クエストな話【裏】-2
朝食の後、私は城を出て町へと向かった。昨夜の約束通り、子供たちに会うためだ。
イハナさんは送ってくれると言ってくれたけど、たまには体を動かしたかったので、断って歩くことにした。
町を見下ろしながら、私は長い坂道を下っていく。除雪されているとはいえ、雪道はやっぱり歩きづらい。もともと運動は得意じゃなかったけれど、薬の毒に体を蝕まれて以来、以前にも増して動くのが苦しい。歩いているだけなのに身体の不調を感じてしまうのだから、困ったものだ。
遠くに見える鉱山施設の煙突からは、黒々とした煙が上がっている。ここは空気が澄んでいるけれど、あれがあっては意味がない。私がここに長居する事は、身体のために良くないだろう。まあ、それは王都へ行っても同じことなのだけど。
二十分以上歩いて、ようやく町の入り口まで到着した。その頃には肺も心臓も苦しくて、イハナさんの厚意を断った自分を呪っていた。やはり人間、無理をしてはいけない。私の様な壊れモノは、なおさらに人の手を借りなくては生きていけないのだろう。
「ミュー……」
不覚にもあの子の名前を呼んでしまって、私は甘える思考を振り払うように首を振った。
もっと強くならなくては。あの子が居なくては何もできないような、そんな弱さは許されない。
そんな事を考えているうちに、より一層孤独を認識してしまって、急に恐ろしくなってしまった。町に入るのが、人と会うのが、こんなにも恐ろしい事だなんて。
「大丈夫けえ、あんた? 胸さ押さえてどうした?」
不意に声をかけられて、顔を上げた。いつの間にか、しゃがみこんでいたらしい。
町の住民らしきお婆さんが、私を心配そうに見ていた。
「だ、大丈夫です。何でもないので」
急いで立ち上がって、対応した。弱い所を他人に見せたくない。
「そんな青い顔して、大丈夫なわけねえ。すぐに体、温めねえと。あんた、セレイアさんとこのお客様だろ?」
「ええ。そうです。……ロミって子を訪ねて町に来ました」
「ほーかほーか。ロミちゃん所か。そんなら、おばちゃんが案内してやる」
そう言って、お婆さんは町の方へと来た道を引き返していく。
「いえ、場所は大体わかっていますので、そんな気を遣っていただかなくても……」
「えーのえーの。遠慮しなくて。具合の悪い人を放っておくほど、この町の人間は冷たかないのさぁ。セレイアさんのお客様となれば、なおさらよぉ」
遠慮する私に、お婆さんは振り返らずにそう言った。丸まった背中に妙な頼もしさを感じて、私はそれ以上断るのを止めた。人の厚意は素直に受け取っておくべきなのだろう。
こんな老人に限って私を騙す事もないだろうし、おそらく危険はないはずだ。
私はお婆さんにお礼の言葉をかけ、その背中を追った。
結果から言うと、お婆さんに道案内をしてもらって正解だった。小さい町ながらも居住区は住宅が密集していて、私一人では目的地に着くまでに余計な労力を使った事だろう。今の私にそんな余裕はないので、本当に助かった。
お婆さんはさっぱりとした態度で、「体、温めなさいよぉ」なんて言って去って行った。私は深く頭を下げて感謝の意を示してから、お婆さんが見えなくなるまで見送った。
良い人に会えて、本当に良かった。おかげで、町に入る前に抱いていた恐怖は大分薄れていた。
ロミの家のノッカーを叩くと、直ぐに扉が開いた。まるで、扉の裏で待っていたかのような素早さだ。
二人の少女が、笑顔で私を出迎えてくれる。八歳のレマと、その妹で六歳になったばかりのロミだ。
この町には子供が少ないそうで、十歳を下回るのは、彼女たちの他には男の子のレブランしか居ないらしい。
この三人と私は、昨日の鉱山の一件をきっかけに仲良くなった。ミューに言わせるところの、トモダチというやつになる。いまいちその辺の基準が分からないけれど、まあ、考える程の事でもないだろう。
「お姉ちゃん、いらっしゃい!」
「……いらっしゃい」
レマは元気に、ロミは控えめに、それぞれ私に声をかける。二人とも本当に嬉しそうに私を迎えてくれるので、こちらも思わず微笑んでしまう。年下の子が、こんなに可愛いものだとは思いもしなかった。
「おはよう、二人とも」
「さあさ、入って入って」
「……お話聞かせて」
私は二人に手を引かれ、引き込まれるようにして敷居を跨いだ。意外と力が強い。
「あっ、ちょっとまって!」
つんのめりそうになりながらも中に入ると、暖炉の横で編み物をしているお婆さんと目が合った。おそらく、この二人の祖母なのだろう。私は、微笑んでいるお婆さんに「おじゃまします」と頭を下げた。
そのままお婆さんの返答を待たずに、姉妹に引かれるまま二階へと上がる。彼女たちの部屋に連れて行かれ、私は座らされた。子供と言うのは、なかなかに強引な生き物である。
「きのうの続き!」
「……お話しして?」
レマとロミは私の前に並んで座ると、私に話をねだった。
昨日、ねだられて知っている物語を話して聞かせたところ、二人がそれを気に入ってしまったのだ。全十三巻にもなる長編なので、夕食の場で語り切る事が出来ずに、今日に持ち越しとなった。私が今日ここを訪ねたのは、そんな理由からだ。
かつて実在していた国々を舞台とする、かなり有名な英雄譚で、私も気に入ってよく読んでいた物語だ。
イリアスという名の少女が神の啓示を受けて剣を取り、魔王を倒しに行くところからこの物語は始まる。イリアスは世界を周る旅の中で、人々の願いを聞き入れて多くの試練に立ち向かっていき、そうして真の英雄となった彼女が、最終的に打ち倒した魔王の後を継ぎ、平和な治世によって世界を統治するというストーリーだ。
こうして人に物語を語り聞かせるという経験は今までなかったのだけど、意外にも自分に合っている気がした。物語をどの様に演出しながら話せば良いのかを考えるのは楽しい。そしてそれがハマったときの気持ち良さと言ったらない。
レマとロミは真剣に聞きながらも、表情豊かに反応してくれるのでやりがいがあった。
物語が盛り上がってきたところで、突然下の階から怒鳴り声がした。
「ふざけんじゃねえぞ! 返せないってどういう事だ! あっ?」
男の声だった。その脅迫じみた言葉に、レマとロミが顔を強張らせて固まった。
実に不快だ。
私が立ち上がって部屋を出ようとすると、レマが小声で引き留めた。
「出て行っちゃダメ。……お父さんがそう言ってたの」
「……」
確かに、私が降りて行ったところでどうしようというのか。人の家の問題にまで、首を突っ込むべきではないだろう。
……どうも自分は、臆病な割に気が早い。殺しに躊躇がなくなってから、人を攻撃する事への抵抗も薄れているからかもしれないと、自分で自分を考察してみる。
こういう性格は、絶対いつか損をする。気を付けなくては。
「そうね。ここに居ましょうか」
私は座り直して、怯える二人の手を取った。
「大丈夫。何かあったら、お姉さんが守ってあげるから。昨日みたいにね」
ミューの真似をしてみた。きっと彼女なら、私にこういう言葉をかけてくれるだろうと、そんな事を思いながら。
なんだか不思議な気分だ。今まで他人なんて、自分にとって障害にしかならないものだと思っていたけれど、こんな事もあるのか。家族以外の人間を守ってあげたいとか、助けてあげたいとか、思うものなのか。
ミューが私を見放さなかったのは、きっとこういう気持ちからだったのだろう。今なら分かる気がする。
それから男の怒鳴り声は十分以上も続いた。
聞こえてくる話を整理すると、どうやらこの家が男の所に借金をしているらしい。その返済が滞っているので、男は怒っている様だった。
「何者なの?」
私の独り言に、意外にも姉妹が答えてくれた。
「商会の人だよ。昨日の兵隊」
「……お城に住んでるの」
昨日の兵隊と言うと、鉱山の外で待ち伏せしていた連中か。たしか、アンデレトワと言っていた気がする。苗字持ちという事は、爵位のある豪商なのだろう。
あのルーンという男は私も好きではない。あれはパスフィリク家の連中と同じ匂いがする。貴族って連中にはろくなのが居ない。
「……静かになったね」
ロミが呟いた。どうやら、男が帰ったらしい。
「それじゃあ、お話続けましょうか」
二人の機嫌を取るように、なるべく明るくそう言った。効果は少しあったみたいだ。二人の表情が和らいだ。
「どこまで話したかしら?」
「「竜を退治しに行くところ」」
「ああ、そうだったわね。それじゃあ――」
そうして話をしたり、姉妹と遊んだりして夕方まで過ごした。子供たちとの関わりは、多くの発見を自分にもたらしてくれた。知識として知っているだけだった人の心情というものを、私はこの歳になってようやく理解し始めた。
ミューが他人と関わる事を私に薦めたのは、こういう理由からだったようだ。確かに私はまだ、人というものを理解していない。そして、自分自身の事も。
今日は珍しく、楽しかったと心から言える一日だった。
「それじゃあ、またね」
玄関まで見送ってくれた二人に、手を振って別れを告げる。
「「またきてね!」」
「気を付けて、お帰り」
姉妹とその祖母に頭を下げて、私は扉を閉めた。
時刻はもう夕方になる。山が近いせいか、この地域の日没は驚くほどに速い。急いで帰った方がよさそうだ。
そう思って歩き出すと、視界の端に黒い人影が見えた。黒装束のいかにも堅気でない風貌の男は、タバコをふかしながら、こちらを射るように見つめていた。気持ちが悪い。
無視して去ろうとすると、男が動き出した。その軌道は、私の方へと向いている。
――怖い。無視して歩く。
男は足早に、私を追ってきた。
――怖い。怖い。怖い。無視だ。無視だ。無視だ。
男は私を追い抜いて、立ちふさがる様にして前に立った。私は慄いて、一歩身を退く。
「何の用かしら?」
なるべく無感情に、平静を装って、男に問う。
「あんた、この町の人間じゃないよな? 見ない顔だ。あの家とはどういう関係?」
男は私を弱者と侮ってか、明るいながらも高圧的に私に詰め寄る。うざいな。殺して良いだろうか?
「貴方に話す必要はないと思うのだけど?」
「ふぅん。……まあ、いいや。あんた、あの城に泊ってんだろ? だったらせいぜい気を付けな」
「それは脅し?」
「さあねー」
男はいやらしい笑みを見せて、何もせずに去って行った。私が城に滞在している事をどうして知っているのだろうか。
とても嫌な感じがする。
ミューに相談しておいた方が良いかもしれない。私は男とは別のルートで迂回して、城への帰路を急いだ。