1-4 横暴な隊長
テントの外に出たエルヴィンとアンナ。早速、エルヴィンの仕事場がある別のテントに向かおうとした2人だったが、そこに1人の兵士が駆け寄って来て、エルヴィンに敬礼し、告げた。
「フライブルク大尉、隊長がお呼びです!」
それを聞いたエルヴィンは途端に、更に肩を落とすと、とても嫌そうに引きつった苦笑を浮かべた。
「仕事より嫌な指示が来たな……」
エルヴィンは大きく溜め息を吐いた。
「隊長、私の事を多分嫌ってるんだよねぇ……あ〜っ、行きたく無いなぁ……」
それは面倒臭そうな空気を垂れ流すエルヴィン。そんな彼に、先程まで仕事しろとウルサかったアンナは、今度は同情する様な笑みを浮かべるのだった。
嫌々ながらも上官の命令には逆らえないので、その兵士に分かったと伝えたエルヴィンは、直ぐに行き先を変え、アンナと共に村で1番大きい家に向かう。
家の前まで来たエルヴィンは、アンナを外に待たせると、1人で家の中に入り、隊長が居る部屋の前まで来た。そして、軽くその部屋のドアを叩き、中から男の声で「入れ」という返事が返って来る。
言われるがままエルヴィンがドアを開け中に入ると、そこには偉そうに威張った態度で椅子に座る、すこし太った30歳ぐらいの男と、その男の従者らしき兵士が立っていた。
その威張った男は不機嫌そうに葉巻を吹かしながら、入って来たエルヴィンに非好意的な視線を向ける。
「由緒ある名門、カッセル侯爵家の生まれたるこの私を、20分も待たせるとはどういうことだ?」
カッセル少佐の言葉1つ1つには、エルヴィンへの敵意に近いものがあり、それに気付いたエルヴィンは、面倒臭そうな匂いを感じ取りながら、それを避ける為、礼儀と礼節を持って対応した。
「申し訳ありません! さっき、呼ばれている事を知りましたので……」
エルヴィンは最大限少佐の逆鱗に触れないよう平静な様子で発言したつもりだったが、それが返ってカッセル少佐の癪に障ったらしく、少佐は血相を変え、机を叩き、立ち上がった。
「さっき、呼ばれている事を知りましたので、だと⁈ そんな言い訳で済むかぁあっ! 貴様はこの私を侮辱しているのかぁあっ‼︎」
カッセル少佐の怒りに触れながらも、エルヴィンは平静を保った。
「そんな事はありません!」
カッセル少佐は謝罪の気もないエルヴィンの発言に、更に苛立ちを見せた。
しかし、態度を一向に変える様子の無い彼を見て、怒るのが馬鹿馬鹿しくなったらしく、怒りを抑えて椅子に座り直し、エルヴィンを睨みながらも話を続けた。
「貴様は私に害しか与えん! その証拠に、村人の避難なんていう下らん事をした所為で、その分、敵への対処が遅れてしまった。お陰で、忌々しい共和主義者どもが目と鼻の先まで迫っている。どう責任を取るつもりだ?」
それを聞いたエルヴィンは、一瞬、眉をひそめた。
「我々軍隊の役割は民を守ることにあります。村人を避難させるのは当然であり、その間に敵への対処が遅れるのは、仕方のないことだと思うのですが?」
それを聞いたカッセル少佐は、鼻で笑い、エルヴィンの意見に嘲笑した。
「民を守ること? 違うな! 我々の役割は敵を殲滅することにある。その時に平民が何人死のうが知ったことでは無い。それに、この村の平民は精々200人程度だ。それぐらい死んだところで、国益への損害は微々たるものだろう。そんな些細なことを気にする自体馬鹿げている」
民の命を軽視するカッセル少佐。それにエルヴィンは、喉から反論を述べかけが、出ないように抑え込んだ。
もし言ったところで少佐が考えを改める事は無いし、自分への印象が悪化するだけと思ったからだ。
「隊長、そろそろ本題に入りませんか?」
「そうだな、貴様と話す時間などもったいなかった」
カッセル少佐は葉巻を口から離すと、煙を吐き、葉巻を灰皿に擦り付けた。
「現在、忌々しいブリュメール共和国の共和主義者どもの軍が、神聖なるゲルマン帝国の地に足を踏み入れようとしている。皇帝陛下の為にも、この神聖なる国土を奴らに踏み荒らされる訳にはいかん。我が大隊はそれを命がけで、何としても阻止せねばならん。わかるな?」
「分かっております」
「しかし、貴様の愚行の所為で、敵へ先手を取る絶好の機会を逃してしまった。結果、敵が帝国領土に侵入した上に、目前にまで迫っている。貴様にはその責任をとって貰う」
尚も村人を逃した事を愚かだと言うカッセル少佐。その様子からエルヴィンは、これから言われるであろう内容を粗方察しながら、落ち着いた様子で、黙って少佐の話に耳を傾けた。
「私の代わりに、副隊長である貴様が、陣頭指揮を執りたまえ!」
それを聞いたエルヴィンに、別に驚く様子もなかった。
エルヴィンの予想が完璧に当たっており、あまりにも的中し過ぎて、溜め息を吐きそうになった程なのだ。
それでも、ここで変な行動をとれば面倒事が増えるだけなので、エルヴィンは何とか溜め息を我慢した。
「陣頭指揮、ですか?」
「ああ、そうだ! 兵共と一緒の場所に立ち、その場で兵士の指揮を執る。貴様には、お似合いの立ち位置だろう?」
陣頭指揮。つまり、後方の安全な場所ではなく、前線で戦う兵士達と共に危険な場所で指揮を執れ、という事であり、カッセル少佐から「お前は別に死んでも良い」と言われているに他ならない。
しかし、エルヴィンとしては、そっちの方が兵士達の様子が逐次分かり易い為、指揮も執り易く、別に責任を取る、という程のものには感じていなかった。
陣頭指揮を悪いものとは思えないエルヴィン。彼はより良い案があると、カッセル少佐に促す。
「まぁ……それは良いのですが……隊長自ら陣頭指揮を執った方が、兵の士気も上がると思うのですが……」
エルヴィンの意見は普通の指揮官相手であれば正しい意見だっただろう。しかし、相手は指揮官以前に貴族。それに彼が気付いた時にはもう遅く、カッセル少佐は彼を一層睨み付け、さらに不機嫌な声で言った。
「帝国繁栄に多大なる貢献をしたオットー・フォン・カッセルの子孫たるこの俺が、平民や、下賎な獣人供に指示を与えているだけでも有難いことなのだ! それを、奴らと一緒の場所で指揮を執れだと? そんな虫唾が走る行為を、何故、俺がワザワザせねばならん……」
エルヴィンはさらに隊長の機嫌を損ねたことに気付き、これ以上話さない方が良いと思い、素早く部屋を出ることにした。
彼は一歩下がり、少佐に敬礼する。
「今回の命令、謹んでお受けしますっ! それでは……」
エルヴィンは告げると、逃げるように、静かに部屋を後にするのだった。