4-23 大隊長
世暦1914年6月8日
朝、この日の空は雲で覆われていた。今すぐ降り出す様な気配では無かったが、日の入り時の攻撃を予定している為、戦況に影響が出る可能性があった。
「夜には降るかなぁ……?」
仮説陣地でエルヴィンはそう呟きつつ、今夜の戦いに出る影響を危惧していると、横から足音が聞こえてきた。
それに彼が振り向くと、そこにはガンリュウ大尉が立っていた。
「ガンリュウ大尉、何か用かい?」
エルヴィンがそう問いかけると、ガンリュウ大尉は言い難そうに、真剣な表情で口を開く。
「兵士達が……お前を恥さらしだと、大隊長に相応しく無いなどと言っていた……」
ガンリュウ大尉から衝撃の事実を聞いたエルヴィンだったが、驚いた様子は無く、只、細く笑みを浮かべる。
「まぁ、そうだろうね……」
「何とも思わないのか?」
「流石に少しは傷付いているよ……」
苦笑いしながら話すエルヴィンを見て、ガンリュウ大尉は吐息を零す。
「何とも、報われ無いな……」
「報われ無いとは?」
「お前は、俺達が敵に押され始めて直ぐ、撤退命令を下した。普通であれば押し返す可能性を考慮し、もう少し様子を見るものだ。しかし、お前は、恥じも惜しまず、撤退命令を直ぐに下した」
「私は非難されているのかい?」
「……いや、褒めている」
ガンリュウ大尉は余り言いたくは無かったという様子でそう告げた。やはり、彼は貴族が嫌いであり、憎むべき敵であり、それに連なるエルヴィンも嫌悪の対象である。彼を褒めるのは不快なのだが、だからといって誠実に評価しないのはもっと不快だった。
「お前は最適なタイミングで撤退を命じた。その証拠に、味方の死者が合わせて20名程しか出ていない。更に、ほとんどの兵士は気付いていないが、敵の死者は200人程だ。つまり、こちらの約10倍の損害を敵に与えている」
いや、これ等は撤退のタイミングだけの成果ではない。
最初の攻撃地点を選ぶ際、此奴は面倒臭いからという理由で場所を選んだ。
だが、後で気付いたが、その位置は最も東方にある補給基地だった。つまり、最も敵中深くにあり、撤退が難しい地点を、最初のまだ体力がある内に攻撃したのだ。
更に、夕方に敵を攻撃する策はコイツの案だった。そして、それにより、進軍は明るい内に簡単に進軍でき、帰りは暗闇により敵を振り切れた。
此奴の緻密に積まれた策により、俺達は全滅を免れている。
もしかすれば此奴は……いや、間違いないだろう。
「初戦で全滅してもおかしくない部隊がこれ程の戦果を上げるなど奇跡だ。そして、その奇跡を、お前は意図的に、見事に引き当てた。お前は文句無しの優れた指揮を執った。紛れもなく、お前は素晴らしい将だ! だから……兵士達の誹謗中傷など気にするな」
ガンリュウ大尉は一通り話し終えると、また吐息を吐き、そして、エルヴィンの反応を伺う様に彼への表情に目をやった。
すると、エルヴィンはガンリュウ大尉の意外な話しに驚き、目を丸くしていた。
「驚いた……まさか君が、私を気に掛けてくれるとは……」
「前にも言ったが、俺は尊敬すべき相手にはそれなりの敬意は払う。お前の指揮官としての能力への敬意を払っただけだ」
「いや、それでも嬉しいよ」
言葉通り嬉しそうにエルヴィンは微笑み、それに、彼への嫌悪感が残るガンリュウ大尉は少し毒気を抜かれた。
「まぁ、折角なら君ともう少し仲良くなりたいけどね」
「それは無理だな」
「即答かぁ……」
少し残念がるエルヴィンだったが、ガンリュウ大尉との仲が多少は良くはなった事に変わりなく、笑みは崩さなかった。
そんな歳下の上官を、ガンリュウ大尉は奇妙に思えて仕方なかった。
「お前……何故、そんなに俺と仲良くする事にこだわる? 仲良くした方が命令に従うからか? しかし、仮にもお前は俺の上官だ。俺も上官に楯突く様な真似は出来んぞ」
エルヴィンは貴族だ。特権があって当たり前と思っている傲慢な連中の一員である。大尉が彼等を嫌悪する理由もそれだ。
そんな人間が、平民出身の、しかも、亜人であるガンリュウ大尉と仲良くなろうとしているのは明らかにおかしい。裏がある様に思えてしかない。
ガンリュウ大尉から真剣な表情で告げられた質問に、エルヴィンは少し悩まし気に頭を掻くと、真摯に答えた。
「それもある。無理矢理、命令を聞かせるより、多少信頼を得た状態で聞かせた方が、良い働きをしてくれるからね」
「なるほどな……まぁ、理にかなっているか……」
ガンリュウ大尉は納得した様子で頷いたが、ある程度予想していた答えだったのに少し落胆した。
しかし、ふと、ある言葉が引っ掛かる。
「それも? "それもある"という事は、別に大きな理由があるのか?」
「あ、うん……」
「それは何だ?」
無愛想ながら更に真剣な様子で問いかけるガンリュウ大尉に、 エルヴィンは少し戸惑いながら、照れ臭そうに答える。
「"長く共にする仲間と楽しく過ごす為"……です……」
予想の斜め上の答えに、ガンリュウ大尉は驚きを隠せず、目を丸くしたまま、ただ、立ち尽くした。
その様子を見たエルヴィンは、不味い事を言ってしまったと思い、更に戸惑いながら言い訳を始める。
「指揮官として部下との距離を取らないといけないのは分かってるよ? ただ……」
エルヴィンは苦笑いしながら頭を掻いた。
「嫌われた状態で一緒に居るより、仲が良い状態で一緒に居た方が、居心地が良いから……」
なんとも間抜けな意見を聞き、ガンリュウ大尉は耐え切れず右手で口を覆った。
更に「しまった!」と思ったエルヴィンはガンリュウ大尉の逆鱗を覚悟し、身構える。やはり、理由が軍に合わな過ぎるものだと考えたからだ。
しかし、ガンリュウ大尉の怒りは現れなかった。それどころか、さっきから彼は黙ったまま何のアクションも起こさない。
エルヴィンはガンリュウ大尉の様子が気になり、恐る恐る彼の方へ目をやると、微かながら笑い声が聞こえくる。
そして、エルヴィンは、視線の先と笑い声の音源が同じである事に気付いた。
そう、ガンリュウ大尉は笑っていた。笑い声が出ないよう、右手で口を塞いでいたのだ。
「大尉?」
エルヴィンがガンリュウ大尉の様子を心配し、声を掛けると、大尉は即座に笑いを止め、咳払いをして誤魔化す。
「すまん……忘れてくれ…………」
少し恥ずかしそうにするガンリュウ大尉を眺めながら、少し気を許してくれる様になった彼に、エルヴィンはまた嬉しそうな笑顔を見せるのだった。




