4-61 少佐と大将
誰も手を挙げない中、1人だけ手を挙げたエルヴィン。それにエッセン大将は視線を向けた。
「貴官、何か聞きたい事でもあるのかね?」
そう問われたエルヴィンは、立ち上がると、先ず所属と階級を含め、告げる。
「第11独立遊撃大隊大隊長エルヴィン・フライブルク少佐です! こちらの戦況は分かりました! 要塞の方の戦況をお聞かせ願いたい!」
質問の内容に、場がザワつき始めた。
確かに、要塞でも戦闘が行われ、味方が血を流した事は事実である。しかし、自分達はあくまで別働隊に参加している兵士であり、要塞の戦況は直接に関わりはない。
要塞の戦況まで把握するのは戦略に該当し、戦略に目を向けるのは司令官達の仕事である。1部隊長が尋ねるのは度が過ぎていると言え、実際、エッセン大将の幕僚数名は不快感を示していた。
しかし、エッセン大将にそんな様子は無く、疑問には思ったらしく眉をひそめながらも、平静を保ちつつ尋ねる。
「そんな事を聞いてどうする? 貴官には関係の無い事だろう? 要塞に友人でも赴任しているのかね?」
「そういう訳ではありません……只、不安を拭う為にも、出来るだけ沢山の情報が欲しいのです!」
不安を拭う。戦術面ではなく、戦略面の心配をエルヴィンはしていた。
塹壕を突破しても、その前に要塞が陥落、という事態になっていたら元も子もない。心配するのも仕方がないと言える。
しかし、やはり度は過ぎており、幕僚の1人が立ち上がると、彼を睨み付け、怒声を浴びせ始めた。
「貴様、いい加減にしろ‼︎ 戦略を語るなど、貴様の地位ではまだ早いというのが分からんのか‼︎」
声を荒げた幕僚に続き、他の幕僚達もエルヴィンに怒声を浴びせようと立ち上がる。
しかし、エッセン大将が右手を挙げ、彼等を制した。
「まぁ、落ち着け」
「しかし、閣下!」
「彼の不安も分かる。教えてあげようではないか」
エッセン大将に諭され、怒りに震えた幕僚達も、「エッセン大将が言うなら」と、落ち着きを取り戻し、怒号を鎮め、再び椅子へと腰掛けた。
全員の聞く姿勢が整った所で、士官達も口を閉じ、エッセン大将の言葉に耳を傾ける。
「要塞は4日前の敵の夜襲以来、敵が砲撃による攻撃に切り替えた為、大規模な衝突は2度きりだ。しかも、小競り合いも合わせ、今迄に出た死者は5千にも満たない。敵に奇跡でも起きなければヒルデブラントが陥ちる事は無いだろう」
それを聞き、本当に帝国軍が優勢であるのだと、次々に安堵を零す士官達。
しかし、エルヴィンだけは別だった。エッセン大将の言葉に含まれた不可解な事実に気付いていたのだ。
共和国軍は劣勢に陥いっている。なのに、何故敵は撤退しない? 撤退する気が無いにしても、何故、要塞に攻撃を掛けない? 目的は ヒルデブラント要塞の攻略の筈、4日も攻撃を休める理由が無い。まして、今は敗北寸前。慌てて攻略するか、撤退するのが普通の筈だ。
この時、エルヴィンに嫌な予感が渦巻いていた。敵の動きの不気味さ。それが彼に不安となって降り注いでいたのである。
そして、彼はその不安を払拭する為、敵の意図を予測し、頭を巡らせ、結果、ある結論を導き出す。
"敵は戦力を温存し、何かを待っている?"
それに気付いた時、エルヴィンは総攻撃という作戦の危険性にも気付かざるを得なかった。
「少佐、もう良いかね?」
「いえ、もう1つ」
「何だね?」
総攻撃の危険性。それに気付いた以上、言わねばならない。
「この作戦を中止すべきです!」
「なにぃ⁈」
作戦への口出し。幕僚でもないエルヴィンがやるのは明らかに越権行為であり、流石のエッセン大将にも不快感が滲み出ていた。
しかし、エルヴィンは尚、意見を続ける。
「今回、敵の動きに不可解な点が多過ぎます! ヒルデブラント要塞攻略。それが目的であるにも関わらず、2度しか大攻勢を掛けない。おかしくはありませんか?」
「何が言いたい……」
「敵は何かを待っている。その為に戦力を温存している。そう考えるのが妥当ではないでしょうか? このまま総攻撃を掛ければ少なからず損害が出るでしょう。その何かに対抗する為にも、此方も戦力を温存すべきと具申します!」
エルヴィンのある程度的を射た意見。しかし、エッセン大将はそれが愚策であると知っていた。
越権行為で具申したのは愚策。エッセン大将にも苛立ちが現れていたが、彼が明らかに若い事を見て、「若気の至り」という事で、苛立ちは消えていく。
「貴官の意見を採用する訳にはいかん!」
「何故ですか?」
「敵が大規模な戦力を、援軍として投入する可能性があるからだ!」
それを聞いた士官達に動揺が走る。
大規模な援軍。それがもし到着すれば、戦況が泥沼化、最悪、要塞陥落すらあり得たからだ。
しかし、エルヴィンだけは動揺せず、首を横た振る。
「それはあり得ません!」
「何故そう言い切れる?」
「戦力の逐次投入は、戦線を拡大させる愚策です! 敵がそんな愚策をするとは思えません!」
援軍を出す。それは一見、理にかなった策に見えて、明らかな愚策とされている。
此方が援軍を出し、敵より戦力が上回ったとしても、その戦力差を埋めようと、敵も援軍をよこす。その繰り返しが起き、戦線が拡大、無価値な犠牲、武器、弾薬、食料の大量消費、その為に圧迫される財政。あらゆる負の面を捻出する事になるからだ。
つまり、共和国軍が援軍を出すとは、到底考えられなかったのである。
しかし、その愚策こそ、帝国軍は恐れる必要があった。
「帝国軍も1枚岩でないのだよ。貴官も薄々分かっているのではないかね?」
そう問われ、エルヴィンは口を噤んだ。
ゲルマン帝国正規軍。12個軍団と前線守備隊、独立部隊を合わせて、正規軍だけでも世界有数の戦力を有している。
しかし、その中で真面に戦いに参加しているのは半分以下とされている。
しかも、その半分以下の戦力に、戦いが丸投げされ続けている状態が続いていたのだ。
その原因は帝国宮廷内、貴族内抗争であり、権力者達の権力の奪い合いに派生されたものだとされる。
帝国正規軍内部でも権力者達の息が掛かった者達は多く、前線で戦わされているのは息自体が掛かっていない者達。もしくは政治の発言権を上げる為、功を立てるという目的に送り込まれた者達であった。
現在、ブリュメール方面軍の第8軍団を除いだ全軍はどの権力者の息も掛かっていない。もし、援軍を要請したとしても、来る事になるのは息が掛かった軍となり、そんな軍は、権力者が手駒が減るのを恐れて寄越さない、という危険があったのだ。
敵に援軍が来たとしても、味方に援軍が来ない。それが現ゲルマン帝国の現状なのである。
エルヴィンは貴族であり、当然その手の情報に事欠かない。その事も重々承知していた。
しかし、尚も敵が援軍を寄越すと、彼は思えなかった。
「敵がそこまで此方の内情を知っているとは考え難いでしょう。もし知っていたとしても、大量の援軍は金食い虫、博打に近く、敵がそんな博打に出のも考え難いと考えます!」
「もし、その博打が打たれたらどうする?」
そう、問題なのはその博打が打たれる。その可能性があるという事そのものであった。
「貴官は敵が何か待っていると言ったな? それは援軍であると考えれば、合点がいくのではないかね? もし、援軍以外の何かが来るとして、それは一体なんだ?」
「それは……わかりかねます……」
「そんな不確かなものより、援軍が来ると考えるのが確実だろう。そして今、我々は援軍到着前に勝つ好機なのだ! その好機を見逃す訳にはいかないと思うがね」
敵の援軍が到着すれば戦況悪化は目に見えている。その前に決着を着けるべきという考えは正しい判断だと言わざるを得ない。
対してエルヴィンの推測は、不確かな憶測が混じっている。作戦中止を訴えるには明らかに弱かったのだ。
「少佐、もう良いな」
エッセン大将に悉く言い負かされたエルヴィンは、軽く頷くと、静かに席に着いた。
その後、エッセン大将は、別の意見が無いか確認し、士官達に解散を言い渡すのだった。




