4-94 狂った世界
トマスを看取った後、アーヘン二等兵は直ぐにその場を離れ、トラックへと戻った。そして、レムシャイト軍曹に、安全な場所まで負傷兵達と共に送って貰った。
その後、アーヘン二等兵は、ボーフム伍長と共に、確実に治療してもらえるここまで、自力で辿り着いたのだった。
アーヘン二等兵の話を聞いた第8軍団の兵士達は、告げられたトマスの死を惜しみ、一様に黙祷の意を示した。
「良き指揮官を失ったな……」
「一言、感謝ぐらい述べたかった……」
貴族、平民、関係なく、トマスの死を惜しむ帝国兵達。
部隊も、立場も、地位も違う彼らだったが、それはまさしく、共に戦った仲間へ向けられたものであった。
そんな帝国兵達の様子に、アーヘン二等兵は、感慨深く、誇り高い気持ちで、笑みを浮かべる。
「小隊長……貴方の下で働けて良かった……」
ふと零れた言葉。それを耳にした兵士、アーヘン二等兵に直接、代表して感謝を述べたレムシャイト軍曹は、同意する様に笑みを浮かべ、「本当に羨ましい」と、ふと口にするのだった。
アーヘン二等兵から告げられた自分達の隊長の活躍。それを耳にした衛生兵達は、涙を止め、表情を凛々しく変える。
涙を流す暇があるなら、多くの兵を治療し、救おうと考えた。
そうする事で、亡きトマスへの良き手向けとなる、そう考えたのだ。
「よしっ! やるぞ!」
「「「おう!」」」
一斉に動き出す衛生兵達。そしてシャルも、トマスの行動に心打たれていた。
「小隊長……」
シャルを想い行動したトマス。
シャルならこうするだろうと行動した彼の思い。
それを受けたシャルの心には、ある意志が芽生えていた。
「大隊長……」
「なんだい?」
「私は、小隊長が思う様な私になれるでしょうか…………」
「多分、既になってはいるだろうね」
「そうですか……なら…………」
シャルは右手を胸の前で軽くにぎり、顔を上げた。
「私は、小隊長が期待した私より、もっと期待できる私になります! それが、小隊長への最初で最後のプレゼントになると思うから……」
泣いていたシャル、自傷していたシャル、彼女の暗い人生において培われてきた負の遺産、いつもの彼女であれば、またトマスが死んだのは自分の所為だと、自分を傷付け始めていただろう。
しかし、自分に期待し、評価してくれたトマス、最後まで自分を想い続けてくれた彼に、自傷する自分はどう映るのか、それ以前に、何度も励ましてくれた大隊長に、申し訳が立たないのではないか。
今の彼女には、認めてくれる人々が居る、仲間が居る。
獣人に生まれた定めの中、人とすら扱われなかった人生の中、認めてくれたのは父だけだった。そんな運命はもう終わった。
たがら進む時だと、過去を憂い、自分を呪うのではなく、成長への道を歩いていくべきだと、シャルは、この部隊にいる中で、考え始めていたのだ。
エルヴィンはそんなシャルの成長に、嬉しく、安堵しながら、笑みを浮かべて、労う様に、優しく、シャルの頭を撫でた。
頭に、犬耳に、エルヴィンの手から伝わる、心地いい暖かさ。それに、シャルの口を緩ませ、頬を赤く染める。
「あのぅ……大隊長……?」
撫でられた理由も分からず、戸惑い、疑問を投げかけるシャルに、エルヴィンはふと、我に帰った。
「あっ! すまない……つい、癖で……」
エルヴィンは、シャルの頭から手を離すと、申し訳なさそうに頭を掻いた。
「妹が泣いたり、落ち込んだ時、褒める時とかに、よく頭を撫でていたから……その癖で、つい撫でてしまった……不快じゃなかったかい?」
突然、本当に突然、謝り出したエルヴィン。それに、シャルはキョトンとしながら、首を傾げる。
「今更、ですか……?」
「ん? 今更?」
「はい……大隊長はよく、私の頭を撫でてくれてますので……」
「あれ? そうだっけ……」
「そうですよ?」
「……そう、だったのか…………それは、なんか、すまない…………」
苦笑しながら、また頭を掻くエルヴィン。しかし、シャルはそんな彼に笑みを向けた。
「そんなに謝らないで下さい。さっきも良いましたけど、大隊長は私の頭を撫でてくれるんです。撫でられるのは好きなんです。だから……その……今後も、撫でてくださると……嬉しいです……」
頬を赤らめながら、照れ臭そうに告げるシャルに、エルヴィンはまた優しい笑みを向ける。
「分かったよ……君がそうして欲しいと言うなら、これからも撫でる事にするよ」
それを聞いた瞬間、シャルはバァっと満面の笑みで、エルヴィンに視線を向けながら、さも嬉しそうに、大きく頷いた。
シャルと何度も話してきたエルヴィン、今回、改めて話して、彼女が本当に心優しき、穢れなき女の子である事を改めて感じていた。
しかし、だからこそ気付いてしまう。
"彼女が戦場には似合わない事を"そして、そんな彼女の存在を平然と認めている、戦場という場所の異常さを。
そもそも、シャルはテレジアと同い年、15歳ぐらいの子だ。
前世で言えば、高校に入って間も無い筈の年齢の子供なのだ。
しかし、帝国の軍入隊最低年齢は15歳。つまり、高校生が戦場に出るというのは、この世界、時代では当たり前とされている。
この世界の人々は、成人にも満たぬ子供を平気で戦争に送り出し、それを本人すらも、異常だとも思っていないのだ。
前世の記憶に残る倫理観、道徳観より遥かに程度の低い現状に、エルヴィンは憤らざるを得ない。
"この狂った摂理が続く、この世界に"




