6-32 小さな叛逆
西門前仮設司令部。エルヴィンは未だ居座るクライン市民の対応に追われていた。
「ルートヴィッヒ、彼等に退去する気配は無いのかい?」
「無ぇな。おそらくだが、他に行く当てが無ぇんだろう。街に入れて貰えるまで居座るぜ、ありゃあ……」
「そうか……出来れば早く立ち去って欲しいんだけどね……」
彼等を助けるという選択肢は、やはりエルヴィンには無い。彼等を2万の兵へ生贄に捧げるというのは確定事項であった。
そして、だから立ち去って、目の届かない所で殺されて欲しかった。残酷、非道極まる御願いだが、街の者達に彼等の断末魔を聞かせたくはないのだ。
「ルートヴィッヒが発砲してくれたお陰で、門を抉じ開けようとする者は居なくなった。恨み役を任せてすまない……」
「御気遣いなく。嫌われんのには抵抗ないんでね」
「メンタル強いなぁ……」
「全員に全員好かれる訳じゃねぇし。今回、俺に度が付く程嫌う奴等が増えるだけだ」
平然と笑みを浮かべるルートヴィッヒ。しかし、次に、彼は少し同情気味にエルヴィンへと視線を向ける。
「逆に、俺はお前が心配なんだがな……」
「心配される程、弱ってるとは思わないけど……」
「多少は弱ってんだろ? それを放ったらかしてる時点で不味いだろう。解決してねぇ訳だしな」
図星を突かれ、エルヴィンは困った様に頭を掻く。
「やっぱり……アンナに叩かれたのが効いてるらしい……」
「だろうな。基本、お前は他人からの口撃には強いが、身内からの口撃には極端に弱い。特に、テレジアちゃんやアンナからのものはな」
「あははは……情けない限りだね」
元気の欠けた笑いを零すエルヴィン。彼は基本、他人に興味がない。
他人は所詮、他人であるという考え方を持っており、他人に言われた事、罵倒、悪口などは、何も知らぬ奴等の戯言として歯牙にも掛けないのだ。
しかし、事、大事な存在。親友、家族などからともなると、他人とは言えなくなり、自分の事をわかっているが故の言動となる為、急所に大打撃を食らう事になるらしい。
だからエルヴィンは、アンナからの非難に対して、見た目以上にダメージを負っていたのである。
「アンナは小さい時から一緒に居た掛け替えの無い友達だ。しかも、滅多に離れる事のない親友だ。だから……彼女に嫌われたかと考えると、ちょっと滅入る」
苦笑するエルヴィンに、ルートヴィッヒは肩をすくめる。
「だが、クラインの奴等を見殺しにする事は変わらねぇだろ?」
「それだけは変えようがない。例え嫌われても、それが私の中で最善である以上、変える訳にはいかないさ」
領主としてエルヴィンは領民を守る為に決断をした。そして、その領民の中に、クラインの人々は当然含まれない。
彼等が領民に間接的にだが害をなす以上、見捨てるという行為に躊躇などなかった。
しかし、罪悪感はどうしてもある。
エルヴィンも彼等を助けられるなら助けたいのだ。
「ま、無理だけどね……」
己が願いを軽々しく吐き捨てるエルヴィン。彼の瞳からは迷いが消え、感傷に浸る時間の終わりを告げる。
「ルートヴィッヒ……第1部隊に戦闘準備をさせてくれ。明日、2万の敵がクラインの人々だけじゃ飽き足らないようなら、戦闘もやむを得ないだろう」
「俺達だけで勝てるとは思えねぇが?」
「敵がクライン市民を嬲っている時、奇襲で敵司令官を狩るのさ。楽しんでる時は油断するしね。その前には、敵が街を攻めるかどうかはわかるだろう」
「了解……あんま無理すんなよ」
「しなきゃやってられないさ」
やはり何処か寂しさを伴う笑みを浮かべるエルヴィン。そんな彼をやれやれと眺めつつ、ルートヴィッヒはテントを後にしようとして、天幕に手を掛けたまま外を見て固まった。
「おいおい……マジか……」
ルートヴィッヒは驚いた様子で、しかし、少し嬉しそうに、愉快そうに口を綻ばせながら、背後の主人へと顔を振り向ける。
「御領主様、お客様ですぜ」
何故か楽しそうなルートヴィッヒに、エルヴィンは首を傾げつつ、天幕に手を掛け、テントを出て、そして、驚愕する。
「これは……いったい…………」
エルヴィンの目の前。そこには、ヴンダー市民及び避難してきたドライ市民や村人達が、全員ではないが、エルヴィンが居たテントを取り囲むように集まっていたのだ。
面食らい、口を開け立ち尽くすエルヴィン。すると、市民の中から、1人の森人の少女が紙の束を持って、彼の前に現れた。アンナである。
「御領主様、ヴンダー市民及びドライ市民、近郊の村人達。合わせて約5万人、現在この街にいる約3分の2の署名です! 御受け取り下さい!」
アンナが紙の束を差し出すと、エルヴィンは戸惑いながら受け取り、未だ解決せぬ疑問を整理する。
「アンナ……これは何の署名だい?」
「街の外、西門前に滞在するクライン市民約1万、彼等を……」
アンナは一呼吸起き、意を決して告げる。
「"保護する事を願う者達の署名です"御領主様、どうか、彼等を救ってあげて下さい!」
エルヴィンの目が驚きに見開かれる。
アンナが自分の非道な決断を知ったのが昨日。それから僅か1日足らずで、5万人もの署名を集めた事に驚くべきだが、何より5万人もの反対者が居る事に彼は驚いた。
自分の非道な決断を知った所で、それは所詮他人事でしかなく、助けたら自分達が危険に晒されるのだから、無視するのが普通なのだ。
しかし、彼等は動き、反対した。予測と現実が離れ過ぎている。
彼等が動く理由がない。クライン市民を助ける意味がない。
「聞きたい……何故、自分達の身を危険に晒すと分かっていて、署名したんだい……?」
エルヴィンから発せられた問い。どうしても気になってしまう疑問。
それに対し、市民達は揚々と答える。
「もし、彼等を見捨ててしまったら、俺達は胸を張って生きられなくなりますよ」
「それに、あまり領主様にそんな決断はして欲しくない。貴方には自慢の領主であって欲しいです」
「我々の領主様は偉大な方だぞと、彼等にも知って欲しいんです!」
口々に出てくる様々な理由。しかし、彼等を突き動かした根幹は、皆一致していた。
「「「我々が領主様なら、彼等だって救える筈だ!」」」
期待、尊敬、崇敬、崇拝、市民達がエルヴィンに向けるものはそれ等だろう。
これは間違いなく過剰だ。彼の能力にだって限界はあるし、出来ない事は当然多いのだ。
だからこそ、彼等の思いは痛かったし、辛かった。
"普通なら"
彼等はエルヴィンが万能でない事を知っている。知った上で、クライン市民も救えると思っていた。
これは最早、希望的観測ではない。れっきとした事実なのだと、彼に教えていたのだ。
彼の力はこんなものではない。彼の実力はこんなものではない。
そんな自信を市民達は持っていたのだ。
ある意味無慈悲。エルヴィンの身を焦がす決断を全否定する蛮行。怒りを起こしても文句など言われない所業だろう。
そして、震えるエルヴィンの肩。
しかし、これは怒りではなかった。
「あははははははははは‼︎」
エルヴィンは、愉快そうに、嬉しそうに、楽しそうに大笑いし始めたのだ。
「まさか、こう来るとはね。予想外だよ……」
笑いを少し堪えながら、エルヴィンは市民達を扇動した首謀者へと視線を向ける。アンナへと。
「これが君の考えた私への叛逆という訳か……」
「私が考えた事ではありません。妹君が企んで、それを実行させていただいたものです」
「やれやれ……私の近辺は叛逆の種で一杯だ」
言葉とは裏腹にとても楽しそうなエルヴィン。
彼は嬉しかったのだ。
自分がクライン市民を助ける口実を作ってくれた事が。
自分の決断を真っ向から潰してくれた事が。
何より、それを主導したのが大切な存在達だった事が。
そんな彼へ、主犯の1人たるアンナは、悪戯っぽく微笑みかける。
「どうしますか……? 嘆願書を蹴って、私を左遷しますか……?」
「やらないし、出来ないよ。守るべき対象たる市民達にここまでされちゃうとね。受け入れるしかないよ」
署名の束を見せるエルヴィン。やはり、その表情は明るい。
「ルートヴィッヒ」
「何ですかな?」
「アンリさんに伝えてくれ。"西門を開けるようにと"」
「つまり……?」
「クラインの人々を保護する!」
エルヴィンから告げられた命令。それに、兵士達の表情には罪悪感から解放された笑みが浮かび、市民達からは歓喜の声があがる。
そして、彼は少し心配気味にもう1度アンナへと向き直った。
「アンナ……私は君に嫌われたかと思っていたよ……」
「まだ、許した訳ではありません。ですが……」
アンナはエルヴィンへと向き直り、とても美しく、優しい笑みを向ける。
「私は貴方の隣に居ると決めました。だから、貴方がどんな非道な事をしようと、受け入れ難い事をしようと、私は貴方の隣に居ます。勿論……それ等は断固として阻止しますが」
「それに……私のしようとする事、全て教えろ、とか言うんだろう?」
「当然です! じゃなきゃ事前に貴方を止められません!」
「あはは……これは骨が折れる事になるね……」
肩を落とし、苦笑するエルヴィン。それに、アンナは楽し気にクスリと笑いを零すのだった。
エルヴィンの命令により、この日、西門が開けられ、クライン市民はヴンダーへと迎えられた。
彼等は泣き喚き、恨み辛みを並べ立てていた姿から掌を返し、、エルヴィン達へ感謝の念を抱き、頭を下げ、喜びの涙を流す。
しかし、彼等を追って来る者達は着々と迫っている。
欲望の権化、2万の傭兵達が、道先の狩場を目指し足を進めていたのだ。




