旅立つ話
街外れの墓地には、普段使われていない礼拝堂があった。街が管理する、葬儀用の施設だ。
私とアリエッタは、その陰で二十七万という莫大な価値の紙幣を火にくべていた。血にまみれた私たちの服と共に、ギャランの金を焼き捨てて始末しているのだ。
私は最後の札束を火に放り込んで、アリエッタに訊いた。
「ギャランはどうして、こんなに金を持っていながら、うちの財産を奪うような真似をしたのでしょうか?」
ギャランの裏口座には、一個人が所有するには大きすぎるほど金が在った。どれだけ犯罪組織に借金をしていようと、返せるだけの額だっただろう。いや、それ以前に、金を借りる必要がないはずだ。
その疑問の答えを、アリエッタは口にした。
「このお金は、おそらく政治資金だったのね。しかも監視のついたお金」
「監視ですか?」
「ええ。パスフィリクの屋敷に在った金庫には、日誌も入っていたの。日誌によると、銀行の裏口座には憲兵団も目をつけていたみたいね。あそこは軍と違って一般人中心だから、パスフィリクに反感を持っている憲兵は多いのよ。ギャランだって無敵ってわけじゃない。他の議員に突かれる様な弱点を、晒したくは無かったのでしょう」
それが本当なら、そんな状況でギャンブルに手を染めて犯罪者から金を借りたギャランは、もういろんな意味で終わっている。
「もしかして、わざと憲兵に気づかれるように銀行からこの金を下したのですか?」
アリエッタは楽しそうに笑って頷いた。
「ええ、その通りよ。少しわざとらしいけど、急かすように全額下して行くなんて、逃亡しようとしているみたいでしょう? 今頃、憲兵たちはギャランを探し始めているかもしれないわね」
「なるほど。そういう事でしたか」
「貴女には、嫌な役をやらせてしまったわね。ごめんなさい」
アリエッタは悲しい顔をして謝った。
私達はギャランとロアンに扮して銀行へ行き、ギャランの口座から金を根こそぎ奪ってきた。その際に、私は幻惑魔法を使って、一時的に周囲からギャランとして見える様に細工をしていたのだ。アリエッタが謝ったのは、そういう事だろう。
「いいんですよ。あの男を貶める為だと思えば、楽しいものです」
私がそう言うと、アリエッタはぎこちなく微笑んで礼を言った。
最後の紙幣が炭化して崩れたのを見届け、アリエッタは魔法で水をかけて火を消した。
「さて、仕上げと行きましょうか」
アリエッタは心底楽しそうに笑った。
教会の鍵を魔法で開け、中へと入る。静かな礼拝堂を抜け、地下室に向かった。地下と言っても納骨堂の様な立派な物ではなく、ただの物置だ。そこに、ギャランを監禁している。
鍵を開け、扉を開く。アリエッタを通して、私は後に続いた。
物であふれかえった地下室の中心に、ギャランは力なく座っていた。彼はもう話す事も、その両手で何かをする事も出来ない身体になっている。
アリエッタは私に、ギャランから『伝える』という行為を剥奪するように命じたのだ。
ギャランは私たち二人を、憎しみのこもった瞳で睨みつけた。ただ、それだけだった。縛られていない彼は、その気になれば私達に立ち向かってくることもできるというのに。
「……私達から言う事は、もう何も無いわ。ここから出る事も自由にしていい。鍵は開けておくわ。それじゃあ、さようなら」
アリエッタは愉快そうな声色でそう告げて、部屋を後にした。
背を向けた私達を、ギャランは襲ってこなかった。彼はただ静かに項垂れているだけだった。
◇
犬車が駅前に停まった。
私は先に降りて道の状態を確認してから、アリエッタを降ろした。雪道は滑るから気を付けなくては。
御者に代金を払い、駅の方を振り向くと、意外な人物がそこに立って居た。
「二人とも、無事だったか!」
アグラード先生は、私達に駆け寄ると唐突に抱きしめた。
「良かった。本当に良かった」
アグラード先生は目の端に涙を浮かべながら、何度も呟いていた。
「あの、先生? これはいったい……」
アリエッタが戸惑い気味に訊ねた。
「ああ、すまない。つい……」
アグラード先生は私達から離れると、眼鏡をはずして涙を拭った。
「これを見たんだよ」
アグラード先生は手に持っている丸めた新聞を、広げて見せた。そこには軍基地が何者かによって全滅させられていた事が、大々的に報じられていた。
「おっと、これじゃなかった」
アグラード先生は新聞紙を裏返す。そこには小さな欄に火災事件と、住人の少女一人が焼死体となって発見された事が書かれていた。
「これを見てね。まさかとは思ったが、君たちが意図的にやった可能性も考えてここで待っていたんだよ。きっと、行動を起こしたのなら街を出るだろうと思ってね。――良かったよ。本当に良かった。君たちが生きていてくれて……」
私達を見るアグラード先生の表情を見れば、その言葉が本心からのものである事が分かる。主義主張は対立したが、それでもこの人はずっと私達の味方だった。それが嬉しくて、私もアリエッタも笑っていた。
「ごめんなさい、先生。時間がなかったものだから、連絡できなかったの」
「いいさ、アリエッタ。君も色々と大変だっただろう。それで、連中はどうなった?」
「皆殺し……いえ、ギャランは生きているわ」
アリエッタはくすくすと笑う。
対して、アグラード先生は不思議そうに私達を見た。
「ふむ。それは意外だな。どうして彼だけ生かしたのだ?」
「当然ですわ。彼に苦しんでもらわなくては、私達の気が済まない。殺すという事は、苦痛から解き放つ慈悲でしかないのですから」
「なるほどな。……君たちの執念には感服するよ」
アグラード先生は不敵に笑って、そう言った。
「あの、アグラード先生。その事で一つだけ頼みたい事があるのですけど、手伝っていただけないでしょうか?」
アリエッタは畏まってアグラード先生に頭を下げた。
そんなアリエッタを、先生は哂った。
「おいおい、そんなにかしこまらなくても良い。私は君たちにならいくらでも手を貸すとも」
「そうですか。ありがとうございます、先生。頼みたい事というのは、噂を流してほしいんです。ギャラン・パスフィリクは逃亡中にアアルメリオに捕まり、制裁を受けたと。同行していたロアンはアシュメス達に売られて、行方知れずになったと」
「確かに広めておこう」
アグラード先生はしっかりと頷いて、了承してくれた。
「しかし今、逃亡と言ったな。それはどういう事なんだ?」
アグラード先生の問いに、アリエッタは嬉しそうに答えた。自分の成果を自慢したい、子供の様な反応だった。
「ええ、そうなの。いずれ発見されると思うけれど、先に話しておきますわ。――ギャラン・パスフィリクは妻の不倫現場を押さえ、妻と間男を殺害。家の者を口封じに殺して、娘を連れて逃亡。腹いせに自分の物にならなかった屋敷に火を点けて私を殺し、銀行から隠し金三十万マネを落として逃亡を謀るも、アアルメリオに捕まり、借金の片に金と娘を奪われる――これが私の作った筋書きですわ」
アリエッタは私に計画を話した時と同様、とても楽しそうだった。こんなふうにはしゃぐアリエッタはなかなか見られないので、私も楽しい。
「なるほど、それが君の考えた筋書きか。初めてにしては、なかなか上出来だ。流石だな」
「ありがとうございます」
自分のシナリオを褒められて嬉しいのか、アリエッタは上機嫌だ。
「だが、それだと君は死んだ事になっているのだろう? これからどうするのだ?」
「とりあえず資金は有るので、王都へ行ってみようと思います」
アリエッタはそんなふうに答えた。王都へ行くというのは、私も今初めて聞いた。
「そうか。あそこはこんな田舎とは比べ物にならない程、いろんなものが在るぞ。楽しんで来い」
アインツールも十分広い街だと思うのだが、先生はそれを田舎と一蹴した。王都とはどんな所なのだろう。私もなんだか、興味がわいてきた。
「さてと。名残惜しいが、もうそろそろ魔車が来てしまうな」
アグラード先生はそう言って指を鳴らした。途端に周囲の音が鮮明に変わって、うるさくなった。
「音除けの魔法だよ。こんな話を人に聞かれてはまずいだろう?」
アグラード先生は、動じている私に説明してくれた。平静でいるあたり、アリエッタは当然知っていたのだろう。
アリエッタは今一度姿勢を正して、アグラード先生を見据えた。
「先生、今まで大変お世話になりました。この恩は忘れません」
アリエッタは深くアグラード先生へ頭を下げた。私も倣って頭を下げる。
「まさか、私が生徒を送り出す日が来るとはね。君は良い生徒だったよ。これからも頑張りなさい」
照れくさそうにして、アグラード先生は不敵に笑った。
「はいっ! 行って参ります」
アリエッタはもう一度頭を下げて、駅へ向かう。私はそんなアリエッタを引き留めた。
「すみません、お嬢様。少し、待っていただけますか?」
「ええ、いいわ。でも早めにね。もうすぐ魔車が来てしまうわ」
「はい」
アリエッタが駅の中へ消えるのを見届けて、アグラード先生の方を向いた。
「先生は、満足ですか?」
時間がないので直球に、私はアグラード先生に訊いた。
彼女は満足気に笑って頷いた。
「もちろん。過程は悲惨だったが。結果的には彼女はあるべき姿を得た。……君は私を恨んでいるのだろうね」
「いいえ。確かに事の起こりは貴女の行動だったかもしれない。でもそんなの、やっぱり偶然でしかないですよ。たとえ因果というものが在ったとしても、この件は多くの人間が自分の意思に従って動いた結果、起こった事に過ぎない。責任を持つのは自分の行動だけで良い。私はそれ以上に貴女を責める気はありませんよ」
これは、あの日対立した事への私なりの謝罪と釈明だった。
「私も、アリエッタと同じ様に貴女を尊敬しています。それだけは、伝えたかった」
「そうか。ありがとう」
アグラード先生は素直な笑顔を私に向けた。それからすぐに真顔に戻ると、彼女は諭すように言った。
「一つ忠告しておこう。この街の外へ出るのなら、気をつけろ」
「はい。アリエッタは必ず守りきります」
ありきたりの忠告と受け取った私を、アグラード先生は強く否定した。
「違うよ。そうではないんだ。気をつけろと言ったのは君の事なんだよ。君が異界から召喚された者ならば、必ずいつか出会うはずだ。同胞にこそ、気をつけろ」
「それって、どういう――」
警笛が鳴った。駅の方から駆動音が聞こえてくる。聞き返す時間はもう無い様だ。
「アリエッタを守れ。そして君自身の身も守るんだ。用心しろ。私から言えるのはそれだけだ」
アグラード先生の言葉に頷いて、私は走り出した。後ろ髪を引かれる内容だったが、これもまた運命だろう。
魔法機関車。略して魔車は、電車よりもやや遅めの速度で走っていた。こんなでも、この世界では竜の次に早い移動手段なのだと、アリエッタは教えてくれた。
窓の外は一面の銀世界だった。在るのは山と森だけ。アインツールは大きな街だったが、一歩出てしまえば大自然なのは、どの世界でも変わらないらしい。
私は話の種にと、アリエッタに今後の事を訊いてみた。こういった話は、今まで忙しくてしてこなかったからだ。
「アリエッタは、これからの事をどの様にお考えなのですか?」
少しの沈黙の後、隣に座るアリエッタは私に寄りかかった。彼女は私の肩に頭を乗せる。
「そうね。今度は世界にでも復讐してみましょうか。私達で全部壊してしまうの」
冗談めかして、アリエッタは言った。あるいは、本心だったのかもしれない。
問い質すよりも先に、小さな寝息が聞こえてきた。徹夜だったせいで、眠いのを我慢していたのだろう。
「まあ、なんだっていいか」
彼女が何をしようと、私は付いて行くだけなのだから。
アリエッタは私の主で、私は彼女のお人形なのだから。
通り過ぎていく白い世界を、私は静かに見送り続けた。