兵器の話
その日もいつも通り、私はアリエッタの帰りを待ちながら、オルコットの作業を眺めていた。
話せるようになってからは、オルコットと会話することも多くなり、以前に比べてこれも退屈な時間では無くなっていた。
オルコットは見た目通りの温厚な人物で、話していると落ち着く不思議な魅力があった。人形である私に対しても対等に接してくれるこの人に、私は敬意を持って応じた。この人は私にとって、第二の生みの親と言っても過言ではないのだから。
調整が終わったらしく、オルコットは作業台から人形の脚を抱えて持って来ると、私の右股関節に接続した。
「よし。ミュー、動かしてみてくれ」
「承知しました」
言われたとおり、右脚に力を入れる。脚を持ち上げたり、足首を動かしたりしてみる。何の違和感も無く、すんなりと自分の脚の様に動いてくれた。
「問題ありません。柔軟に稼働しています。さすがですね、オルコット」
「良かった。じゃあ、次は左脚だね」
オルコットは作業台へ戻り、もう片方の脚を抱えて持って来る。私はその様子を見ながら、ずっと抱いていた疑問を訊いてみた。完成に近づいている今だからこそ、訊くのに適切な時期だと思ったのだ。
「オルコット、一つだけ訊いてもよろしいでしょうか」
「なんだい?」
彼は脚を床に置くと、跪いた姿勢のままで私を見上げる。こうしていると、私が見下ろす形になるので申し訳ないのだが、彼はそんな事気にしないだろう。
「なぜ、オルコットは私を造ったのでしょうか?」
オルコットの表情が曇り、彼はそのまま黙り込んでしまった。
気を悪くしたかなと、私は言葉を補足する。
「申し訳ありません。こんな質問をして。もちろん、造っていただいたことには感謝しています。ですから、これは何の含みもない純粋な疑問なのです。私の様な実物大の人形を造るわけを、知りたかっただけなのです」
「……いや、すまない。怒っているわけではないよ。ただ、君の方から訊ねてくるとは思いもしなかったから、戸惑ってしまったんだ」
オルコットは目を伏せて、これから言おうとしている言葉を整理しているようだった。私は静かに、彼が話してくれるのを待った。
「君を造ったのは、兵器として提供するためだったんだ。……分かるかな、兵器」
「ええ、分かります。私は戦争のための道具なのですね」
オルコットは頷いた。
「この国は今、隣国と戦争をしている。軍部は人死にを減らすために自律兵器として、戦闘人形を造りたがっているんだよ。その試作機の開発を、僕は任されたんだ」
「その試作機が、私という事なのですね」
「そうだ。君を人と同じ頭身に造ったのは、結局その大きさが一番適しているからなんだ。武装や制御機器を組み込むとどうしても大きくなってしまうからね。……人の形を維持しなければ、もっと小さくできるのだけど、僕はどうしてもそこに拘りたかった。僕は人形職人であって、武器を造る人間ではないからね……」
オルコットの表情は険しかった。まるで難題を突き付けられて苦悩する、学者の様な表情だ。
「……貴方は本当のところ、私を造る事を快くは思っていないのですね」
オルコットは自嘲するような笑みを浮かべる。
「白状するとね。僕は人の笑顔のために絡繰りを造っているんだ。人を殺すための道具なんて、やっぱり気乗りしないよ。軍の命令だから仕方なくやっているだけさ。それに、このご時世に工芸品の売り上げだけで生活するのは難しい。この仕事は、どうしても成功させなくちゃいけないんだ。……こんな理由で君に申し訳ない」
「私は気にしませんよ、オルコット。そう造られたというのなら、私は戦いましょう。私は貴方の人形なのですから」
そう。私はもう人形なのだ。命じられるままに動こう。操られるままに動こう。それが今の私の内にある、根源的な欲求なのだから。私は"物"で在りたいのだ。
オルコットは悲しそうに、私を見た。
「君がそう言ってくれるからこそなんだ。君は、これまで見た事もないほどに、人に近い人形になった。……いや、元は本当に人間なのだろう? 心を持った君に、人殺しをさせるなんてそんな事は――」
言葉を遮るように私は両腕を伸ばし、彼の頬に触れた。感触も温度も感じられない。その無機質さに、心が震える。
「オルコット。前にも言いましたが、貴方が気にする様な事は何も無いのですよ。気を遣って言っているのではありません。私は人形である事に喜びを感じているのです。確かに以前の私は人間でした。ですが、私は人間が嫌いで、そして自分自身が人間であることを呪いました。これは私が何よりも望んだ形なのです。神に感謝したい程の幸運だと思っています。ですが、人形の私に祈るべき神は居ないので、貴方へ感謝を捧げましょう。私が貴方達親子の役に立てるのならば、何でも命じてください。私はそれに応えましょう」
異質な物を、理解できないモノを見るように、オルコットの表情は固まっていた。その瞳には、恐れすら浮かんでいるようだった。
「……分かった。君を兵器として完成させよう。本当は提出を見送るつもりでいたけれど、君がそういうのなら」
沈黙の後、オルコットは震える声でそう言った。
「ありがとう。オルコット」
「僕には君が分からないよ」
そう言いながら、オルコットは左脚を私の身体に接続した。右脚と同様に、問題なく稼働した。
「大丈夫です」
「そうか。立てるかい?」
オルコットに両手を引かれ、私は椅子から立ち上がった。初めて自分の足で踏む、異世界の地。
感触がないという事は結構厄介なもので、それだけでバランスをとる難易度が上がっていた。オルコットに支えられなければ、立っていられない。
「どうかな?」
「まだ、慣れませんね」
「ちょっと、歩いてみようか」
オルコットに手を引かれ、足を踏み出す。
一歩、一歩。
右、左、右、左。
なんだか、幼児の歩行練習みたいだった。少しだけ恥ずかしい。
「……こうしていると、なんだか懐かしい気持ちになるよ。アリエッタが幼かった頃、あの子にも同じ様にこういう事をした」
私の手を引くオルコットは、嬉しそうだった。
「こういうのは新鮮でいいね。普段は人形に魔法を書き込んだら勝手に動いてしまうから、こんなふうに練習するなんて事は初めてだよ」
「手間を取らせてしまい、申し訳ございません」
「いや、手間なんて思わないさ。僕は楽しいよ。君が完成していく様を見るのは、娘の成長を見守るような気分に似ている。……やっぱり、君の事をただの人形とは思えそうにないよ。あの子も、君が来てからよく話すようになったし。家の雰囲気も明るくなった。私たち親子にとって、君はもう家族なんだ。だから、僕は君の意見を尊重しよう。君が僕の仕事を手伝ってくれると言うのなら、それについてもう何も言わない。だから、もし戦う事とかそういうのが嫌になったりしたのなら、すぐに言ってほしい。君も僕に遠慮はしないでくれ。いいね?」
「……分かりました」
そういう扱いは本望ではないけれど、オルコットの顔はとても優しかったから、私は何も言わずに受け入れた。こんな得体のしれない私を、この数日の間にそこまで信用してくれた事が嬉しかった。
そうこうしている間にこの身体に慣れてきたのか、自立して歩けるようになった。未だに、おぼつかない危なっかしい足さばきだが、より回数を重ねればもう少しマシになるだろう。
「もう慣れたのかい? すごいね君は」
ふらふらと部屋の中を歩く私を見て、オルコットはそんなふうに言ってくれた。
「ありがとうございます。少し、練習の為にこの屋敷の中を回って来ようと思うのですが。よろしいですか?」
「良いとも。付いて行こうか?」
「いえ。補助のない緊張感がある方が、練習になると思うので」
「分かった。何かあれば、声を出して呼びなさい。無茶はしないように」
オルコットはそう言って私の頭をなでた。感触は無いけれど、行為そのものが温かく感じられた。
良い。凄く良い。
私は頷いてみせ、弾む気持ちを抑えてゆっくりとした歩行で部屋を出た。
今一度、歩行という行為について意識してみると、それがどれだけ高度な重心操作によって行われていたかが分かる。ちょっとバランスを崩しただけで、転んでしまいそうだ。
まさしくヨタヨタという音が似合いそうな不格好な歩行で、私は屋敷の中を観察しながら歩いた。
アリエッタに運ばれてこの屋敷の間取りは大体把握していたが、自分の足で見て周ると改めてその広さが分かる。オルコットは金銭面で苦しんでいる様な事を言っていたが、そんな言葉とは正反対の位置にある、貴族の住み家といった感じの物件だった。
ただ、手入れの行き届いていない個所が散見される事や、部屋数に対して使用人の一人も居ないという事が、その答えなのかもしれなかった。
玄関に差し掛かったところで、丁度アリエッタが帰宅した。彼女は私の姿を見るなり、目を丸くした。それは、私が居た事に驚くというよりは、私と出くわしてしまった事に何か戸惑っているような、そんな表情に見て取れた。私の気のせいだろうか。
「おかえりなさい。アリエッタ」
「え、ええ。ただいま。……歩けるようになったのね」
「はい。オルコットに付けていただきました」
「そう。これで私が運ばなくても、もう大丈夫ね。ふふっ、ちょっとだけ寂しいなぁ」
そう言うアリエッタの髪には泥が付いていた。黒くて気が付かなかったが、よく見ると制服にも泥が付いている。まるで頭から被ったような、そんな汚れ方だ。
「アリエッタ、その恰好は……」
「あっ、ああ、これね。帰ってくる途中で、転んでしまっただけなの。何でもないわ」
ばればれの愛想笑いを浮かべて、アリエッタは誤魔化した。彼女は嘘がつけないタイプらしい。
「お父さんには言わないでね。心配性だから――」
「……承知しました」
彼女が何も言うなと言うのなら、人形の私はそれに従うだけだ。心配だけれど、もう少し様子を見守るのが良いだろう。本当に私の取り越し苦労という事もあり得る。
「とりあえず、服を洗わなくちゃ。また後でね」
そう言い残すと、アリエッタは逃げるように去っていった。
私は不安な気持ちで、その後ろ姿を見送った。オルコットが私に言ったように、私もまた、二人の事を家族のように思い始めている。アリエッタに不穏な陰があるというだけで、なんだか居ても立っても居られない、そういう気分になってしまった。
しかし、そうしたところで、今の私にはどうする事もできない。もどかしさを感じながら、私もオルコットの工房へと引き返した。