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異なる世界の近代戦争記  作者: 我滝 基博
第7章 オリヴィエ要塞攻防戦
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7-86 天使と呼ばれる少女

 重傷兵達がルミエール・オキュレ基地からの脱出を拒否する理由たる《天使》。彼女が麾下(きか)の兵士だとマインツ准将に知られた事で、重傷兵達の説得を、エルヴィンは依頼された。



「宜しいのですか? 重傷兵とはいえ、多少の戦力にはなりますが」


「重傷の者を戦わせたという悪評と引き換えにな。そんな不名誉など被りたくはない」


「確かに……無駄な死者も増えそうですからね」


「頼めるか?」


「《天使》に頼んでみます。あの子も怪我人を戦わせる様な真似は嫌でしょうから」



 シャルロッテ・メールスという少女は心優しい。己が怪我を押して命を懸けようとする者達を放っては置かない筈である。


 早速、マインツ准将達と別れ、衛生兵達の下へと赴いたエルヴィンは、まだ起きていたイェーナ軍曹にシャルの居場所を尋ねた。



「彼女なら、別の部隊の負傷兵達を診ていますよ? 此方(こちら)は人手が十分でしたし、そのまま手伝いに専念させました」


「……ん? もしかして、まだ起きているのかい?」


「戻って来ていないのなら、そうだと思います」



 衛生兵小隊はペサック大将誘拐の際、一部を基地に残して、既に居た基地全体における負傷兵の治療に専念させていた。その一部の中にシャルが含まれており、だからこそ他の部隊との接点が設けられ、彼女の信者が急増していたのだろう。



「しかし……まさか此処(ここ)までシャルが人気を得るとは思わなかったよ。時折、彼女が超常の存在に思えて怖くなる……」



 シャルの好かれ具合が異常なのは確かである。例え彼女が心優しいからと言って、獣人差別が蔓延る国で、獣人が易々と他者から好かれるなど難しい筈なのだ。



「もしかしたら、彼女は本当に天から舞い降りた《天使》じゃないだろうね?」



 勿論、冗談のつもりで言ったエルヴィンだったが、イェーナ軍曹も彼自身も、(あなが)ち否定も出来ないかもしれないと、笑う事は出来なかった。


 その後、エルヴィンは(ようや)くシャルの下を訪れる事が出来たのだが、彼女の姿を見た瞬間、彼は話し掛けるのを少し躊躇(ちゅうちょ)する事となった。


 負傷兵達か眠る横、シャルは、僅かな卓上灯に照らされながら、夜番の軍医が語る内容に、真剣に耳を貸し、学んでいたのだ。



「勘違いされがちだが、我々軍医は治療だけに専念すれば良い訳ではない。戦場では何よりも清潔な水の確保が優先されるからだ。不潔な水では、症状の悪化、最悪、感染症を引き起こし、部隊内に於けるパンデミックを発生させる原因にもなる。多くの者は此処(ここ)で軍から貰えば良いと考えるが、清潔な水は飲料水ともなり、兵士にとっては必要不可欠なものだ。だからこそ、水源の確保は必須だ。市街地なら水道、山や森なら湧き水、砂漠なら井戸だな」



 壮年の軍医テオドール・ザーツブリュッケン大尉が話す内容を事細かくメモ帳に記録するシャル。語られる内容は教科書や書物に記されているような机上の知識だけではなく、戦場に於ける実体験が盛り込まれた実践に応用出来る経験であり、衛生兵にとっても為になる話であった。



「お? これは中佐!」



 此方(こちら)に気付いたザーツブリュッケン大尉が立ち上がり、軽い敬礼を向け、シャルもそれでエルヴィンの存在に気付く。



「大隊長!」


「いや、良いよ敬礼しなくて。大尉も」



 エルヴィンの御言葉に甘え、ザーツブリュッケン大尉は言われた通り敬礼を解いて座り、シャルはそれはさも嬉しそうに表情をパアッと明るくし、尻尾を振って、彼に駆け寄った。



「大隊長、無事戻られたんですね? 怪我とかしてないですか?」


「してないよ。イェーナ軍曹から聞いてなかったかい?」


「聞いてはいたんですけど……直接確認するまでは心配だったんです。前も、大隊長は自分の怪我に気付きませんでしたから」


「なるほど……説得力はあるね……」



 峡谷出口での戦いで、頭に擦り傷を負った時の事を思い出し、エルヴィンは苦笑を(こぼ)し頭を掻いた。



「ところでシャルは、大尉に色々教えて貰っていたのかい?」


「はい!」



 シャルの目が好奇心で輝いた。



「大尉の話は凄く分かり易いんですよ! 現場に出なければ分からない事を事細かく丁寧に教えて頂けました!」


「そうか……それは良かったね」



 純粋に邪気など一切無い褒め言葉。それには横で聞かされたザーツブリュッケン大尉も照れ臭そうに頬を掻いた。



「メールス一等兵は物覚えが良いですね。真摯に此方(こちら)の話に耳を貸し、一言一句違わず記録してくれる。教える方としては気持ちが良いですね」


「大尉、色々と教えて頂き、ありがとう御座います」



 律儀に頭を下げるシャルに、ザーツブリュッケン大尉は柔かに笑みを浮かべ、片手を挙げて返事とした。



「ところで中佐。彼女に用があるのではないですか?」


「そうだ! シャル、頼みたい事があるんだけど……」



 そうして、エルヴィンは、先に脱出させる予定の重傷者達が、命を捨ててでも戦うと言い出しかねない状況である事をシャルに告げた。



「その人達、重傷なんですよね? このまま此処(ここ)に居たら如何(どう)なりますか?」


「まぁ……8割型、不味いかな……」


「じゃあ、何としてでも帰って貰わないと! その人達が死んじゃったら、家族や大勢の人が悲しみますから!」


「そうだね。だから君に説得を頼みたいんだよ」


「やります! けど……何で私なんですか?」



 首を傾げるシャル。本当に自覚は無いのか、と、エルヴィンは(彼自身、言えた義理ではないが)彼女の鈍感さに少し呆れながらも、だからこそ、その純粋さが好かれたのだろうと納得も出来た。


 人というのは成長し、社会に触れて行く上で、様々な(しがらみ)などにより心が濁り、純粋では居られなくなる。この種族の性質上、自分が持ち得ない何かを持つ者に憧れる傾向もあり、重傷兵達もシャルの純粋さに憧れながら、彼女が弱い立場であるという理由で、それを穢したくないという庇護欲が生まれたのだろう。


 憧れは妬みにも変化してしまい、迫害に発展する場合もあるが、これは良い方に転がった例だと言える。



「大隊長……?」



 物思いに耽り、返答を述べていなかったエルヴィンは、咳払いをして気持ちを整える。



「そうだね……堅苦しい上官より、君みたいな可愛い女の子に説得された方が彼等も聞いてくれるからだよ」



 (あなが)ち嘘は言っていない。シャルは可愛い見た目をしているし、男ばかりの戦場で、一輪の花には誰しもが寛容になれるというものだ。


 シャルからすれば、想い人から欲しい言葉が不意に引き出されたので、恥ずかしくて顔を赤くし、口をハワワと動かしてしまった訳だが。



「軍にも結構出来た人は居るものだ。自分より年下の子に気遣いでもされたら、皆聞いてくれるだろう」


「……わかってます。だって、獣人である私を大事に思ってくれる人達と、此処(ここ)でいっぱい出会えましたから!」



 胸に両手を当て、溢れ出る幸福を感じる様に、綺麗な笑顔を見せるシャル。獣人として蔑まれてきた貧民街では有り得ない、自分を認めてくれる沢山の人達に出会えたのだ。やはり、余程に嬉しいのだろう。


 だからこそ、素直に喜ぶ笑顔だからこそ、それを見せられたからこそ思う。


 "この笑顔を失わせてはならないと、曇らせてはならないと、こんな笑顔を浮かべられる子を世界から失わせてはならないと"


 戦場に残って、(まも)ってやりたいという気持ちもわからない訳じゃないな……。


 彼女を好く者には獣人を嫌う者も居ただろう。だけど、それを消し去る程にシャルロッテ・メールスという少女は純真無垢で綺麗過ぎるのだ。



「さて……早速で悪いけど、説得を御願いできるかな? 日が昇る頃には脱出させたい」


「わかりました!」



 人懐っこい笑顔と元気な返事を最後に、ザーツブリュッケン大尉へと改めて感謝を告げ、此方(こちら)に背を向けて去って行くシャル。それに大尉は、我が子を見る様に優しく微笑んだ。



何処(どこ)か不思議な子ですね……あれだけ素直に居られるのも珍しい。故郷に居る、まだ幼い娘の事を思い出しましたよ」


「そうですね……だからこそ、生きて帰さないといけません。勿論、仲間達全員もですが」



 少しの決意を伴って、改めてザーツブリュッケン大尉へ感謝を述べた後、エルヴィンは珍しく湧き出たやる気を燃やし、事前の策を練り始めるのだった。


 その後、重傷兵達の下へ到着したシャルは、必死に彼等を説得し、どうにか船へと乗せる事に成功するのだが、「「「めっちゃ良え子や‼︎」」」と更なる信者を増やした事は言うまでもない。

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