4-100 治らぬ対立
戦車捕獲の作戦と、実行後の顛末、事の詳細を事細やかに説明したエルヴィン。それを聞いたエッセン大将や幕僚達は、一様に頭を抱えた。
「この策、使えんな……」
「ですね……これは優れた狙撃手が居たからこそ可能な策です。これ程の狙撃手はそうそう居ません」
「クソッ! 振り出しか……」
エルヴィンの戦車捕獲の策、それが敵新兵器の打開策になると期待していた幕僚達全員、肩を落とした。
そして、期待を裏切ったエルヴィンに対し、怒りの双眸をまた向ける。
「チッ、役立たずが……」
「やはり、貴族のボンボンは当てにならん……」
口々にエルヴィンの悪口を呟く幕僚達。それが耳に入ったアンナは、不愉快さと憤りを静かに表情へと浮かべる。
「ふんっ、まぁ……活躍したのは変わりない。それに、この策も何かの役に立つかもしれん。フライブルク少佐、もう良い、下がれ」
最早、役立たずとなったエルヴィン。最後まで敵意を表すエッセン大将の対応に、アンナは苛立ちながらも、敬礼して、その場を後にしようとした。
しかし、
「エルヴィン……?」
エルヴィンは立ち止まったまま動かなかった。
彼は眉をしかめながら、エッセン大将達に視線を向けていたのだ。
「……ん? なんだ? まだ居たのか少佐。退出の命令は下した筈だが?」
不愉快そうにエルヴィンを問いただすエッセン大将。しかし、エルヴィンは尚も動こうとせず、そして、何事かを心配するような口調で、口を開いた。
「エッセン大将……御伺いしたい事があります!」
「チッ、話す事など何も無いっ! さっさと戻れっ‼︎」
「いえ、大事な事なので聞きます。閣下……撤退を御考えではありませんよね?」
その問いに、幕僚達は驚愕し、固まった。
そう、エルヴィンの読みは当たっていた。エルヴィンはエッセン大将と幕僚達しか知らぬ筈の決断を、見事に言い当ててみせたのだ。
しかし、それは新たなる不快感を生み、エッセン大将は、エルヴィンを鋭い目で睨み付ける。
「貴様、何故知っている……しかも、撤退をしてはならぬ、と言うような発言をしたな?」
「知ったのは、現状を考えていく上で気付いた結果であり、確かに、撤退をしてはならぬと考えております」
それを聞いて、エッセン大将の表情には怒りの形相が現れた。
「貴様……我々が撤退の決断をしたと分かっていて、撤退中止を具申しているのか?」
「閣下が撤退をお考えなら、そうなります」
「撤退が苦渋の決断だと分かっていて言っているのだな……」
「まぁ、薄々そうではないかと」
「そうか……」
その言葉を最後に、エッセン大将は黙り込んだ。
しかし、その沈黙は間も置かずに崩れた。
大将は拳を上に挙げると、怒りに任せ、勢いよく背後のテーブルに叩き付け、木製テーブルにヒビを入れたのだ。
「ふざけるな貴様ぁあっ! 貴族の若造の分際で、将軍に意見するとは何ごとだぁあっ‼︎」
テント中にエッセン大将の怒鳴り声が響く。
「我々とて撤退などしたくはない! だが、それしか策は無いっ! 最後の一途の望みとして、貴様の実行した策を聞いたが、使えん幻滅ものの役立たず! 最早、要塞に全軍を集結させて抵抗するしか道は無いのだ! それを貴様は……」
エッセン大将は歯を苦々しく噛み締めた。
ここで撤退すれば、多数の血を流して手に入れた塹壕を手放す事になる。
更に、撤退準備には時間がかかり、準備を終え、撤退を開始しても、敵の苛烈な追撃を受けるのは明白であった。
そして、それにより多くの者達に、勝利を得れる為のものではない、無駄な死が襲うのだ。
しかし、敵兵器への対抗策が無い以上、全滅を避ける為、撤退するしかない。
撤退すれば、エッセン大将達は、敗北した将として、一時の汚辱に塗れる事になるが、強固な守りのヒルデブラント要塞に、十分な兵力で立て籠もる事が可能となる。
敵兵器は攻城戦に使うにしては力不足と考えられ、時間は掛かれど、敵も疲弊し、味方同様に戦力が減っている事と考えれば、十分に勝てるという算段でった。
「フライブルク少佐っ! これ以上、度を越えた侮辱をするようなら、軍法会議も覚悟してもらう。流石の貴族でも、これの決定に逆らうことは出来ん筈だっ!」
指揮官が部下を従わせる際に使う脅し文句、軍法会議。これの執行力は強大で、死刑が言い渡されれば、最短で30分で執行される程である。
そして、その権限は軍が持っている為、軍に所属している以上、貴族であろうと従わねばならない。
エッセン大将が軍法会議の言葉を口にし、幕僚達もこれで少佐は諦めるだろうと考えていた。
しかし、エルヴィンの口は止まらなかった。
「それでも言わせていただきます。撤退をしてはいけません!」
「貴様ぁ……!」
「撤退をすれば、敵の追撃で多くの死者が出ます。それに……次の戦いに悪影響が出ます!」
「知った口を!」
「ヒルデブラント要塞に味方の戦力が集中すれば、それに呼応し、敵も要塞に全戦力を集中させるでしょう。そうなれば、敵新兵器を盾に守られた大軍が、要塞に攻め込むことになります。確かに最終的には我々は勝つでしょうが、激戦により、要塞の防衛能力に無視出来ぬ損害が出ます。そうなれば次の戦いで、要塞防衛機能が欠如した状態での戦いを余儀なくされます!」
エルヴィンの指摘は最もだった。今後の要塞防衛の観点から言えば、少なくとも、戦車の半数は撃破しておきたいのだ。
しかし、策が無い以上、これは机上の空論とならざるを得ない。
「ヒルデブラント要塞は難攻不落、今戦いで防衛機能が多少損なわれても、そうそう落ちる事など無い! ここで全滅する事こそ避けるべきだろう!」
エッセン大将の言わんとする事も最もである。全滅の危険を犯してまで、要塞機能低下を危惧する価値は無い。
策が無い以上、撤退こそが最善の行動であるのだ。
しかし、それは"策が無ければ"の話である。
「閣下、敵新兵器への対策があります!」
「何を言うかと思えば……そんな策など無い! 貴様如きが考える策なら、俺がとっくに気付いている!」
「いえ、ありますっ‼︎」
「俺が貴様より劣ると侮辱するのかっ!」
「そうは言っておりません! しかし今回、閣下が気付かなかった事を、小官が気付いただけの事です!」
「それを侮辱していると言うんだろうがぁあっ‼︎」
エッセン大将の逆鱗が勢いを増し、エルヴィンに向け殺意に近い視線を向けた。
「貴様はこの場が何処なのか知らないのか⁈ ここは戦場だ! 貴様ら貴族の遊び場では無い‼︎ 貴様ら貴族が、遊び場半分で策を考える所為で、今までどれだけの兵士が家族に会えず死んで来た事か……」
エッセン大将は苦々しい表情を浮かべ、それに続くように幕僚も同じく苦い表情を浮かべた。
「しかも貴様は一介の少佐に過ぎん! 越権行為だ! 貴様の傲慢と自惚れに付き合う暇など無い! 分かったらとっとと失せろ! これは最終勧告だっ‼︎」
最早、聞く耳を持つ気も無いエッセン大将。意見を言える隙が全く無かった。
敵に対する策を思い付いたエルヴィン。しかし、それが実行出来なければ無いに等しい。
大将の耳は完全に閉じた。それをどう崩すかエルヴィンは思考を巡らせた。
その時、
「閣下、フライブルク少佐の意見に耳を貸してはいかがでしょうか?」
幕僚の1人が、エッセン大将にそう具申した。




