8-12 サンリガル沖海戦
世暦1915年1月10日
事実上、後方待機を言い渡され、極寒の中で暇な時間を過ごした第三軍団等ブリュメール方面軍の兵士達だったが、事態は案外、呆気なく動き始めた。
東方に侵攻中のジョンブル王国第二軍。その援護に当たっていた第四艦隊が、東方から迫る敵艦隊を発見したのだ。
「早いな、帝国第三艦隊が遂に動いたか。オリヴィエの戦いの傷は、まだ癒えておらん筈だがな……」
第四艦隊司令官、魚人族の提督ランドルフ・ペイズリー中将は、青色の顎髭を撫で、眉をひそめた。
「参謀長、どう思う?」
「おそらく出撃出来る程度の修繕だけ行って出て来たのでしょう。減った分の艦の補充も無く、現戦力は此方の半分程だと考えられます」
「まぁ、自国が他国に攻め込まれておるのに、傷だらけでも、悠々と休んでも居れんわな」
現状を理解し、納得した様に頷いたペイズリー中将は、司令官の面立ちを持って部下を見渡す。
「全艦に戦闘態勢を取らせろ! 此処で敵第三艦隊を叩き、勢いに乗じてポントス海の制海権も確保するのだ!」
ポントス海。フェイルノート海峡から東側の海を指し、此処を取れば帝国北部一帯への上陸作戦が容易となる。シュタール工業地帯攻略にも少なからず好影響が期待出来るだろう。
だからこそ、帝国としても此処を守り通さねばならず、各駐留艦隊による抵抗も限界に達した為に、第三艦隊が苦しくも派遣された訳だが、艦隊比率から見て、第三艦隊司令部に悲観的考えが充満するのは必然であっただろう。
「モンシャウの馬鹿たれが! お陰でこっちに無茶な皺寄せが来ちまったじゃねぇか!」
文句を吐かずには居られなかった男。第三艦隊司令官キルヒェン中将は、胸ポケットから煙草を取り出して口に咥えた事で、作戦主任参謀ゲルドルフ少佐に睨まれる。
「閣下、煙草は!」
「今は許せ、吸わなきゃこんな戦いやってられん!」
マッチで煙草の先に火を付け、煙を吐き出す上官に、ゲルドルフ少佐からは嘆息が零される。
「まぁ、夜では無いので問題にはなりませんが、規律面が心配です。手短にお願いしますよ」
「わかっとるよ。艦隊戦が始まったら吸っとる余裕など無いしな」
煙草を口から離し、また煙を吐いたキリヒェン中将は、そのまま視界の先に居座る敵艦隊を睨み付ける。
「チッ、王国第四艦隊か……現在の戦力比は見事に倍近くといった所だろうな。此方が不利という形で」
戦いの勝敗は基本的に数で決まる。勿論、それだけで必ずしも勝てるという訳ではなく、戦術、戦略によっては逆転する可能性も高い。しかし、逆転したものの多くは、敵の兵の練度や指揮官の質の悪さ、戦略計画の欠陥などが根本にある場合がほとんどであり、質を同等とする今回ばかりは、逆転は運が良くでもなければ難しい。
「風向きは……チッ、南風か……中途半端な!」
北方へとたなびく僚艦旗を眺めながら、口をへの字にし、キルヒェン中将は煙草を咥え直す。
「風上を取るには南に回り込むしかないが……」
「陸と敵艦隊に挟まれ、艦隊を自由に展開させられず、上手く動けないまま逆に包囲殲滅されますね」
「さて、どうすっかね……」
煙を吐き、眉間に皺を寄せたキルヒェン中将だったが、通信兵が何かをキャッチしたらしく、その内容を示したメモが副官を伝い届けられる。
「閣下、味方からの通信です」
「味方? どっかの駐留艦隊か……?」
煙草を人差し指と中指で挟んで口から離し、メモの中身を確認したキルヒェン中将だったが、突如目を見開き、まだ大分残っていた煙草を灰皿に擦り付けた。
「少佐、朗報だ! 上手くしたら勝てるかもしれん!」
キルヒェン中将達の未来図に明かりが灯され、その情報を下にゲルドルフ少佐等参謀達が作戦立案を行った後、王国第四艦隊と帝国第三艦隊による〔サンリガル沖海戦〕が幕を開ける。
王国第四艦隊は定石通り、風上を取るべく陸地へと近付くが、動き易くする為に陸との間は少し開けて単縦陣により敵艦隊へと迫った。
しかし、その敵艦隊の様子を見ていたペイズリー中将は、顎を撫で、不可解そうに眉をひそめ始める。
「どういう事だ……? 敵司令官は気でも狂ったか?」
彼がそう評するのも無理はない。何故なら帝国第三艦隊は、王国艦隊と陸地との間に、割って入るように舵を切っていたのだ。
「我が艦隊と陸地との間に入るなど正気とは思えん。風上は取れるだろうが、自由な艦隊運動など出来ぬだろうに……。いや、此方としては有り難いのだがな」
「此処まで帝国軍の質は落ちているのか?」、とペイズリー中将は呆れたが、簡単に楽観する程短慮ではなかった。
「参謀長、どう思う?」
「解りかねます。一見すれば無理矢理にでも風上を取りに来たのでしょうが……数も彼方が不利ですし」
「その様子だと納得はいっていない様だな」
「敵第三艦隊の司令官キルヒェン提督は有能と呼べる将だと聞き及んでおります。何か底知れぬ思惑が無いとも言えません。それに先程、通信兵が敵の暗号文を傍受したそうですし」
「そうか……」
再び顎を撫で、今度は眉をしかめたペイズリー中将だったが、直ぐに副官を呼んだ。
「敵の別働隊が近くに居る可能性がある。見張りに周辺の警戒を厳にする様に伝えろ」
敬礼をして去り行く副官を眺めた後、再び参謀長がペイズリー中将へ視線を向ける。
「閣下、別働隊とは、イムバフ軍港に居なかった敵第二艦隊の残存戦力でしょうか?」
「おそらくな。ならば敵艦隊の動きも納得は出来る。此方を前後左右から挟み撃ちにする気なのだろう」
敵艦隊を睨み、顎から手を離したペイズリー中将は、敵が艦主砲射程内にもう直ぐ入るという知らせを受け、相手の動向を凝視する。
「敵がどの様な動きを取って来ようと、数的有利で墓穴を掘るのも愚かだ。余計な事はせず、各個撃破を旨とし、正面から数で押し切るとしよう」
そうして、ペイズリー中将が敵艦隊を眺めて砲撃のタイミングを計る中、射程圏内に敵艦隊を捉えたという情報が齎される。
「よしっ! 全艦、砲撃開始‼︎」
ペイズリー中将の号令と共に各艦主砲が撃鉄音を鳴らし、巨大な鉛玉に曲線を描かせて、敵へ次々と放っていく。
しかし、その様子を眺める余裕は、この時の王国兵達には無かった。
次弾装填、敵警戒によるものではない。
味方が鳴らした砲声と同時に、"艦列中央部に位置する艦の側面が、突如として炸裂した"のである。




