6-36 種火
世暦1914年8月15日
市民により結成された義勇軍も加わって、西門にて敵傭兵との戦いが再開された頃、避難民が集まる東門前広場では、朝食の配給が行われていた。
「どうぞ」
「ありがとうございます、テレジア様」
男爵領民により結成された避難民相手のボランティア。その中にテレジアも居り、彼女は暖かみのある笑顔を振り撒きながら配給の御手伝いを行なっていた。
「テレジア様、そろそろ休憩なさってはいかがですか? 私が代わりますよ」
「そう? じゃあ、お願いします」
律儀にボランティア市民へと軽く頭を下げたテレジア。些細な優しさを感じさせる仕草で、場の空気も暖かくしながら、彼女は休む為、木陰へと足を運ぶ。
「ふぅ……疲れた」
「御苦労様です」
木陰に腰を下ろしたテレジアに、アンナが水筒をそっと差し出した。
「ありがとうございます、アンナさん」
「いいえ、当然の事です」
アンナはニコリと笑みを浮かべ、テレジアは早速貰った水で喉を潤す。
「すいませんアンナさん。私のワガママに付き合って貰っちゃって」
「いいえ、御立派ですよ。貴族令嬢であるテレジア様が、民と同じ場所に立って、民の為に働いているのです。貴族令嬢で無くとも、賞賛されるべき行いです」
アンナの褒め言葉に、テレジアは嬉しそうに微笑みながら、兄と似て自惚れず、首を横に振った。
「兄さんは領主の立場として、当たり前のように領民に尽くして来ました。それなのに、兄さんの妹である私が民の為に何もしないなんて、駄目だと思うんです。それに……」
テレジアは西の方、エルヴィン達が今戦っている西門の戦場を、建物に遮られながらも遠目で見詰める。
「これぐらいでしか、兄さんを助ける事は出来ないから。力になれる事は無いから。そうしないと、私は兄さんに置いていかれる気がするんです。だから……頑張らないと!」
両手を、決意を掴むように握るテレジアに、アンナは優しく微笑みかける。
「テレジア様は今迄でもずっと、あの人の力になれてますよ」
「そうですか……?」
「そうです。それに引き換え……」
アンナは少し拗ねるように口を尖らせる。
「せっかく仲直りできたのに……あの人、まるで遠ざけるように治安維持を任せるんですよ? もう少し配慮しても良いと思いませんか?」
「それは……」
「わかってます。信頼してこの仕事を任せたんだって事は……。でも……やっぱり、あの人と出来るだけ一緒に居たいんです」
恋する乙女の様に胸に手を当てるアンナだったが、ふと我に返り、慌てて両手を振る。
「申し訳ありません、テレジア様! こんな愚痴みたいな事を……」
滅多に見せない少しお茶目な森人のお姉さんに、テレジアは微笑まし気に口元を綻ばせると、立ち上がり、彼女の顔を見上げる。
「アンナさん……前にプレゼントした髪飾りは持ってますか?」
「ええ……御守りとして胸ポケットに……」
それを聞いたテレジアは突然、悪戯気な笑みを浮かべながらアンナの胸ポケットを漁り、例の髪飾りを取り出す。
そして、少し戸惑うアンナの髪を解くと、綺麗なブロンドに髪飾りを付け加えた。
「今回だけ、軍服での着用を認めます! だから……休憩中にでも、兄さんに会いに行って、珍しい姿で驚かせてあげて下さい!」
「でも、戦い中に不謹慎では……」
「良いんです! 戦い中の張り詰め過ぎた空気を解くのも重要な筈です!」
的確に見事な言で突いてくるテレジア。戦場にも出た事がない彼女から出るとは思えない指摘に、アンナはやっぱりテレジアに彼の姿が重なって見えた。
「テレジア様って、結構策士ですよね……」
「当然です! だって兄さんの妹ですから!」
胸を張って軽く威張るテレジア。実はエルヴィンの書斎の本を読み漁って得た知識を元に考えた事だが、知識から思い付くだけでも見事である。
そして、アンナは髪飾りに触れながらニコリと微笑み向けた。
「では、御言葉に甘えさせていただきます」
「はい! 頑張って下さいね?」
テレジアはクスリと笑みを零した。彼女にとってアンナは慕うべき姉の様な存在。兄とくっ付き本当の姉になって欲しいと、密かな願いを持っていたのだ。
「アンナさん。お取り込み中の所申し訳ありません!」
少女2人がエルヴィンを話題に楽しく会話していた時、兵士が1人アンナの下へ駆け込み、それに彼女は気を取り直して、仕事人としての真面目な表情へと変える。
「何かありましたか?」
「はっ! 実は……例のアレが、また……」
兵士からの報告に、アンナは頭を抱える。
「またですか……」
アンナは吐息を吐き、気持ちを整えると、テレジアへと向き直る。
「申し訳ありませんテレジア様。少し席を外さねばならないようです」
「お気になさらず。アンナさんもお気を付けて」
アンナは笑みで返事をすると、兵士へテレジアの護衛を任せ、問題が起きた場所へと向かった。
「おい! ふざけるな! 何で獣人がご飯なんぞ配ってるんだ‼︎」
「そうは言われましても……」
「不味くて食えるかこんなもん! もっと美味い飯出せ‼︎」
給仕に怒鳴る男。飯を貰っている立場でありながら文句を吐き、言い分も明らかに同情し得ない幼稚な物であった。
そんな稚拙な問題人に、アンナは後ろに立つと、彼の肩を叩いて制止する。
「騒ぎを起こすのはやめて下さい。どうか冷静に」
「軍の奴か……俺は只、穢らわしい獣人が飯を作る事によって、不満を抱く人間が居ると警告したまでだ!」
「それをやめて下さいと言っているのです。貴方方は助けられている立場の筈。この街にはこの街の在り方、ルールがあります。それに従っていただかねば困ります」
正論で諭されつつも不満は治らない男。しかし、軍の人間と戦って勝つ自信が無い彼は、自分の非を認める事なく、不快気に去っていく。
「はぁ……本当にまた、だった……」
問題を解決したアンナだったが、彼女は大きな溜め息を零した。
何故なら、クライン市民を保護して以来、こんな風な問題が数十件近く起きていたのだ。
ある者は待遇に差があると不満を言う。
ある者は別の街の者と対立し喧嘩を起こす。
またある者は泥棒を働き軍に捕まえられる。
そして、それ等問題を引き起こす者の多くが、クライン市民によるものであった。
「クライン市民による事件や問題が後を絶たない。何でこう、自重してくれないんだろう……」
避難民である以上、不自由な生活を強いられ、文句が湧くのは当然である。
しかし、彼等は助けられている身、迷惑が掛からないようある程度は我慢するのが筋である筈なのだ。
実際、同じ避難民であるドライ市民や村人達は、全くではないが、それに近しい程に問題を起こしてはいない。
領主が同じ人物という理由も確かにあるが、他人への迷惑に躊躇いがない時点でクライン市民には問題がある。また、その頻度が増していっている為、不安が募るばかりであった。
「暴動まで発展しないよう、気を引き締めないと」
切実に願うアンナ。外敵はエルヴィンが何とかしてくれる。戦いの道へと進めた責任がある以上、せめて治安だけは自分が何とか守ろうと、彼女は硬く決意を新たにするのだった。




