吸血鬼の惨劇3
仄暗い部屋の中で、イハナは目を覚ました。
飾り気のない石造りの部屋に漂う、肌を刺すような冷気。
天井から一つだけ吊るされたランプ。
イハナを取り囲む白衣の男たち。
拘束された、自分の手足。
イハナはそれらを、ぼんやりと眺めていた。彼女の意識はまだ、完全に覚醒してはいない。
部屋の静寂を裂くように、鉄扉の音が鳴り響いた。入ってきたのは二人。ルーンとシエルだ。
二人はイハナの元へと近づいていく。
「で、この子を連れ帰ってきた理由ってのは何なのさ?」
その言葉とは裏腹に、シエルは興味が無さそうにルーンに訊いた。ルーンが語りたそうにしていたので、気を遣っただけの問いだった。無頼であるシエルにも、接待を意識する程度の気遣いはある。
「吸血鬼の能力の継承は、血と石によって行われるらしい。石って言うのは良く分からないが、少なくとも血はある。さっき、セレイアから採取したこの血液を使って、吸血鬼を作ってみようと思ってな」
ルーンは楽しそうに、血の入った小瓶をシエルに見せた。その様子に、シエルはやれやれと首を振る。
「最初から、採血用の瓶と薬剤を持って行ってたって事じゃないか。子供の自由研究かよ。知的好奇心で人体実験しようなんて、狂ってんのはアンタも同じなんじゃないのかい、ルーンのオッサンよ? そんな事しても、不完全な吸血鬼しかできないだろう。いうなれば眷属。下級の怪物だ」
「下級でいいんだよ。知性のある犬なんざ、必要ないからな」
ルーンの返答に、シエルは首をかしげる。
「犬? オッサン、そいつに何かさせるつもりなのか?」
「ああ。セレイアが死んだ今、俺はこの土地の領主になれる。だがな、領民はいらねえ。ほしいのは土地だけだ」
「ふうん。同士討ちをさせようってか? そんな面倒な事をしなくても、私が片付けてやるのに」
「馬鹿野郎。普通にこの町が滅んだら、国の土地として没収されるだけなんだよ。だからって、俺が領主に成った後に事件を起こせば、家の名に傷がつく。大事なのは、前領主の不手際によって街が滅んだという事実だ。セレイアが吸血鬼であったがために、人々は襲われ、町は滅ぶ。それをお前が駆逐して、初めて俺はこの町の功労者になれるんだ。町の連中を始末するための口実だよ」
「そんな周りくどい事に何の意味がある?」
「法的にただ任命されるか、褒賞としてもらうかの違いだな。大した差はないように見えるだろうが、実際には違う。国王から直々に褒賞として賜れば、ここは未来永劫アンデレトワの土地になる。俺が死んだところで本家から人が送られてくる以上、俺がセレイアにしたやり方が通じなくなるってわけだ。暗殺対策になるんだよ。価値のある鉱山だけに、その手の防衛策は固めなくちゃならない。
それに、吸血鬼がらみとなれば教会が動いて調査する。本当に吸血病を殺さなかったら、嘘がばれて俺が疑われるだろう?」
ルーンの説明に、シエルは素っ気なく「なるほどねぇ」と相槌を打つ。
それまで黙って聞いていたイハナが、ついに耐えられなくなり口を開いた。
「あんた、それでも人間すか!」
少しだけ驚いたように、ルーンはベッドの上のイハナを見た。
「なんだ、起きていたのか」
「そんなっ、そんなにまでして鉱山が欲しいんすか! 人の命を何だと思ってるんだ!」
憎い。こんな男が、自分の姉を殺した男が、それでもまだ足りずに人を殺そうとするこの男が、憎い。
イハナが人をそれほどに憎んだのは、これが初めての事だった。もし、この世に犯しても良い殺人があるとするならば、この男を消し去る事だと思えるほどに。
しかし、そんなイハナの憎悪すらルーンは嗤って受け流す。
「悪いが、その手の問答は嫌いでね。誰が死のうと、俺自身が死ななきゃ問題はねえ。他人の命より、俺の利益の方が大事だ」
「なんて男だ!」
聞き覚えのあるセリフに、ルーンは薄ら笑いを浮かべた。
「血が繋がっていなくても、そういうところは親子だな。セレイアも死ぬ前に全く同じことを、俺に言ってたぜ」
「っ! この野郎っ!」
殴りかからんと動いた反動で、縛りつけられているベッドが激しく揺れる。拘束されているイハナにできる事はそれだけだった。
自身を睨みつけるイハナを、滑稽だとルーンは笑った。
「ははっ、いい気味だな。とっとと吸血鬼にしちまえ」
ルーンの指示に従って、白衣の男たちがイハナの頭部を押さえた。男の一人がルーンから血の入った瓶を受け取り、器具を準備する。
「くそっ! 放せっ! 近寄るなッ!」
「暴れると、針が折れるぞ……」
白衣の男の一人が、低く呟いて注射器を取り出した。セレイアの血が入った注射器に、イハナは目を見開く。
イハナはセレイアから聞かされ、良く知っている。吸血鬼の血を取り込むと何が起きるのか、正式な儀式を行わずして血を受け継ぐとどうなってしまうのかを。
「やめろっ! 嫌だ! 吸血鬼なんかに、なりたくないっ! やめろおおおおおお!」
イハナは、喉が枯れるほどに叫んだ。抵抗できない恐怖と、自分が別のモノに変質してしまう恐怖、二つが混ざり合ってイハナの体を震わせる。
男はしっかりと押さえつけられたイハナの首に、注射針を突き刺した。どうせ成ってしまえば不死となる身体だ。いくら傷つけようと、問題はない。セレイアの血を押し込むように入れて、乱暴に引き抜いた。
「あぁ――――」
終わってしまったと、彼女は内心で呟いた。
イハナの顔から、血の気が引いて行く。それは恐怖か、それとも変質の兆しか。
身体が震えて、呼吸は荒くなっていく。
――怖い。怖いよ、姉様。姉様、ごめんなさい。私、逃げられなかった。
涙が一筋流れて、彼女の思考はそこで止まった。後は汚水に浸かったような、濁った意識が残るだけ。
「グルゥアアアアアアアアアア!」
イハナは吼えた。知性のない、力任せの咆哮。
その威圧に慄いて、イハナを取り囲んでいた男たちが一斉に離れていく。
「へぇ、こいつは面白い。こうも早く変化が出るモノなんだ」
それまで興味も無さそうに事態を静観していたシエルが、感想を漏らした。吸血鬼の誕生という奇異な場面が、シエルの興味を引いたのだ。そこにイハナ個人に対する感情は何もない。実験動物を見る冷たい意識で、シエルはイハナと言う存在を認識していた。
「成功だな。口を塞いで、車に積み込め」
ルーンもまた、イハナに対する感情は一切なく、ただの使い捨ての手駒としてしか見ていない。
指示に従い、男たちはイハナをベッドごと部屋の外へと運んでいく。その後に続くルーンが、振り向かずにシエルに命じた。
「お前も来い。吸血鬼退治だ。八十人は殺せるぞ?」
その言葉にシエルは素っ気なく、
「私はパス」
と答えた。
シエルが命令を拒んだ事に、ルーンは驚きに目を見開いて、勢いよく振り返った。
実際、シエルは仕事に忠実だった。彼女が雇い主との契約に従わない事など、滅多にない。金払いさえ良ければ何でもすると言うのが、裏社会でシエル・ベテチカが重宝される理由なのだから。
「どういうつもりだ? お前の仕事は、俺の敵を排除する事だろう」
「そうなんだけどねー、ちょっと気分じゃないんだよね。アイツを本気にさせるには、しばらく待ってた方が良さそうだ」
シエルの返答に、ルーンは顔をしかめる。
「なに訳の分からん事を言っているんだ! 気分じゃねえって、じゃあいったい誰が代わりに連中を始末してくれるんだよ?」
「それは問題ないぜ、オッサン。あの女が居るからな。黒い女だ。城に居たの、覚えてるだろ? あいつが全部やってくれるから大丈夫。保証するって。――アンタはせいぜい、あの女に殺られないようにとっとと逃げる事だ。悪いが、護衛は契約の内容に入ってないからねー」
「はぁ……まったく仕方ねえな」
呆れて息を吐いたルーンは、踵を返して部屋を出て行く。
シエルは念を押すように、ルーンの背に声をかけた。
「言ったとおり、やる事をやったらすぐに逃げろよ。あの女なら、簡単にアンタを殺せるぜ」
珍しく真面目な調子のシエルに、ルーンもただならぬものを感じて頷いた。
「あ、ああ。分かったよ」
足音が遠ざかる。
静かな空間の中には、シエルが独り。
誰も居なくなった部屋で、ランプの薄い灯を眺めながらシエルは笑う。
「――これで本気になってくれよな、召喚者」
それは、永い旅路の果てに見つけた悲願の標的に向けて。




