた」

「そうでしたか」

兄が淡々と答えた。

私以外全員知っていたようだ。

「何故私だけ知らされていないのですか。私も調査のためにこの国に来たのなら協力したのに」

「エレーナ。それは私が頼んだのだ」

「どうして?」

「初めて会った時なぜか王子としてではなく、自分を知って欲しいと思ったのだ。正直に話そうと思えば、思うほど言えなくなってしまった。子豚ちゃんに嫌われたくなかったんだ、エレーナ愛しているよ。騙していたことを許して欲しい」

「////////」

「まあ、エレーナ。顔が真っ赤ね。子豚ちゃんも恋を知ったのね」


「エレーナ、私と結婚してくれるか」

「エ、エレーナ早まるな。お兄ちゃんと今まで行けなかったところにお出かけしよう。それに、友達を紹介するよ。この国の男性と見比べてから結婚を判断した方がいいんじゃないか」

「アレン殿・・・それはどういう意味ですか」

「エレーナと離れるのは嫌だ!」

お兄様が私の腰にしがみついて、イヤイヤと首を振っている。


「そうね。せっかく元に戻ったのですもの、私も娘とショッピングを楽しみたいわ」

「だったら、この国を捨てて娘と一緒に引っ越すか」

「そんな簡単に宰相の職を辞めていいのですか、お父様」

「ああ、この国には十分尽くした。これからは隣国でゆっくり家族と過ごすのもいいだろう」


1カ月後、ブラウン侯爵家の家族と使用人、その家族が隣国に引っ越した。

ギュリール王国に接していたブラウン領地もそのまま、ギュリール王国に組み込まれた。

この国の王が攻めてくるかとも思ったが、これ以上聖女の気分を害したくなかったのだろう。

領民からの反対もなく、とてもスムーズに進められた。


さらに1カ月後。

噂によるとオーエン王子は廃嫡、王妃はクーデターを起こしたが、計画があまりにもずさんであっさり制圧され死刑となった。

ナタリーの両親は爵位をはく奪、一般市民になったが消息は分からないらしい。

国王陛下は王位を弟へ譲り、静かに表舞台から消えた。


***


<第305回 家族会>


「やっと落ち着いたわね」

「ああ、エレーナの結婚式まで少し忙しかったからこれからはゆっくりしたいな」

「そう言えば、この前引っ越してきたご婦人が、あなたのファンクラブらしいのよ。ファンクラブがあると知っていました?」

「いや知らないな。私は君一筋だからね」

「ふっふっふ。この前の招待されたお茶会でそのご婦人からあなたの学生の時の絵姿を見せていただいたのよ。知り合った頃で懐かしかったわ。話が弾んで次はあなたが社交界デビューした時の絵姿を持ってきてくれるそうよ」

「そんな絵姿は知らないな。そういえば、君のストーカーたちが今年も使用人の試験を受けに来ているけど君は大丈夫かい」

「ええ、よく合うから近所の方とばかり思っていたわ。花や果物も売り込みに来ているとばかり・・・大丈夫よ。離れた場所でたまに見つめられるけど悪さはしないし」

「何故か面接のたびにナイフ投げや曲芸を見せられるけど。うちにそんなルールがあったかな?」

「良く分からないけど、ベンが今度はうさぎを屋敷で買っていいかと聞いてきたわ」

「うさぎね・・・」


***


最後までお読みいただきありがとうございます。


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