7-59 非道なギャンブル
「私はね。自分の事が余り好きではないんだ」
エルヴィンの告白に、目を丸くするシャル。何か言いかけようとする彼女に、エルヴィンは不十分だったと、言葉を補足する。
「とは言っても、全てが嫌いなんじゃなくて、一部の感情や性格が、だね……私の中にある悪人の部分が嫌いなのさ」
「大隊長は悪人ではないです‼︎」
「ありがとう……確かに、悪人と呼べる程、極悪でもないね。嬉しい事に私は良心の方が大きいらしい。……まぁ、人殺しをし、させているから、悪ではあるんだろうけど……」
離しが逸れたと苦笑した後、エルヴィンは話を戻す。
「要するに私が言いたいのは、人には誰しも悪の部分が存在する、という事だ。例えば、物を作るのと壊すの、何方が楽しいかと聞かれたら、どっちだと思う?」
「えっと……作る方、ですか?」
「確かにそういう人も居ると思うけど、大抵の人は後者を選ぶんだ。作るよりも、壊す方が簡単で気分が晴れるからね」
「それは、悪、とは余り言えない気がしますけど……」
「確かに、これだと余り悪ではない。だけど……こう思った事はないかい?」
エルヴィンの口元が少し不敵に歪む。
「嫌いな奴の大切な物を壊し、辛そうな相手の顔を見てみたい、と」
その言葉に、シャルは絶句した。
「それは……」
「嫌いな奴を殺したい、その悔しがる顔を見たい、苦痛に歪む顔を見たい、アレを壊したい、これを壊したい、奪いたい、盗みたい。大抵の人は良心が勝って自分を律し、更に多くの者は法があるからと諦めて自制している。ごく稀に両者共では悪の部分が抑えられない者が犯罪を犯すのさ」
突然、語り出した人の本質について。彼自身の悩みから連鎖して告げられた残酷な話から、シャルは悟ってしまう。
「大隊長も、そう思った事があるんですか……?」
胸の前で右手を軽く握り、恐る恐る彼女から問われた質問に、エルヴィンはまた不敵に、今度は冷笑混じりに口元に笑みを浮かべる。
「あるよ、何度もね。……そして、今回、敵にしてやられた時、仲間達の犠牲も顧みず、仕返しをしてやりたいと思ってしまった」
彼の口から告げられた衝撃の言葉に、シャルは悔いるよに、悲しむように唇を結び、そのまま続けられるエルヴィンの話に耳を貸した。
「私達は戦争をしている。共和国と戦っている訳だけど……これは勝敗が付く勝負だ。私も勝ちたくない訳じゃないし、負けたい訳じゃない。そして……この戦争に於ける勝負は、スポーツよりギャンブルに近い。ベットは兵士の命。負けても余程運が悪くなければ自分の命迄は失わないから、いくらでも賭け事が出来る。私が指揮官であり続ける限り……」
冷笑を浮かべるエルヴィン。彼は皮肉気に言葉を綴り続ける。
「酷い話だ……どんなに兵士の命を重視しようと、結局は勝ち負けにこだわっている。今回、ヴァルト村の策を転用された時も、悔しくて敵を追い掛け皆殺しにしろと命令したくなった。追って、敵中深くに入れば、傷付いた自尊心を慰めるごときに釣り合わない兵士の死を生むのにな。そして、沢山の家族の居る共和国兵達を死なせる羽目にもなるんだ……とんだ極悪人だよ」
憤怒を表す様に拳を握り締め、自己嫌悪する様に目を鋭く細めるエルヴィン。
「戦場に居れば人の生き死に、その価値が低下し、指揮官ともなればそれが数字でしか見れなくなる。兵士達と接し、仲間達の死を嘆こうと、結局は彼等を軽視し始めてしまっている。戦争に毒されている証拠だ。実に腹立たしい……」
自分に怒るエルヴィン。いや、自己嫌悪をさせる原因を作り出した世界にも彼は怒っているのだろう。
戦争というのはどうしても人を狂わせる。前世に於ける戦争映画で兵士が狂い、自殺し、無抵抗の兵士を殺し、無辜の敵国民から略奪し、敵領土を破壊する映像が流れる度、何故こんな酷い事が出来るのかと首を傾げたが、今、自らが戦場に立ち続けた事で、その気持ちをエルヴィンは分かってしまった。
だからこそ、狂わない様、価値観が破壊されない様、仲間達の死を惜しみ、どれだけの味方を敵を殺したのか目に焼き付けて来た。彼が優しくあり続けられたのも、彼自身が努力していたからなのだ。
しかし、限界はある。今回はその限界であったらしく、命の価値を無視し、エルヴィンは勝利に走りかけた。普段から勝敗にこだわらない彼ではあったが、今回ばかりは負け方が悔し過ぎた。その屈辱感が自制の手綱を一時的に切ってしまったのだ。
勿論、直ぐに冷静に気持ちを鎮めて暴発を防いだが、湧き出し掛けたというだけでも彼にとっては嫌悪の対象でしかない。
自分への失望感を噛み締めるエルヴィンだったが、ふと、シャルの少し幼き顔を見て、思考を急激に冷まし、後悔するように、情け無いと言わんばかりに頭を掻き毟る。
「子供に何を話しているんだ私は……これは悩みの告白じゃなくて、只の慰めの強要じゃないか! 自分を嘆く事を美徳だとでも思っているのか? 馬鹿馬鹿しい……こんなモノを年下の子に吐いている時点で浅ましいにも程がる!」
自分の罪深さ、それを自覚し断罪する自分。こんなものは茶番でしかなく、それに酔い痴れている自分の存在に気付き、エルヴィンは更なる自己嫌悪に晒される。
最早、無限ループ。どう思考しようと、何を言おうと、考えようと、自分が嫌いになっていく悪循環。
「本当に、嫌になるよ……」
怒りが消え、全ての感情を抜け落ちさせた後、エルヴィンの表情に浮かんだのは悲しさだった。
現実に直面した所で更なる自己嫌悪に身を焦がすだけ。なら今はこの現実からは逃避し、別の事を考えるしかない。そう、エルヴィンが考えた時だった。
突然、シャルが彼の左手を持ち上げ、その手を両手で優しく握り締めた。
「シャル?」
理解の及ばない彼女の行動に首を傾げるエルヴィン。すると、彼女は優しく、慈悲深く、彼に告げる。
「大隊長はやっぱり、優しい人ですね」
それは紛れもなく、彼女の本心から告げられた、彼を示す言葉だった。




