7-15 アンナの代わりに
夜の帳が下された頃、行軍を停止し、少し拓けた場所で、第11軍団は野営陣地を設置した。
そして、簡易的に作られた陣地である為、簡易的な小さな机で、また心の穴を埋めるようにエルヴィンは書類を片付ける。
「今日は、居ない筈のアンナに書類を渡す、なんて真似はしないな……」
そう考え、黙々とペンを走らせるエルヴィンだったが、一定の束積み上がった書類をまた右手前に差し出しそうになり、ふと手を止める。
「あ〜っ‼︎」
エルヴィンは書類を下ろすと、再び苦々しく顔をしかめ、頭を掻き毟った。
「まったく情け無い……本当に情け無い‼︎ たったこの程度の事で根を上げるなんて……」
エルヴィンはまたふと自分の言った内容に違和感を覚え、自然と否定してしまう。
アンナが側に居ない事をこの程度と言って良いのだろうかと。
エルヴィン自身も気付いている。こう疑問に思ってしまう自体が、この自分の有り様を作る原因なのだと。割り切れない時点で、彼女に依存し過ぎている証拠なのだと。
「何をやっても、居ない筈の彼女、その存在を嫌という程感じてしまうな……」
書類を片付ける以外でも、仲間と交友する時、いつもは長引かせて仕事をサボり、アンナに連れ戻される、そんな情景を思い出してしまい、また別にポッカリと穴が空いてしまう。
書類仕事に没頭している方が幾分かマシなのだが、微々たる差でしかなさそうだ。
「アンナが永遠に居なくなった訳じゃないんだけどな……まるで寂しがり屋の子供じゃないか」
何とも幼児臭い自分の精神に、エルヴィンはバツが悪そうに顔をしかめ、頭を掻いた。
「はぁ……これじゃあ身が入らない。気晴らしに散歩でもしようかな……」
悩んだ時、エルヴィンはよくブラブラと散歩する。歩きながら考えを巡らす方が、頭が上手く回るからだ。
実際、それでエルヴィンは良く妙案を思い付き問題解決に至っている。
今回も、そんな風に解決出来る事を願い、立ち上がって、テントを後にしようとするのだが、その前にガンリュウ少佐が訪ねて来た為、机の隣で立ち止まる。
「少佐、何か用かい? もしかして副官が決まったのかな……?」
「そうだ、やっと決まった。お前に決める気も無いから苦労したがな」
「私が原因みたいな言い草だね。間違ってはないけど……」
実際にエルヴィンは、代理の副官に興味は無い。誰が来た所で同じであり、アンナの代わりにはならず、仕事を任せる事務要員になるだけだと分かっているからだ。
「じゃあ、早速その副官代理に会うとしようかな」
「いや、副官達だな。流石にフェルデン中尉並みの事務処理が出来る奴が居なかった。2人付けておいた方が良いだろう。士官を引き抜くのは無理だから下士官だがな」
「そうか……まぁ、仕事が出来そうなら良いよ」
「なら良い」
話に終始興味無さげなエルヴィン。それに嘆息を零すガンリュウ少佐だったが、まだ話しの続きがあるらしい。
「後1人、副官……というより、側付きに近いが、選んでおいた。事務的な事は無理だが、コーヒー淹れや雑用はこなしてくれるだろう」
「アンナにでも聞いたのかい? 私の生活能力の低さ……」
「そう言う訳では無いが、今のお前には従者代理も必要だろう。本当は、こんな貴族の特権に手を貸したくは無いのだがな……」
乗り気では無い様子のガンリュウ少佐だったが、何故か、何処かちょっと楽しそうである。
「先にその従者代わりの子を連れて来たが……」
「いや、良いよ……事務方面の者達だけで……従者代理なんて無駄だろう?」
「じゃあ、ワザワザ帰せというのか? 取り敢えず会っておけ」
そうして天幕を開き、少佐は代理の子を招き入れる。
エルヴィンはその様子を、やはり興味無さげに見ていたのだが、代理の子、彼女の姿を見た瞬間、驚愕に目を見開き、生気の欠けた表情を一変させた。
「ほ、本日付けで、大隊長の従者代理となりましす、シャルロッテ・メールスです……あっ、メールス一等兵であります! 宜しくお願いします! ……致します‼︎」
緊張しているらしく、噛み噛みの台詞で、ぎこちない敬礼を向けるシャルに、状況を飲み込めないらしいエルヴィンは、ガンリュウ少佐へと問いただす。
「一体どういう事だい? 何故、彼女が此処に……?」
「言っただろう? 従者代理を連れて来たと。彼女がそうだ」
「でも……彼女、士官どころか下士官ですらないし……」
「従者に階級が必要か?」
「グッ!」
ガンリュウ少佐に痛い所を突かれ、エルヴィンは気圧されるが、直ぐに立て直す。
「彼女の意思はどうなんだい? 彼女自身が嫌だったら駄目だろう!」
「俺が無理矢理連れて来る様な薄情者とでも?」
「はい、違います……ごめんなさい…………」
ガンリュウ少佐に睨まれたエルヴィンは、流石に彼と言葉で戦っても無駄だと、肩を落とし、シャルへと視線を向ける。
「君は良いのかい……? 衛生兵小隊の仲間達と、少しだけだけど離れる事になるけど……」
「私は大丈夫です。逆に、とても光栄です!」
それはさも喜びに満ちた笑顔を向けられ、エルヴィンはまた気圧されながらも、別の口実を探し出す。
「因みに、衛生兵小隊の奴等からも許可は取ってある。数人が明らかに恨み辛みを叫んでいたが……お前の為だと言ったら、苦々し気ではあったが承諾してくれた」
「けど……」
「彼女の治療技術も聞いている。必要な時に衛生兵小隊に戻らせれば問題ない」
「じゃあ……」
「何でそんな頑なに嫌がるんだ? 問題は無い筈だが?」
尤もな疑問を突き付けられたエルヴィン。何故、と聞かれて答えられる程、彼の理由は言葉にならず、自身で理解していなかった。
それ以外で断ろうにも、思い付く限りの正当な根拠は全て潰されている。
そして極め付けは、嫌われていると思ったのだろう、シャルのションボリと耳を倒し尻尾を垂らす姿で、最早彼の逃げ道は完全に塞がれていた。
エルヴィンは顔をしかめ、頭を掻くと、肩を落とし、諦める。
「わかった……お願いするよ……」
その瞬間、シャルの顔はバァッと花が咲いた様に明るくなり、横でガンリュウ少佐は、エルヴィンに一泡吹かせられた事に、少し楽し気な笑みを浮かべるのだった。




