7-58 漏れ出る罪悪感
世暦1914年10月29日
兵糧庫を焼かれ、苦々しさと共に司令部では作戦会議が続けられる中、エルヴィンは日課の、負傷した仲間達との会話をすべく、野戦病院を訪れる。
「あ! 大隊長! また来たんですか?」
「仕事大丈夫なんですか? また誰かに押し付けたり……」
「ありそうだなぁ……副官代理のビーレフェルト軍曹とプフォルツハイム伍長は気の毒に……」
「君達、辛口発言はそこまでにしてくれるかな? 結構、凹むんだけど……」
上官に対し容赦ない言葉をぶつける兵士達。他の部隊ではあり得ないフレンドリー振りだが、その分、空気は和む。規律面の厳しさをガンリュウ少佐が担っているから逆に良いだろう。証拠に、負傷兵達は怪我の痛みに苛まれながら、隊長たるエルヴィンへの文句は吐かず、笑顔が絶えない。
勿論、それだけが理由ではなく、もう1人、大きな存在が居るのだが。
「大隊長!」
それはまた嬉しそうに人懐っこい笑顔を浮かべ、律儀にエルヴィンの下へとやって来た獣人の少女。喜びで尻尾を振りながら、シャルは艶やか笑みを彼へと向ける。
「大隊長、また兵士達に会いに来てくれたんですか?」
「まぁね。昨日、戦いがあって直ぐだけど……仲間達の怪我の具合は大丈夫かい?」
「はい! 皆んな私と衛生兵の仲間達で治療しましたから!」
「そうか、偉いね」
褒める様に、労う様に、彼女の頭を優しく撫でるエルヴィン。それに喜んでまた尻尾を振るシャルだったが、一方で周りから強烈な殺気がエルヴィンを襲い、彼はピクリッと悪寒を味合わされる。
「クソ大隊長め……易々と我等が《天使》に気安く触れやがって……」
「今までの功績が無かったら八つ裂きにしてやる所だ!」
「あ〜っ! 断頭台持って来てぇ〜!」
物騒な言葉を口走る仲間達。衛生兵小隊の面々もだが、負傷兵達からもそんな呟きが耳に届き、エルヴィンは口元をひきつらせる。
シャルの優しさを浴びた負傷兵達も着々と彼女の信者になり始めており、その神聖さを独り占めするエルヴィンが兵士達は憎くてたまらなかったのだ。原因を作り出した《天使》当人は無自覚なのだが。
「大隊長、どうかしたんですか?」
「いや、なんでもないよ……」
キョトンッと首を傾げるシャル。そろそろ周りから殺されそうだ思ったエルヴィンは、彼女からそっと手を離し、誤魔化す様に苦笑すると、頭を掻いた。
「シャル、イェーナ軍曹は?」
「彼方に居らっしゃいますよ?」
「そうか……ついでに案内して貰えるかな?」
そして、シャルに連れられ、イェーナ軍曹の下を訪れたエルヴィンは、軍曹からの敬礼を受けた。
「大隊長、何が御用ですか?」
「ちょっと、頼み事があってね」
互いに向かい合う様に木製椅子に座った2人だったが、軍曹がもう1度エルヴィンの顔を見た時、彼の表情が少し真剣になった事に気付く。
「負傷兵達の様子、重傷者や軽傷者、傷の具合など教えて貰えないかい?」
「全員分ですか⁈」
「ああ、頼む」
只一言、静かに告げられた願いに、イェーナ軍曹は驚愕の顔を見せたが、いつもとは違うエルヴィンの様子に、直ぐにそれも緩め、真摯に頷くと、机に積まれた書類を漁り、1つの紙の束を取り出す。
そして読まれた負傷兵達の名と傷の具合。20人程しか居ないのだが、部隊長がワザワザ聞く必要の無い情報にエルヴィンは黙って耳を貸した。
「以上です……」
「ありがとう、軍曹。助かったよ……」
ふと微笑を零すエルヴィン。しかし、一瞬見せた自嘲するような彼の笑みに、シャルは気付いた。
「大隊長……」
ふと不安に駆られたシャル。彼女は咄嗟に、縋る様にエルヴィンの軍服の袖を掴もうとするが、彼が立ち上がり、歩き出した事により、手は空気を掠めただけとなった。
具体的に何に不安が湧いたのは分からない。しかし、ヒルデブラント攻防戦の時、《武神》と戦った後の彼に似た空気を彼女は感じ取っていた。
再び笑みを浮かべ負傷兵達との談笑を始めたエルヴィンを眺めつつ、シャルは両手を胸に当て、奥から湧くもやもやとした気持ちを、今はジッと抑え込んだ。
そして、全ての兵士と話し終えたエルヴィンがテントから去ろうとした時、シャルは彼を追い掛け、叫ぶ。
「あの‼︎」
「ん?」
惚けた顔で振り返るエルヴィン。それに彼女は勇気を出す様に右手を胸の前で軽く握り、空色の瞳を彼へと向ける。
「私とお話ししませんか?」
安直な提案だろう。普通なら上官が1兵士に構う必要も無く、これに応じる必要もない。
しかし、これを断る冷酷さをエルヴィンは持ち合わせてもいなかった。
「うん、良いけど……」
断る理由も無く、友人に近しい少女の願い。何故、ワザワザ今話すのかと疑問符は付きながらも、ホッと肩を撫で下ろした彼女を伴い、近くの座れそうな箱に彼は腰掛ける。
「じゃあ、話してくれるかな? 何か言いたい事があるんだろう?」
エルヴィンの左隣に座りながら、その問いにピクリッと反応したシャル。実は、「話をしましょう」と言ったは良いものの、未だ具体的に彼の何に不安を持ったのか分からず、なんと聞いて良いか分からなかったのだ。
「シャル?」
固まったシャルに、少し困惑するエルヴィン。それに対し彼女は、どう聞こう? 何を話そう? 頭の中でそれらしい文字の羅列を組み立てては壊し、再構築を重ねていくうち、開き直って単刀直入に告げる。
「大隊長の悩みを教えて下さい‼︎」
不躾な質問なのも分かっているが、彼女はこの言葉しか思い付かなかった。
やはり、失礼な問いだと思ったシャルは、ビクビクしながら彼からの返答を待った。どんなに心が広い人でも、怒りの沸点は必ず存在し、今回がそれに当たらないとも限らないからだ。
しかし、それ程度で、エルヴィンが怒る筈もない。
彼は彼女の実直さ、素直さに優しく笑みを零す。
「どうして、私が悩んでいると思ったんだい?」
「えっと……大隊長から、ヒルデブラントで落ち込んでいた時と同じ空気を感じたので……」
「そうか……私はまた、罪悪感を他人に分かる程漏らしていた訳だ……」
苦笑を零したエルヴィン。彼は不安や恐怖や怒りを隠すのは上手いが、罪悪感を隠すのだけは苦手らしく、沈んだ空気をどうしても出してしまう。それに、彼は自分の未熟さを感じながら、上官相手としてビクビクしながらも自分を心配してくれるシャルの頭を優しく撫で、彼女を落ち着かせる。
そして、手を離した彼は、気持ちを整える為、吐息を吐くと、静かに語り始めた。




