カバーストーリー1
アインツールの商店街の中に『ラパティ・ランテ』という仕立て物屋が在る。名の意味はノイヤ族の言葉で『妖精の服』を意味する。この店を開業した女性が名付けたものである。
今の店主は三代目になるミズリスという若い男だ。ミズリスは真面目で働き者だと、商店街の中では有名だった。彼は毎朝四時半には起きて、早朝から工房で作業を始める。それだけ、服作りが好きだったのだ。
そんな彼の元に変わった来客が訪ねて来たのは、日も上がらない午前五時過ぎの事だった。
作業中のミズリスの耳に、裏口の扉を叩く音が聞こえてきた。
ミズリスは窓の外を見た。真っ暗な闇。夜中というのならまだ分かるが、今は早朝。こんな時間に仕立て物屋に用のある客など居るはずがない。
ミズリスは近くにあった木の棒を構えて、扉へと向かった。
「どちらさま?」
「こんな時間に申し訳ございません。貴方様にお願いがあって参りました」
若い女の声だった。
ミズリスはますます不審に思いつつも、扉を開けてやった。
扉を開けた途端、外に居た女の姿を見てミズリスは息を呑んだ。
女は裸だった。――いや、違う。女は女の姿をしていたが、人間ではなかった。美しい白い肌と、見事な身体の造形は、球体の関節によって繋がれた造り物だったのだ。
「あ、新手の魔獣か?」
ミズリスは恐怖を感じて、一歩下がった。
そんなミズリスに対し、人形は申し訳なさそうに深くお辞儀をした。
「驚かせてしまい、申し訳ございません。どうか、私達に服を売ってはいただけないでしょうか?」
私"たち"と聞いて、ミズリスは眉をひそめる。
よく見ると、人形の後ろに小さい影があるのが見えた。ボロ布一枚を頭からすっぽりと被った、子供の様だった。
善良なこの男は、子供を見るなり不憫に思い、二人を中へと入れてやった。
「服と言ったな。店の方に出なさい。好きなのを選ぶといい」
ミズリスは二人を連れて店先に出た。ランプに魔法の灯りを点けると、暗い店の中が一気に明るくなった。
「店主様、できればこの店で一番上等なものをお嬢様にお選びいただけますか?」
そう言うと、人形はミズリスに札束を差し出した。
ミズリスは驚きのあまり固まった。その束の金額は、一年の稼ぎに相当するか、それ以上だったからだ。
二人を浮浪者だと思っていたミズリスは、いよいよ分からなくなった。
「分かりました。では、お探ししましょう」
彼は素直に金を受け取り、人形の頼み通りにした。こういう時、無闇に詮索などして余計な関わりを持つことがどれだけ危険な事であるかを、ミズリスは良く理解している男だった
「一番上等となると……これですかね? 随分前に貴族の娘さんに頼まれて作ったんですが、色が暗くてお気に召さなかったようで」
そう言ってミズリスが出したのは、黒いドレスだった。差し色に渋い赤の入った、全体的に暗い雰囲気の服だ。
ミズリス自身、デザインは気に入っていたが、色合いは微妙だと思っていた。領主の令嬢に指定された通りに黒いドレスを作ったのだが、色が気に入らないと結局突っぱねられたのだ。
「……とりあえず、着てみてもよろしいですか?」
「もちろんです。どうぞ、そっちに試着スペースがありますから」
人形は無言の少女を連れて、カーテンの向こうへと消えた。
ミズリスは静かに一息つく。素性の分からない怪しさもあるが、なにより二人から表現しようのない重苦しい空気を感じて、ミズリスは息が詰まりそうだった。少しでも気を悪くさせたら、魂を刈られてしまいそうな、そんな錯覚に襲われる。
カーテンが開く音だけで、ミズリスは小さく飛び上がった。
しかしその恐怖は、少女の姿を見た途端に消し飛んだ。
ミズリスはそこで初めて、少女の顔を見た。子供ながらも人を惹きつけるその美貌に、ミズリスは見入っていた。病的なまでに白い肌が黒いドレスに良く映える。この服はこの少女に着られるために在るのだと、ミズリスは確信した。
「いかがでしょうか?」
ミズリスの問いに、少女は硬い表情を変えずに頷いた。
「ええ、素敵だわ。これをいただきます」
表情は動かないが、気に入った様だ。こうしてみると、不思議な事に人形の方が人間らしい気がしてくる。この少女は人の外観を持ちながら、その実ひどく冷たいようにミズリスには感じられた。
「気に入っていただけて良かった。その服に合う靴も探してきましょう」
「服屋なのに、靴があるのですか?」
人形は不思議そうに訊いた。
「ええ、少ないですが仕入れていますよ。一か所でまとめて見れた方が、お客さんが楽でしょう? 僕が靴や帽子を仕入れるように、帽子屋は僕の服を仕入れる。そうやって店同士で協力し合っているんです」
「そうですか。それは、確かに助かります」
人形は喜んだ様子でそんな事を言った。
この早朝から空いている店など他にないのだから当然の反応かと、ミズリスは思った。問題は、なぜこんな時間に裸で買い物に来たのかという事なのだが。
考えまいと、ミズリスは首を振る。
金に糸目を付けぬ来客は、ミズリスの用意するままに着飾った。最終的に二人は、良家の令嬢とその従者といった風格にまで様変わりした。元の素材が良かったからだろう。自分の服を恰好良く着こなす客に、ミズリスは気分を良くして、いつしか恐怖を忘れて楽しんでいた。
二人が妙に黒い物を要求した結果、喪服の様な印象が出てしまったが、ミズリスとしては納得の仕上がりだった。二人もまた、満足そうにしている。
「では、お代はこのくらいという事で」
ミズリスは札束から三分の一を抜き、人形へと返した。適正な料金である。ミズリスは、仕事以上の代金を無闇にもらう事を、快くは思わなかった。無欲なのではなく、それは職人としての彼なりの誇りだった。
「それは、全て貴方に差し上げますわ」
少女が感情の見えない声で呟いた。
「いえ。商品の代金以上のお金をいただく訳にはまいりません」
ミズリスが引き下がらずにそう言うと、少女は小さく微笑んだ。ミズリスはその時初めて、少女が表情を変えたのを見た。
「まあ、なんて真面目な方なのでしょう。あの男とは大違い……いいでしょう、では、これはあれの代金という事にしておいてください」
少女は店先のショウウィンドウを指し示す。そこには三体の人形が服を着て立って居る。ミズリスは少女が意味も無く自分の作品を買おうとしている事に、少し腹が立った。
「……あの服を買うのですか?」
ミズリスの返答に、少女は小さく首を振る。
「そうではないわ。あの飾り付けよ。季節ごとに変えるでしょう? いつもこの店の前に来て、見ていたの。辛い時ほど、力をもらったわ。本当に、毎回素敵だった……だからお礼よ」
少女は穏やかな口調でそう言った。それでもその顔は感情が欠如したように冷たい無表情のままで、ミズリスはいつしか少女の事を憐れだと感じていた。
「なら、その心だけいただきます。貴女があれを素敵だと言ってくれただけで、私には十分ですよ。お嬢さん、心に値段をつけてはいけませんよ」
「どうして?」
少女はただ不思議そうに問う。
「だって、数字にしてしまったら悲しいじゃないですか。感動の大きさは測れないからこそ、価値があるんじゃないでしょうか?」
ミズリスは思っていることを思うままに言った。
「そう……そうね」
少女は空っぽの表情で、小さく頷いた。その言葉が少女に届いたのか、それこそミズリスに測る事は出来ない。
少女はミズリスから残りの金を受け取って、人形へ渡した。
「私達はもう行きますわ。親切にありがとう。これからも、良い作品を作ってください」
少女はミズリスにそう告げると、工房の方へと歩いて行った。
「こんな時間に、失礼いたしました。この御恩は忘れません」
人形はそう言って丁寧に頭を下げると、少女を追って工房の方へと消えて行った。
ミズリスも慌てて二人を追いかけたが、特にかける言葉も、引き留める理由も思い当たらなかった。
足早に裏口から出て行く二人へ、ミズリスは頭を下げた。いつも通り、お客にする様に。
「ありがとうございました」
人形と少女は朝の闇の中へと消えて行った。木製の扉が静かに閉じられても、ミズリスは不思議な気分でそれを眺め続けた。
「まるで、嵐みたいだったな」
なんとなく、ミズリスはそんな感想を漏らした。




