商人の話
都は霧に包まれていた。
薄い雲に覆われた空を朝日の淡い光が照らしだして、都を灰色に染めている。
寝静まった街に人の気配は無く、周囲は荒廃的なまでに静まり返っていた。
そんな中を、一台の箱犬車が走っていく。灰色の犬が引く、高級な黒塗りの箱車だ。
静寂と霧を裂いて走るそれは、けれどその色合いから街に溶け込むようにして、そこに存在している。
そんな箱車の中には、憂いを帯びた表情で街を見る少女が居た。
歳は十四、五ほど。誰もが認めるであろう、美しい少女だった。
良く梳かされ、手入れの行き届いた艶やかな髪は、胸の位置まで下した金髪。
肌は雪のように白く、身に纏う衣裳は対する様に漆黒であった。
くすんだ青い瞳は、歳にそぐわぬ不吉な陰を帯びていて、その美貌に艶めいた雰囲気を印象付ける。
そんな少女は、無表情で傍らの従者に声をかけた。
「いつ来ても汚い街ね。首都なら首都らしく、きちんと整備すべきだと思うのだけど……」
どこかうんざりした様子の声色に、少女の従者はゆっくりと頷いた。
「確かに。しかし、今は戦争中ですから、街の整備に回す資金など無いのでしょう」
少女の従者は澄んだ声で、丁寧にそう答えた。
従者は二十歳ほどの女性だった。あどけなさを残したその顔立ちは、造り物めいた美しさがある。主人の少女とは対を成すような、無機質な美しさ。
頭の後ろで編み込んで束ねた髪は金色。透き通るような青い瞳は、宝石の様に見る者を惹きつける。
身に纏う衣装は、少女と同じく漆黒であった。
まるで姉妹の様な二人だが、まとう雰囲気は全くの別物である。妖艶な黒い気配を纏う少女に対し、この従者には何も無い。人が誰しも持つであろう気配や空気と言ったものが皆無であった。それを例えるのであれば虚無と言うほかないだろう。
この従者が努めてそうしているのか、生来のものなのかは誰にも分からない。
「でも、アインツールは綺麗な街でしたからね。王都がこれでは、文句を言いたくなる気持ちも分かります」
従者もそんな風に街に対する感想を述べて、窓の外を見た。
霧でぼかされている分いくらかはマシに見えるものの、街の状態は醜悪の一言に尽きる。
無計画に増改築を重ねた結果できた、隙間の無い街並み。そのどれもが劣化によって痛み、荒れている。
そんな建物の合間を縫うように、街の端々まで蜘蛛の巣のように張り巡らされた細い道が通っているのだが、これにも問題があった。
道の中央には、一本の細い溝が通っている。これは排水用の溝であると同時に、糞尿を流す下水道でもあった。地上にむき出された下水は異臭を放ち、度々大規模な流行り病を引き起こす原因にもなっている。
これは都市として発展する以前からある、生活の慣習によるものだった。
この国の習慣では、用を足した後の始末は、窓から物を放り投げるという酷く簡素なものであった。その為、厠や下水に関する整備と発展をないがしろにして来たのである。
野原に撒けば肥やしとなる物でも、舗装された道路に撒けば、当然異臭と病の原因になるだけである。それを人々も理解していながら、慣れてしまった生活習慣を変える事ができず、この様な状態を引き起こしていた。
もちろん、国の責任も大きい。政府機関は国の増強に明け暮れるあまり、こうした町の基盤整備をおろそかにしてきた背景がある。
世界最大にして最強の国家リアチーヌ王国の首都アルフェンは、そのじつ国民の総意による怠惰が積み重なった、負の街であった。
流れていく街並みを興味もなさそうに眺めながら、少女は口を開く。
「アインツールが綺麗なのは、計画都市だったからよ。あそこは王都を整備するにあたっての試験場として改修された街なの。ミューが言ったとおり、王都の改修前に戦争が起こったせいで、計画自体が保留または無かった事になっているわ。この街が未だにこんな状態なのは、そのせいね。
……まあ、その戦争のおかげで私達はこうして儲けているのだし、何とも言えないけれどね」
ミューと呼ばれた従者の女は、複雑そうな表情で少女を見た。戦争を商機と語った若い主人に対して、思うところがある様だった。
「……アリエッタは、この戦争をどのように考えているのです?」
アリエッタと呼ばれた少女主人は、窓の外からミューへと視線を移した。
「特別何かと捉えている訳ではないわ。この国が戦争をしていたおかげで、私の事業が上手くいったくらいの印象よ。……まあ、もしもこの戦争が無かったのなら、お父さんは貴女を造らなかったでしょうし、そう言う意味では、私にとって十分に価値のあった出来事ではあるわ」
アリエッタは困った風に微笑んで、ミューの腕を掴んで引き寄せた。母親に甘える娘の様に、アリエッタはミューに身体を傾ける。
「……ごめんなさい。少しだけ、こうさせて頂戴…………不安なの。人に会うのはやっぱりまだ怖い。今日はずっと傍に居てね、ミュー」
それまで毅然としていた態度を変えて、アリエッタは唐突にか弱く囁いた。そんなアリエッタへ、ミューはなだめる様に優しく声をかける。
「大丈夫。ずっと貴女のお傍にいますよ。貴女は私が守りますから」
「ええ。ありがとう」
アリエッタは穏やかな表情で目を閉じる。ミューもまた、そんなアリエッタに慈しむような目を向けた。
そうしてしばらくして、箱犬車はゆっくりと停止した。
箱犬車が停まったのは巨大な建築物の前だった。特別装飾に凝った外観は、役所などによく見られるものだ。
外壁にはリアチーヌ王国の国旗が掲げられ、建物の入り口には武装した兵士たちが見張りについている。
ここが軍部に関係した施設である事は、誰の目にも明らかだった。
「さて、じゃあ、仕事をしましょうか」
アリエッタはミューから身体を放すと、再び澄ました表情に戻った。
ミューが箱車の扉を開け、外に出る。周囲に危険が無い事を確認してから、アリエッタを降ろした。彼女はただの従者ではなく、アリエッタの護衛も兼ねている。
「一時間後に迎えに来て頂戴」
アリエッタが御者に短くそう指示を出すと、箱犬車は走り出して霧の中へと消えて行った。
二人はその様子を見届けることなく、建物の入り口へ向かう階段を登って行く。
入り口の両側で待機する門兵たちに名乗り、二人は中へと迎え入れられた。
案内の為にエントランスで待機していた軍人に連れられて、二人は最上階にある一室へ通される。
部屋の入り口には『局長室』と書かれていた。
室内には、二人の人間が居た。局長と思しき初老の軍人と、二人に背を向けて本棚を物色する女だ。
ミューはどういう訳か女の事が気になって、その背中を凝視する。
執務室机に座る初老の軍人は、二人の姿を見るなり、立ち上がってにこやかに歩み寄ってきた。
「お待ちしておりました、アイルフィールさん。こんな早朝から申し訳ない」
「いえ、大尉のお呼びとあれば、いつでも駆け付けますわ」
大尉と呼んだ初老の軍人に対し、アリエッタはにこやかな口調で応じた。反してその顔には、不気味なほどに表情が無い。
それには大尉も慣れているのか、特に顔色を変えることなく、アリエッタとミューを来客用のソファーへ促した。
「いやあ、貴女の開発した魔銃ヘルティナスは、現地でも好評ですよ。上層部の評価も非常に高い。あの装填機構は本当に画期的でした。我々では思いもつかなかった」
「それは良かった。私の発明が、この国に貢献できたのなら何よりですわ」
やや興奮気味に賞賛の言葉を送ってくる大尉に対し、アリエッタはやんわりとしたお辞儀を返す。
大尉はそれに軽く頷くと、執務室机の脇に立つ女性へ声をかけた。
「早速ですが、時間もありませんので本題に入りましょう。今日アイルフィールさんをお呼びした件について―――博士」
壁際に置かれた本棚を物色していた女性は、大尉に呼ばれてふらふらと歩み寄って来た。ワインレッドのコートに身を包んだ、凛々しい顔立ちの女性だ。
「おや、ようやくお呼びかな?」
不遜な笑みを浮かべて、女性はソファーに座る一同を見下ろした。
重役の執務室にもかかわらず自由奔放に振る舞う女性に、アリエッタとミューは訝しむような視線を向ける。
やや呆れ気味に眉を下げて、大尉は女性を二人に紹介した。
「彼女が失礼を。……彼女はエニグマ・レクティバス博士。うちの魔法特技課の顧問で、戦闘自律人形の計画を先導している、優秀な魔法学者です」
「……そうですか。カランドの噂はかねがね伺っていますわ」
アリエッタは口元だけを歪めて、作り笑いを浮かべた。
カランドとは、リアチーヌの軍が一昨年に採用した、戦闘用の自律人形の名称である。かつてこの人形の開発競争に、アリエッタの父オルコットが参加していた過去がある。
オルコットがミューを造るきっかけを作った人間が、目の前の女性と聞かされて、アリエッタの顔が一瞬陰った。
「いや、なに。私はアルガンサフの造った物を改良したに過ぎない。貴女がた民間企業の技術には舌を巻くばかりですよ」
見え透いた謙遜の言葉を述べて、エニグマはわざとらしく恭しい仕草でお辞儀をした。
試作当時のカランドが本格的な実戦で使い物にならない代物だった事は、とある事情からアリエッタとミューはよく知っている。それを実戦投入できるまでに改良したのは、このエニグマなのだ。
今やリアチーヌ王国の主力兵器とされるまでに、自律人形を進歩させた功績がどれほどのものか、技術者であるアリエッタには理解できる。
エニグマは下げた頭を上げるついでに、何の気なしにミューを一瞥した。途端、彼女の顔から余裕の表情が消え去った。
「…………」
不可解な物を見たと言う表情のエニグマに、ミューは眉を寄せる。
「何か?」
「いや、すまない。知り合いに似ている様な気がしたのでね」
そう言って、エニグマは話題から逃げるようにして大尉の隣に座った。
「……」
ミューはなおもエニグマの姿を注視していたが、不可解な行動の意味を推し量れずにいた。
部屋に入って以来、エニグマから微かに嫌な雰囲気を感じ取っているミューは、その理由を理解できず、居心地の悪さを感じている。
「では、本題に入ろうか。我々は今、上からの命令でこういう物を造ろうとしていましてね」
エニグマが差し出した書類を受け取り、アリエッタは簡単に目を通す。
「……なるほど。新型の大砲ですか。……この射程距離は少し無理がある気もしますけど」
淡々とした口調で書類の感想を述べるアリエッタ。それにエニグマもうんうんと頷いて、
「ああ。まったくだよ。―――しかし、ラムケルシュの塹壕戦では、ウチの砲が圧倒的に負けていたらしいからね。距離やら精度やら、何もかもがだ。砲の打ち合いが主流となっている今、この差を何としてでも埋めたいというのが、上の考えらしい。いくら剣戟の勇者様が一騎当千とは言え、独りで国を落とせるわけじゃないからねぇ」
愚痴っぽくそう言った。
エニグマの言葉を補足する様に、慌てて大尉が話題を繋げる。
「まあ、そう言う事情がありましてね。是非ともこれの開発に、アイルフィールさんの力をお借りしたいのです。事態は一刻を争う状況ですから、ヘルティナスの功績を鑑みて、貴社にお願いできればと」
「それは良いお話で。光栄ですわ。そういう事でしたら、お受けいたします」
アリエッタは大尉へ向けて、にこやかに微笑んだ。相変わらず彼女の眼は笑っていなかったが、大尉はほっと胸をなでおろした。
その後、主にアリエッタとエニグマの間で話し合いが行われ、アリエッタの商談はきっちり一時間で終了した。
二人が建物の外に出ると、外はすっかり明るくなっていた。
日が昇る前には人気の一切無かった街にも、少しずつ人の姿が見られる様になっている。
道路で待機していた箱犬車に乗り込んで、アリエッタは一息ついた。一時間喋り通しだったせいか、その無表情にもどこか疲れが感じられる。
そんなアリエッタに労う言葉をかけ、ミューは箱車の扉を閉めた。ミューが扉を二度叩いて合図を送ると、箱犬車が走り出す。
「……アリエッタ、一つだけ訊いてもよろしいでしょうか」
こめかみを抑えて項垂れるアリエッタへ、おずおずとミューは言葉をかけた。終始エニグマに対する不信感を拭えなかったミューは、その確証を得たかったのだ。
「もちろんよ。どうしたの?」
「―――アリエッタは、あの方をどのように思われましたか?」
真剣な調子で問うミューに、アリエッタは項垂れていた顔を上げる。
「レクティバス博士? そうね……いけ好かない人だったわ」
心底興味が無さそうにして、アリエッタは素っ気なく答えた。人を見る目に長けたアリエッタの言葉に、ミューは納得した様子で頷く。
「……やはり、そうですか」
「優秀な人なのでしょうけれどね。あれは、どうもきな臭いわ。これからは、極力関わらないようにする。貴女も気を付けてね」
「ええ。承知しております」
アリエッタの忠告に、ミューはしっかりと頷いて見せた。
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「彼女たちが気になるのかね、博士」
窓際で名残惜しそうに箱犬車を見送るエニグマを、エンバー大尉は不思議そうに見ていた。
大尉の問いに、エニグマは灰色の空へと視線を上げて、心底嬉しそうに笑った。
「ええ、まあ。なかなかに面白そうだ。……特にあの従者。ふふっ、久しぶりに楽しくなりそうですよ」
「そうか。そりゃ良かった」
天才には変人が多い。そういう解釈でエニグマを見ているエンバー大尉は、彼女の言葉の意味を考えることなく受け流した。
窓ガラスに映り込むエニグマの口元は、狂気に歪んでいた。




