6-44 子守唄
世暦1914年8月17日
再び傭兵達とフライブルク軍による戦端が開こうかとしていた朝、1人の少女が西門司令部へと赴いた。
「すまないね、急に呼び出してしまって……」
「私に何かやれる事があるから呼んだんですよね? だったら守る為の力になれるので光栄です」
エルヴィンが出迎えた少女、アンナは少し明るく微笑を浮かべる。想い人と2日振りに会うのが嬉しいのだ。
「で、エルヴィン……私は何をすれば良いんですか?」
「精霊魔法を使って欲しいんだ」
「それは構いませんけど……傭兵全員に使うとなると、その……」
「わかってるよ。治安維持はルートヴィッヒに任せるさ」
精霊魔法使用後、彼女は間違いなく治安部隊の指揮を一時的に出来なくなる。
そうなると、隊長達にその指揮を任せるしかなく、必然的に唯一魔術師であるルートヴィッヒが選ばれた。働かせ過ぎたので多少の休息も含ませての配置でもある。
最強戦力を前線から外すのは痛手だが、今からアンナに使わせる魔法を考えれば、彼が離れても戦線は維持可能だった。
「じゃあ、早速御願い出来るかな……?」
「わかりました」
笑みを浮かべ、承諾したアンナ。エルヴィンが先にテントを出て、その背中に付いていく彼女だったが、少し残念そうに目を伏せ、ブロンドを彩る髪飾りへと触れる。
「やっぱり、気付いて貰えなかったな……」
いつも少し長めの髪を後ろで縛っているアンナ。今回はそれとは違い、テレジアの指示通り髪を解いて髪飾りまで付けていたのだ。
「可愛いとか、褒める事は期待してなかったけど……気付くぐらいはして欲しかった」
鈍感なエルヴィンに向けるには酷な願いだとわかっている。けど、アンナはそう思わずにはいられなかった。
傭兵達は散々苦い屈辱を浴びせるヴンダーの街を睨み、怒りを戦意に変える。
「野郎供! 今日こそ城壁を突破し、街を悲鳴と残虐の泉に変えてやれぇえっ‼︎」
「「「オオオオオオオオオオオオオオッ‼︎」」」
大柄の団長を筆頭に、揚々と武器を掲げる傭兵達。今日こそは勝つ、そんな意気込みが簡単に見てわかる。
しかし、やはり無精髭の団長は冷め切っていた。
「はぁ……本当に学習しない馬鹿供だ。普通に力押しして勝てる訳ねぇだろ。何を学んでんだ」
「いや、今回は勝てるかもしれんぞ?」
「無理無理。こっちの兵力どんだけ減ったと思ってんだ。その消費量考えれば十分不味い事がわかるだろう。それを、同じ戦法で延々と……同業者として頭が痛い」
「その分、敵は疲労困憊かもしれんぞ? そしたらコッチにも勝機はある」
「あるかもしれんし、いずれは現れて勝つだろうよ。だが、やっぱ策は変えぬぇと。真正面から馬鹿正直に攻めたらこれまでと同じ犠牲量で終わりだ」
「だから俺達は、今は待機する、と……」
「ああ……そろそろ、な」
無精髭の団長が不敵に笑みを浮かべ、仲間がそれに苦笑を浮かべる。敵に仕掛けた猛毒がジワジワと現れると考えていたからだ。
しかし、直ぐにその笑みは崩された。
どこからか戦場には似合わぬ綺麗な歌声が聞こえて来たからだ。
傭兵達は突然聞こえ始めた謎の歌声に、皆、首を傾げ、音源を探すべく辺りを見渡す。
「何だ? 何処からだ……?」
戸惑い、困惑しながら歌声の主を探す傭兵達。そして、その内の1人が城壁の上に佇む少女の姿を目にした。
風に揺れる淡い金髪の髪、そこに添えられた瞳と同じ緑の髪飾り、流石に遠くて耳までは見えず森人とは分からないが、間違いなく美人だとはわかる。
綺麗な歌声と合わさり、城壁の上の少女が放つ美しさに、傭兵達は獲物を見付けたように欲望丸出しの舌なめずりした。
「犯し甲斐のある女が来たぞ!」
「やっほ〜っ! アイツは俺のもんだ‼︎」
美しい少女の登場。それは、傭兵達の欲望を盛大に刺激し、彼等の戦意を大いに高めた。
「あの女を捕らえて犯しつくせぇえっ! 早いもん勝ちだぁあっ‼︎」
その声を皮切りに傭兵達は一気に城壁へと肉薄し梯子を掛けよじ登る。普通ならば白兵戦特化の魔術兵だけなのだが、通常兵も沢山含まれていたのは言うまでもない。
そして、城壁に佇む美しい少女を目指し、欲望で穢れきった双眸をギラつかせて、梯子を猛スピードで駆け上がった傭兵達は、遂に城壁へと手を掛ける。
しかし、突然、最前の傭兵達の動きが止まった。
「おいっ! 何止まってやがる! さっさと登れ‼︎」
後ろでつっかえた傭兵達が、止まった奴等へと罵倒を飛ばし、怒りを零す。
すると、止まった奴等が、まるで力が抜け落ちた様にダランとしたと思ったら、次々に地面へと落ち始めた。
まるで怪異にも近い意味不明な光景に言葉失う傭兵達だったが、同じ症状で落ちていく者達が続出し、梯子に登っていたほとんどの者が地面に落下する。
それだけではない。下で待機していた傭兵達まで次々と脱力と共に倒れだし、城壁に近しい傭兵達はほぼ全員が意識を消失していった。
「どういう事だ……?」
待機を決め込み最後尾に居た為か、症状が出ていない無精髭の団長は、目の前の光景に同じく言葉を失う。
「呪いか? いや、魔法? しかし……」
「どうする? 俺達もああなるぜ?」
「いや、どうやら大丈夫そうだ……」
倒れ気絶した傭兵達。しかし、無精髭の団長を始め全員がそうなった訳ではなく、普通に立っているものは大勢居た。
しかし、やはり城壁へと近付くにつれ昏倒している人数は比例して多くなり、これが魔法によるものである事を証明するように、魔法にも耐性を発揮する身体強化発動中の魔術師は比較的立っている者が多い。
「精神干渉系、いや……"催眠"か。原因は間違いなく……」
無精髭の団長は城壁上の少女を見上げる。
そう、傭兵達が昏倒した原因は、少女、アンナの精霊魔法により彼等を眠らせたからであった。
「おそらく、これはあの女の魔法によるものだ……」
「おいおい! そんな魔法聞いた事ねぇぞ! しかも、この場の傭兵の大半を眠らせるなんぞ!」
「普通の人間が出来る芸当じゃねぇわな。なんせ、人間じゃねぇ。あの女は森人だ!」
「魔法適正の高いあの森人か!」
「まったく……あの化け物剣士といい、強力な魔導師森人といい……どうなってんだこの街は! それに領主まで司令官的化け物とか、間違いなく攻めるべき街じゃなかったな……」
苦笑し冷や汗を垂れ流す無精髭の団長。彼の目にはヴンダーの街が古に聞く魔王城の様に見えてしまっていた。
「これ……負けるかもな……」
深刻さを物語る眉間や双眸とは裏腹に、彼の口元には愉快そうな笑みが浮かんでいた。
城壁の上で歌い続けるアンナ。彼女の周りは淡く緑色に光輝いており、同じく緑色の小さな複数の球が彼女の周りでダンスする。
彼女が奏でる歌こそ、精霊魔法の詠唱であり、精霊に捧げる賛美歌なのだ。
今回捧げている歌は⦅不休者達への子守唄⦆。催眠効果のある魔法の詠唱である。
緩やかで静かな曲調と、それを紡ぐ彼女の美声に味方も心が癒され、幻想的な彼女自身の美しさにやはり魅了もされてしまう。
男の兵士達は、彼女がエルヴィンを好きだと知らなければ、思わず告ってしまう所だろう。
そして、そんな綺麗な姿も、彼女の声が止むと共に終わりを告げる。
精霊魔法も所詮は魔法。魔力は当然消費され、1万以上も残る傭兵達へと使った分、更にその消費量は尋常では無い。
また、精霊魔法の欠点とも言えるのが燃費の悪さだ。使う魔法によっても違うが、保有魔力の多い森人でさえ、最低3割の消耗を強いられる。
だから、精霊魔法を使い終えたアンナの魔力は空であり、彼女は顔を青くしながらふらつき倒れそうになると、それをエルヴィンが抱き止めた。
「お疲れ様……すまないね、無理させてしまって」
「いえ、少し休めば大丈夫です」
「君のお陰で傭兵の半分近くは無力化出来た。これなら今回の犠牲も少なくて済みそうだ」
「それは、良かった……です…………」
ふと、アンナから完全に力が抜ける。魔力を使い切ると、かなりの疲労に襲われるので、同時に強烈な眠気にも襲われるのだ。
アンナはエルヴィンに身を預け、スヤスヤと寝息を立て始める。
そんな気持ち良さそうに眠る彼女へ、エルヴィンは労う様に笑みを向けた。
「ありがとうアンナ……君にはやっぱり、助けられてばっかりだ」
エルヴィンはアンナの頭を優しく撫でると、彼女を背負い、城壁を降りていった。
ふらついた拍子に落ちた、彼女の髪飾りに気付かぬまま。




