アリエッタの話
私は階段を降りる。
屋敷には使っていない地下室が在った。多くの部屋を空き部屋にしていたあの親子にとって、それこそ地下室など手に余るだけだったのだろう。
窮屈な階段を下りて、突き当りの鉄扉を開く。
地下室の冷気が飛び出したのか、体内に内蔵された温度計の数値が急激に下がった。オルコットは約束通り、私に温度計をつけてくれていた。こういった何気ない優しさが彼の存在を思い出させて、胸が苦しくなる。
地下室はそれほど広くない。床も壁も石で造られたこの場所は、元々貯蔵庫だったのか飾り気の一切ない部屋だった。まるで、石でできた棺のよう。
そんな寂しい空間の片隅で、呻くモノが在った。手足を後ろで縛られた、芋虫みたいな男。
ギャラン・パスフィリク。オルコットを陥れた男であり、アリエッタを壊した元凶だ。
世間では行方不明になったとして、大々的に報道されている。
私の手で一度半死の状態となった彼は、アグラード先生の処置によって今も生きている。しかも先生の命令で、私は彼に一日一食、食事を運ぶ事になってしまった。
アグラード先生曰く「処分はアリエッタと相談するのが、当然だろう」ということらしい。
この男の命をつなぐ事に腹立たしさを感じているが、アグラード先生の言った通りだと思うので、私は命じられたとおりにしていた。
「貴様っ、人形の分際でどういうつもりだ! この縄を解かんかっ!」
ギャランは憎たらしく叫んだ。
監禁から二日。フィッテラ(この世界の炭水化物系食物。パンに似ている)を一日に一個という生活でありながら、これだけ元気で居られるのは返ってうらやましい。
「それだけ元気なら、今日の食事はいりませんね。……うちのお屋敷も、誰かさんのせいで困窮していますので」
本心からそう言うと、ギャランは顔色を変えた。
「ま、待て! 悪かった。せめて食事だけは置いて行ってくれ」
……この切り返しの速さ、本当に嫌になる。
私は床にフィッテラを放り投げると、足早に部屋を後にした。鉄扉に鍵をかけ、地上階に出た。
遠くから、微かに喚き声が聞こえた。獣の様な力任せの絶叫。
悪寒が心中を駆け巡る。
私は全速力でアリエッタの部屋へと向かった。予想通り、叫び声はアリエッタの部屋から聞こえてきた。
「――――――――――――――――!!!」
部屋を開けると、アリエッタがベットの上でもがいていた。薬の禁断症状だ。この二日間ですでに五回目になる。
「アリエッタ!」
駆け寄るが、アリエッタは力任せに腕を振るい、私を近づけない。
「リヴ・スリーファ!」
やむを得ず、睡眠魔法を薄めにかける。動きが停止し、限界まで見開かれていたアリエッタの目が垂れた。
急いでカップに薬品と水を入れ、アグラード先生の指示通りに薄めた薬を作る。それを半眠状態のアリエッタの口に流し込んだ。
落ち着いた彼女を横にして、毛布を掛ける。
小振りな胸がゆっくりと上下する。小さな寝息を立てているアリエッタの寝顔は、穏やかな表情だった。ついさっきまで狂乱状態で暴れていたとは、とても思えない。
「いつまで、こんな事を続ければいいのでしょう」
独り言つ。誰に対して向けた言葉だったのか、自分にも分からない。
ただ、苦しくて仕方がない。
彼女が苦しんでいる事が辛い。
救ってあげられない事が辛い。
守ってあげられなかった事が辛い。
殺し合いをしていた時の私は、何よりも無感情で無機質だった。何にも心を揺さぶられない、静かで空っぽの心。
私は既に知ってしまった。自分の中が「 」で満たされた快感を。何にも苦しめられず痛まない、"物"のような心を。
だから今は、この愛おしさすら煩わしい。想うが故に痛む心が憎い。
想えば想う程、アリエッタの苦しみが、私の苦しみになる。彼女の痛みが、私の痛みになる。
辛くて、苦しくて、こんな心は捨ててしまいたいと思った。
「本当の人形になれたなら、こんなに苦しまなくて済んだのかな」
私の呟きに、応えてくれるモノは居ない。
私は泣けない身体を呪った。泣けたなら、この感情を外へ発散できたなら、どれほど楽だろうか。
そんな感情を抱いてしまう事すら苛立ちへと変わって、私はベットに顔をうずめた。
◇
一人の少女が居た。
彼女の傍に居たのは父親だけだった。少女にとって唯一の理解者であり、家族であり、友人だった。
父親を除けば、彼女の傍には誰も居なかった。ひとたび外に出れば、彼女は独りになった。
ある日少女を案じた父親は、少女を私塾へと連れて行った。
少女は好奇心旺盛な性格で、幼い頃から様々なものに触れ、そしてそれを直ぐに理解できるだけの力が在った。そんな彼女は私塾など必要ないと言ったが、父親は少女に友達を作れと言った。
自分と父親だけで完結する世界を持っていた少女にとって、友という概念は理解できなかった。他人に興味を向ける必要性を感じられなかったのだ。
だが、少女は父親を愛し尊敬していたので、自分の意思よりも父親の言う事を優先させた。
少女は私塾に入り、そこで初めて同年代の子供たちと触れ合った。
少女は賢く優秀で、礼儀を弁えた子供だったため、教師は彼女を溺愛した。
反面、同級生たちはそんな彼女を嫌っていた。優秀過ぎたからか、教師が彼女に特別目をかけていたからか。おそらく両方だろう。
男も女も関係なく、大人の目の届かない場所で、彼女は虐げられていた。
動機を考える程の興味すらも起こらなかったが、それでも自分の身に降りかかる理不尽を少女は嫌った。
大人を頼る事は、より自身の身を危うくすると少女は理解していたので、彼女は耐え続けた。
そんな少女を庇う者が一人だけ居た。名をキャスという、同年代の少女であった。
キャスは、戦う事をしない少女の代わりに、周囲に立ち向かった。少女にはその理由が理解できなかったが、感謝は示した。
少女は気が付くと、独りじゃなくなっていた。キャスと共に行動する事が増えたからだ。
いつの間にか少女自身もキャスと居る事が好きになっていた。少女は初めて、家族以外の人間に心を開いた。初めて少女は、友という概念を理解した。
ある日、少女はかつてないほどの暴力を子供達から振るわれた。子供たちの側に、キャスが居た。キャスは女王のように子供たちを従え、少女を殴らせた。
初めて絶望を感じた少女の姿を、キャスは嗤った。少女は、キャスがこの瞬間の為に自分を庇い、心を開かせたのだと理解した。
少女はその時、他人に対して初めて感情の高まりを感じた。それは憎悪。怒りの極致。荒れる心に少女はかつてないほどの愛おしさを感じた。
次の日、キャスは私塾に来なかった。それ以降キャスという少女を見た者は誰も居なかった。
理解に乏しくとも危険には敏感な子供たちは、少女を虐げなくなった。誰も少女に近づこうとはしなくなった。
一年が経ち、少女は私塾に行かなくなった。少女の知識量は、私塾の教師が教える必要がないほどのものになっていたからだ。
二年が経って、私塾の教師が少女の為に紹介状を書いた。魔法を研究する学舎で、少女を学ばせようとしたのだ。
少女は父親に頼み、学舎へと入門した。純粋な知識への渇望からだった。
学舎で、少女は貴族たちからの反感を買った。身分を重んじる貴族の娘たちにとって、身分の無い少女が学びの場に居る事が不愉快であったからだ。そして、そんな少女が自分達よりも優秀である事が、許せなかったのだ。
少女はようやく、社会の仕組み、世界の道理を理解した。少女は、虐げられる事は嫌だったが、相手を憎む事はしなかった。劣っている事、愚かである事が正常ならば、彼女たちには自分を異端として虐げる正当な理由があるのだと受け入れたのだ。
だが、彼女は同時に楽しんでもいた。少女は怒りや憎しみを抑えこまずに、発散する方法を知っていたからだ。
少女は空想の中で敵を殺した。何度も何度も、繰り返し。あらゆる方法で、法に触れず人目に触れず、最小の努力で最大の苦しみを与える事を想像した。
それはかつての隣人キャスから最後に教わった、最高の娯楽。
少女は他人を憎む事で、初めて快楽を得られた。それは愛する事と等しい感情。そうして初めて、少女は他人に興味を持つことができた。
◆
夢を見ていた。
アリエッタの夢だった。彼女の心を私は見た。
気が付くと、私は死の中に立って居た。
■ろしてやる――
誰かが叫んだ。
繰り返し繰り返し叫んでいた。
ここは醜悪な場所だ。
混ざり切らない黒と赤の絵の具が渦巻く醜い空。地面は血でぬかるんで、踏みつけるものは骨と屍肉。腐臭が鼻を突き、目は開けていられない程に痛い。
殺意の螺旋。
私に向けられた怒りと憎悪が、身を焼くように熱い。この世全てに向けられた、底なしの殺意。
ここは熱すぎる。この殺意は情熱的すぎる。
耐えきれなくて、私は膝をついて泣き出した。脚に触れる感触は「温」だけ。不快な温かさ。
ただ恐ろしくて泣いている私を、誰かが優しく抱きしめた。
目を開けるとアリエッタが居た。
「ミュー、どうして泣いているの?」
優しく、なだめる様に彼女は訊く。
「私は――怖い」
吐き出す様にして、私は答えた。
「それは、私が?」
アリエッタの問いに、首を振る。
「違う。この場所が怖い。私は、こんな風になりたくない。こんなの、こんなのって……」
この場所は穢れている。腐敗しきった心の残骸が、全く別の形を成した"何か"。これは、いずれ私も到達してしまう場所。こんな風にはなりたくない。
「なら、私を恐れているのと一緒だわ。だってこれは、私の心だもの」
アリエッタは、私から離れて立ち上がる。
私は独りになりたくなくて、彼女にすがった。
「待ってっ! 独りにしないで!」
耐えられない。ここに独りは、耐えられない。
「私はずっと一人だったわ」
アリエッタは嗤う。
「貴女もいずれ、そうなるわ」
アリエッタが突き放すように言った。その言葉に、全身が震える。涙が溢れて止まらない。
「嫌だ――私を独りにしないで。ここに独りは嫌だぁっ!」
苦しくて痛くて、私は、泣いてしまう――
アリエッタは微笑んで、私の頬に触れた。冷たい手だ。
「大丈夫よ。独りにはしない。私達は同じモノになるの。そうしてようやく、私達は対等になれる。本当の家族になれるのよ」
アリエッタの声は温かい。優しい温かさだ。もう、離れたくない。この場所で私が頼れるのは、アリエッタだけだ。
「穢れた私でも、こんな醜い魂でも、貴女は受け入れてくれるのですか?」
「醜いなんて――貴女はそれでいいの。そんな貴女がいいの。貴女と私は人と少し違うだけ。でも、私達は同じモノ。だから私は、貴女を見捨てないわ。ずっと、一緒に居てあげる」
アリエッタはもう一度私を抱きしめてくれた。温かくて、私はまた、泣いてしまった。
◆
目を覚ました。
夢を見ていたらしい。
私は誰かの膝の上に頭を乗せていた。その人の手が私の頭を撫でているのが、音で理解できた。
「起きたのね。おはよう、ミュー」
穏やかな声で、アリエッタが言った。
「おはようございます。すみません、寝てしまって――」
起き上がろうとした私の肩を、アリエッタが押さえた。
「ダメよ。もう少し、こうしているの」
「……承知いたしました」
私はおとなしく、彼女に身を委ねる。感触は無いけれど、心は不思議と落ち着いた。
「夢を見たの」
アリエッタは私を撫でながら、語るように呟いた。
「ミュー、貴女の夢よ。……とっても悲しい夢だった。貴女は私と同じ痛みを感じていたのね」
……
「人間だった頃の貴女、とても綺麗だったわ」
「……アリエッタ、私は――」
「貴女も私の夢を見たのかしら?」
アリエッタの問いに、私は迷って、頷いた。
「――そう。ならもう、私の事は知っているよね」
「はい」
「……随分前に、言ったよね。自分を異常だと思っている異常者なんて居ないって。ごめん、あれは嘘。だって、私がそうだから。私は自分を否定したくて、正常な人間を装ってきた。正しい娘で居なければ、お父さんに申し訳ないと思って来たから」
「私も同じです。私は自分の本心に耐えられなくて、自分を否定してきた。人形の様に心の無いモノになりたがっていた」
「私達は、お互いに自分を偽ってきたのね。こんなにも近くに、分かりあえるヒトが居たのに……」
アリエッタの手が止まった。彼女を見ると、泣いている様だった。
私は起き上がり、夢の中でアリエッタがしてくれた様に、抱きしめた。
「大丈夫です。私は、貴方のお傍に居ますよ」
共依存でも構わない。私達には、お互いが必要だ。
アリエッタは穏やかな声で言った。
「とても暖かい……皮肉な話よね。人で無い貴女が、本物の心を持っているなんて――誰よりも温かいその心を、貴女はずっと否定したがっていたなんて。……私が叶えてあげるわ。ミューのその願い。貴女を私だけの所有物にしてあげる。貴女は心を手放したい。私は貴女の心が欲しい。ね、これってお互いにとって、とても幸せな事だと思わない? 貴女はきっと、私の人形になるためにこの世界へ来たのね」
その言葉に、私の心は震えた。これが私がずっと求めていた言葉だったのか。
私は強く、何度も頷いた。
「……ええ、そうですアリエッタ。私は貴女の物になりたい。私の主は貴女だ、貴女しかいない」
歓喜に揺り動かされた心を投影するかのように、発した言葉は震えていた。
アリエッタは私を離し、私の顔を真っ直ぐに見据えた。
「じゃあまずは、復讐から始めてみましょうか」
アリエッタは笑った。焦点の合わない霞んだ瞳に生気は無く、感じられるのは底なしの「 」だけだった。
だけれど、今の私はそれを恐怖する事は無かった。私もまた、同じところに居ると分かったから。アリエッタと同じモノである事が、愛おしいから。
「承知いたしました。お嬢様」
主となった少女へ、敬意を込めてそう呼んだ。
アリエッタは楽しそうに微笑んだ。




