おじいちゃんのお正月
パチン。ぱき、がさ、パチン、ぱき、がささ、庭に可愛らしく咲く、桃色と白の山茶花を、一枝づつ。
今年も正月三日に鋏を入れる。元旦からは気が引けるので、三日にするのが、数年前から、独りで暮らす彼の小さな決まり事。
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二日の朝は、一日の昼間から年賀に尋ねて来ている、離れて暮らす娘夫婦、二人の子供である小学生の孫達と、娘手作りの持参した、おせちをつつき、雑煮を頂くのでゆるりとは出来ない。
昨夜は前もって予約していた、子供達が好きな回転寿司で、毎年恒例のじいちゃん主宰の、新年会をした。
大きくなった孫達の、いい食べっぷりに感心しながら、財布の心配を思わずした主催者だった。
そして一夜明ければ、賑やかで、何時もと違う、少々せわしない朝の食卓。おじいちゃん、おじいちゃんと声がかかる。
春に五年生となる芹那が、ホームこたつの上に、小さい二段の重箱を運んできた。小皿を並べて、祝い箸を置いていく。
大きくなったなね、偉いよと誉めると照れくさそうに笑う、蓋をあけながら、私もお手伝いしたの、おじいちゃん見てみてーと話してきた。
蒲鉾、厚焼き玉子、田作り、煮豆、数の子、なます、筑前煮、それと子供の好きな照り焼きに、肉団子、ソーセージ、唐揚げも入っているのが面白い。そして芹那の好きな栗きんとん。
お手伝いをしたそれとは、彼女の好物のきんとんらしい。早速食べて、食べてと皿によそい、すすめてくる。
ああ、芹那が作ったのか?とそれを受けとる。すると、子供らしく、取り巻く時が早く過ぎる中で生きている彼女は、
美味しい?美味しい?と口にするか、しないかの内に、無垢な笑顔が聞いてくる。
それに、慌てて甘くトロリとした、それを一口なめるように味わうと、美味しいよ、上手だね、と話す。えへへと笑うまだあどけない彼女。
そんな彼女に、今年は慎二は、アレにしたからね。お姉ちゃん少し少なかったろう?お母さんにヒミツな、と密かに用意していたポチ袋を、いけない取引のようにこっそり渡す。
え?と慌てて部屋を見渡し、三人だけなのを確認した芹那は、うそ!おじいちゃん、嬉しい、うれしいとそれを握りしめる。
さっ、早く隠せ!隠せとあおると、クスクス笑いながら、ポケットに大切そうにしまいこんだ。
そして、芹那と二人でニヤニヤ笑いあう。その時、台所からコップ運んで、と声が上がった。
はーいと、立ち上がる孫娘と、ヒミツな、と視線で最終の意思確認をする。いけない祖父と孫だな、と苦笑しながら甘いそれを口にする。
傍らでは、ピッピッ、ドーンとリアルな小さい音をたてている。昨日お年玉だよ、とネットで前もって、購入していたソフトのそれだ。
ポータブルのゲーム機を片時も離さない、弟の慎二は、四月に三年生になる。
……じいちゃん、お年玉ねー、ねー!ゲームのソフトにしてー、と親に内緒でメールが入ったのは、クリスマス前。
毎年ポチ袋に娘に、指示された額を入れていたのだが、そうすると買えるのは一つだけ、になるらしい。
……お父さんと、お父さんのじいちゃんと、おっちゃんからもらうやつで、一つ買うけれど、もう一つ、ぜったい欲しい!から……ダメー?
抜け目のない彼と、秘密の取引をしたクリスマスイブの夜。思いもよらず、プレゼントを貰った気分だった。愉快になりながら、
いいよ、と返信すると、ぜったい!お母さんにナイショ!と即座に応えてきた、今はまだ二年生の彼。
……もう!何してるのよ!お父さん!もぅー!慎二?何かやった?
年賀の挨拶の後に『お年玉』を渡した時に、こっぴどく、娘から叱られたのはじいちゃん。
いや、老人会でみんなコレにしてるってきいたんだよ、と惚けて誤魔化したのだが、
元旦そうそうに、叱り飛ばす訳にもいかないのか、慎二に対して、じいちゃんとの闇取引についての追及はなかった。
じいちゃんじいちゃん!ありがとう、ありがとう、じいちゃんサイコー!と、孫息子に抱きつかれ、満足至極のじいちゃんだったのは、言うまでもない。
ピッピッと攻略に集中しているその様子を、身支度を整え、茶の間に入って来た父親の孝が見咎めた。
食事の時には持って来ない、約束だろ、と少々強くたしなめる。その時重なる声。
そうよ止めなさい、と娘の都が、雑煮を運び入って来た、そして慎二を見るとそれに同調する。
……じいちゃん。と助けを求める様な視線で、隣に座っている慎二が身をすり寄せ、見上げてくる。
食べる時にはやめとこうな、早くセーブしろ、と助け船を出す。こうみえても彼とは、幼稚園の頃からのオンライン仲間だ。
今ではすっかり、彼の方が上達しているが、それでも彼と時間が合うときは、待ち合わせをして、ゲームの世界で、楽しく遊んでもらっている。
もう!孫に甘すぎよ!お父さん、と妻の若い頃そのままな都。それによく似てきたな、と思いながら、
まぁ、たまになのだから、好きにさせておくれ、と話し、出されている飲み物が、お茶とジュースなのを確認すると、
よいせ、と立ち上がると、台所に向かい冷蔵庫からそれを取りだし戻る、飲んべえなじいちゃんさ。
そして、義息子 孝にノンアルコールのビールをすすめる。彼等が帰るのは昼過ぎだから、大丈夫だろう。独りになってからは、家でたまに嗜むノンアルコール。
便利な飲み物だな、と話すと都がノンアルでもよくないわ、と口調もそっくり……
『飲み過ぎはダメ、飲んべえなんだから……』
ハイハイ、と頭に流れるそれに正月だからよしとしろ、と返すとまぁ休めばいいだろう?と孝にすすめる。
じゃぁ少しと、好きな彼も笑いつつ、三百五十を二人で分けあい、カチンとご挨拶をした。
じいちゃん、ぼくも、ぼくもと、事を済ませた慎二が、そそいでもらった、グラスを手に話してくる。
じゃ、カチン、私もー、との芹那にも、カチン、お父さん私も!と、都も参戦、これには苦笑しながらカチン。
そして心に浮かんだ、妻にもグラスを捧げる。
おめでとうな、と昨日かけた言葉を再び心に呟いた、今は小さな庭があるこの家で、独りで暮らす。
☆☆☆☆☆
おはよう、元に戻ったな、嵐が去ったようだな、と静寂が戻った家に入る。
何時もの様に台所に立ち、何時もの朝食の用意に、取りかかる。
玉子を湯がいて、冷凍室から今日はブロッコリーにするか、とカランカランと数個耐熱皿にいれ、気分でチーズ、出来上がりに、マヨネーズか、たまにおかかとお醤油を足らす。
今朝はチーズをのせると、チン。トースターには食パンを、コーヒーはたてる方が好きなのだが、今日は少々疲れているので、インスタントにする。
それと、カルシウムを取れとれと、カルシウム教、教祖の栄養士のお姉ちゃんに、老人会でたまに開く講習会で言われてるので、牛乳も温めコーヒーに合わす。
トレーに、トーストにブロッコリーのチーズのせ、茹で玉子、みかん、カフェオーレを並べると、先ずはこたつに運ぶ。
それから、小さな仏壇に庭から摘んできた、山茶花を活け、ついでにいれた、妻の分のカフェオーレも供え、線香に火をつける。
細い煙がすぅ、と昇る。フリージアの香りが広がる。
飾ってあるフォトフレームに、すまんな、と謝る、どうしても出てしまうな、何年経っても……ダメだなあ、苦笑が浮かぶ。
……こうして、簡単だが、食事の用意を今はするが、お前がいた頃は、何もしなかったな。思えばコーヒーの一杯も、いれてもらうばかり……
フォトの妻は、あら、出来るようになったの、と笑っている様。それに対して、そうだよと答える。
立ち上がる細い煙、ほわほわと白い湯気、美味しいかい?美味しいかな?と呟く。
……カフェオーレは、お前がよく飲んでたのは、なんとなく知ってたけどな、美味しいか?お前、俺が入れたそれは……美味しいかい?
何も答える事はない、フォトフレームの妻。
生前に一度でもそれを入れて……美味しいか?と聞いたら、美味しいわねぇ、と笑って言ってもらっていたのなら、
その時のお前の声や、顔が浮かぶのに、わからないなと、寂しく笑う。
…… 一度も、いれることなど、思い付きもしなかった。日曜日に、テレビや、ネットで時間を潰していても、
正月でゴロゴロしていても、おい、いれてくれ、それだけだったからな。
……美味しいか?聞けば、おいしいと、きっと笑顔で、それは分かるよ。でも浮かんで来ないんだよ。入れて手渡した事などなかったから……
ほわほわと、白い湯気の一杯。それを眺めながら、美味しいか?、上手く入ったか?と呟く。
こじんまりと仏間は、朝日の白い光に満ち、フリージアの香が漂う。外からはチュンチュンとふくふくとした、雀がさえずっている。
隣の家のチワワのチロルが、賑やかにワンワン何かに吠えている声がここにも届く。
しんと、静かな朝の時間が過ぎていく。
妻の、冷めるから早く食べたら、と新聞読んでばっかなんだから、iPhoneいじってご飯たべない!としかめる顔が、怒る声が聞こえてくる。
くくく、そんな事ばっかりだったな、慎二と変わらん、変わらんな、と思いだし笑うと、
想いきるようにリーン、と御鈴を鳴らす、そして……
にまりと亡き妻の遺影に笑み、何時もの朝食を取る為に、よいせ、と立ち上がるとその場をはなれた。
『完』