救済の代行者-3
聖堂に整然と並んだ椅子の、入り口側から一番手前の席に腰掛けると、アリエッタ・アイルフィールは盛大に息を吐いた。
散々溜め込んだ鬱憤を晴らすような、そんな憂鬱なため息だった。
直角の背もたれに限界まで深く背を預け、アリエッタは疲れた顔で天井近くのステンドグラスを仰いだ。
彼女の従者は椅子に座らず、その傍らに立っている。一見してただ佇んでいるように見えても、彼女の中では常にアリエッタを守るための索敵警戒がなされていた。
その様子を横目に見て、アリエッタは従者へ向けて、柔らかな声で指示を出した。
「座りなさい。教会を襲撃する不信人者は、流石に居ないわよ」
「―――では、失礼します」
従者は軽く頭を下げると、アリエッタの隣に座った。
これが従者に対する気遣いではなく、隣に来てくれという指示である事を、この従者は良く分かっている。
「また一段と不機嫌ですね。原因は、さっきの話ですか?」
従者の問いに、アリエッタは静かになった。虚ろな視線はステンドグラスへ向けられているが、彼女は何にも焦点を合わせてはいない。
ネネッシュが語った貴族院の対応に、アリエッタは深い怒りを覚えていた。
政府機関の主要勢力である貴族院が、政府の決定によって被害を受けた国民に対して、援助の必要なしと下したのだ。理不尽な、人種差別による理由からである。
それがアリエッタには、何よりも許せなかった。エルーシナの支配するこの国においては、アリエッタの属するノイヤ族であっても、決して優遇された地位とは呼べないからである。
しばらくして、アリエッタは無理やりにその重い口を開いた。乗り気でなかったとしても、この従者の問いかけには答えるのが、彼女の在り方だ。
「……いつか、ミカを引き込んだ時だったか、言ったわよね。私は、革命家になる気は無いと。それは今でもそのつもりだし、そんなもので世の中が変わらない事は、永い歴史がよく証明している。けれどね、ときどき妄想くらいはするのよ。この国の中枢にいる軍人と貴族を皆殺しにしてしまったら、どんな風になるのかとね。
私はこの国の在り方を、この国が支配する世界の在り方を破壊したい。その方法の一つに、力と流血で解決する選択はまず、間違いなく在るのでしょう。全てを台無しにして、一から造りなおすっていうのは、一番極端で、真っ直ぐな話だと思うのよ」
「……話が見えて来ませんね」
「明確に見えているわよ。……目先の利益を優先して、他国から略奪を行い、結果として自国も他国も疲弊させている人間達がこの国には居る。しかもそれは、結果として自国の利益ではなく、自己の利益になる形に仕組んでね。彼らは何の罪も無い人々から、生活や尊厳を根こそぎ奪っておきながら、身分や種族なんてくだらない理由をつけて、その償いを渋っている。元々、人民の事なんて連中の眼中には無いのだから当然よね。貴族共にとって、この国で無階級の国民は家畜と一緒。国民でない者はそれ以下だという事よ。
そんな人間達を生かしておいたままで、本当に世界は変わると思う? この国を変えられると思う?」
無表情なまま、怒りだけを言葉に乗せて語る主人を、従者は落ち着いた口調でなだめた。
「怒りに任せて事を成せば、どこかで必ず間違える。確かに、私達は復讐者なのでしょう。けれど今は、誤解を恐れずに言います。冷静になってください。それが最善でないと分かっているから、貴女は今も我慢強く準備をしておられるのでしょう?」
従者の言を噛みしめる様に、アリエッタは目を閉じた。
「…………そうね。その通りだわ。はぁ―――貴女が冷静で助かるわ、ミュー」
「いえ。……いずれその時が来れば、極端な手も必要になるかと存じます。しかし、今は―――」
「分かっているわ。別に私を立てる必要はないのよ。間違っていると思うのなら、素直に言ってくれていい。私達は主従である以前に、同志であり、家族なのだから」
「……承知いたしました。―――それにしても、教会で話す話ではありませんね」
呆れた風に笑う従者につられて、アリエッタも微笑んで頷く。
「ふふっ、そうね。罰当たりにもほどがある。でもまあ、神様は誰も救ってなんかくれないのだし、これくらいの横暴は見逃してくれるでしょう」
アリエッタは不敵に笑って、聖堂の最奥に鎮座する像へ向けて、嫌味を投げつける。
自身と父親に起こった不運でさえ、教会の信徒たちは"神の与えた試練"だと片付けるだろう。それがアリエッタにとっては、一番解せない部分であった。
何の権利があって試練など下すのか。何の対価によってそれが下されたのか。
神が何よりも優位であると考える者であれば、出ない発想。故に、アリエッタには神信心などそもそもにない。仮にそんなものと出会ったとしても、アリエッタは軽蔑しか覚えないだろうと考えていた。
「……だからまあ、神に仕える人間が人を助けるという姿には奇妙な物を感じるわ。もちろん、彼らの行いが崇高なものだという事は揺るがない。でも、結局彼らが一番、自分達の行動でしか世界が変わらない事を知っている様な気がするのだけれど」
貧民窟の住民の為に働く修道女たちの姿を想い起こし、アリエッタは腑に落ちないとでもいう様に呟いた。
「奇妙という程でもないのでは? 私の世界では、宗教はその民族の道徳観を形成するものだと教わりますし。結局のところ、神さまを崇める事を尊重するんじゃなくて、そうすることで自分の中に生まれた物を尊重する文化なんじゃないでしょうか。困難を誰かからの試練だと思って、乗り越えたらきっといい事があるよとか。神様が見守ってくれてるから前向きに生きようよ、みたいな。
人が人を想う事に理由なんていらないけれど、やっぱり人間はどんな行為にも、理由とか旗頭みたいなものが在ると安心するのではないでしょうか。あくまで、素人の考えですけど」
従者の弁に、アリエッタはうんうんと相槌をうつ。
「なるほど。まあ、考え方はそれぞれだし、そういう意見があっても良いと思うわ。けど、それは神ってやつが居ない場合の話でしょう。ミュー、この世界にはね、神さまが本当にいるのよ」
「……えっと、冗談ですよね」
戸惑う従者を、アリエッタは不敵に笑った。
「まさか。ここでどうして冗談を言うのよ。この国には居ないけれど、確認されている一柱が極北の島に居るわ。リュシエンヌ・ラファールという、時を司る神よ。もっとも、精霊教会の本部に立てこもっているという話だから、居るらしいという事だけどね」
「ははは、魔法にもようやく慣れて来たのに、今度は実在する神様とか。まったく、この世界は驚く事にだけは、飽きませんね」
「ふふっ、それは良かったわ」
驚きと呆れを含んだ従者の反応を楽しむように、アリエッタは微笑んだ。
次の瞬間、唐突に従者が席を立った。
緊張した空気を纏って玄関口の方を見る従者へ、アリエッタは控え気味に声をかける。
「何かあったのかしら?」
「ええ……どうやらただの諍いみたいですね」
主人に危険はないと判断した従者は、落ち着いた様子で答えた。
◇
どんな場所であれ、力の無い者たちが集まれば、相互自衛を目的とした集団というものが形成される。
権力、武力、地位、そうした社会の作り出す"個人では抗えない力"に対抗するため、人は徒党を組む。
そしてそういったものが社会に抗う勢力である以上、反社会的な組織へと変貌を遂げる事もまた、よくある事である。
半獣人街と呼ばれる一帯の貧民窟を統治する自警団『スカジャハス』もまた、そう言った組織の一つであった。
彼らは徹底した排他主義をもち、支配する地域への他種族の侵入を断固として拒んだ。これを侵した者には武力による制裁も辞さない、徹底抗戦の姿勢をとっている。
半ば王都の中に自治権を主張するようなこの集団が放置されている理由は、単純なものだ。
社会的地位は低くとも、身体的な優位で他種族で勝るウェアクァールは、王都の憲兵隊にとって干渉するほどに損をするという厄介な相手だったのだ。
そして同時に、ウェアクァールを軽視するエルーシナの民族性が、彼らを脅威とは位置付けず、見逃され続けたというわけだ。
こうして、国家権力の干渉を受けることなく、悠々と力を付けた『スカジャハス』は、次第に暴走を始める様になる。
本来、同族を守るために創られたはずの組織は、次第にその思想に反する同族すらも排除の対象とするようになっていったのである。
主なものは、他種族による街への干渉を許す行為。それは教会による奉仕活動ですら例外ではなく、教会の援助を受ける同族を、裏切り者であるかのように非難し始めたのだ。
今、教会前の広場でクラムと睨み合う男も、そうした『スカジャハス』の構成員である。
教会の炊き出しを妨害しようとした男たちを止めるため、クラムが攻撃を仕掛けたのだ。
三人の男を前に持ち前のすばしっこさで健闘し、クラムは男たちを失神にまで追い込んだ。しかし、男たちのリーダー格である虎柄の男と対峙した途端、戦いは膠着状態におちいってしまった。
虎柄のこの男は、名前をサスティバンといった。サスティバンは屈強なウェアクァール族の中でも、特に大柄な種であった。その怪力は王都内でも五本の指に入るとされる戦士である。
貧民窟の暮らしで鍛えられたクラムと言えど、身体的なハンデがあまりにも大きい相手だ。速さを武器とする小柄なクラムでは、どうあっても勝てない相手である。
「うちの連中を三人も伸すとは大したもんだが……これはどういう料簡だ、長耳? お前はこの貧民窟とは縁を切ったはずだよな?」
威圧感たっぷりのサスティバンに気圧されつつも、クラムは勇敢に立ち向かう。
「そうだよ。だから、ここに居る。スカジャハスは、教会と、関係、ない」
気丈な態度で睨みつけてくるクラムへ、サスティバンは不機嫌に鼻を鳴らした。
「ふんっ、そうだな。確かに、関係ない。エルーシナの連中が何を企んで飯を配ろうと、俺達には関係ない。だがな、場所がよくねえよ。ここは俺たちの街だ。ここで好き勝手されるのは気に入らねえ。それは大いに関係のある事だぜ、長耳!」
「くだらない。面子とか、本当に、くだらない。そういう貴方は、あの人たちに何をした? お腹を空かせて、苦しんでる人が、こんなに居るんだよ? 貴方たちは、暴れるだけで、助けようと、しないじゃない。自衛のため、仲間を守るための、組織なんじゃないの?」
クラムの指摘には思うところがあるのか、サスティバンが一瞬動揺をみせる。
「っ―――だが、だがなっ、エルーシナは敵なんだぞ? 俺たちの故郷を燃やした敵なんだ。それに媚び売って、食事をもらうなんざ、いよいよ負け犬のする事だろうがよ!」
「そんな事、無い。教会は、そんな場所じゃ、無い。全部のエルーシナが、敵な訳じゃ、無い」
エルーシナを擁護するクラムの言葉に、サスティバンは怒りで顔を歪ませた。
「ちっ、そうかよ。お前は、ウェアクァールの魂を忘れたクズだ。親を殺した連中の味方をする、恥知らずだ」
「っ! もういっぺん、言ってみろっ!」
挑発に乗せられて吼えるクラムに、サスティバンも怒りをぶつける。
「ああ、何度でも言ってやらぁ。恥知らずと言ったんだ、このクズ!」
「……それが、アンタの、本性だ。仲間を守るって言って、結局怒りに任せて、暴れたいだけ。仲間を傷つけたって、構わないし、仲間の苦しみなんて、どうでもいいんだ。アンタこそ、エルーシナと同じじゃ、ないか」
握りしめた拳を収め、クラムは低く唸る様に呟いた。ここで争えば、流血沙汰になりかねない。ネネッシュの前で、それはクラムの望むところではない。
対するサスティバンに、その配慮の必要はない。彼は怒りに任せて、拳を振り上げた。
「てめえっ!」
「殴りたきゃ、殴ればいい。そうやって、無意味に暴れ続けて、同族からも疎まれれば、いい」
クラムの言葉を受け、サスティバンは周囲を見た。
炊き出しの列に並んでいたウェアクァール達は、今は怯えた様子で二人のやり取りを遠目に見ている。
この状態はサスティバンにとっても、望む形ではなかった。主張はどうあれ、彼はあくまでも自警団の一員なのだから。
しかしそれでも、血の気の多い性分が彼を動かしてしまう。上げた拳を下すほどの潔さが出てくるほど、彼はまだ成熟していなかった。
「ちょこざいな事をっ!」
振り下ろされた拳は、クラムには避けられるものだった。怒りに正確さを欠いた一撃がどの程度のものか、クラムには見当がついている。
しかし―――
「待ってッ!」
予想外だったのは、ネネッシュの行動だった。
あろうことかネネッシュはクラムを突き飛ばすと、サスティバンの拳の前に立ちはだかったのだ。クラムを庇うために。
防ぎようのない、刹那の出来事。
クラムは驚きに目を見開き、ネネッシュは恐怖に目をつむる。
―――しかし、サスティバンの拳はネネッシュを打つことなく、その寸前で止められた。
「ふぅ―――正論を突き付けられて、癇癪起こして、子供に手を上げる……大人として恥ずかしくないのですか?」
声がして、ネネッシュは恐る恐る瞼を上げた。
ネネッシュの眼に最初に映り込んだのは、黒い手袋だった。その手を辿ると、夕風にはためく漆黒のエプロンドレスを着た女が立っている。
女はサスティバンとネネッシュの間に手を差し込み、片手で拳を受け止めたのだ。
その人間離れした業と、それを成した相手の姿に、ネネッシュは目を見開く。
「あ、貴女は、アイルフィールの……」
「ミューと申します」
商会の女従者は、ネネッシュへお辞儀をする様に軽く頭を傾けた。
「なっ、なんだお前! くそっ、放せノイヤっ!」
「では、そのように」
暴れるサスティバンの拳をがっしりと捕まえていたミューは、その腕を軽々と振り回しサスティバンを投げ飛ばした。
数メートル離れた地面に落下し、更に転がるサスティバン。
その怪力に、クラムも感嘆の言葉を漏らす。
「すごっ―――」
転がるサスティバンを見つめ、ミューは口元に手を当てた。
周囲にはそれがどう映ったか。状況をきちんと把握していない彼女は、ここでサスティバンを殺しても良いものなのか決めかねていた。
結局、ミューはサスティバンの扱いに困り、ネネッシュを頼った。
「いかがいたしましょうか?」
「あのっ、私に任せてもらえませんか?」
ミューは黙って頷くと、数歩後ろへ下がり、道を開けた。
慎重な足取りでサスティバンへ近づき、ネネッシュは声をかける。
「あの、サスティバンさん……」
「エルーシナと話す事なんて何もねえ」
痛みに顔を歪ませながら体を起こすサスティバンは、突き放すようにネネッシュへ言った。
ネネッシュは申し訳なさから、言葉を詰まらせる。
戦争と不遇から、ウェアクァールがエルーシナを憎むのは当然だと思うからこそ、ネネッシュはサスティバンの怒りすら否定する気にはなれなかった。
「……」
「俺はな、お前らが嫌いだ。いい顔して近づいて、そんで騙して皆殺しにするような連中だ。絶対に許さない。もし、ここに居る連中に何かしてみろ。俺はお前を殺す。絶対にだ!」
射殺すような視線を向けられて、ネネッシュは体を竦ませる。それでも、彼女ははっきりとした言葉で、自身の信条を伝えた。
「そうはならないと、誓います」
「……そうかい」
サスティバンは静かにそう言って立ち上がると、伸びた三人の男を引きずって去って行った。
その背中を見送るネネッシュは、安心感から足の支えを崩す。すぐにクラムが駆け寄り、ネネッシュを支えた。
「だ、大丈夫?」
「すっごく緊張した。任せてなんて言ったけど、結局何もできなかったや。ははは、情けないね」
「ううん。そんな事ない」
気疲れしたような笑みを浮かべるネネッシュに、クラムはできる限りの優しい笑顔を向けた。
「ええ、立派でございましたよ」
二人が振り返ると、ミューは軽くお辞儀をしながらそんな事を言った。




