7-98 民主主義の軍隊
殴ったペサック大将を見下ろしながら、ふと自分の拳を眺めたシャルル。次に彼は、テント入り口にて此方を唖然と眺めて固まるジャンに視線を向けると、ニヤリと笑みを浮かべ、顎を摩った。
「やっちまった!」
「やっちまったじゃねぇえええええええっ‼︎」
ジャンの悲痛な叫びにシャルルがもう一度呑気な笑みを浮かべると、ペサック大将も静かに起き上がり、更に煮えたぎった怒りを噴出させる。
「上官を殴るとはどういうつもりだ貴様ぁあああああああっ‼︎ 誰か此奴を捕らえろ! 上官に対する傷害罪で軍法会議にかけてやる‼︎」
怒声と共に部下に命令を下したペサック大将だったが、誰も動き出す事はなかった。
当然だろう。何せ、相手はあの《武神》なのだから。
「貴様等、俺の命令が聞けんのかぁあああっ‼︎」
「聞きたくないだろうよ。簡単に部下を殴ろうとする上官の命令なんざ」
ペサック大将に対する敬意の欠片すら感じられない無遠慮なシャルルの口調に、ジャンは最早諦め、頭を抱えながらも成り行きを見守る事にした。
「き、貴様ぁあああっ! 《武神》などともてはやされ、己が立場を過剰に評価するに成り果てたか! 上官に礼を弁えろ! 礼を‼︎」
「上官ってだけで、なぜ礼を弁えなきゃならねぇんだ?」
「お前は一般常識すら欠けているか‼︎ そんな馬鹿が私を殴るとは、不敬を通り越した蛮行だ! 恥をしれぇえええっ‼︎」
「何を勘違いしてんのか知らねぇが、ただ階級が上ってだけで敬うの違うだろう。俺が上官に対して敬うのは、其奴に刻んで来た功績と出世するに足る能力があるからだ。上官ってだけで威張るのは御門違いだろ?」
「俺にはそれ等が無いとでも言うつもりか‼︎」
「無い訳じゃねぇが……今のアンタは、それ等を黒く塗り潰しちまって、尊敬に値する部分が無い。ヒルテリックに喚き散らしてるだけの奴なんざ、猿と何ら変わらねぇよ」
「黙れ‼︎ 貴様の様な野獣に言われる筋合いなど無いわぁあああああっ‼︎ こんな野獣と話しているとこっちまで馬鹿になる! そもそも私に発言する権利をやった覚えはない! 即刻立ち去れ‼︎」
「だから何故、尊敬するに値しない奴の命令を聞かなきゃならねぇんだよ」
腕を組み、(自覚は無いだろうが)太々しい態度を貫くシャルルに、ペサック大将の僅かに残っていた、ありとあらゆる栓が炸裂し、溜めていた感情全てを噴出させた。
「この糞共がぁああああああああああっ‼︎ 俺の価値すらわからぬ愚か者共がぁあっ‼︎ 俺は崇高な人間族であり、貴様等亜人共と馴れ合う様な馬鹿共とは格が違う! 俺は崇高な人間の中でも、より崇高な人間なのだ! なのに、何故あんな鉱人ごときと同じ階級、扱いだった挙句、更に下にまで追いやられなければならんのだ! あり得ない! あり得て良い筈が無い‼︎ そもそも、貴様等が己が無価値な命に縋って惜しんだ結果がこれだ! 何故、崇高な俺の為に命を賭けない! 何故、崇高な俺の為に命を捨てない! お前等、雑草ごときを使ってやる俺に感謝して、俺の為に使い潰されるべきだろうが‼︎ わかったら、早く基地を攻めて命を使い果たして来い! この雑兵共がぁああああああああああああああああっ‼︎
抑え込んでいた感情を爆発させ、自分の欲を曝け出し、傲慢に罵声を響かせたペサック大将。何と馬鹿げた理論と戯言だと、どれだけ自分達を虚仮にする発言だと、幕僚達に怒りの炎が灯った。
最早、上官として敬うべき価値をペサック大将に見付けられはしないだろう。それどころか、嫌悪感に身を任せ、腰にぶら下がった凶器を奴に突き付けたい感情が湧き出てくる。
上官を殺すのは当然犯罪だ。軍法会議にて極刑を言い渡されかねない重罪だ。
しかし、湧いてくる殺意が我慢出来ない。
数人の幕僚が腰から銃を抜き出しかけた時、またも鈍い音が空気を揺らした。
幕僚達やマシー少佐が再び驚き唖然と見詰め、ジャンが再び呆れる先。シャルルがまたもペサック大将の顔面を殴り付けたのだ。
「貴様ぁあっ……貴様ぁあああっ! またしても……またしても‼︎」
「黙りやがれ、このクズが‼︎」
またヒステリックに喚き出すかと思われたペサック大将は、シャルルに胸倉を掴まれ、鬼神が如き形相で睨まれた事で、否応無く言葉を引っ込めさせられた。
「何が使い潰されるべきだクソが‼︎ 兵士達は物じゃねぇ! 誇りと決意と意思を持って戦場に立つ勇士だ! それを物だと? ふざけんじゃねぇぞ‼︎ そもそも、此奴等は己が自由を捨ててまで、いつ死ぬかわからない戦場に来た奴等だ! 賞賛されるべき行為を持って戦場へと赴いた英雄達だ! それを軽々しく殺そうとしてんじゃねぇえぞぉおっ‼︎」
怒りに任せて振り下ろされたシャルルの拳。しかも、全力の筋力強化を加えた拳がペサック大将の顔を目指して砲弾がごとく放たれる。
これにはペサック大将からも「ヒィッ‼︎」という軽い悲鳴が漏れた。当然だ。この拳には本当に砲弾と同等の威力があるのだから。当たれば死ぬのだ。
自制が効かずペサック大将の残りカレンダーを全て引き千切るかと思われたシャルルの拳だったが、その肩を誰かに抑えられた事で、ペサック大将の鼻先で停止した。
「シャルル……流石に殺すのは不味い。抑えろ」
「ジャン……」
ジャンの冷却剤を込めた言葉が耳へと届いた事で、シャルルの怒りの熱が冷め、筋力強化も解き、拳を下ろした。
「わりぃ……冷静さに欠けちまってたな。助かった」
「いや、気持ちはわかる。だが……」
シャルルが胸倉から手を離した事で地面に尻餅を着いたペサック大将を、ジャンは睨んだ後、舌打ちを漏す。
「おそらく、ペサック大将は氷山の一角でしかない。他にもこんな馬鹿げた思想の奴は軍には五万と居るだろう。此奴を殴った所で大して変わるものは無いだろうよ」
「嘆かわしい話だ……これが偉大なる民主主義の軍隊とはな。兵士も故郷に戻れば国民となる。彼奴等だって守るべき国民の一員でもあるのだ。それを蔑ろにするどころか、国民の地位を捨て、兵士となった奴等の勇気を踏み躙るとは……」
「軍隊とは残念なからそういうものだ。軍隊とは個人の勇気と献身を使い潰す生き物だ。それ等を仕切る政府や権力者も同様にな」
ジャンに諭されながら、世の愚かしさにギリッと奥歯を鳴らすシャルル。
「これじゃあ、奴の言葉が正しいと証明されちまうな……」
フライブルク中佐と初めて顔を合わせた時、奴が言った言葉。"人というのは愚か者だ、そんな愚か者達が作った国家が健全な訳はない"。正に彼の言葉は至言であったという訳だ。
「考えるだけでまた腹が立ってきたな……もう一発ぐらい殴っておくか!」
「止めておけ」
「止めるなよ! 此奴はもう二発ぐらいは殴られる義務がある。それだけの言葉を言い放ちやがったんだ!」
「それはわかるが……流石に伸びて、しかも失禁してる奴を殴らせるのは目覚めが悪い」
ジャンが視線を向ける先、それにシャルルも目を向けると、そこには地面に大の字で気絶し、無様にズボンを濡らしたペサック大将の姿があった。
これにはシャルルも可哀想だなという思いが湧いたらしく、矛を鞘に収め、嘆息だけに済ませるのだった。




