7-103 再燃する復讐心
走り去ったマリエルを追い掛け、陣の端にまで来たジョエルは、小川の辺りで漸く彼女を捉える事が出来た。
「マリエル、急に走り出すな……ビックリするだろうが!」
少し息を切らしながら、ジョエルは小川の水を眺め立ち尽くすマリエルの背中に叫ぶ。
「上官に断りもなく場を離れるのは流石に不味いって! 早く戻って謝りに……」
「三回もあった……」
静かに呟かれた回数。大体、それが何を指すかはジョエルにも直ぐに分かった。
「三回、あの男……フライブルク中佐を殺す機会はあった。一回目は《剣鬼》に使い、二回目は大隊長を助ける為に使った。だから仕方ない。けど……」
マリエルの拳が強く握られる。
「三回目、基地であの男の顔をスコープ越しに捉えた時、引き金一つで彼奴を殺せたのよ⁈ 魔術兵じゃないから身体強化で防御される事も無かった‼︎ 《剣鬼》より簡単だった‼︎ なのに! なのに……」
ジョエルの方を振り向いたマリエルの瞳からは、涙が滲み出ていた。
「お父さんが亡くなった瞬間を仲間の人から聞いたの。周りを炎に包まれながら、仲間達の死体に囲まれ、副隊長まで失って、それで……敵に突撃して、敵から執拗に撃たれて死んだんだって」
奥歯が強く噛み締められる。
「お父さんの仲間達を殺して、命まで奪っていった奴が彼奴なの‼︎ 《剣鬼》を指揮してお兄ちゃんを私から奪ったのも彼奴なの‼︎ 《剣鬼》なんかより殺さなきゃいけなかった相手なのに‼︎ 殺せる機会があったのに‼︎ 私はそのチャンスを不意にした‼︎ 悔しい、悔しいよ……」
冷たく固められていた表情を崩し涙を浮かべるマリエルに、ジョエルは何を言って良いか分からず顔をしかめ、溜め息を零し、頭を掻き毟った。
「こういう場合、意外に困るよな……」
慰めでは駄目なのは分かる。元気付けも正しいとは言えない。なら、何を言うべきで、何をすべきで、彼女に如何接するべきなのか。
彼は考え、悩んた結果、不器用ながらに語り出す。
「そういや……俺の姓をまだ教えてなかったよな。本当は自分の口から言い合いたかったんだが……さっきのでお前の名前は分かっちまったからな。フェアに教えてやるよ」
ジョエルはふと苦笑を浮かべると、目を少し伏せ、告げる。
「俺の名前はジョエル・イストル。つまりだ……ヴァルト村の戦いで、副隊長としてお前の親父と共に戦い、フライブルク中佐に殺されたイストル中佐の弟という事だ」
告げられた事実。予想だにしなかった真実に、マリエルの表情に驚きの表情が浮かび、それにジョエルは少し笑いを零した。
「初めてお前を驚かせる事が出来たな。そうだ、フライブルク中佐……奴は、お前にとって父親の仇であると共に、俺にとっても兄貴の仇なんだよ」
ジョエルの脳裏に一番上の兄との最後の時間が過った。ヴァルト村の戦いに赴く前、他の二人の兄と弟を含めて五人で飯を食べに行った時、三番目の兄が徴兵制で召集されるという事での送別会も含めての食事会だった。
死んだ兄から三番目の兄への軍でのアドバイスや自分の上官の自慢話を耳が痛くなる程聞かされ、ジョエルは嫌気がさしたものである。
「そういや、お前も高校出たら軍に入るって言ってたな」
一番上の兄が話を振ってきたのでジョエルは「そのつもりだ」と首肯した。
「そうか……まぁ、どの道、徴兵制に引っ張られちまうからな。なら、志願兵からの職業軍人の方が待遇が良い。運が良ければ伍長から始められるからな」
「じゃあ、士官から任官出来る士官学校に入った方が良いのか?」
「入学が難しいし、卒業はより困難だぞ? 第一、勉学がシンドイ。義務的な軍歴は志願兵や徴兵の兵より長いしな。更に言えば指揮官になる以上、責任が伴う。良い選択だろうが、手放しでお勧め出来る選択とは言えないな」
徴兵によって軍に入った場合は二年で終えられるが、職業軍人として志願した場合は最低でも五年、士官なら部下を率いるという意味で更に辞めるのが困難となる。だからこそ、徴兵制によって引っ張られて軍に赴く人間が多いのだ。
「軍人になりたいって言うなら止める権利は俺には無いが……軍に居るのは俺だけであって欲しかったよ」
「でも兄貴、毎回シツコク自慢話してくるじゃん!」
「俺は運が良かったんだよ。良い上官に巡り会えたからな。劣悪な上官ってのは軍にゴロゴロ居るし、何よりロクな仕事じゃない。殺し合う仕事なんて真面じゃないだろう?」
机に運ばれて来たコーヒーを啜りながら、兄は真面目な表情を浮かべる。
「軍に入るって言うなら覚えておけ。軍に理想を求めるな! 正義論を語る政治家を信用するな! 戦場はそんな生易しい場所じゃない。これさえ知っていれば甘く見て失敗する事は無いだろう」
「……まぁ、わかった」
「よろしい! 軍に入ったら、運良く同じ部隊になれると良いな!」
兄の言葉は少し過保護過ぎると当時のジョエルは思った。しかし、その兄が死んだ時、何故あんな事を告げたのかは直ぐにわかった。
祖国の為に戦い散った者に対しての見返りが、僅かな金と形だけの勲章と心の籠らない冷めた嘆きのみだったからだ。
確かに直接兄を殺したのは帝国軍、フライブルク中佐だが、彼等を戦争へ送り出したのは権力者達である。戦争を続けさせているのも権力者達である。
それを理解した時、兄の死に最も責任があるのが国であるのだとジョエルは知った。そして、祖国がその義務を果たさない愚かな国であったのだという事も。
だからこそ、彼は共和国が絶対正義だとは思えなかったし、帝国軍に大した復讐心は抱かなかった。
しかし、この世にはそんな風に割り切れない者だっているのだという事も知っていた。目の前の女の子がそうだろう。
ジョエルの場合は事前に兄からの忠告があったし、他にも兄が居た。心の準備とダメージの低さ故に彼は冷静であれたが、マリエルは違う。
ヴァランス大佐は国家への忠誠心が厚い人であったらしく、それも少し彼女に受け継がれている。何より父親を失った後、立て続けに兄まで失って、しかも同じ奴が原因だった。殺せる機会があったのに、何度も逸したのだ。耐えられる訳は無い。
復讐は確かに褒められた事ではないが、復讐を果たさずして前に進めない者だって居る。
だから、自分がその支えになって、彼女を復讐の果てに待つ破滅から守ろう。そう、ジョエルは決意した。
「マリエル……俺も出来る事なら兄貴の仇を討ちたい。だから、お前に協力させてくれないか?」
「貴方……私の復讐を止めたいんじゃないの?」
「まぁ……正直止めたい。お前よりかは復讐心は無いしな。だが……俺が何を言おうとお前は止まらないだろう? 何より俺も復讐したくない訳じゃない。だったら、一緒に仇を討ちてぇんだ!」
ジョエルはニット笑みを浮かべると、彼女へ右手を差し出す。
「これからは共犯関係って訳だ。駄目だったら振り払って構わねぇよ」
ここから先は賭けに近い。手を取ってくれる事を願うしかないが、取ってくれなくても影から支えてやれば良い。そう思ったジョエルだったが、差し出した手はアッサリと握られた。
「わかった。貴方と一緒に仇を取る。《剣鬼》への復讐も手伝って貰うけど」
「おうよ! そんじゃあ早速作戦会議しねぇとな! 相手は何せ一筋縄じゃいかねぇ奴等ばかりだ! お前が涙拭いてから、本国に戻って解散するまで話し合おうぜ!」
ジョエルに指摘された事で、マリエルは咄嗟に隠す様に袖で涙を拭き、少し頬を赤らめ、素知らぬ顔でソッポを向く。
「泣いてないから……私が泣く訳ない」
「いや、なんで隠せもしてない嘘なんか吐くんだよ! 堂々と涙拭いてやがった癖に」
「これは額から流れた汗。涙じゃない」
「いや、涙だろ?」
「涙じゃない」
「……わかったよ。そういう事にしといてやるよ」
(やれやれ、中々面倒な相棒を得たものだ……)
そう心の中で呟きつつジョエルは少し肩をすくめ、マリエルは仲間を得られた事に、それが彼であった事に、何処か少し嬉しそうであった。




