8-21 領地からの手紙
日が沈み、更に冷え込んた夜の街。
瓦礫と焦げ跡、弾痕が残る廃墟が立ち並ぶ中で、原型が留められた建物からは光が伸びている。せっかく、テント暮らしとおさらばして夜を越せるのだ、兵士達が多少の贅沢を取るのは当然だった。
勿論、全員が僅かな贅沢を享受出来る訳はなく、外のテント横で、寒さに震えながら、焚き火を炊いて身体を暖める者も散見される。
ただ、共通の認識として、この場に居る全員が、早く故郷に帰りたい、とは願っていた事だろう。
エルヴィンは今回、珍しく彼等の仲間入りはしていなかったが。
「さて、どうしたものかな……」
孤立した同胞を救うのに引け目は無い。仲間達も同意し、第三中隊の半数と第四中隊、フュルト大尉とギュストラウ准尉を指揮官として残す事とした。これにアベリーン大尉麾下第三三二砲兵大隊からの二個中隊。余程の事が無い限り一日ちょっとで壊滅する事は無いだろう。
仲間の意思を尊重し、退路も確保し、やる事はやった。
それでも、問題は山程あった。
「街を予定よりも早く陥とせたのは大きい。これほど早くなければ味方救出など到底不可能だったろう。しかし……やはり、ギリギリだ。もって十日……最低これだけだけど、帰還までの道程を含めてだ。厳しな……」
少なくとも、王国軍との交戦は避けられない。最悪、フュルト大尉には危険な状況になったら此方を無視して逃げるよう通達してある。謂わば、援軍に連れた仲間達ごと、自分達は敵中に孤立する危険がある。おそらく、その可能性は決して低くはない。
「本当に運の勝負になって来たな……こんな賭け事に、仲間達を道連れにしたくはないけど……」
救出に向かうのは当然、と彼は言ったが、あの時、見捨てるという選択肢が四割あり、時間経過と共に徐々に割合が増えて来ている。万が一での判断を、十が一での判断で見捨てるべき、という考えが浮かんで来ていたのだ。
「やはり、断念すべきだろうか……? けど、優柔不断に意見を変えるのも問題だし、助けられる可能性があるなら助けたいしな……」
悩ましそうに頭を掻き毟り、漆黒の曇り空を見上げたエルヴィン。すると、背後からアンナが駆け寄ってきた。
「エルヴィン、すいません! 昨日からずっと渡し損ねていたものがありました!」
少し息荒くアンナから手渡された物ーールートヴィッヒからの手紙に、やはりエルヴィンも眉をひそめた。
「ルートヴィッヒから……? 珍しい……」
「すいません、余り重要な物でも無いだろうと、渡すのがこんなに遅れてしまいました」
「いや、良いよ。本当に重要な物でも無いだろうしね。重要な物なら重要な物で、市街地戦の前に渡されていたら判断に悪影響が出ていたかもしれない。意識が散漫になってしまうだろうからね」
微笑をアンナに向けたエルヴィンは、早速、手紙の封を破り、中に入っていた手紙の内容に目を通した。
すると、読んでいくうちに、エルヴィンの笑みは無表情へと変わり、緩んでいた目が鋭く細められ、眉も鋭くしかめられる。
「アンナ……取り残されている部隊って、確か第二〇一大隊だったよね……」
「ええ……それがどうかしたんですか?」
静かにエルヴィンから手渡された手紙に、アンナも黙って受け取り、内容を見て、目を驚愕に身開かせた。
「これって……」
「ああ、"先輩"がリーズスティーンツへ配属になったらしいっていう連絡だ。所属は第二〇一大隊。つまり……」
南西に存在するだろう小山を、エルヴィンは鋭く睨み付ける。
「今から我々が助けに行く先に、先輩も取り残されている」
"先輩"、士官学校でルートヴィッヒと共に仲良くなった上級生。ルートヴィッヒと並ぶ彼のもう一人の友。
だからこそ、この感情は自分勝手だし、今から口に出す思いも身勝手な産物だ。エルヴィン自身、自覚しながらも、言葉にしてしまう。
「これは……是が非でも助け出さなければいけなくなったな……」
決断を迷い、自部隊の仲間のため見捨てるかもしれない、と考えておきながら、それを更にひっくり返す。まして、個人的友誼によるものとなれば正に滑稽と言えるだろう。
しかし、彼の数少ない正義に定着するのだがら、そう思うのは道理だった。
"大事な物を失わせない"、これこそが、彼の唯一にして最大の信念なのだから。
「アンナ……山までの地図を持って来てくれるかな? そしたら、直ぐに休んでくれて構わない」
「エルヴィン、まさかとは思いますが……」
「流石に徹夜はしないよ。軽く確認したら直ぐに寝るさ。自分から進んで無駄な苦労を引き受ける気は無いよ」
「だったら、良いのですが……」
此処でエルヴィンの瞳の色に気付かないアンナではない。その少し抜けた柔らかい笑みの裏で、冷ややかに高熱を吐き出す橙色が、彼の瞳の奥に灯っていたのだ。
(この人は、本当に行動の強弱が大きい。弱い時はとことん弱く、強い時は過剰な強さを表せる。つくづく、不器用過ぎますよ……)
心の中で嘆息を零しながら、口元はやれやれという微笑で緩め、アンナは彼からの頼まれ事を遂行しに向かうのだった。




