4-13 小川にて
アンナと別れたエルヴィンは、早速、朝食の配給場所に向かった。
外はまだ午前３時半なのもあって暗く、各テントから伸びる光と、焚き火によって、辺りが照らされている。
そんな中を歩き、食事の配給場所に着いた彼だったが、そこには兵士達の列ができていた。出撃前なで、行軍中の食事、缶詰などの配給も行われおり、普段より時間が掛かっていたのだ。
「そうか、今日の昼飯は缶詰か……不味くはないんだけど、やっぱり味が物足りないんだよなぁ……薄過ぎるというか、味気ないというか……パンも硬いし。しかも、毎回、同じ様な奴ばかりだから、楽しみであるべき飯の時間が憂鬱になるよ……。あ〜っ、テレジアのご飯が恋しい！」
空を見上げ、屋敷でいつも食べているテレジアお手製、絶品料理の数々の脳裏に浮かべたエルヴィンだったが、それを振り払うように首を横に振った。
「いかんいかん。こんな事を考えても虚しくなるだけだ！」
エルヴィンは改めて兵士達の列を見た後、まだ時間が掛かりそうだと思い、先に顔を洗いに軍が設置した水場に向かった。
しかし、其方も長蛇の列が出来ていた。
「こっちもか……」
エルヴィンは面倒臭そうな嘆息を１回零した後、この陣の近くに小川がある事を思い出し、其方で顔を洗う事にした。
川に辿り着いた彼は、しゃがみ込み、両手で川の水を掬い、顔にぶつけ、それを３回ほど繰り返したのだが、ふと、ある事に気付く。
「あっ！ タオル忘れた……」
途中で、先に顔を洗う事を思い付いたのもあり、うっかり持ってくるのを忘れてしまったのだ。
エルヴィンは仕方なく、右手で顔を拭い、額に残った水が流れ落ち、上手く開けられない目を無理やり開けながら、タオルを取りにテントに戻ろうとした。
すると、近くで同じように川で顔を洗う人影が横目に映る。
薄く目を開けボヤけ、上手くは見れなかったが、人影で少女である事が分かった。彼女は、背格好も低く、長い髪も川の水で洗っていたのだ。
陣には仮設だがシャワー室が設置されており、何故わざわざ川で髪を洗うのかエルヴィンは疑問に持ったが、出来るだけ早く顔に残る水分の不快感を消したいという思いが、それを頭の隅に追いやった。そして、彼女からタオルを貸して貰えるのではないか？ という考えが脳裏に浮かび、声を掛ける事にした。
「あの〜っ！ すいません！」
話し掛けられた少女は驚きながら、慌てた様子で急ぎ髪をタオルで拭くと、横に置いていた帽子を被った。
「すいません……タオル貸して頂けませんか？ 使っていないのが有ればで良いので……」
「……構いませんよ…………？」
少女はもう１つ、念の為に持ってきていたタオルをエルヴィンに手渡した。
「ありがとうございます」
エルヴィンはタオルを受け取ると、顔を水滴１滴、残らないように拭い、目を見開き、ひらけた視界で少女を写し、タオルを返した。
「貸して頂き、ありがとうございました」
エルヴィンは感謝を述べながら、少女の顔を見るのだが、彼女の正体に少し驚いた。
「いえ、お気になさらず」
銀髪の髪を携えた少女。彼女はメールス二等兵だったのだ。
メールス二等兵は上官への緊張からか、ぎこちない微笑みをエルヴィンへと向けるのだが、彼は優しい微笑みで返した。
「君とはよく会うね」
そう告げられたメールス二等兵は、ぎこちない笑みから、何処が少し嬉しそうな笑みへと変え、ふと、彼へ敬礼していない事に気付く。
「すいません、敬礼を……」
「別に良いよ。今は他の人も居ないし、非難はされないだろう」
そう告げられたメールス二等兵は、御言葉に甘えて手を下ろすが、今は他の人も居ない、という状況に、実は自分が大隊長と２人きりである事を自覚し、照れ臭ささや恥ずかしさで頬を赤くする。
いつもは鈍感なエルヴィンは、珍しくその反応に気付いたが、やはり鈍感は鈍感らしく、風邪か何かだと思い、彼女を心配した。
「顔が赤いけど大丈夫かい？ 具合が悪いなら、出撃に参加せず、陣地に残ってゆっくり休んでも構わないよ？」
「だ、大丈夫です‼︎」
メールス二等兵は恥ずかしさを誤魔化すようにそう叫んだ。
「そうかい？ なら良いんだけど……」
突然の大声にエルヴィンは驚きつつも、本人が大丈夫と言うのなら大丈夫なのだろうと、余り気にしなかった。それよりも、メールス二等兵を見かけた時から気になっていた事を聞く事にした。
「そういえば、何故わざわざ小川で髪を洗いに来たんだい？ 陣の方に仮設シャワーや水場はあるし、混んでいても、衛生兵なら優先して使える筈だ。不潔な状態で負傷者の治療をさせる訳にはいかないからね」
「それは、そう、なんですけど……」
メールス二等兵は顔を少し横に逸らすと、言い辛そうに少し言葉を濁した。
「まぁ、良いけど……この小川の水、綺麗だし、別に軍規違反では無いしね」
エルヴィンは特に深入りはしなかった。それほど興味もなかったのもあるが、少し空腹感が出てきた事もあり、それよりも、朝食をそろそろ取りに行くか考え始めたのだ。
メールス二等兵はそれを見て、少しホッとしたように右手を胸に当てながら、肩をなでおろす。
すると、突然、お腹が鳴る音が響く。
メールス二等兵が突然の音に驚くと、エルヴィンは少し恥ずかしそうに苦笑を浮かべながら、右手でお腹を抑えた。
「すまない、私だ。まだ朝食食べていなくてね……」
エルヴィンの照れ臭そうに眉をひそめる姿を見て、メールス二等兵は思わず笑ってしまい、それに彼は、更に恥ずかしそうに苦笑を浮かべ、頭を掻くのだった。
