アルフェンの深い夜-【ミュー】
王都一の上宿とされる『ハインテネム』に、アリエッタは部屋を借りている。
普段の彼女は節約家なのだが、王都内では金を使わなくてはいけない理由というのがあったりする。
商会の名声を上げ、社交界への進出と、裏社会への進出を同時に目論むアリエッタにとって、王都内で流れる評価には、特に気を遣わなくてはいけないのだ。
例えそれが平民の間で流れる些細なうわさ話であろうとも例外ではない。
うかつに安宿に泊まって、アイルフィールの長がその程度の器の人間だと言われようものなら、それだけでダメージとなる。
見栄と自尊心で武装された貴族たちの仲間入りをするという事は、つまりそういう事なのだと、アリエッタは私に語った。
それでも、元々貴族のそういった体質を嫌うアリエッタには、目的のためとはいえ散財するのが苦痛のようである。
今も宿のレストランで食事を採っているが、無表情で黙々と食べている。上客用の個室なのでまだいいが、この姿を料理人が見た日には気の毒な事になるだろうなと思う程に、機械的に肉を処理している。
王都でも指折りの高級レストランという事なのだが、アリエッタ曰く「イハナの作る方が美味しい」という事なので、単純に味が好みじゃないというのもあるのかもしれない。
私には確かめる術が無いので何とも言えないが、確かにイハナの作る食事はいつも美味しそうに見える。もちろん、レストランの料理も同じくらい美味しそうに見える訳なのだが。
「ご馳走様」
料理を綺麗に平らげたアリエッタが、素っ気なく言った。私はそれを合図に手元のベルを鳴らす。
ベルの音に呼ばれて直ぐに給仕が入って来た。給仕は軽くお辞儀をしてから、飲料のボトルとグラス以外の食器を素早く片付けて、ワゴンで運んでいく。
再び個室に私と二人きりになってから、アリエッタは息をついた。
「駄目ね、いつまで経ってもこういうのは慣れないわ」
「そうでしょうか。様になっていると思いますけどね」
元々礼儀正しい人なので、アリエッタは所作が綺麗だ。特別な意識などしなくとも、彼女は十分に気品がある。
アリエッタは私の称賛を微笑んで返し、物憂げな表情を浮かべる。
「そう? まあ、そう見えているのなら良かったわ。……それにしたって酷い物ね。ついさっきあの行列を見た後だと、この食事に掛けている値段が馬鹿らしく思える。……やっぱり明日からは露店物を部屋で食べるわ。気分が悪い」
「お口に合いませんでしたか?」
「……そうね。私でも六分の一の値段でこのくらい作れる。単に無駄な金を使っているのが馬鹿らしく思えるだけ。差額をあのお嬢様にでも寄付した方が、よっぽどお腹が膨れるってものよ」
要約すると、値段の割に大した事ない料理だったわと言いたいらしい。
それにしても、あのお嬢様とはネネッシュさんの事だろうか。
「あれは……意外でしたね」
今思い出しても、彼女が名乗ったときの衝撃と言ったら無い。どんな運命のいたずらで、こんな事が起きたのか。殺した側と殺された側が全く意図しない形で、路地裏の貧民窟で遭遇したのだ。
アリエッタも同じ意見だったのか、どこか愉快そうに言った。
「ええ。まさか、ネネッシュさんがルーンの妹だったとはね。どんな巡り会わせなんだか。―――でも、あの人は良い人よ。愚兄とは大違い」
私もアリエッタと同意見である。ネネッシュさんからは嫌な雰囲気を感じなかった。あの人は真っ直ぐに生きている、善良な表側の人間だと思う。
それに、アリエッタが信用すると言った相手なのだ。私は私の目よりはるかに、アリエッタの目と直感を信じている。アリエッタが良しとするのなら、私にはそれだけで十分だ。
「心配はしておりません。アリエッタの目を信じていますので」
「あら、随分買ってくれてるのね」
私の言葉を、アリエッタは嬉しそうに受け取った。それから彼女は一息ついて、遠くを見る様にして口を開いた。
「正直意外だったわ。あんな風に無私の労働をする人が、まだこの国に居たなんてね。それがあの男の妹とくればなおさらに。……私は破壊的な方向性でしか、物事を考える事ができない。あんな風に、他人の力になる事を選んだネネッシュさんには、敬意を表するわ」
「だから援助の申し出を?」
「ええ。私は、私の目的もやり方も変えるつもりが無いから。私の出来ない方法で世界を良くしようとする者が居るのなら、力になろうと決めていたのよ。それが私の財力の最も優先される存在理由よ。今まではぼんやりとした考えだったけれど、今日は少しだけやるべき事が見えてきた気がするわ」
満足気に、アリエッタは言う。今日は濃厚な一日だったが、彼女にとっては良い方向に得るものが在った一日だった様だ。珍しくすっきりとした顔をしている。
彼女のこんな表情が見れたのだから、私としても良い日だったと思える。
「良かったですね」
思わず笑みがこぼれて、そんな風に私が言うと、
「ええ。本当に」
アリエッタは澄ました表情で、うっすらと微笑んだ。




