人形細工
夜が明けた。
暗闇は去って、太陽光が世界に満ちて行く。
明るい場所は好い。暗い場所は嫌いだ―――思い出してしまうから。
私は一息ついて、身体を起こす。
「おはようございます、クラム様」
傍らに座って本を読んでいたミューさんが、顔を上げて微笑んだ。
ここは、アイルフィール商会の二人が借りているという、高級宿の最上階の寝室だ。階一つが全て一組の為の部屋で、その広さは部屋というよりも、もはや家に近い。
私が今寝ているベッドも、大きくて天蓋まで付いている。
まさかこんな風に、どこぞのお姫様みたいな朝を迎える日が来ようとは。こんな高価な宿に入る機会なんて、一生無いものだと思っていた。
「すみません。ベッド占領してしまって……」
「良いのですよ。アリエッタは、いつもソファーで寝てしまいますから。どうもここは落ち着かないようで」
「あの、ミューさんは―――」
「ああ、私の事はお気になさらず。元より寝る必要のない身体ですので」
「は、はあ……」
寝る必要が無い? ノイヤってそういう種族だっけ? いやいや、いくら何でもそんな生き物が居るはずもない。
そういう、特殊な訓練を受けているとかなのかな?
「そう言えば、昨日も昼食を食べてませんでしたよね? 貴女は私とネネッシュが食べているのを見ていただけで……いや、それだけじゃない。夕食だって、食べているのを見ていない。それに、体温も低いし。―――貴女、本当に人間なんですか?」
初めて出会った時から、この人からは、何か奇妙な雰囲気を感じていたのだ。生気を感じない、不思議な感覚を。それを裏付ける様な、不可解な事も多く挙げられる。
「―――って、私ったら、何を言ってるの! ごめんなさい、ミューさん。今の忘れてください。……私やっぱり、まだおかしいのかも」
「いいえ。なかなか聡明なお方だ、貴女は。好奇心もとい、探求心が強いのは良い事です」
ミューさんは何故か嬉しそうにして微笑むと、「朝食をお持ちします」と言って部屋を出て行った。
それから入れ替わる様にして、何故かこっそりと女の人が入って来た。
身なりの良い、若い女性だ。歳はネネッシュと同じくらいかもしれない。真っ白な髪と赤い眼が特徴的なエルーシナだった。
「初めましてっす。私、イハナと言うっす。貴女、クラムちゃんっすよね?」
奇妙な話し方で、女性は私に言った。
色々と奇抜だけれど、女性は朗らかな雰囲気を纏っていて、とても優しそうだ。
「はっ、はい。クラムって言います!」
「そっかそっかぁ、よろしくね!」
「あの、貴女は?」
「ああ、私はアイルフィール商会の会長代行っすよ。言わば、アリエッタが成人するまでの繋ぎっすね。全然偉くもなければ、地位も学も無い、没落貴族っすから。普通に接してほしいっす」
「それは少々言い過ぎではないですかね、イハナ」
ミューさんが戻ってきて、そんな事をイハナさんへ言う。
イハナさんは気まずそうに、「あははー」と愛想笑いを浮かべた。
「まだ入ってはいけないと、言いましたでしょう。クラム様は、お目覚めになられたばかりなのですから、貴女の深夜テンションには付いて行けませんよ」
「深夜、てんしょん?」
異国の言葉だろうか。イハナさんも分からないらしく、首をかしげた。
「貴女は元気すぎるという事です」
「あっ、いえ。私、結構前から起きていたので、大丈夫ですよ」
「そうですか。クラム様がそう仰るのなら、良いですが」
そう言って、ミューさんはベッド脇のサイドボードの上に、持ってきたトレイを置いた。
トレイの上には、カップと具の挟まったフィッテラが乗っていた。
ミューさんから、カップを受け取り口をつける。温かいお茶だった。
「ありがとうございます。―――お二人は、仲が良いんですね」
仕事柄ミューさんは人の事を"様"付けで呼んでいる様だが、イハナさん相手には呼び捨てだ。それに、ミューさんが内輪の時のみ、アリエッタさんを"お嬢様"ではなく名前で呼んでいるのも、昨日知った。
それだけ二人が、ミューさんにとって近しい存在という事なのだろう。それがちょっとだけ、羨ましい。
「まあ、四六時中一緒に居る間柄っすからねー」
「えっ? ミューさんって、アリエッタさんの護衛ではないのですか?」
「その認識で合っていますよ。ただ、お嬢様は技師ですので、開発の為に工房に籠られて出てこない事も多く―――」
「その間、暇しているミューさんは、私の事務仕事を手伝ったりしてくれているって訳。最近は特に忙しかったから、ほぼほぼ私と一緒に居たっすね。そういうのもあって、気を遣って今回は二人きりで行かせたんすけど……」
「そんな気を回していただいていたのですね。気づきませんでした」
「言わなかったっすからねー」
「……なんか、巻き込んでしまったみたいで、ごめんなさい」
私がそう謝ると、ミューさんはかぶりを振った。
「勘違いなさらぬように。私達は自分の意思で、この件に首を突っ込んだのですよ。どんな結末になろうとも、我々の責任で始末をつけるつもりですので」
そう言ったミューさんの瞳がなんだか恐ろしくて、私は唾を呑み込む。まるで獰猛な肉食獣の様な、狩る者の眼だったから。
そんな私へ、イハナさんは明るく言った。
「そう、怖い話をしてるわけじゃないっすよ。この人はただ、何が起きても貴女のせいにはしないよって、そう言ってるだけっすから」
「は、はあ……」
ミューさんの顔色をうかがうと、彼女はいつも通りの優し気な笑みで、その言葉を肯定する様にやんわりと頭を下げた。
「ところでイハナ。ここに来たという事は、あの話をするのでしょう?」
「んっ、ああ、そうだったっす」
「クラムちゃん、脚、見せてもらってもいいかな?」
「っ―――!」
ミューさんへ視線を移す。無意識に、彼女へ助けでも求めたかったのだろうか。
しかし彼女は静かに佇んで、こちらを注視しているだけだった。
「どうぞ……」
観念して、私は掛け布を剥いだ。
現れた痛ましい己の身体に、私は顔を背ける。
ここ数日、あえて考えないようにしていたのに、どうしてまた、こんな知らない人に?
「……ごめんなさい、クラムちゃん。ありがとう、見せてくれて」
「こんなもの見て、どうするつもりなんです」
「あれっ? 話してないんすか?」
振り向いて事情を尋ねたイハナさんへ、ミューさんは首を振って答えた。
「あれま」と、イハナさんは気まずそうに頭を掻いた。
「そりゃ、ますます困惑するっすよね。ごめんね。実はね、貴女の為に、新しい脚を用意したんすよ」
「新しい、脚?」
「そうっす。これっすよ。―――よいしょっと!」
そう言ってイハナさんは、床に置いていた木箱をベッドの上に乗っけた。縦に長い木箱で、イハナさんの様子からして重量もあるようだ。いったい何が入っているのだろう?
「これは?」
「開けてみてほしいっす」
言われるまま木箱の蓋に手を振れると、あっさりと上板が横にずれて開いた。箱の中に在ったのは、赤い絹織物に巻かれた、一対の脚だった。実寸大の人間の脚を模した、人形だ。それが一瞬、私には本物の脚に見えた。
「……っ! 人の脚? いや、人形?」
「義足です。もともと、アリエッタはこういった物を造る事を専門とした技師ですので」
ミューさんが答えた。
「これを、私に? いやっ、ダメです! こんな高価なモノ、とても買えません!」
この気持ちは痛い程に嬉しいが、所詮わたしは貧民窟の孤児でしかない。こんな見るからに高価な物を買い取る余裕なんかあるはずない。
「あらっ、そう来たっすか」
少しだけ困惑したようにそう言って、イハナさんはミューさんを見た。
ミューさんは少しだけ考えてから、こう言った。
「我々としては、この脚に対価を求める気はありません。完全にして純粋な善意であると誓いましょう。ですが、貴女自身の身体の問題ですから、それについては貴女が考えればよい事です」
「……と、言うと?」
「言ったとおり、私達はこれを無償で提供する意思があります。これが貴女の助けになるのなら、私達はそれだけで満足です。ですが、貴女がどうしてもと言うのであれば、この対価は貴女が後々払って行く形でも構いません。金額も貴方が決めて良い」
「出世払いって事ですか?」
「ええ。まあ、そういう事になりますかね。働き口が無いと言うのなら、私の下で雇っても良い」
「それって、どういう事ですか!?」
ミューさんの下で働けると聞いて、私は思わず背筋が伸びる。
「前から、信用できる直轄の使用人が欲しかったのですよ。私は、人としての感覚が欠如しているので、お嬢様のお世話には不便が多いのです。だからと言って、適当な雇い人には任せられませんしね」
「感覚の欠如って?」
何やら恐ろしい意味合いの響きに聞えたが、ミューさんは平然としたまま応えてくれた。
「そうですね、見ていただければ早いかと。イハナ、すみませんが手伝っていただけますか?」
「おっ、あれをやるんすね」
「そういうのは、良いですから」
イハナさんに手伝われ、ミューさんはなぜか私の目の前で服を脱ぎだした。
驚きと好奇心から、私はその様子を静かに見守る。すると、次第に妙な物が見えてきた。
彼女の裸体は、人のそれとは違っていた。種族による差異ではない。そもそもに、生命体ですらないのだ。なぜなら彼女は―――
「……人形だったんですね」
「なかなかに、不気味でしょう? 私が人に対し礼節を尽くすのは、基本これが理由です。私は人ではありませんので」
「……感覚。音や視覚は、多分あるんでしょう。だとすると、無いのは味覚や嗅覚ですね。私にさせたいのは、毒見か何かですか?」
ミューさんは一瞬驚いたようにして、それから嬉しそうに笑った。
「良いですね。私を見て最初に出たのが、畏怖や疑問ではなく、それとは。やはり、見込んだ通りでした」
「見込んだって、私を?」
「ええ。実は、初めて会った時から貴女には目を付けていたのですよ。お嬢様とネネッシュ様の会談の最中、貴女は二人の傍ではなく、私の隣に立っていましたね。それはあの場での有事の際、ネネッシュ様を守るために、最も危険でいち早く止めるべき相手は誰かを、見極めていた事に他ならない。違いますか?」
「……どうでしょう? 偶然ですよ。ただ、初対面での印象で、貴女が危険な人だと思っていたのは、失礼ながら本当です。同時にサスティバンからネネッシュを守ってくれた貴女を、信用して良いものか考えあぐねていた」
「まさにそれです。貴女は観察し、その上で疑い、その場でできる最善の方法を選ぶ力を持っている。私が欲しいのは、そういう人材なのですよ。そうでなければ、お嬢様はお守りできませんので」
「買い被りです。もしそうなら、こうなってはいないでしょう」
「遠慮せずに言うのなら、それは未熟というだけの事。経験を積めば、問題ありません」
「そうまでして、どうして私を?」
「貴女にそれに足る能力が備わっているからと、そう申しているのですよ。私の存在意義は、お嬢様に尽くす事。その為に役立つ者、必要な者を揃えるのもまた、私の仕事なのです」
「ははっ、なるほど」
はぁ、なんて怖い人なのだろう。なるほど。この人は確かに優しい人だけど、それだけじゃない。それ以上に、アリエッタさんへの忠義が強すぎる。
言葉ではなく、声や仕草からそういったモノがひしひしと感じられた。
「一つだけ、正直に答えていただけますか?」
「もちろんです」
「今の話からして、私に数日前から目をかけてくださっていたようですが、この脚をダシに使ったわけではないのですね?」
無論、そんな事をされているとは微塵にも思っていない。この人は、あの治癒師と同じ匂いがするから。きっと非道にはなっても、外道にはならないと思うから。けれど、確かめる事はしなくてはいけない。私は私の感覚を信じられるほど、今は確信を持てないから。
「誓って。それとこれとは、別の話です。成り行き上、そういう話になってしまったというだけですので」
ミューさんは真剣に、私にそう言った。
「分かりました。ではこの脚、ありがたくいただきます。対価は、貴女の下で働きながら定額をお支払いいたします」
こうして私は、ミューさんの下で働く事となった。
その日のうちに、私はアイルフィール商会の支店へと連れて行かれ、そこで義足の接続手術の為の検査をした。その翌日には手術が行われて、私には人形細工の新しい脚が付けられた。
両日ともミューさんとイハナさんは立ち会ってくれて、ありがたい事に私の世話をしてくれた。
そうして迎えた三日目の朝。始まった入院生活の初日、私は朝刊で、全てが終わった事を知った。




