4-68 悲惨な仕打ち
シャルが別の兵士を治療しようと立ち上がった時、丁度、新たな負傷兵が、1人の仲間に連れられこの場を訪れる。
「あ〜っ、汚ねぇ、汚ねぇ。しかも、穢らわしい獣人も居るじゃねぇか! あ〜っ、ますます汚ねぇ」
文句を零しながら入ってきた男。その明らかに育ちの良さそうな男は、確かに負傷はしていたが、腕に擦り傷がある程度であった。
「まったく、何で由緒ある子爵家の次男たるこの俺が、こんな汚い場所で治療しなきゃいけないんだ?」
「そう仰られましても、他も同じ様なものですよ?」
「チッ!」
従者に諭され、不愉快そうに舌打ちをした貴族の男。
戦いが終わって間もない時間、重傷者の治療を優先させる為、軽傷者は後回しにされている状況で、彼は軽い腕の傷を悠々と治療しに来たのだ。
そして、その非常識な行動が黙認される筈も無く、イェーナ伍長が彼の前に立ちはだかる。
「今、重傷患者で手一杯なんですよ! 軽傷者は黙って、後方から応援が来るまで待ってて下さい!」
伍長の注意を、貴族の男は鼻で嘲笑った。
「重傷者? どうせ全員平民だろう? そんな塵どもの命より、貴族たる俺の怪我の方が大事だろう!」
命を無下にする貴族の男にイェーナ伍長は怒りが湧く。拳を強く握り締め、ふとした拍子で貴族を殴りかねなかった。
すると、ウルム准尉が現れ、諌めるように彼女の肩をポンっと叩く。
「小隊長……」
「伍長、取り敢えず落ち着け。貴族を殴るのは流石に不味い」
諭され、イェーナ伍長か怒りを鎮めたのを見計らい、ウルム准尉は貴族の兵士へ愛想笑いを向けた。
「うちの部下が申し訳ありません。怪我の治療でしたら、小官が請け負いますよ?」
貴族に対して、礼節を持って対応したウルム准尉。
しかし、貴族の男は、傲慢な無礼な態度で返す。
「貴様の様な、むさ苦しい男に治療などされたくないわ!」
それを聞いたウルム准尉は、一瞬、顔が引きつったが、怒りは何とか抑え込む。
そんな様子には目もくれず、貴族の男は、物色するように辺りを見渡し、1人の衛生兵に目を付け、指差した。
「彼奴だ! 彼奴 に治療させろ!」
指差した相手はシャルだった。
「おいっ! そこのお前! この俺の怪我を治療しろ!」
そう言われたシャルは、返事をし、貴族の男の方を振り向き、そして、固まった。
男の雰囲気を見て、彼女は瞬時に、その男が貴族である事に気付いたのだ。
獣人差別の激しい国の貴族。もし自分が獣人だとバレればどうなるか、その恐怖でシャルの心臓が締め付けられる。
苦しく鳴り響く心臓。それを堪えるようにシャルは、胸の前で右手を軽く握り、不安に耐えながら、貴族の男の下へ向かう。
貴族の下へとやって来たシャルは、空いている治療スペースへと貴族を案内し、座らせた。
「おいっ! 貴様、その結んだ髪を解け!」
「でも、これを解くと、治療の邪魔になります……」
「俺は髪を結んでいる女が嫌いなんだ! つべこべ言わず、さっさと言う事を聞け!」
子供の我儘の様な要求。しかし、貴族の要求である以上、シャルは黙って従った。
そして、貴族の男は、汚く、さっきまで別の負傷兵が居た場所に、不快そうな顔をする。
「おいっ! 女! 早く治療しろ! こんな所にずっと居られるか‼︎」
急かされ、シャルは正体がバレる事に怯えながら、慌てて救急箱から白い小さな布と消毒液を出し、布に消毒液を付け、貴族の男の傷口につけた。
「いってぇえええっ‼︎」
傷口に消毒がしみ、貴族の男はその痛みで喚き出すと、その原因を作ったシャルを睨んだ。
「何しやがるんだ貴様! 痛かっただろうが‼︎」
丁寧に治療しようとしたシャルに対し、明らかに理不尽な態度。しかし、彼女は更に怯えたように震えた。
震えるだけで弁明しようともしないシャル。それを更に苛立った貴族の男は、彼女の腰まで伸びた髪を引っ張った。
「痛いっ! 止めてっ! 止めて下さいっ‼︎」
涙目で訴えるシャルに、貴族の男は怒鳴りつける。
「止めてだと⁈ 止めて欲しければ、地べたに這いつくばって、俺に謝ると誓え‼︎ 自分の様な下賎な者が、高貴な貴族様に不快な思いをさせまして申し訳ありませんと、地面に顔を着け、泥をすすりながら謝罪しろぉおっ‼︎」
理不尽な要求を突き付ける貴族の男。そんな手から逃れようとシャルは身動いし、それをウザがった貴族の男は彼女の髪から手を離した。
解放されたシャルだったが、その反動で地面にうつ伏せに倒れてしまう。
倒れた時、身体を軽く打ち付けたのと、先程迄髪を引っ張られていたので、あちこちに痛みが走ったが、それに耐え、直ぐにシャルは起き上がり、辺りを見渡した。
すると、周りの反応が明らかにおかしい事に彼女は気付いた。此方を見ながら、全員が唖然と固まっていたのだ。
皆んなが自分を見て固まっている。シャルはこの時、頭の違和感と共に、恐怖を感じた。
彼女が自分の頭に触ると、そこに被っていた筈の軍帽はなく、獣人族としての耳、それが露わになっていたのだ。
倒れた拍子に軍帽が取れたのだろうが、それは最悪のタイミングであった。
獣人差別の国の貴族。それが直ぐ横に、しかも、先程まで獣人族とは知らずに接していたのだ。
貴族の男の怒りと嫌悪感は最高潮に達し、それにより、彼は立ち上がると、地面に座り込むシャルを怒りに任せ蹴り上げた。
「このっ! ゴミ屑がぁああああああああ‼︎」
振られた足がシャルの腹部に直撃し、シャルは苦悶の表情を浮かべ、腹部を両手で抑えながら、地面に蹲った。
しかし、事態はそれで治らず、貴族の男は、シャルの背中を蹴り続ける。
シャルは未だ激痛が襲う中、腹部から両手を頭に回し、手で頭を守りながら抵抗出来ずに蹴られ続け、貴族の男は、そんな無防備な彼女に、罵倒と怒りの雨を叩き続けた。
「その汚らしい手で、高貴なるこの俺に触りやがってぇえっ‼︎ 剰え崇高なる人間族を騙るとは、この身の程しらずめがぁあっ‼︎」
「ごめんなさい……ごめんなさい……」
蹲り、涙目になりながら謝るシャル。それに対し、尚も貴族の男の怒りは治らない。
「謝って済む訳ねぇだろうがぁあ‼︎ このげっ歯類がぁあっ‼︎ 地べたに這いつくばるだけじゃ足りん! 自分の過ちを恥じて、とっと死ねぇえっ‼︎」
シャルの背中には複数のアザができ、そこを更なる蹴りが続き、その激痛は酷いものであったろう。
しかし、それ以上に、シャルの精神的なダメージが大きかった。
仲間達に自分が差別対象の獣人だとバレた事。何より、獣人という理由で蹴られ続ける事に、幼き日に周りから受けた悲惨な仕打ちがフラッシュバックしていたのだ。
獣人族という理由で差別される人生。味方してくれる僅かな人は居ても、それは一生終わらないのだと、シャルは痛感するしかなかった。
「ごめんなさい…………ごめんなさい…………」
シャルの口から繰り返される謝罪。それは自分が獣人として産まれて来てしまった事に対してへの謝罪だった。
散々罵倒し、蹴り続けた貴族の男。やっと怒りが緩和されたらしく、彼は蹴るのを止める。
「クッソッ‼︎ 気分が収まらねぇ……」
しかし、完全に怒りが鎮火された訳ではないらしく、シャルを蹴るのも飽きた貴族の男は、やり場のない怒りの矛先を考える。
すると、シャルの顔を一瞥した瞬間、彼は最低極まるアイデアを思い浮かべた。
「お前、獣人にしては可愛いな……最近、性欲発散の玩具が居なくて困ってたんだ! お前で良いや」
下衆な言葉を吐いた貴族の男は、またもシャルの髪を引っ張り、無理やり連れて行こうとする。
このまま連れて行かれれば犯される。それに恐怖し、怯えながら、シャルは必死に抵抗した。
「やだっ! 止めてっ! 行きたくないっ! 行きたくないっ‼︎」
必死に抵抗するシャル。しかし、相手は歳上の男。否応なく、ズルズルと引きずられていく。
「いやだ……いや…………」
自分に迫る危機。その恐怖のあまり涙をポロポロ零すシャル。そして、ふと思い浮かべた想い人に、彼女は心の底から祈った。
大隊長、助けてっ‼︎
シャルがそう願った、その時、ふと1人の男が貴族の男の背後に現れる。
「おいっ!」
背後から男の声が聞こえ、貴族の男が振り向いた瞬間、その顔面に、骨が砕ける鈍い音と共に、拳が叩き付けられた。




