2-23 宰相公爵
公爵と目が合ったエルヴィン。即座に「やばい!」と思って彼は、動向を探っていた事がバレないよう目を逸らした。
しかし、公爵は貴族を1人連れながら、着々と近寄って来てしまっりている。
エルヴィンは「これは本当にマズイかもしれない!」と思いながら身構え、等々、公爵がエルヴィンの前に立った。
「こんばんは、フライブルク男爵。晩餐会は楽しんでおいでかな?」
突然の、予想外の、公爵の紳士的な微笑みを伴った挨拶に、エルヴィンは驚き、戸惑った。
帝国の宰相が、同派閥でもなく、辺境の1領主でしかない男爵に話し掛けるなど、普通はあり得ないことであったのだ。
しかし、エルヴィンとアンナは、直ぐに非礼の無いよう畏まりながら頭を下げる。
「デュッセルドルフ公爵、此度は晩餐会にお招き下さって、恐悦至極に存じます……」
「そんな堅苦しくせんで良いよ! せっかく招待したのだ、存分に羽を伸ばし、楽しんでくれるとありがたい」
「…………それでは、お言葉に甘えさせて頂きます」
公爵の、笑顔で紳士的な接待を受け、エルヴィンは頭を上げ、同じく笑みで返した。
「貴公の正規軍での活躍は耳にしている。ヴァルト村を3倍の敵から守り抜いた手腕は、まさに名将と呼ぶに値する」
「滅相もありません。私は只、運が良かっただけですよ」
「あははははは、謙遜はよしたまえ。あまり謙虚過ぎても問題だぞ?」
公爵が笑う様子に、エルヴィンは苦笑いしながら頭を掻く。
「宰相閣下、何故、此方に? 只の辺境貴族でしかない私の所に足を運んで下さるなど、普通は無い事です」
「だから謙遜はよしたまえと言わなかったか? どうやら貴公は自分を過小評価する癖があるな」
「そうでしょうか? 極めて妥当だと思うのですが……」
「あの魔獣の森。その側にある領地を平然と統治し、正規軍でも活躍し、20歳で早くも大尉となっている。それだけで君が有能である証拠になり、そんな人物に会いたいと思うのは至極当然なことだ」
「そこまで評価して頂いていたとは……恐縮です」
「あははは、謙遜は治らんか。そもそも、宰相の私の前で不遜な態度はとれんか」
エルヴィンがペコペコ頭を下げるのを見て、デュッセルドルフ公爵は軽く笑いを見せる。
当初、公爵を警戒していたエルヴィンだったが、彼に特に変わった様子も、毒々しい様子も感じられず、その警戒も次第に薄れていった。
結果として、エルヴィンは公爵と、比較的、友好的な会話が出来ていたのだ。
しかし、その平穏も、公爵の隣に居た貴族の嘲笑によって終わりを告げる。
「父上、"下等な亜人種"を従者にする様な"無能貴族"と、何故、お話をなさるのですか?」
公爵が連れ添っていた貴族。公爵の息子であるヘルムートが、エルヴィン達を不快感を込め笑い者にし始めたのだ。
「ヘルムート、私が話している最中に割って入るな」
「ですが父上、貴族の神聖な社交の場を、この男は亜人を引き連れ汚したのです。その様な無礼で思慮の足りない奴と、偉大なる帝国宰相たる父上が会話を交わすなど……」
エルヴィンを明らかに侮辱した発言。それに、エルヴィン当人は平然と聞き流していたのだが、隣のアンナは不快感を露わにした。
「ヘルムート様、それはフライブルク男爵に失礼ではないですか?」
アンナの言葉を聞いた途端、ヘルムートは嫌悪感と敵意の眼差しで彼女に返す。
「黙れ‼︎ 下賎な亜人如きが、この俺に話し掛けな‼︎」
ヘルムートがアンナを罵倒すると、それは、主人であるエルヴィンにも飛び火し出す。
「亜人風情が平然と貴族に話し掛けるなど、汚らわしくて仕方ない……主人の教育が行き届いていない証拠だな! "ペット"の仕付けぐらい、ちゃんとしてはどうだ? "変・人・貴・族"殿」
"ペット"という言葉に、エルヴィンは一瞬、眉をしかめた。
「なんなら、俺が仕付けをしてやろうか?」
ヘルムートはアンナを顔から足下まで舐める様に眺めると、近付き、彼女の顎を摘み、その顔を品定めする様に見詰めた。
「顔は悪くない……胸は小さいが、スタイルもいい……これなら、俺の玩具として申し分ないなぁ……」
ヘルムートの下衆極まる発言を聞き、アンナの眉がまた不快気にしかめられた時、横からエルヴィンが、彼のアンナの顎を摘んでいる手の腕を強く掴んだ。
「その汚い手で、私の大事な従者に触れないでくれますか?」
「貴様っ‼︎ 宰相の息子たる、この俺に対して……」
ヘルムートはエルヴィンの顔を見て、罵声を喉の奥に閉じ込めた。
エルヴィンがヘルムートを睨み付けていたのだ。しかも、只の目でではない。その目は正に、数々の死地を潜り抜けた歴戦の猛者を彷彿とさせ、殺気に近い視線がヘルムートに向けられたのだ。
ヘルムートはエルヴィンの視線に軽く恐怖し、アンナから咄嗟に手を離しながら、彼の手を振り解くと、軽く後退りながらも気丈を保つ。
「チッ、野蛮な男爵が……貴族の風上にも置けん……」
ヘルムートはエルヴィンを睨み返した後、その場を逃げる様に直ぐさま立ち去り、部を弁えない息子の様子に、公爵は嘆息を零す。
「我が息子が申し訳ない。何かお詫びをしたいところですが、私もそろそろ戻らなくては……お詫びはまた後日、改めて……」
公爵は笑顔を見せたまま、エルヴィンに挨拶し、その場を去って行くのだが、息子の不敬を有耶無耶にしたいという思いがあったのが簡単に分かる。
しかし、エルヴィンに背を向けた途端、その笑みは崩され、公爵の口元に浮かんだのは、不気味な、不敵な笑みであった。




