救済の代行者-2
目を覚ました。
瞼を開けても、閉じても変わる事の無い景色。
腐った水の様な、青臭いにおいが鼻を突く。
私は手探りで照明器具を探し、火を点けた。魔石という石の力を借りて、火を起こす長耳族の道具だ。こんな便利なものを造る民族が相手では、そりゃ私達の国なんて勝てる訳も無い。
そんな事を無意味に考えて、自分に呆れて笑ってしまう。頭はまだ寝ぼけているらしい。
ここは、長耳族の国の首都らしい。奴隷商から逃げて以来、私はこの街に定住している。何の因果か、私は敵国の中枢に流れ込んでしまったというわけだ。
当然、この街の民衆はウェアクァールに対して良い顔はしない。
ウェアクァールは敵で、異邦人だから、ここでは歓迎されないのだ。
仕事はもらえず、食糧は買えず、寝床を借りられない。
だからウェアクァール達は力で物を略奪し、そうして更にその印象を悪くしていく。
力がある者はそれで良い。だけれど、女子供はどうすれば良いのか。男たちも自分が生きるのに必死で、そういう事をないがしろにしている。
私はそんな生活が嫌になって、ウェアクァールの貧民窟から離れた。
今私が寝起きしているここは、街の地下にある空洞の一部だ。以前聴いた話によると、都市開発とかいうものの名残らしい。
以前、友人のネネッシュに見せたところ「下水道の資材置き場で寝るなんて」とちょっと怒られた。本当は寝床にしてはいけない場所みたいだ。
それでも洞窟みたいで居心地が良くて、私は今でもこっそりここを寝床にしている。
簡単なストレッチの後、昨日くすねたフィッテラ(穀物を原材料とした、熱加工された膨化食品)で食事を済ませ、私は空間を出た。
照明器具は貴重品なので、持ち出す事はしない。私は壁に手をついて、その流れを辿りながら暗闇を進む。そうすると直ぐに、半円型の光の塊が前方に見えてくる。これが地下の出入り口だ。
出口は川に面していて、凹型になっている地下空洞のへこみ部分には、川の水が流れ込んでいるという構造だ。やけに空洞内が青臭いのは、これが原因なのだろう。
時刻は早朝の様で、外の景色は白茶けていた。この地域特有の濃い霧が川と街をぼかして、朝は大体こんな景色になる。
小便くさい空気を除けば、なかなか気持ちの良い時間帯だ。長耳族や丸耳族は大体寝ているので、私達ウェアクァールが活動しやすい時間帯でもある。
活動と言っても大した事をする訳ではなく、やる事は故郷で暮らしていた時とそう変わらない。単純に食糧の確保だ。
獲物から命を獲るか、店から品物を盗るかの違い。窃盗行為は心が痛むが、先に私達から奪ったのは彼らなので、そこは許してもらうとしよう。
生きるためには、綺麗事は言えない。この街では特にそうだ。故郷で両親から教わった道徳なんて、ここじゃ自分の首を絞める枷にしかならない。
殺して盗み、運んで捌いて。そうして悪辣を積み重ねなければ自分が野垂れ死ぬ。そういう街、そういう時代なのだろう。
それでも自分の生き方を後悔したくはないので、これまで殺しだけはしてこなかった。その分、私は私が生きるためだけに必要な、最低限の事だけをしてこの一年やって来た。
一つのフィッテラを巡って、殴り合いの喧嘩もした。薬を売って憲兵隊に連れて行かれた同族を、助けられたのに見て見ぬふりをした事もある。
自分さえ良ければ、自分に火の粉が降りかからなければ。そんな生き方をしていると、自分の心が腐っていくのが良く分かる。
止められないし、止めようもないから特に苦しい。
それでも、私は生き抜く。生きて、生き続けて、絶対に死んでなんかやらない。私は、死にたくない。
だから今日も、遠慮なく盗みに行こう。
「今日は、あそこに行こうか……」
独り言つ。
虚しくなるけれど、たまに声を出さないと喋り方を忘れてしまいそうな気がするから。
私は行きつけの食料品店に向かった。鍵の構造が単純なので、忍び込み易いのだ。しかも貧民窟から離れた表通りにあるので、競争相手が居ないという利点がある。穴場だけに、店に潰れられては困るのだ。ウェアクァールの自警団が略奪をしたせいで、潰れた店などこの街にはごまんとある。
表通りに出ると、珍しく犬車とすれ違った。こんな早朝に走っている車なんて、見た事が無い。
黒塗りの、いかにも高級な箱車だった。きっとエルーシナの貴族でも乗っているのだろう。
私はなんとなく不愉快な気分になって、霧の中へ消えていく箱車を睨みつけた。
そんな事をしたって、何が変わる訳でもないのに。
◇
今日は午後から天気が良かったので、川の堤防に寝転んで空を眺めていた。一日分のフィッテラを確保して寝床に戻れば、あとはする事が無いからだ。
外へ出れば厄介ごとに巻き込まれる危険は高まるのだけれど、日の光を浴びないとウェアクァールは本調子が出ない。動物ってやつはどうあっても、太陽の下で生きるしかないようである。
青い空は、世界のどこに居ても変わらない。ゆったり流れる雲を観察していると、自分が未だに故郷の村にいる様な錯覚におちいる。
あの頃は平和で、不自由は沢山あったけれど、それでも楽しかった。
どれだけ望んでも、二度と戻る事の無いあの暮らし。村はすでに無く、村人も、家族も居ない。
私だってこのままじゃ、どうあってもいつか死ぬ。病気になるか、誰かに殺されるか。どっちにしたって、この腐った街で人知れず死んでいく。
だからって今更、この街を出てどうしようというのだろうか。食料が確保できるだけ、ここに居た方がましだ。
外は獣や魔物で溢れているし、盗賊や、あくどい商人だって居るだろう。またあんな風に捕まって酷い目に遭うのは御免だ。
郷愁と後悔と悲壮感でいっぱいになった私は、いつしか泣いていた。涙が重力に流されて、両目の端を流れていく。
無駄な事を考えるものじゃないな。キツイだけだ。
「あっ、居たいたっ! おーい、クラム!」
唐突に名前を呼ばれた。緊張感のない、底抜けに明るい声だった。
私は急いで涙をぬぐい、体を起こす。
振り返ると、一人の女の子が階段を下りてくるところだった。
白い前掛けを付けた、エルーシナの女の子だ。
「どうしたの、ネネッシュ?」
名前を呼ぶと、女の子はえへへと笑って、私に四角い籠を差し出した。彼女はたまに、こうして食事を持ってきてくれるのだ。
「作って来たんだ。一緒に食べよう」
「食事なら、さっき済ませた」
私がそう答えると、ネネッシュは途端に暗い顔をした。
「もしかして……また盗んだの?」
「関係ない。ネネッシュには」
上手く言えなくて、少しきつい返しになってしまった。
ネネッシュの顔色を窺うと、彼女は複雑な表情をして私の隣に座った。
「あのっ、ごめん。心配してくれるのは、嬉しい、から」
慌てて謝ると、ネネッシュは表情をコロリと変えてまた明るい笑顔を見せた。いつもそうだが、動作が忙しい子なのだ。
「せっかくだから、少しだけ、もらうね。ネネッシュが、作ってくれた物、無駄に、したくない」
「うん! クラムの好きなお肉も入れてきたから。食べて食べて!」
ネネッシュは籠から、フィッテラに具を挟んだ食べ物を取り出すと、私に渡した。赤や緑の野菜が彩り豊かに挟んであって、その間に分厚い肉も入っている。
こんな豪華な料理は、故郷でも食べた事が無かった。
ネネッシュの持ってきてくれる食べ物はいつも豪華すぎて、タダでもらうのが申し訳なくなる。
……うん、やっぱりおいしい。
「ありがとう、ネネッシュ。今日も、美味しいよ」
「そう。良かったわ」
素直に感想を言うと、ネネッシュは嬉しそうに笑ってくれた。
私は、笑っている彼女が好きだ。こうして一緒に居ると、とても安心する。
この街では誰も信用できないけれど、彼女だけは特別だ。ただ一人信頼できる、私の友人である。
一年前、私が奴隷商から逃げたあの夜。途方に暮れてさまよっていた私に、声をかけてくれたのが彼女だった。
教会の前で炊き出しをしていた彼女に、食事をもらった。あの時は警戒心よりも先に、食欲の方が勝っていて、泣きながら無我夢中で食べたのを覚えている。
檻の中でいつもお腹を空かせていた私にとって、それは何よりの救いだった。本当に温かくて、食べるという行為が心すら救ってくれる、尊いものだという事を知った。
同時に、このネネッシュという少女を、それこそ救世主か何かみたいに感じたという訳だ。
実際彼女は救世主みたいなもので、教会の人間でもないのに私財を使って、貧民窟の人々の為に食事を配ったり、毛布を提供したりしている。
何もしてくれない神様よりも、よっぽど人々の救済に尽くしている人と言えるだろう。
「今日も、教会の炊き出し?」
「うん、そうだよ」
ネネッシュは川を眺めながら、私の問いに頷いた。
大抵の場合、ネネッシュが食べ物を持って来る日は炊き出しのある日だ。彼女が食べ物を持って来る代わりに、私は彼女の手伝いをするという、暗黙の了解ができていた。
それはもちろん、彼女が始めた事ではなく、私からやり始めた事だ。タダで手伝ってもらうのは悪いからと、彼女が食事を持ってきてくれるようになったのだ。
「じゃあ、今日も、手伝う。これの、お礼」
「いつもありがとうね、クラム」
「うん。まかせて」
私がそう言うと、ネネッシュはまた嬉しそうに笑ってくれた。
正直なところ、私はネネッシュの役に立てるのなら、何でもいい。人として尊敬する彼女に、もらった恩義に、報いたいというだけなのだ。
それでも、もらえる物は素直にもらっておかないと、明日もままならない生活なので仕方がない。本当は炊き出しの手伝い以外にもネネッシュの役に立ちたいのだけれど、私にできる事など特に思いつく事も無く、それが最近の悩みでもあった。
◇
教会前で行われる炊き出しは週に三日。
昼と夜の二回行われる。昼は正午から、夜の配給は夕方ごろから始まる。
ここでの私の仕事は、主に荷物運びだ。ネネッシュも修道女も力仕事には向かないので、ウェアクァールである私の出番という訳だ。獣人種は総じて、他種族より体が丈夫なのだ。
ネネッシュにご馳走になっている分、やはりこういう働き方をしなくては。
とは言っても、フィッテラの入った箱や、汁物の大鍋を運ぶだけなので、それほど重労働という訳でもない。
いつも通り荷運びをしていると、ネネッシュが持ち場を離れて駆けて行くのが見えた。
心配になって様子を見てみると、なにやら綺麗な服装の女二人と話している様子だった。見るからに高価そうな身なりで、貴族か豪商だと思った。
何やら嬉しそうな顔で戻って来たネネッシュに聞いたところ、私の予想通りアイルフィール商会とかいう会社の商人らしい。
「あの人達ね、私達の活動に協力してくださるんですって! こんな偶然があるなんてね。本当に良かったわ」
嬉しそうな訳を訊くと、ネネッシュはそんな風に言った。慈善事業もお金がかかるので、ネネッシュは修道女たちと一緒に色々なところへ掛け合っているのだと聞く。これも、そういう話なのだろう。
「でも、苗字持ちは、ずるい人が多いって。気を付けて、ネネッシュ」
貴族や豪商は信用ならない。私が警戒して忠告すると、ネネッシュは「きっと、あの人たちは大丈夫」と言った。
「それに、私も苗字持ちなんだから。簡単に騙されたりなんてしないわよ」
「そっか。ネネッシュがそう言うなら」
門外漢の私ではそれ以上何も言えず、納得した振りをする事にした。
それでも注意しなくてはいけない。ネネッシュに何かあったら、大変だ。
教会の方見る。
ちょうど、商会の二人が教会へ入っていく所だった。
二人とも真っ黒で、なんだか死神みたいに不吉だ。特に、背の高い従者らしき女性は恐ろしい。彼女からは一切生気を感じ取れなかった。まるで、死んでいるみたいだ。
浮かれるネネッシュとは対照的に、私はただただ胸騒ぎを感じていた。




