4-63 ラウ会戦
世暦1914年6月11日
早朝、まだ空に太陽は無く、月明かりが静かに大地を照らす中、ラウ平原を南から北に移動する無数の人影があった。
帝国軍10万の内2万を後方陣地に残し、総勢およそ8万の兵士達が、敵塹壕目指して移動していたのである。
魔術兵は剣を、通常兵は銃剣付きの小銃を、魔導兵は杖を握りしめ、敵に気付かれないよう、静かに北へと平原を移動する帝国兵達。
月明かりが兵士達を照らし、夜襲という意義は薄れていたが、それでも、視界は昼よりは狭く、共和国軍がその存在に気付くには、かなりの時間が必要である。
そして、その月明かりが逆に、共和国軍を油断させていたとも言える。
夜襲は夜、月明かりが無い時というのが夜襲の鉄則である為、それとは遠い、今日、この時、自軍に迫る夜襲の脅威に、共和国軍は予想だにしていなかったのだ。
静かに迫る帝国軍。それが共和国、軽砲射程距離に迫った時だった。
一応、帝国軍側を見張っていた兵士が、南方に月夜に動く影を捉えたのだ。
「ん……? なんだ……?」
そう思った矢先、段々と増えていく影。それ等が視界の奥を一直線に埋め尽くす。
「「「ウオオオオオオオオオオオオオッ‼︎」」」
そして、大量の影、帝国兵達は雄叫びを上げ、塹壕に向け一斉に駆け出した。
「てっ……敵襲ぅうっ‼︎ 帝国軍の攻撃だぁあっ‼︎」
見張りの声と、帝国兵の雄叫びにより、寝ていた兵士も叩き起こされ、共和国兵士全員、敵の声を聞き、緊張と恐怖で心臓が締め付けられる。
帝国軍の大攻勢。それが来る事は共和国軍も薄々勘付いていた。しかし、雄叫びの量が予想より遥かに多かったのだ。
その量は、間違いなく味方の2、3倍は居り、塹壕という防御の有利はあるにせよ、あれだけの数を相手に勝てる自信は微塵も湧かなかったのである。
共和国兵士達は、強く鳴り響く不快な心音を我慢しながら、迫り来る帝国兵への迎撃態勢を即座に整えた。
「撃てぇえっ‼︎」
共和国軍司令官による号令と共に、帝国軍別働隊、共和国軍塹壕部隊によるラウ会戦が再び幕を開けた。
砲、機関銃、小銃による攻撃で、地道に帝国軍の兵力を削いでいく共和国軍。敵の数への恐怖も相まって、その攻撃は苛烈を極め、結果、帝国軍の損害は馬鹿にならないほど膨れ上がっていく事となる。
しかし、それ程度で、帝国軍の猛攻は決して止まる事はなかった。
共和国軍による必死の迎撃にも関わらず、帝国軍による兵士の雪崩は止められない。
帝国兵の数が共和国軍では捌き切れないほど多かったのである。
1人殺しても、10近くがその前に出る。1000人殺しても、1万近くがその前に出る。
殺しても殺しても、撃っても撃っても、敵は着実に近付いてくる。
最早、共和国軍にはどうする事も出来なかったのだ。
そして、捌き切れずに撃ち漏らした帝国兵は着実に塹壕へと迫り、そして、それが津波となって、遂に共和国兵へと叩き付けられた。
帝国兵は、なんとしても戦いを終わらせようと、必死で敵を殺し、
共和国兵は、なんとしても戦いに勝とうと、必死で塹壕を守った。
塹壕内で繰り広げられる、銃の撃ち合い、剣の斬り合い、魔法の放ち合い。
銃を撃ち、敵を斬り、魔法を放ち、銃剣で刺し、拳で殴り、張り倒し、叩き、蹴り、首を絞め、骨を砕き、目を潰し、殺し、殺し、殺し合う。
情、優しさ、慈悲、そんなものなど微塵もなく、只、敵を殺す。
殺し続け、殺され続ける。それはまさに泥沼の殺し合い。
そこに知性など無く、只、あるのは暴力のみ。
頭を働かせる事など忘れ、目の前の敵を殺す事だけを考える両者。ごく単純だが、それ故に残酷な戦いも、長くは続かなかった。
兵力で勝る帝国軍に、共和国軍は着実に押され始めたのである。
此処迄来れば、共和国軍が発せる命令は1つのみだろう。
「塹壕、放棄っ! 塹壕、放棄っ! 撤退っ! 撤退ぃいっ‼︎」
敗北を悟り、後退を始めた共和国兵達。
しかし、後にまた襲ってくるかも知れない敵を座して見逃す帝国軍でもなく、逃げる共和国兵を背後から銃で撃ち殺し、魔法で爆散させ、将来に於ける脅威を減らしていく。
そして暫くし、辺りから共和国兵の存在が失われたと共に、静寂と静けさが帝国軍を包む。
「敵、退いたな……」
「塹壕、奪ったな……」
「俺達、勝ったのか?」
共和国兵が1人も居ない。居るのは味方だけ。そして、自分達は敵の塹壕の中に居る。
そう、帝国軍は塹壕を奪った。目標である塹壕を奪った。
その実感が帝国兵を伝っていき、そして、
「「「オオオオオオオオオオオッ‼︎」」」
ラウ平原に帝国兵達の歓喜がこだまし、それを祝福するように朝日が空へと上った。
帝国軍死者およそ2万3千2百名。共和国軍死者およそ5千4百名。これ等の犠牲をもって、帝国軍は塹壕を奪取し、ラウ会戦は帝国軍の勝利で飾られたのである。




