6-31 策士の妹
部屋へと入ってきたテレジア。それに、アンナは怪訝な顔を示す。
「テレジア様……何故ここに……? 家の鍵は閉まってましたよね?」
「アンリさんに開けて貰いました。アンナさんが心配だったので……」
テレジアは膝を抱えたままのアンナに優しく微笑みかけると、同じベットにゆっくりと腰掛ける。
「アンナさん……兄さんを引っ叩いたみたいですね? 聞きました」
「すいません……どうしても抑えられなくて……」
アンナはテレジアの顔をオズオズと伺う。
「怒ってますよね……?」
「私は怒ってません。それに……兄さんも」
「そうでしょうか……? あの人は、きっと怒っています。ただ隠しているだけですよ……」
ふと暗く俯くアンナ。
エルヴィンは滅多に怒らない。アンナ自身、彼に怒られたと言える程に、それに該当する出来事を味わった事はない。
だからこそ、エルヴィンは普段、怒りを我慢しているのではないか。そう思えてしまう。
しかし、彼女にあるのはそんな下らぬ心配事だけではないと、テレジアは気付いていた。
「アンナさん……なんで、部屋のドアには鍵が掛かってなかったんですか……?」
「それは、ただ忘れただけです……」
「本当に……?」
笑みを伴いながらも、少し鋭く細められたテレジアの視線。彼女はアンナ本人の自覚が無い真意に気付いていたのだ。
「アンナさんは……"兄さんが来てくれる"、と思ったんじゃないですか……?」
衝撃の言葉に、アンナは面食らう。
「テレジア様……何を言って……」
「アンナさんは兄さんが謝りに来てくれると思った。そして、無事に仲直りして、元通りになると思ったんですよね?」
「違う! ……違います…………それじゃあ本当に子供のワガママじゃないですか……」
取り乱し怒鳴った故の罪悪感か、アンナは表情を落とす。
「エルヴィンは、私達……領地とそこに住まう人々の為に戦っています。政治的な危険人物から、我が身を削って、自分の手を血で汚して、あの人は守ってくれてるんです。そして……多分、あの人の選択は間違いじゃないんです……間違っているなら止めるべきですけど……間違ってないものは止めようがないです」
アンナはエルヴィンのやった事、やろうとしている事が嫌だ。
しかし、それを止める口実を彼女は持ち合わせていない。
エルヴィンには思い留まって欲しい。それ自体が彼女の願望でしかなく、彼を止める口実足り得ないのだ。
少し悔し気に目を伏せるアンナ。彼女に、テレジアは少し不思議そうに首を傾げていた。
「意外です……」
「何がですか?」
「ずっと兄さんの隣に居るアンナさんが、兄さんを偶像視してる事がです」
アンナの目が驚愕に見開かれる。
「私がエルヴィンを神の如く崇めていると……⁈」
「そこまでは言いませんけど……少なくともアンナさんは、兄さんは神の様に何でも出来ると思ってます」
そんな筈は無い。そう言いたいアンナ。
しかし、言葉は出なかった。
テレジアの指摘された事。それが事実だと気付いてしまったのだ。
そもそも、エルヴィンのやる事が嫌だと、彼女は彼に伝えていない。何故か。彼のやる事が間違いじゃないと確信していたからだ。
何の根拠も無く、只漫然と確信していたのだ。
人には優れた点がある様に、それに比例して欠点も当然持っている。
エルヴィンだってそうだ。
心優しいが、情には流され過ぎず、いつも冷静。冷徹だが、冷酷過ぎず、慈愛も持っている。そんな利点を彼は持っているが、基本、度が過ぎる程の怠惰で、面倒臭がり。銃や剣すらまともに扱えない、戦闘員として毛ほどの役にも立たない雑魚である。
そう、彼だって欠点がある。当然の様に彼女は頭に思い浮かぶ。
欠点のある彼が間違えないなど、どうして言えるのか。今回も、何の根拠も無く間違いではないと、どうして思えるのか。
違うのだ。彼だって間違えるのだ。今回もそんな間違いの1つではないのか。
「いいや……今回は間違いじゃない。あの人は間違っていない……」
今回、彼は間違っていない。
戦いとは基本、数であり、数が勝敗を分けるものだ。それを覆すには、敵のミス、もしくは奇跡が必要だ。
クラインの人々。彼等を見捨てなければ、ヴンダーの街や人々が数の暴力で圧死する。
それを回避する為、考えた末、見捨てるという選択肢しかエルヴィンは取れなかったのだ。
だから、アンナには止められない。
「と、また考えてませんか……?」
テレジアに見透かされ、アンナは苦笑する。
「読心のスキルでも御持ちなんですか……?」
「持ってません。これくらい、アンナさんを見ていればわかります」
少し自慢気に胸を張るテレジアは、ふと我に帰るとコホンッと咳払いする。
「気を取り直して……アンナさん、兄さんは間違っていないって言いましたよね?」
「はい……今回、あの人の決断は最適解です」
「本当にそうですか? 兄さんは確かに間違った決断をした訳ではないんだろうけど、それは間違っていないだけで、何で最適解だって断言出来るんですか?」
テレジアの言葉に、アンナは目を丸くする。
「それは……」
「兄さんの決断は間違いじゃない。でも……正解じゃきっとないんじゃないですか? 兄さんはもっと良い答えを導き出せる筈、そうじゃないんですか?」
力強い主張。確信を持った言葉。これこそ、何の根拠もない妄言に思える。
しかし、アンナのモヤモヤした気持ちは、それで形を表し、綺麗に噛み合った。
そう、彼は正しくない。彼の能力ならクラインの人々も救える。
今迄、彼を襲った窮地はこんなものではなかった。もっと凄惨な窮地を彼は乗り越えてきたのだ。
エルヴィン・フライブルク、彼なら絶対に、目前の救われるべき者達を、救える筈なのだ。
アンナは曇った表情を明るくし、只1つ光る希望に手を伸ばす。
「テレジア様……どうやったら、エルヴィンを……あの人を、正しい道に乗せられると思いますか……?」
「兄さんが何の為に非道な決断を下したのかは分かりますよね? それを利用するんです!」
悪戯っぽく微笑むテレジア。彼女もなかなかの策士であり、やっぱり、あの人の妹なのだと、アンナは彼女に彼の姿を重ねるのだった。




