6-65 アンナへ
応接間を後にし、東門近くの病院へと赴いたエルヴィン。彼は受付を顔パスで素通りした後、最上階である3階フロアへと登り、最も隅の病室を訪れる。
そして、それを美しい少女が微笑と共に迎えた。
「エルヴィン、ワザワザ来てくれたんですね」
「来るに決まっているだろう? 私を友人の見舞いにも行かない薄情者にする気かい?」
エルヴィンが苦笑し肩をすくめると、ベットの上で、腰から下をシーツで覆いながら壁に背を預け、少女、アンナはクスリと笑いを零す。
「どうやら元気そうだね……」
「全快はしてませんけどね。1ヶ月は安静に、2ヶ月は戦場には行くな、だそうですから……」
「そうか……なら2ヶ月は街で療養だね」
優しく笑みを向け、隣の木製椅子に座ったエルヴィン。すると、アンナは顔と目を伏せ、心配する様に、探る様に言葉を紡ぎ始める。
「エルヴィン、やっぱり私は貴方の足を引っ張っているでしょうか……?」
「何だい、いきなり……?」
「クライン市民を見捨てようとした時も、暴動に加担した者達を殺そうとした時も、私は貴方を止めました……貴方の身を粉にした決断を棒に振らせたのです。そして……もしかしたらそれ等は、領主としての貴方にとって、するべき行為だったのでは、と考えてしまうんです」
アンナの唇が後悔する様に結ばれる。
「領主である事がどういう事か。それは私だって分かります。綺麗事で済まない場合がある事も分かります。私が止めたのは、もしかして綺麗事では済ましてはいけないものだったんじゃないかって……皆んなを危険に晒す行為じゃないかって、怖くなったんです」
アンナはシーツをギュッと握り締める。
「もしそうなら、貴方に綺麗事を強要する私は邪魔に思えて仕方ないんです! 貴方の隣に居るべきじゃないと思えて仕方ないんです! 私は貴方が非道になる姿を見たくない! また同じ様な事が起きたら絶対に私は貴方を止めます! だから……邪魔だと思ったら私を切って下さい。貴方の足枷にはなりたくありません……」
今にも泣きだしそうなアンナ。怪我を受けた事によって気が弱くなり、今迄溜め込んだ不安が溢れてしまったのだろう。
しかも、自分が綺麗事をエルヴィンに貫かせ、傭兵達と戦う道へと進んだ事で、テレジアを危険な晒し、男爵領に負傷者を出させ、フライブルク軍の仲間を多く戦死させてしまった。
自分のワガママの所為で多くの者達を不幸にしてしまった。
ありとあらゆる負の面が見えて来てしまい、アンナは胸が締め付けられる様な後悔に苛まれていたのだ。
諦めが微かに感じられる表情で、暗い表情で答えを待つアンナ。もう切られる気で居るのだろう。
それに、エルヴィンは大きな溜め息を吐くと、呆れ気味に目を細める。
「君さ……結構、馬鹿だよね?」
「……なぁ⁈」
「言わせて貰うけど、君が面倒臭いのは前々から分かってたし、それにより悉く私の邪魔をして来たからね? 何で今更そんな事を聞くのか理解出来ない。遅すぎるよ」
「それは……」
図星を突かれ、言い淀み、しょんぼりするアンナ。それに、エルヴィンは再び大きな溜め息を零す。
「ハッキリ言おう。君は面倒臭い! 君の所為で出来ない事はいくつもあるし、君が居る事が私の不利になる事は沢山ある! そもそも、貴族である私に綺麗事を求めている時点で君は領主の右腕として最悪だ!」
手厳しい言葉の嵐に、アンナは更にションボリと表情を沈ませる。
「私は領主で貴族だ! 冷徹さを求められる貴族であり、当然流血を必然的に、意図的に他者に強いなきゃならない。なのに、君はその流血自体を駄目だという。これが面倒臭くて、邪魔でなくて何だと言うんだ!」
更なる手厳しい言葉の嵐に、アンナの瞳には僅かに雫が湧いて来る。
「だけどね。それでも君は、私にそれ等を補える程に大事なものをくれる。隣に居て欲しいから、私は君を隣に居させて来たんだ」
その言葉にアンナの表情に少し光が差す。
「君は勘違いしているようだけど……結局、君の意見を通すかは私の裁量だ。クライン市民を助けた事も、暴動に加担した奴等を殺さなかった事も、結局は私が決断した事だ。それがもし間違いだったとしても、それは君の意見を見極められず、割り切れず、切り捨てられなかった私の責任なんだよ」
「エルヴィン……」
「それに、面倒臭さで言ったら私も負けてはいない。冷徹であるべきだと分かっていながら、全然冷徹になりきれず、命を失わせる事に抵抗がある。決断したとしても、結局後でウジウジして悩み、後悔し、君達へ弱音を零すんだ。まるで自分は苦労してますよ、という自己満足を、他者へ許容させようとするんだ。真に苦労するのは、私の決断に左右される罪無き無辜の民達だと言うのにね……」
エルヴィンは自虐的に苦笑する。
「こんな子供みたいな私もそうだし、ルートヴィッヒだってそうだ。女漁り好きのクズ。面倒臭い訳がない。人は皆、基本面倒臭い生き物だ。例外なんてない。その上で、人の面倒臭い所を見た上で、その人と一緒に居る事を決めるのは自分自身だ。その人の面倒臭さを受け入れられるかを決めるのは自分自信だ。だから……」
エルヴィンはアンナへ暖かみのある微笑みを向ける。
「私は君の面倒臭さを承知で、君が隣に居て欲しいと思っている。それは変わらないし、変える気もない。そもそも、私が君を手放す事に君の意思は関係ない。それを決めるのは私だ! 君が私から離れたいと言うまで、君を私の隣に居させ続ける。ずっとそのつもりだよ?」
エルヴィンはアンナを手放す気はない。隣から遠ざける気は微塵もない。
確かに彼女の様に、自分の決断を覆そうとする者は正直言って邪魔だ。独裁的な差配をするのには害でしかないだろう。
しかし、だからこそ彼女には隣に居て欲しい。間違った決断を間違いだと言って欲しい。
独裁的に差配し続け、遥か先を目指し突き進むのは楽だろう。しかし、他の者が付いて来れるかは別だ。
1人突き進み続け、他者を置いていき、最後は独りぼっちになる。かつての独裁者達がそうであったように、最後にはそれが己が破滅を生む。
そうはなりたくない。何より独りぼっちになりたくない。
子供の様な願いだろう。彼も自覚している。それでも彼にとっては重要だった。
そして、それには枷が必要だ。自分が他者を置いて行かず、突き進み過ぎない様な枷が必要だ。
それこそがアンナなのだ。エルヴィンにとってアンナは独りぼっちにならない為の枷なのだ。
自分の願いを叶える存在。それがアンナなのだ。
エルヴィンから告げられた事。それにアンナはシーツを掴む手を緩ませると、言葉を紡ぐ。
「エルヴィン……これかも私は、貴方に面倒を強います。それでも隣に居て良いですか……?」
「良いよ……」
「本当に良いですか……?」
「良いよ。……君、何げに心配性だよね?」
「それも私の面倒臭さでしょう?」
悪戯っぼく微笑むアンナ。その笑顔は晴れやかで、本当に綺麗なものだと、エルヴィンはふと思ってしまうのだった。
アンナが明るさを取り戻した所で、エルヴィンはもう1つの用事を思い出す。
「確か、ここに入れた筈……」
エルヴィンはズボンのポケットに手を入れると、1つの小さな箱を取り出した。
「何ですか、それ……?」
アンナが首を傾げ、その箱に目を向けると、エルヴィンが蓋を開け、その中身が姿を現わす。
すると、その中身が写された彼女の目。それが驚きに見開かれる。
箱に入っていたのは緑色の髪飾り。テレジアに貰ったものと同じ蝶形ではあったが、それよりも小さく、描かれた模様も異っていた。
「エルヴィン、これは?」
「実は……君の髪飾りを踏んで壊してしまってね。修理も頼んだんだけど、粉々になり過ぎて直せないって言われてしまって。お詫びとして代わりの、似た感じの物を買ったんだけど……すまない。同じ物を見付けられなかった」
申し訳無さそうな顔をしながら髪飾りを渡すエルヴィンに、受け取ったアンナは、それを優しく両手で抱き、とても嬉しそうに口元を綻ばせる。
「これが良いです……素敵なプレゼントをありがとうございます……」
やはり、申し訳なさそうに苦笑しながら頭を掻くエルヴィン。そんな前でアンナは、テレジアから貰った物よりコッチの方が嬉しいと感じた事に、ちょっぴり罪悪感を感じた。
「それにしても……よく私の髪飾りって分かりましたね。しかも、形まで……粉々だったんですよね?」
「それはあの時、君がその髪飾りを着けていたからだよ」
「気付いてたんですか……?」
「流石に、いつもと違う格好だから気付くよ」
「そうですか……気付いてくれてたんですね……」
アンナの口元が更に嬉しそうに綻ぶと、彼女は早速貰った髪飾りを着けてみる。
「どうですか……? 似合ってますか……?」
「似合ってるよ。凄く似合ってる……」
微笑を浮かべ、褒めるエルヴィンに、アンナはそれは嬉しそうな、満面の笑みを零す。
「エルヴィン……」
「何だい?」
「テレジア様にも御会いになってあげて下さいね?」
「わかってる……」
エルヴィンはふと少し後悔混じりの笑みを零すと、やれやれと微笑を向けて来るアンナを背に病室を後にするのだった。




