7-73 狡猾な罠
基地からの脱出者達から報告を聞いた後、休息に散った彼等の背中を眺めながら、ペサック大将は椅子に踏ん反り返り、優越感な笑みを浮かべる。
「マシー少佐、聞いたか? 奴等、高々8千程度の兵で基地を守っとるらしい。しかも、砲も塹壕も真面な物が無いというではないか! これは一気に全軍で掛かれば容易いな」
「しかし……1度に兵を送り過ぎますと、密集地が増え、敵に格好の的にされます」
「だが、余りネチネチやっていては、敵も撤退してしまうかもしれん。撤退する隙を与えぬよう攻撃は加えているが、撤退出来ぬ訳ではない。敗北を悟り、粗方の犠牲を無視して逃げ出されては、俺の功の価値が低下する。一気に決着させ、全滅させるべきだ!」
「……なるほど。確かに敵情は知れましたから、それを元に攻めれば可能ですね……」
この時、マシー少佐の眉が不可解にひそめられ、それにペサック大将は首を傾げる。
「少佐、浮かない顔だが……どうかしたのか?」
「いえ……出来過ぎ、だと思いまして……」
目を細め、遠目に見えたプレジール軍曹を睨むマシー少佐。
「そもそも……あれだけの情報を捕虜が得られる自体がおかしいのです。捕虜とはいえ敵は敵。無闇やたらに情報を漏らしはしないでしょう」
「確かに……捕虜とはいえ、自国の言葉がわからないとは限らん。少数とはいえ、通訳を担う兵も居るのだからな」
「それに何より……捕虜を逃した、というのが腑に落ちません」
「何処がだ? 敵が間抜けだっただけの話ではないか?」
「斯様な無能なら、基地を越えての艦砲射撃など思い付きません」
「うむ……となると、プレジール軍曹は……」
「敵のスパイ、という可能性があります」
いや……スパイというより、暗殺者という可能性もあるがな。
「此処は1度、彼女を呼び出し、尋問するべきです」
「そうだな……もし、スパイなら問いたださねばならん」
そうして、テント内で椅子に踏ん反り返り、複数の兵士に見守られながら、連れて来られたプレジール軍曹を正面に座らされ、ペサック大将は鋭い視線を向ける。
「さて……単刀直入に聞こう。貴官は帝国の回し者か?」
大将から発せられた問いに対し、プレジール軍曹は何を言っているのだろうと首を傾げる。
「仰られている意味がわかりませんが……」
惚けているとも見える軍曹の反応に対し、ペサック大将は手を組み、深く椅子へ腰掛ける。
「なに、簡単な話だ。私は、貴官が帝国のスパイではないかと疑っているのだ」
衝撃の発言に対し、プレジール軍曹は驚愕で目を見開き、憤怒を滲ませ、立ち上がる。
「そんな訳ありません‼︎ 何を証拠に小官を貶めようというのですか⁈」
軍曹の突然の動作に、周りの兵士達は一斉に拳銃を向け、彼女も冷静さを取り戻し、静かに椅子へ座り直す。
「閣下……私はスパイなどではありません。基地の兵士名簿を見れば明らかな筈です!」
「名簿は名前しか載っとらんし、顔写真を手に入れるには時間が掛かる。その間に逃げる事は可能だろう」
「帝国人がこんな流暢なブリュメール語を話せると?」
「居ないとは限らんだろう」
正論に反論は潰され、苦々しくも言い淀むプレジール軍曹。その様子に、隣に立つマシー少佐は目を細める。
「貴官……やはり、何か隠し事があるな?」
ピクリッと反応し、目を泳がせたプレジール軍曹。やましい何かがある事をあからさまに示唆していた。
それにより、マシー少佐は全てを悟る。
「なるほど……そういう事か……」
「ん? 少佐、何か気付いたのか?」
「閣下……彼女はおそらくスパイではありません。こんな簡単にボロを出すスパイなど居ませんからね」
「なら、彼女の語った事は全て真実という事か?」
「いえ……おそらく、彼女の語った内容は、"敵が意図的に流した情報"かと」
それにプレジール軍曹はまたピクリッと反応し、ペサック大将の眉は鋭くしかめられる。
「どういう事だ?」
「おそらく敵は軍曹に対し、「実は自分は共和国のスパイなのだ」、などと偽って基地の偽情報を彼女に教えたのです。それを彼女は自分の功績である事を過大に評価させる為に、自分が手に入れた情報だと偽って閣下に教えたのでしょう」
「だが、他の兵士達も同じ様な発言をしとったが?」
「彼等も同じ様に偽りの情報を与えられたのでしょう。何もワザワザ話さなくとも、意図的に近くで偽りの内緒話をすれば済みますからね」
これを考え付いた奴は余程性格が悪く狡猾だ、と評しながら嘆息するマシー少佐。間違いなく、これをやった敵はプレジール軍曹の欲深さを利用し、彼女が他者から与えられた情報である事を伏せるだろうと予期していた。更に、他の兵士達にも意図的だと見せず、誤って流した情報だと思わせた。緻密に練られており、正にキレ者だろう事が簡単に分かる。
未だこれが予想の範疇であるにも関わらず、まるで確信した様に考えるマシー少佐だったか、これ等の事はもう証明されていた。
プレジール軍曹が先程から冷や汗をかき、手足をプルプルと震わせていたのだ。ペサック大将が目下睨み付けているから、という理由もあるだろうが。
「プレジール軍曹……どうなんだ?」
迫る追求。このまま黙っていてはスパイの容疑が再燃すると考えたのだろう。プレジール軍曹は潔く深々と頭を下げた。
「その通りで御座います……全ては他者から貰った情報であり、確かに「共和国のスパイ」だと名乗る人物に教えられました」
観念し、告げられた真実に、ペサック大将は盛大に不快な舌打ちを零す。
「帝国軍め……小癪な真似を。危うく、何か罠があるかもしれん中を突っ込む所だったわ!」
「ええ……嘘の情報を流す事で、油断し、攻めて来た此方を、何かしらの罠で撃破する、というのが敵の思惑だったのでしょう」
「という事は……敵が1万未満という情報も当てにならん。こんな罠を貼るぐらいだから、此方以上という事はないが、情報の2、3倍は覚悟しておいた方が良かろう」
此処までくれば押され気味という状況すら怪しくなる。油断させ、一気に攻めて来た所を一網打尽にするという算段だった、とも考えられるのだ。
「軍曹だけの話では根拠に乏しいな……少佐! 他の脱出者達からも情報を引き出せ!」
「はっ!」
テント内の護衛を6人連れ、この場を後にしたマシー少佐。その背中をペサック大将は残った2人の兵士と見送った後、再びプレジール軍曹へと視線を向ける。
「さて……敵に踊らされた貴官の失態、どう償って貰おうか……」
「そ、そんな! 私は嵌められたのです! 確かに落ち度はありますが、それ程まで言及される覚えは……!」
「黙れ‼︎ この俺に偽情報を持ってきた時点で極刑ものなのだ‼︎ それを勘弁してやるだけでも有り難く思え‼︎」
共和国軍では帝国軍とは違い司令官、指揮官等による独断の死刑は禁じられているので極刑など出来る筈もなく、ペサック大将の懐の広さは万に1つも示されてはいない。
「これ程度では死刑に出来んからな……今は精々、禁錮といった所か……」
今すぐにでも八つ当たりついでに射殺してやりたい、という思いを我慢しながら、ペサック大将は隣に立つ2人の兵士達に命じる。
「お前等……此奴を別のテントに軟禁しておけ! 後日、軍法裁判に掛ける」
軍法裁判に掛けるとはいっても、おそらく今回、彼女に大した刑が下る事はないだろう。それ程の失態ではない。
「貴様は暫く1人で頭を冷やしておけ‼︎」
ペサック大将の怒声に苦々しく俯くプレジール軍曹。両隣に兵士2人が立ち、内1人が連行すべく彼女の肩に手を当てる。
「まったく……部下が無能だと苦労する……」
ペサック大将が嘆息し、余りの馬鹿馬鹿しさに目を閉じた瞬間、パタリッという効果音が2つ、彼の耳に入る。
「ん? 何の音だ……?」
そうして、目を開けたペサック大将は、目を見開き、言葉を失う事になった。
「……は?」
眼前に、先程プレジール軍曹を連行しようとしていた兵士2人が、首と胸から血を流し、絶命していたのだ。
「いったい、どうなって……」
「ペサック大将閣下……どうか、そのままで…………」
立ち上がろうと動き出していたペサック大将は、首元に銀色の刃が肌を触り、冷や汗を流す。
そう、この場には2人の兵士の他にもう1人居た。
そのもう1人は、眼下で死んでいる2人の兵士が連れて行く筈だった兵士。
ペサック大将は苦々しく口元を歪めながら、背後で此方の首にナイフを突き付ける女性を睨み付ける。
「プレジール軍曹……」
大将の背後には、先程の小物振りとはかけ離れた、武人の風格、冷徹な眼光を放つ、プレジール軍曹の姿があったのだ。




