6-72 彼の甘さ
廊下を歩き、少し離れた別室へと優男を連れると、エルヴィン達は別の兵士に後を託して、秘密の通路を抜け、秘密の扉を開け、独房を通り、司令部の建物へと戻り、外に出た。
そして、歩きながら、声の届く範囲に誰も居ない事を見計らい、ルートヴィッヒが彼へと辛辣に告げる。
「お前……甘過ぎるな。あの優男、情報に偽りが無かったら本当に生かす気だろう。これで何度目だ?」
「さて、何度目だったかな……?」
「はぐらかすな……」
ルートヴィッヒの珍しい呆れ混じりの言葉に、エルヴィンは只苦笑を零す。
「つまり、君は私を嘘吐きにしたいのかい?」
「そうしてまで、あんな奴等は情報吐かせた後、即殺すべきだと言ってんだ。敵の間諜なんぞ、生かしても猛毒を腹に一物抱えるもんだからな。あの男も情報吐いたら殺すのが普通だ」
「やっぱり甘いかな……」
「甘くねぇ訳ねぇだろう」
尤もな返しに、エルヴィンはまた苦笑する。
「なんというか……ここで間諜だからって、嘘まで吐いて殺しちゃうと、ズルズルと人殺しに躊躇がなくなってしまう気がしてね……冷徹さを求められる貴族としては、失格かな……?」
「そうだな。完全なる冷酷無比になれとは言わねぇが、中途半端な甘さは身を滅ぼす。お前なら分かってる筈だ」
他人の死に何処か抵抗を示してしまうエルヴィン。理由は分かっている。前世に於ける平和な生活だ。
前世の日本は平和だった。少なくとも、他人の死に対し嘆ける程には平穏な国だったろう。
だからこそ、命の価値は大きかった。戦争で次々と失われゆくこの世界よりかは大きかった。
そんな世界に浸っていれば、誰だって命のやり取りには抵抗を覚えてしまう。根本的に優しいエルヴィンなら尚更だ。
「苦労して耐えられるようになって、まだこれとは……情けない限りだね」
「昔は拷問や抹殺の後、お前吐きまくってたもんなぁ……それに比べりゃ進歩だ」
「それでも、残った甘さでテレジア達が傷付いたら本末転倒だよね……」
エルヴィンの瞳に覚悟を決めたような鋭い光が灯り、それにルートヴィッヒは嘆息を零した。
「今お前……優しさ捨てて、完全なる冷徹になろう、とか考えてるだろう?」
「そうだよ。流石にこれじゃあ、護るべき者を護れない」
「馬鹿かお前は?」
突然の友からの罵倒に、エルヴィンは目を丸くする。
「直球に馬鹿って言ったかい……?」
「ああ言った。お前は馬鹿だ! 護るべき者達の為に優しさ捨てるだぁ? それを馬鹿と言わずなんだ!」
ルートヴィッヒは拳をエルヴィンの胸に当てる。
「お前はお前で良い! 冷徹過ぎず、優し過ぎないが、何処か冷徹で、やっぱり優しい。それがお前で、だから俺はお前に付いて来た。他の奴等だってそうだ! 皆んな今のそんなお前を気に入ってんだ‼︎」
「でも、変わるべき所は変わらないといけないだろう……?」
「変えるべきじゃない所は変えなくて良い。いや、変えるな! お前の美点をワザワザ捨ててどうすんだ‼︎」
「話が矛盾してないか? 冷徹になれって言いたかったんじゃないのかい?」
「違うな。俺が言いたいのはこういう事だ!」
ルートヴィッヒは不敵に笑い、胸を張り、自分を親指で指差す。
「足りない冷酷面は俺に補わせろ! お前の代わりに俺が手を汚してやるよ!」
「いや、それは……」
「俺の手が汚れる事を気にしてんのか? 既に俺の手は真っ赤だって言ったろう? 血が2、3、10滴付いた所で変わんねぇよ!」
「だからって……」
「ウジウジと……他人に遠慮する所は場合によっては美点だがな! 今は汚点だぜ? 頼るべき所は頼れ! 頼る事はソイツを信頼している証だ! だから、ジャンジャン俺に汚い仕事をさせると良い」
ニッと笑みを浮かべるルートヴィッヒ。自分が何を言っているかは分かっているだろう。だからこそ告げている。
エルヴィンは根本的に優し過ぎて甘い。怒りに身を委ねたりしなければ人を直接殺す事が出来ない程に。
これは、領主としてはマズイ。
だが、何も自分が非道になる必要は無い。
そんなもの、他者に預ければ良い。
そんなもの、俺にやらせれば良い。
ルートヴィッヒはそう告げているのだ。
そんな不器用この上ない提案に、エルヴィンは嘆息を零すと、観念するように苦笑も零す。
「そっちの方が他者に手を汚させる分、私の手は醜く汚くなりそうだね……」
「うちにはアンナっ言ぅ、綺麗事を突き付ける生意気な森人が居んだ。それにテレジアちゃんまで居るとなりゃあ、多少汚した所で目立たちゃしねぇよ。逆に綺麗にしてくれる筈だ!」
「そうかもしれないね……」
楽し気に笑い始める2人。
エルヴィンにとって1番の腹心はアンナだろう。しかし、それに甲乙付け難い程にルートヴィッヒも腹心なのだ。
汚れ仕事ばかり任せなければ、もう1人の1番だと、エルヴィンは公衆の面前で語った事だろう。
その後、優男は、主人たる公爵の情報を提供し、男爵領の僻地で、過去同じく情報提供した間諜達と、監視の目に囲まれながら過ごす事になる。
本当に殺されなかった事実に驚きながら、彼は暫く束の間の安息を堪能する事になったのだ。
そして、エルヴィンの甘い判断で生かされた優男達だったが、後にエルヴィンの下で働き、重要な役割を担うようになる。
勿論、それは未だ先の話であった。




