7-2 戦いの予兆
世暦1914年9月3日
帝都からヴンダーへと戻ったエルヴィンだったが、直ぐに軍に呼び出され、現在ブリュメール方面軍総司令部を訪れていた。
当然、呼び出したのは直属の上官となるグラートバッハ上級大将であり、司令官室にてデスクに座りながら、彼はエルヴィンへとある事を告げる。
「君、中佐に昇進な?」
唐突な辞令に、エルヴィンは冷や汗を流し、戸惑った。
「中佐に出世する様な手柄を上げた覚えはありませんが……」
「私が何も知らぬとでも? エッセン大将から全て聞いた。貴官の功績全て彼にあげたそうだな」
「エッセン大将……」
約束破ったな? と頭を抱えて溜め息を吐くエルヴィンに、グラートバッハ上級大将は苦笑し肩をすくめる。
「あまり彼を責めんでやってくれ。まさかここまで英雄扱いされるとは思わなかったのだろう。罪悪感が重なって、喋らざるを得なかったのだ」
「しかし……大将の功績を消す訳にもいかないですよね?」
「流石にここまで大袈裟に祝福され、実は他者から貰った功なのです、などと言えば、エッセン大将の面目は丸潰れだ。幸い、出世した訳ではないから、貴官を昇進させれば丸く収まる」
「聞く限りでは、そのまま私の出世も無しにしても、別に問題は無いような……」
グラートバッハ上級大将の顔に、有無を言わせぬ威圧的な笑みが浮かび、エルヴィンは観念して肩を落とす。
「そうなると、他の貴族に妬まれるんですが……」
「私の知る所ではない。ここで功ある者を出世させなければ、それこそ軍の面目が潰れる。貴族内の事は貴官がどうにかしたまえ」
非の打ち所がない正論に、エルヴィンは先の不幸を嘆き、また大きな溜め息を吐く。
「でも、結局私の策を採用して勝利した点から見れば、エッセン大将も丸っきり功が無い訳ではないですよね?」
「そうだが、英雄扱いされるには足りんよ。間違いなく、君が英雄として祀られるべきだろう?」
「更に他の貴族達に妬まれろと?」
「だからそれは私の預かり知らぬ所だ」
個人的な事は個人で解決しろと言い張るグラートバッハ上級大将に、その個人の問題を積み上げるのも上級大将だと、エルヴィンは悪態を吐きたくなるのを我慢する。
「話は終わりでしょうか? コレならワザワザ呼ばなくても宜しかったのでは……?」
「そんな訳はなかろう。本題は別だ」
グラートバッハ上級大将の表情が明らかに変わり、その真剣さが伴う姿に、エルヴィンの眉もしかめられる。
「その様子だと、あまり良くない話ですか?」
「そうだ…….此方の話は私にとっても凶報だ」
グラートバッハ上級大将は席から立つと、1枚の指令書を引き出しからデスクの上に置いた。
「出兵が決まった。目標は共和国2要塞が1つ、"オリヴィエ要塞"。我等方面軍のみで陥とせとの事だ」
共和国2要塞の1つオリヴィエ要塞。ヒルデブラント要塞を始めとする帝国3要塞と相対し、ブリュメール共和国の防衛ラインを形成する重要軍事拠点である。
「ヒルデブラントでの傷も癒えない内に出兵……しかも、兵力が温存されている中央軍ではなく、傷が癒えない方面軍で、ですか……防衛戦力を大きく欠きかねない危険かつ無謀な命令ですね」
「中央軍は貴族、権力者の息が最も濃く掛かっている。彼等からすれば、折角の手駒を少しも失いたくはないのだろう。貴族の息が薄い我々ならいくら消費しても良いとでも思っているのだろうな……」
「ちなみに、方面軍の現状は……?」
「第8軍団は未だ司令官が決まらず空席。デュッセルドルフ派とミュンヘン派で新たなポスト争いをしているらしい。第3軍団も兵の再編を急いでいるが……流石に方面軍だけじゃ足りず、中央に要請中。勿論、中央戦力低下を渋って此方も難航しとるよ。まったく……安全な中央以上に常時危険に晒される此方に兵を回すべきだろうに!」
珍しく怒りを表すグラートバッハ上級大将。彼からしても今回の出兵は受け入れ難く、中央の横暴に堪忍袋が限界に達していたのだ。
「まともに動かせるのは第10軍団と第11軍団。幸い、両方共に傷は浅く、召集さえすれば直ぐに出れるだろうが……」
言わずとも分かる。兵力が圧倒的に足りない。
ヒルデブラント要塞程ではないにせよ、オリヴィエ要塞も堅牢である事に変わりはなく、2個軍団や多少独立部隊合わせた程度で陥せる程柔な筈はなかった。。
「無謀な出兵。思惑は戦いの勝利により、自分達の欲望を叶えながらも、民の不満を他に向けさせる為。更にマトモに兵も寄越さぬ、か……これだから欲に塗れた権力者供は度し難い!」
怒り心頭のグラートバッハ上級大将。おそらく堪忍袋の尾が完全に切れてしまっている。
それにエルヴィンは、怒りの沈静化もかね、質問を続けた。
「出兵については分かりましたが……それに我々の部隊も参加せよと?」
エルヴィンの問い掛けに、上級大将は怒りを収めると、いつもの微笑を浮かべ、答える。
「その通りだ。この戦いでも、君の働きには期待させて貰いたい」
「とは言いましても……コッチも兵力が大分減っています。まともに戦えるかどうか……」
「それなら心配はいらん。貴官の部隊には、書類上だけだが兵の補充を済ませてある。中佐になった分、部下達も少し増やしておいた。1個大隊程度なら方面軍でどうにかなるからな。大隊に兵を足す事ぐらいは簡単だ」
「不本意な出世なので、あまり嬉しくもないですが……」
肩をすくめ、苦笑するエルヴィンだったが、その心中はもっと穏やかではなかった。
まだ残っていた休暇が潰された事に不可感はあるが、それ以上に、彼女が怪我の療養で居ない中、隣が空いた中、戦場に行かねばならないのだ。
大事な友人、大事な少女であるアンナが、隣に居ない状態で戦場へ行かねばならないのだ。




