クエストな話【裏】-1
目が覚めた。
――暖かい。
ベットが暖かいというのもあるけれど、部屋も暖炉の火で温められている。きっとミューが、夜通し火の管理をしてくれたのだろう。そんな気遣いが、何よりも温かい。
あの子は出会った時から、何かと私の為に尽くしてくれる。その理由は、どうやらミューの願いが私の人形になる事だかららしい。
人形になりたがっているあの子は、人を憎んで人である事を嫌がって、結局人に使われる"物"になるという矛盾を疑いもせずに願い続けて、そして迷い続けている。
そんなあの子が可哀想で、私は彼女の願いを叶えてあげたけれど、それが正しい事だとは正直思っていない。
私にとって、あの子は小間使いでも従者でもない。ましてや人形でもない。だけど、家族というには血が繋がっていなくて、それをどう表現したら良いのか未だに悩んでいる。
お父さんなら、それを友人と呼ぶのだろうけれど、私としてはしっくりこない。
……
二度寝する気にならないくらい、覚醒してしまった。
窓の外はまだ薄暗いけれど、仕方がないか。
私が起き上がると、テーブルで何か作業をしていた彼女が、気付いて立ち上がった。
「おはようございます、アリエッタ」
彼女は私に一礼すると、こちらに素早く近づいて来た。
「おはよう、ミュー。今日もありがとう」
暖炉の礼を言って、彼女に背中を向ける。ミューは丁寧に私の髪を解いて、櫛を入れ始めた。
静かで温かくて、とても落ち着く時間。どうも私は、彼女に髪をいじられるのが好きらしい。ミューもそれは同じな様で、いつも頼んでもいないのに私の髪型に凝ろうとするのだ。
「今日はどんな髪型にいたしましょう?」
ミューは優しい口調で私に訊く。どうせ、答えは分かっているというのに。
「任せるわ」
いつも通りにそう言うと、いつもなら直ぐに手を付ける彼女は、珍しく考える素振りを見せた。
「そうですね……せっかくの新しい服ですから、ちょっと凝ってみましょうか」
「新しい服?」
私達は旅立つ前に最小限の荷物しか持ち出さなかったので、服の予備を持っていない。下着の替えは用意していたのだけれど、まさかあんなにも服が返り血で汚れるとは予想していなかったのだ。
今一着だけ持っているのは、ミューが奮発して一式だけ揃えた物だ。正直貴族趣味であまり好きじゃなかったけれど、ミューが可愛いと言ってくれるので仕方なく着ている。
そんな訳で、最近の私は寝る時には裸同然の格好になる。一張羅を汚したくないというのと、寝るのに適さない格好という理由の二つからだった。
そんな私にとうとう寝間着を作ってくれたのかと期待していると、軽やかなステップでテーブルに戻ったミューは、黒いワンピースを私に見せた。
……違う、そうじゃない。
「……ミュー、それは?」
「はいっ! セレイア様に要らなくなった服を譲っていただき、裁縫し直してみました!」
とても楽しそうに、ミューは答えた。彼女が楽しそうなのは嬉しいが、これはいったい……
「採寸はどうしたの?」
「はいっ! 寝ている間に測らせていただきました」
「…………それはその、なんというか嬉しくはあるのだけれど、ふつう寝間着からじゃない?」
「はいっ! もちろん作ってあります! こちらもリペア品です!」
そう言って、ミューはテーブルからネグリジェを手に取って私に見せた。
くっ……うちの従者、完璧すぎる!
「流石にいつも同じ服装だと、印象が悪くなってしまいますからね! 外着も作らせていただきました!」
私にここまでしてくれるのも不思議だけれど、何よりこの子がどうしてこうも多才なのかが一番の謎だ。
「ありがとう。でもそんな可愛いの、私に似合うかな?」
正直、そこまで自信が無い。服に着られてしまいそうだ。
私の不安をよそに、ミューは拳を握って熱弁を振るう。
「何を言いますか! こんなに可愛いアリエッタに、可愛い服が似合わない訳ないじゃないですかっ!」
断言という単語がこの上なく相応しいほどの、言い切りぶりだった。ちょっとだけ、引いてしまいそう。それよりも、そんなに可愛いとか言わないでほしい。すっごい恥ずかしいんですけど。
「さあさあ、着替えましょうアリエッタ」
ミューは私の前に回り、私の手を引いた。されるがまま、私は後に続く。正直これでは、どっちが人形か分からない。私は完全に、ミューの着せ替え人形と化していた。
しかし、それを悪くないと思ってしまう自分も不本意ながらいる訳で、私は抵抗する気も無かったりする。
「さあ、これを着てください」
言われるままブラウスに袖を通し、黒いワンピースを着て、リボンを締める。
ミューは服の崩れを素早く直して、私の髪を手早くいじっていく。感覚からもしやと思えば、予想通りの三つ編みだった。後ろで一本に束ねて、わざわざ私の肩に垂らす。
「……ね、ねえミュー、変じゃない?」
自分の姿を想像して弱気な私を、ミューは陽気な声で否定した。
「いいえ。そのお姿も、似合っていますよ。ささっ、こちらへ」
ミューは私の背を押して、姿見鏡の前に立たせる。この瞬間は、いつも怖い。
……やっぱりこれはちょっと、私には似合わないような。……いや、でもなぁ……ああ、すっごく恥ずかしい。
「こ、こんな服、私なんかにはやっぱり似合わないよ」
「そんな事ありませんよ。アリエッタは素材が良いんですから、もっと胸を張ってください! きっとイハナやロミ様も褒めてくださいますよ」
ああ、そういう事か。やけに今日は張り切っていると思ったら、私が珍しく人と会うなんて言ったから、ミューが気を遣ってくれたらしい。なにもこんな……子供に会うだけなのに。
「ミュー、張り切ってくれるのはありがたいけれど、今日は貴女達に付いて行くつもりなのよ?」
私がそう言うと、ミューは珍しく私の意向に反論して来た。
「いいえ。せっかくですから、アリエッタは今日一日ゆっくりしてください。ここ最近はトラブル続きだったんですから、休息が必要です。それに、先約なのですからそちらを優先するのが筋ですよ」
「まあ、そうなのだけど……貴女一人で戦わせるのは心配なのよ」
昨夜はあっさりと了承してしまったけれど、ミューは魔物との戦闘経験が無いはずだ。自分にもそんなものは当然無いが、整備士として彼女の状態を常に確認しておきたい。彼女が壊れてしまうのが、私にとっては何よりも恐怖なのだから。
「イハナも一緒なんですから、平気ですよ。もしもの時は無理せず離脱しますから」
「……分かったわ。約束よ、ミュー」
「はい。約束です」
そう言って、ミューが小指を立てた拳を私に突きつけた。何かと訊いてみると、どうやら彼女の元居た世界では一般的な約束の儀式らしい。約束を違えたら、指を切り落として針を千本飲むそうだ。かなり物騒だけれど、その分ミューの本気のほどがうかがえる。そこまでして誓ってくれるのなら、私も嫌とは言えない。
「いいわ。でも、無理しちゃだめだからね」
「分かっていますよ」
私はミューに教えられた通りに、お互いの小指を絡めて振った。
◆
昨日と同じく、朝食の準備ができた事をイハナさんが知らせに来た。私達は客という扱いになっていて、戸惑うぐらいの好待遇を彼女から受けている。
泊めてもらうだけでなく、食事までご馳走になっているのは申し訳ないと思うのだが、イハナさんはその対価を私達に求めないどころか、申し出ると強く断るので少しだけ困っている。
ミューは食事をとれないので朝食の誘いを断って、私だけを行かせた。
セレイアさんから、ミューが人形である事を訊いていないらしく、イハナさんは未だに彼女の事を人間だと思っている様だ。その証拠に、彼女は廊下に出るとこんな事を言った。
「大丈夫なんですかね。ここに来てから、ミューさんずっと食事をとっていないっすけど」
「たぶん大丈夫よ。ミューはいつも、あんな感じだから」
ミューが人形である事を伝えても問題は無いのだけれど、ミューが言っていない事を私が言うのもどうかと思ってやめた。必要なら、彼女から話すだろう。
イハナさんは腑に落ちていない様子で「そうっすか」と言った。
「そういえば、今日はまた一段とお洒落っすね」
イハナが私の姿を見て、話題を変えてきた。
「変、かしら?」
痛いところという訳でもないのだけれど、突かれて動揺してしまう。他人の目など気にならないけれど、親しい人間に批評されてしまうのはさすがに傷つく。
そんなふうに身構えている私に、イハナはすっきりした笑みを浮かべて見せた。
「ぜんぜん変じゃないっすよ。似合ってると思うっす。そういうの、自分は柄じゃないんでアリエッタさんが羨ましいっすよ」
「そう……ありがとう」
まさか、人に褒められて照れるなんて。家族以外の人間に、こんな事を言われたのは初めてだ。
……いや、そもそもこんな話をする相手なんて居なかったのか。
他人に興味を持つなんて、私自身すこし驚いている。どうもイハナには、出会った時から話し易さを感じていた。昨日子供たちと関わって気が付いたことなのだが、彼女は精神的にとても幼い。無垢という訳ではないのだが、その思想がひどく単純なのだ。
正しさだけを信じている子供みたいな、そんなイハナの綺麗なところを、きっと私は気に入っているのだと思う。
「……私、貴女の事ちょっと好きかも」
本当に思いがけず、そんな言葉が口から出てしまった。
当然、イハナは凄い顔をして慌てていた。
「な、なんすか急に!」
「ふふっ、ごめんなさい。別に変な意味では無いのよ。良くしてくれてありがとうってだけ」
顔を真っ赤にしているイハナに、きちんと説明する。単純なのに、変なところで勘ぐるのだから笑ってしまう。同性なんだから、深い意味はないだろうに。
「そ、そうっすよね。ははは……さっ、さあ食堂にいきましょう!」
「ええ」
やけに急ぎ足なイハナに先導されて、私は食堂に向かった。