7-23 敵の通信
世暦1914年10月5日
オリヴィエ要塞通信室。本隊が奇襲に失敗したという報告を受けたバニョレ准将は、不快感を露わにし、舌打ちする。
「折角、此方が御膳立てしてやったのに……ペサック大将の奴め、棒に振りよって……」
出世出来るチャンス。もし、大将が第11軍団を撃破出来ていれば、准将も昇進とまでは行かないが、それに近付く事が出来たのだ。苛立たずには居られない。
「まったく……これではブレスト少佐が浮かばれん。最も活躍したのは貴官で、勝っていれば貴官は昇進していた筈なのにな!」
「お気になさらず。これも【解析者】のスキルがあった故です。あまり苦労はしていませんので、逆に昇進せずに済んでホッとしていますよ。罪悪感に襲われずに済むので」
「そうか? 貴官がそう言うなら良いが……まぁ、戦いは始まったばかりだ。今後も活躍の機会はあるだろう。それに期待だな」
ジャンにとってバニョレ准将は悪くは無い上官だろう。少なくとも、部下から功績を盗む、などに走る劣悪さは無さそうだ。
「運は悪くなかったな……」
安堵を零すジャン。それ程迄に愚かな上官に当たる率が高い、というのが共和国軍の現状であり、これ程度で安堵感を感じてしまう軍の現状に、彼は苦笑も零しかける。
「帝国軍は腐敗している、と耳にするが……此方も言えた義理ではないか」
今度は抑えきれず苦笑を浮かべたジャン。彼も幾度となく劣悪な上官、無能だけならまだ良いが、部下の足まで引っ張る様な上官の下で働いて来たのだ。その事実は彼自身実感していた。
共和国軍の腐臭。それがジャンの鼻を不快に撫でる中、通信兵の1人が突然眉をひそめ、ヘッドホンからの音に耳を澄まし、手元のメモ帳に文字を記録した。
「少佐! これを!」
ジャンを呼んだ通信兵がそのメモを彼へと見せると、思考を皮肉な現実に使っていた彼の眉が、一変して不可解と言わんばかりにしかめられる。
「これは……敵の通信か? しかも、先程我々が解読した暗号で……」
この時、【解析者】で瞬時に暗号文を解読したジャンだったが、眉は更にしめられる。
「明朝、我が軍は"S"を通り侵攻する、か……」
Sが示す場所迄は情報不足により流石のジャンでも分からなかったが、少なくとも敵の行動を示す重要な情報だと見れる。
それを横で聞いていたバニョレ准将は、まだ敵が此方の暗号解読に気付いていない証拠だと、敵の策が筒抜けにになれる証拠だと、盛大に喜んだ。
「これはチャンスだ‼︎ これで俺達も更なる功績を立てられるぞ‼︎」
拳を握り締め、ガッツポーズをするバニョレ准将。
しかし、ジャンの表情には喜びは微塵もない。
スキル【解析者】によりこの情報の穴に気付いたのだ。
「これは我々を撹乱する罠ですね」
「罠だと?」
「はい。そもそも、何故こんな情報を無線を使って流したのか? 両軍団は既に合流している訳ですから、通信傍受を恐れて、伝令を走らせるのが基本ですよ。ワザワザ無線を使う必要は無い。つまり……この通信は味方では無く、敵である我々に聞かせる為の物だと考えられます」
「暗号が解読された事を逆手にとって、此方を騙す気だったと……では、暗号が解読された事を敵は知っているという事か!」
更なる功のチャンスが消えた事に落胆を禁じ得ないバニョレ准将。しかし、敵の思惑を看破した筈のジャンから未だ強張った表情が消えない。
「やはり、おかしい……我々を混乱させるにしてはお粗末だ」
帝国軍が放った伝聞。先程も指摘した通り、流す必要の無い伝聞なのだ。これでは敵に嘘の通信だとバラしている様なものである。
「我々を惑わすなら、もっと良い通信がった筈だが……」
通信兵から受け取ったメモを再び睨みながら、ジャンは中指でズレた眼鏡の位置を戻す。
すると、また通信兵が敵の暗号文を傍受した。
「少佐!」
「またか……」
再び通信兵からメモを受け取り、内容を確認したジャン。
「第10軍団Sへの侵攻準備完了。第11軍団も急がれたし、か……」
欺瞞情報だとは思うが、どうにも何か引っ掛かってならないジャン。
「まずはこのSが何を指すかだな。普通に考えれば、ゲルマン語で南を示すSÜDの頭文字だが……そんな単純な訳はない」
更に、南だけでも爪痕峡谷の南通路か、台地を迂回した南の迂回路か、2通りもある。やはり、情報が不足している。
「現在本隊は峡谷の通路3つ全てに軍を配している。1つに敵が兵力を集中しようと、道幅から大規模な兵力展開は出来ず、互角の戦いを演じられる。つまり、どの道を進もうと此方に負けはない。南の迂回路は言わずもがな此方のテリトリーに入る事になる。流石に哨戒機も飛ばせるから、本隊を動かさずとも南の部隊のみで撃破は簡単だ」
再び眉をしかめるジャン。どの進軍路を通ろうと帝国軍は詰んでいる。確かに突破されはするかもしれないが、犠牲は無視できない物になる。
だからこそ、何処を通ると教えられようが、下手に動かずに居れば、時間は掛かるが勝てる筈なのだ。
「敵の意図が読めない……」
無駄としか思えない敵の行動。しかし、だからこそ嫌な寒気を感じてしまう。
「このやり口、何処かで見覚え……いや、聞き覚えか」
この時、ジャンの脳裏をある固有名詞が浮かび掛けたが、3度目の通信兵の呼び声に掻き消される。
「少佐、新たな通信です!」
脳裏に輪郭だけ映った名に、ジャンは重要性を感じながらも、漫然とした根拠である為振り払い、通信兵からメモを受け取る。
「第11、第10軍団共にSへの突入準備完了、か……」
また無意味な文。これは最早、敵に教えてますよと公言している様なものだ。合流したのならば第10、第11軍団の状態は互いに明確となった筈なのに、何故、ワザワザ報告を送るのか。独立部隊に送っている、とも考えられるが、彼等が峡谷目前で別行動を取ろうが、南の迂回路を除けば、狭い峡谷内で両軍団と合流する羽目になる。此方も意味が無い。
「ならSとは南の迂回路を指すのか……?」
情報を吟味した結果、ジャンはそういう結論に至るのだが、【解析者】のスキルと己が勘が違うと述べていた。
「ならやはり、峡谷となるのか……」
3つのメモを見比べながら眼鏡の位置を中指で直すジャン。そして4度目の通信が彼へと届けられる。
「少佐!」
「4つ目か……」
通信兵から4枚目のメモを受け取ったジャンは、それに目を通し、【解析者】で即座に解読する。
「2106時にて待つ……ん?」
この時、ジャンの脳裏に根幹を突けるかもしれない何かが引っ掛かる。
「この通信……第11、第10軍団に向けたものでは無いな……第11軍団と第10軍団は合流を果たしているから待つという行動は成り立たない。なら、何を待つ気なのか……?」
メモを見比べ、それ等を再び睨んだジャンは、また眼鏡の位置がズレたらしく、中指で戻そうとして、ふと手を止める。
「待て……これは本当に我々へ向けた通信なのか……?」
ジャンはメモをもう1度確認し、地図に記された爪痕峡谷付近に目を向け、そして気付く。
「……そうか……! そういう事か‼︎ 敵が通信を送っていた相手は"ヒルデブラント"か‼︎」
ジャンは再びメモを睨む。
「明朝、我が軍は"S"を通り侵攻する、このSが示すのは第5の進軍路。そして、2106時にて待つ、この待っている物とはその進軍路を通る上で必要不可欠なものだ!」
ジャンは地図の横に立ち、ヒルデブラント要塞に視線を向ける。
正確には、要塞に付属する"軍港"をである。
「"船による海上移動"。敵は海路を使い、本隊背後を突く気なのか‼︎」




