2-10 森人の少女
アンリや森人達が少しずつヴンダーの街に馴染んでき始めた中、エルヴィンはふと、フライブルク軍司令部の前にある花壇に、1人寂しく座る森人の少女と遭遇した。
歳はエルヴィンよりも少し上だろう。彼から見れば、綺麗なお姉さんといった感じである。
しかし、その少女の目は、輝かしい美貌に影を差し込ませる程に、まるで全てに絶望した様に虚ろだった。
エルヴィンは、そんな少女の様子を見て、前世の自分の不登校時代を思い出し、見て見ぬ振りも出来ず、彼女の事が心配になり、話し掛ける。
「どうしたんだ?」
「……」
「どこか痛いのか?」
「………….」
少女は一言も話さなかったが、エルヴィンの心配が消える事は無く、彼は諦めずに少女へと話し掛け続けた。
次の日も、次の次の日も、さらに次の日も。
エルヴィンがそうやって毎日話して掛けていく内に、少女の目に光が戻っていった。そして、少しずつ話すように、笑うようになっていった。
エルヴィンと少女が仲良くなり始めた頃、彼に心を許し始めた少女は、自分の事を話し始める。
少女は、森で暮らしていたある日、アンリ達の魔獣狩りに同行し、その途中、魔獣に殺された人間族の死体を見付け、その死体の近くに、その人間族の物と思われる日記が落ちている事に気付いた。
ふと、興味半分でその日記を拾った少女は、日記の中身を読み、そして、目を輝かせた。
そこには、見た事のない未知の世界、森の外の世界について書かれていたのだ。
機関車や鉄でできた船。そして、おとぎ話で聞いた、竜や綺麗なお城。森の質素な隔絶された生活では決して御目にかかれない様々な物に少女の心は踊った。
少女の暮らていた村は、500年ほど前に森に村を作って以来、1部の者を除き、外部との接触は誰もした事がなく、外の世界を知らない少女にとって、それは夢の様な世界で、心震わせてしまうには十分だったのだろう。
そして、もう少し日記を読みたかった少女は、その日記をアンリ達に隠れて家に持ち帰り、何度も読み返し、外の世界に憧れてを抱くようになっていく。
しかし、直ぐに、少女が日記を持ち帰ったことが村人に発覚した。
村では人間族の物を持ち帰ってはならないという掟があり、掟を破った少女は村を追放される事となってしまった。
勿論、父であるアンリを始め、多くの者が反対をしてくれたが、それより多くの者が追放の決断を固めてしまい、少女は村から出て行く事となってしまう。
そして、それを不憫に思ったアンリ達が、少女を心配して付いて行った結果、このヴンダーの街へと辿り着いたのだ。
アンリ達を村から追い出される結果にさせた事、少女はそれを自分の所為だと思っていた。
皆んなは、自分の所為で村に暮らせなくなったのだと、そう考えてしまっていたのだ。
少女の話を聞いたエルヴィン。普通であれば慰める所だろうが、彼は同情すらしなかった。それどころか、強く反論した。
「それは、おこがましい! アンリさん達は自分で、自分の意思で、君に付いていく事を決めたんだ! それをまるで、自分が連れてきてしまったように思うのは、アンリさん達の選択を否定している。尊重していない。それはアンリさん達に失礼だよ!」
エルヴィンの予想外の非難の言葉に、少女は驚き、そして、瞳に涙がを浮かべた。
それに原因を作り出したエルヴィンも驚き、目を丸くするのだが、途端に少女は声を上げ、思いっきり泣き始めてしまう。
突然の少女の号泣に、エルヴィンは戸惑いながら、自分が少し言い過ぎたと罪悪感を抱き謝罪し続けるが、彼の所為ではなかった。
少女の涙は悲しさというより、嬉しさの方が大きかった。
エルヴィンの言葉で肩に乗っていた悪い物が降り、その拍子に、彼女に溜まっていた気持ちが溢れ出していたのだ。
そんな事とは知らないエルヴィンは、困り果て、どうすれば良いか分からず、只、オドオドと挙動不審な動きを繰り返すのだった。
暫くして、泣き止んだ少女。それにエルヴィンはホッと肩を撫で下ろすと、改めて軽く頭を下げる。
「すまない……ちょっと俺も言いすぎた」
「ううん、ありがとう」
人差し指で涙を拭きながら綺麗な笑顔を向けてくる少女に、エルヴィンは感謝される覚えがないので、只、照れ臭そうに頭を掻いた。
「そういえば、まだ自己紹介していなかったね」
エルヴィンは照れ臭さを紛らわす様に話を切り替えた。
「俺はエルヴィン、エルヴィン・フライブルク。オイゲン・フライブルクの息子だ」
「私はアンナ、アンナ・フェルデン、アンリ・フェルデンの娘です」
これが、エルヴィンとアンナの出会いであった。
その日から2人は、毎日一緒に遊ぶようになる。
一緒に街を歩き回ったり、追い駆けっこしたり、隠れんぼしたり。
精神年齢的には20歳を超えるエルヴィンだったが、アンナと過ごす時だけは童心へと帰り、子供としての生活を楽しんだ。
そして、ますます2人の仲は深まっていくのだが、そんな中で、アンナには、エルヴィンに対してある感情が芽生え始める。
頼りなく、だらし無い、けど心優しく、ふとカッコいい時のある、この少し大人びた所のある少年に、少しずつ恋心を抱き始めたのだ。
オイゲン達が森人達と過ごし始め、信頼関係が築かれいったある日、彼はふとアンリに年齢を尋ねる。別に興味という程では無かったのだが、つい気になったので訪ねた、という程度である。
しかし、アンリは当初、話すのを躊躇っていた。どうやら話し難い事らしかったが、彼はオイゲン達への信頼感と、隠し通せる物ではないと、自分の歳を話した。
「76歳です」
「あ〜76……76⁉︎」
オイゲンは驚かずにはいられなかった。明らかに外見と年齢が一致しなかったのだ。
アンリが言うには、森人の寿命は人間のおよそ2倍で、成長もその分、遅いのだと言う。
ちなみにアンナの年齢は27歳であった。
森人の寿命。それを聞いたヴンダーの人々は最初驚き、森人達も、これで人々から疎まれるのではないかと不安になっていた。
普通の人間からすれば、150年以上も生きられる者は化け物以外の何者でもなく、軽蔑や畏怖の対象になりかねないからだ。
しかし、一頻り驚いた街のほとんどの者は、その後も変わらずに森人達と接し続けた。
森人族と街の人々が一緒に過ごした時間は、寿命という違いの壁を壊す程の信頼関係を築くのには十分だったのだ。
何より、領主であるオイゲンの人差別しないという人となりが、街の人々にも影響していたのも大きい。
森人達はこの事で更に涙を流し、街の人々に返し切れない感謝を抱くのだった。
森人について聞かされたエルヴィン達は、少し彼等の事が気になり、森人族に付いて調べ、ある事が分かった。
森人が森の中で隠れて暮らすようになったのは、長寿命による迫害から逃れる為であった。
アンナが破った村の掟も、人間に興味を持ち、人間の世界に足を踏み入れて迫害されるのを防ぐ為だったらしい。
森人達が自ら秘密を明かし、ヴンダーの人々は新たに森人族という仲間を正式に得る事となった。そして、オイゲン、エルヴィン、アンナ、アンリ、皆に幸福な時間が訪れ続ける事となる。
しかし、それも長くは続かなかった。
オイゲンの妻にしてテレジアとエルヴィンの母、ヘレーネ・フライブルクが若くして病死したのだ。




