2-26 貴族の友人
フリッツ・ハノーファー伯爵。ウェーブがかった少し長めの髪に、万人が美男子と認める美貌を持った貴族であり、その姿は童話に登場する貴公子達を彷彿とさせる。
伯爵もエルヴィンの数少ない貴族の友人ではあり、エルヴィン自身、彼の事を嫌っているわけではない。ないのだが、苦手とする相手であった。
「やあやあ、元気かい⁈ 僕と違い、顔が普通の御二人方! まぁ、女性運には恵まれていないだろうけどね!」
いちいち人を小馬鹿にする喋り方、少し癪に触る口調の伯爵。エルヴィン自身、怒りの沸点が高いので、苛立ちは感じないのだが、ハノーファー伯爵の人を小馬鹿にする程の元気ぶりが、彼に疲労と心労をジワジワと与えていた。
一方で、キール子爵は友との再会に喜びしかないようで、笑みを浮かべるだけに留める。
「相変わらず元気ですね、ハノーファー伯爵」
「キール子爵、君は相変わらずポッチャリだね」
2人は笑った。やはり、友人との再会を2人は喜んでいる様だった。
愉快に笑った後、ハノーファー伯爵は次にエルヴィンをまじまじと見詰めるのだが、途端に嘲笑の笑みを浮かべる。
「フライブルク男爵、君、相変わらず正装が似合わないね〜、本当に貴族かい?」
「余計なお世話だよ……」
エルヴィンは少し疲れた様子で答え、溜め息を零すのだが、伯爵が来てから気になっていた事をがあったので尋ねる。
「ところで……一緒にいる3人の御婦人方は何者だい?」
ハノーファー伯爵の背後には、ドレスを着た3人の若い女性が伯爵に付き添う形で立っていたのだ。
「あ〜っ、この子達かい? そんなもの、決まっているじゃないか!」
ハノーファー伯爵が社交界で女性を連れてきた時、その女性達が何者なのかは大体同じであり、エルヴィン達も大方予想している。
「この子達は、僕の新しい妻だよ!」
ハノーファー伯爵が平然とそう告げられ、エルヴィンは「またか」と思い、呆れた。
ハノーファー伯爵には妻が25人、新しく3人増えたので28人も居る。
貴族社会に於いて一夫多妻は珍しくない。しかし、正室が1人で、他は側室とするのが普通である。
しかし、ハノーファー伯爵は違う。
全員、正室という形で妻としているのだ。しかも、側室であったとしても、伯爵の妻28人は1時代前ならいざしらず、現帝国に於いてはかなり多い。
その為、貴族社会でハノーファー伯爵は"多妻伯"と呼ばれている。
「まだ24歳にも関わらず、沢山の女性から愛されているのは羨ましいですね」
キール子爵が御世辞を込めてそう言うと、ハノーファー伯爵は前髪をかきあげ、自慢気に言う。
「まぁね! 僕、カッコいいから! それに、僕ほどにもなると、多数の女性を平等に愛せるのさ」
自信過剰とも取れる発言だが、強ち間違いではないらしく、3人の妻達は「そうなのよ!」と自慢げに鼻を鳴らしていた。
《多妻伯》、多くの妻を娶れるだけの要素は十分持っているのだ。
そして、ハノーファー伯爵の魅力。それをエルヴィンは当然知っており、だからこそ友人としてきた。
確固たる自信と、それから来る彼の元気さは、やはり面倒臭いと感じてしまうのだが。
自己陶酔に長々と浸ったハノーファー伯爵。すると、アンナに目をやり、少し恥じる様に、無駄に演技めいて頭を抱えた。
「お〜、私とした事が! 女性への挨拶を忘れてしまうとは……」
女性への非礼に気付いたハノーファー伯爵は、早速アンナの下へと歩き、彼女の目の前に跪く。
「御機嫌麗しゅう、美しいアンナさん。今日も実に見目麗しい……」
ハノーファー伯爵は右手にアンナの手を添えると、その甲にキスをした。そして、普通なら非常識と見られる事を、彼は告げる。
「美しいアンナさん、私の29番目の妻となりませんか?」
ハノーファー伯爵は突然の求婚をしたのだ。
普通ならば「何やってんだコイツ」となる所だが、その場にいた誰も驚きはしなかった。
社交界の度に、ハノーファー伯爵はアンナに求婚していたからである。
「貴方の様な美しい人は、僕の様なイケメンと居るのが相応しい。如何でしょう? 私の下に来ませんか? 妻として豊かな生活を保障しますよ?」
紳士的な御誘い、普通の女性であればふたつ返事していたかもしれない。
しかし、アンナは首を縦に振らなかった。そして、手を伯爵の手から離し、ドレスの端を摘み、少し上げ、礼節を持って軽く御辞儀をする。
「魅力的な御誘いですが、お断りさせて頂きます。フライブルク男爵から離れる事は出来ませんので……」
全員が予想していた結末である。
今まで、ハノーファー伯爵はアンナに何度も求婚し、その全てが断られて来た。
今回も、その細やかな1ページに連なっただけの事なのだ。
「そうですか……」
ハノーファー伯爵は目を閉じながら、少し残念そうに苦笑し、立ち上がる。そして、踵を返し、3人の妻がいる方へ歩いた。
すると、その途中、一瞬、エルヴィンに視線を向け、意味深な笑みを見せる。
突然向けられた笑みに、アンナの想いを知らないエルヴィンは、その正体が分からず首を傾げるのだった。
妻達の下に着いたハノーファー伯爵。彼は振り返りると、エルヴィン達に再び視線を向けた。
「キール子爵、フライブルク男爵、君達が良き妻と出会えるよう僕が願ってあげよう! まあ、顔が普通の君達には無理かもしれないけどね〜。そしてアンナさん、そこのパッとしない貴族に愛想が尽きたら、いつでも僕の所に来てください。歓迎しますよ」
最後にアンナへとウインクを送った伯爵は、妻達を伴い、高笑いしながら颯爽と去っていった。
まるで嵐の様な存在。彼が去った後、キール子爵は微笑ましそうに笑みを浮かべ、エルヴィンは疲労が祟ったらしく少しやつれていた。
「ハノーファー伯爵、相変わらず元気な人ですね」
「いや、彼といると本当に疲れます。しかも、去り際に堂々と、私の事をパッとしないと言い残すとは……」
エルヴィンが疲れた様子で溜め息を零すのを見て、キール子爵は面白かったのか、少し笑いを零す。
「さて、私もそろそろ御暇するとしましょう……」
「行かれるのですか?」
「えぇ、他の貴族達にも挨拶しておかなければ」
キール子爵はそう言うと、エルヴィン達に背を向け、歩き出す。
「おっと!」
突然キール子爵は何かを思い出し、エルヴィンの方を振り向いた。
「フライブルク男爵、折角、綺麗な女性と居るのです。ダンスに誘ってみては如何ですか?」
キール子爵は2人に軽く会釈すると、その場を後にした。
「ダンスか……」
ダンスを勧められたエルヴィン。人前で踊る恥ずかしさもあり、少し悩み、頭を掻いた彼だったが、手を頭から離すと、吐息を零し、アンナの前に立ち、右手を差しのべる。
「御嬢さん、私と踊って頂けませんか?」
エルヴィンはやはり少し気恥ずかしそうに誘った。
キール子爵の助言とは言え、本当に誘うとは思っていなかったアンナは、最初、少し驚いていたが、直ぐに左手をエルヴィンの右手に乗せ、
「はい、喜んで」
暖かな、優しい笑みを浮かべながら、エルヴィンの誘いを受けるのだった。
そして、数十人の貴族が踊っている中に紛れた2人は、オーケストラが奏でるクラシックに合わせて、軽やかな、上品なダンスを踊り始める。
意外にもダンスが上手いエルヴィンに驚く所だが、それ以上に、アンナの踊る姿は素晴らしかった。その姿はまるで、古の妖精が目の前に現れた様だろう。
アンナとエルヴィン、下等な亜人とそれと踊る貴族、周りからの視線は冷たいものであった。しかし、2人の表情には笑顔が灯り、ダンス自体を楽しんでいるようであった。
その後、オーケストラの演奏が終わるまで、2人は楽し気な笑みを浮かべながら、僅かな華麗なひと時を過ごすのだった。




