壊れる話2
豪雪が風に巻き上げられて吹雪を起こすような、壮絶な夜だった。
寒さを感じない私でも、風圧と視界の悪さには移動を妨げられてしまう。
幸いだったのは、悪天候で人通りが無かった事か。ボロ布一枚羽織っただけの女が夜の街を疾走している姿は、どうあっても目についてしまう。
時おり地図を確認しながら、道を行く。目的の娼館の場所には丁寧に印までつけてあったが、街の構造を把握していないせいで、移動は困難を極めた。
娼館の在る西地区は、私達の住む東地区とは正反対に位置する。
最近は買い出しで出掛ける事が増えたが、それでも近所を回っていただけの事で、街を横断した事など一度も無い。
いざ走ってみると、この街がいかに大きかったかを思い知らされた。
アリエッタを連れ去った連中は、おそらく犬車を使ったのだろう。屋敷を発った時間にそれほど差はないはずだが、どれだけ進もうとそれらしいものが見えてくる事は無かった。
体力が無限に続くおかげで、永久に走れるのはありがたい。しかも、以前の身体よりも使い心地が良い。より自分の身体として馴染んでいる様な感覚だった。
触覚はないが、代わりに身体中を駆け巡る魔力の流れが、身体の状態を鮮明に伝えてくれる。運動するための身体としてみるのならば、生身の頃よりも優れていると言えるだろう。
これを設計したオルコットは、やはり天才だ。そしてこれを造ったアリエッタもまた、優れた技術者に違いない。
「アリエッタ……」
彼女の事を想い、胸が締め付けられるような思いにかられる。身体は偽物でも、心は痛むのか。
アリエッタが無事で居てくれることを、私は強く強く願い続けた。
◇
『マ・ラガーナ』は西地区にある色町の中でも、特に規模の大きな娼館であった。
肌の色から差別的な迫害を受けることの多いアシュメス族が組織した、自警団アアルメリオ。その重要な資金源として、この娼館は機能している。故に、法の掟はこの宿の中では通用しない。
金さえ積めば、どんな悪辣も許される場所。ここに居る娼婦や男娼に人権は無く、ただの物、商品として扱われる。
人殺しすら金で容認されるこの場所は、その悪名から逆に貴族たちの恰好の遊び場として黙認されていた。
そんな醜悪な城の前に、一台の犬車が停まった。
「逃げようとしたら、容赦なく殺すからな」
男の脅迫と、少女の小さな悲鳴。
箱車の扉が開き、アシュメス族の男たちに連れられてアリエッタは外へと降りた。
吹き荒ぶ雪の中、古びた娼館は魔物の住処のような独特の威圧感を漂わせる。アリエッタは恐怖から、唾を飲み込んだ。
「ほらっ、とっとと行けよ」
男の一人に背中を押され、アリエッタは娼館の中へと進む。
一瞬、逃げ出す隙は無いかと伺った。この辺りは娼館が多いので、吹雪の夜でもそれなりに明るい。夜の闇に紛れて逃げ出すなど、難しいだろう。
それになにより、逃げ出すような気力が自分の中にない事をアリエッタは分かっていた。
殴られた腹部が未だに痛む。痛みは恐怖を生み、恐怖は体と心を呪縛した。
男たちの脅迫が、ただの脅しでない事をアリエッタは身をもって理解していた。
娼館の中はまるで別世界だった。
目に痛い鮮やかな色彩の光に、アリエッタは目を細める。アシュメス族伝統の提灯によるものだ。古びた立派な館は、妖艶な光と、甘ったるい香料によって、魔界の様な空気に包まれていた。
アリエッタを連れた列の前に、恰幅の良い紳士が現れた。仕立ての良い服を着た男を見て、アリエッタはすぐに、彼が貴族かそれに並ぶ金持ちであると理解した。
「ポーロラスさん、どうも」
アシュメス族の男がにこやかに、紳士へ挨拶した。
「その子は……新しく入った子かね?」
ポーロラスと呼ばれた紳士は、アリエッタを意味ありげに見つめて言った。
よほどの上客なのか、アシュメス族の男たちは愛想笑いを浮かべて対応した。
「ええ、そうですよ。どうです?」
「悪くない……いつものようにして良いかね?」
ポーロラスの言葉に、アシュメス族の男たちが一瞬顔を見合わせた。その動きに、アリエッタは言い知れぬ悪寒に襲われる。
「……まあ、あれをされると長持ちしねえんで、四倍なら」
「四倍か。ふっかけるね。まあ、いい。買おうじゃないか」
「へい。ありがとうございます」
ポーロラスに手を揉みながら、アシュメス族の男は機嫌良くそう言った。
「ほら、お前は旦那と行きな」
背後の男に押され、アリエッタはつんのめるように前へ出る。
目の前へ来てみれば、紳士はアリエッタよりもはるかに大きな男であった。傍に立つだけで威圧されている気になって、アリエッタは紳士の顔を見れない。
これからこの男にされるであろうことを想像し、恐怖に身をすくませて震えた。
「なに、怖がることはない。これからお前にも、良い思いをさせてやろう」
紳士はアリエッタの背後に手を回し、その肩に手を置いた。優し気に語り掛けてくるが、アリエッタには悪魔の囁きにしか聞こえなかった。
――想うのは、ミューという名の友人の事。どんなに苦しい時でも、傍に居てくれた優しい不思議な人形。
アリエッタは、ミューが助けに来てくれる事を強く強く願っていた。
◇
色町の中を駆け巡り、ようやく目的の建物にたどり着いた。
看板には『マ・ラガーナ』の文字が書かれている。異郷の言葉だ。意味は分からない。
私は娼館の扉を、破壊するつもりで蹴り開けた。両開きの扉が開け放たれ、冷気が内部へと侵入する。私は風に背中を押されながら、娼館の中へと入った。
ロビーに居たのは男が四人。カウンターに女が一人。全員がアシュメス族という、灰色の肌と白髪を持つ変わった民族だった。
突然の不作法な侵入者に、男たちは嫌悪の表情を向ける。
カウンターで女と談笑していた男が、私の方へと不機嫌そうに歩いてきた。それに追従して別の男が二人、後ろからやって来る。アリエッタを連れ去った三人組だ。
――丁度いい。
「てめえ、どういうつもりだ?」
男は正面に立つと、威嚇するように私をのぞき込んだ。それからすぐにその態度を改める。舐めるように見て、私の身体を品定めしはじめた。
「――ほう、よく見りゃいい女じゃねえか。こんな真冬に、ボロなんか纏ってどうした? 仕事が欲しいのか?」
男は私の顎に手を添え、無理やり上を向かせた。
「……今すぐに、その手を離せ」
私の警告を、男はあざ笑う。
「へぇ、離さないとどうするって?」
「……」
品のない笑い浮かべる男の顔面に手を添えて、私は火炎魔法を射出した。
男は運が良かった。火炎魔法は顔面を焼くにとどまらず、その首を吹き飛ばしたからだ。じわじわとなぶり殺しにしてやるつもりが、思ったよりもあっけなく逝ってしまった。
魔力の出力が高い。以前の身体の倍以上といったところか。
火の固まりとなった頭部ははるか後方へと吹っ飛び、ロビーの奥でソファーに座っていた男の元まで到達した。ソファーの男は悲鳴を上げながら、それを避けた。
首の無い身体は床に倒れて小刻みに暴れた。もはや生物ではなく、血をまき散らすだけのスプリンクラーと化していた。
一秒の間。
吹き飛んだ頭部を呆然と目で追っていた男たちは、ようやく仲間が殺されたことに気が付いた。
「ぶっ殺してやるっ!」――誰かが叫んだ。
目の前に立つ男二人が、それぞれナイフを抜いた。
一人が私にナイフで突きを繰り出した。それを避けて男の腕をからめとり、引き寄せる。近づいた顔面に魔法で氷塊を撃ち込む。頭部を串刺しにされた男は、当然死んだ。とりあえず、二人目。
仲間が目の前で倒されても、もう一人の男は勇敢に突っ込んできた。めんどくさいので、顔に氷塊を撃ち込んで処理した。
奥に居るソファーの男が、焦った様子で壁のスイッチを叩いた。
娼館内にベルが鳴り響き、奥からアシュメスの男たちが大勢押し寄せて来た。
「チッ――面倒な」
魔法が使える私を相手に、男たちは無謀にも接近戦で挑んできた。数で押せば何とかなると思ったのか。
私は男たちの攻撃を避け、正確にその頭部を破壊していった。大した敵ではないが、即死させないと数が多くて面倒だ。
「三十一……三十二……三十三――」
私は無意識のうちに、獲物の数を数えていた。
最後の男が倒れた。――いや、奥にもう一人か。ソファーの男は運良くまだ生きていた。それとも臆病なだけか。
「ひっ、ひぃぃ!」
「三十四――」
逃げ出す男の背に、氷塊を飛ばした。氷塊は心臓の位置を貫いて、男は絶叫と共に床に転がった。
「 」
ん?
カウンターの方で物音がしたので、私は飛び越えて中へと入った。見ると、カウンターの下で女が震えていた。
女は怯え切った目で私を見る。
「や、やめて! 殺さないで!」
私はかがんで、なだめる様に話しかけた。
「大丈夫。何もしませんよ。――一つ訊きたいのですが、女の子を知りませんか? そこで転がってる連中に、連れて来られたはずなのですが」
「お、女の子って、金髪のノイヤかい?」
「はい」
私はやんわりと頷く。
「そ、それなら二階の奥の部屋だよ」
「どうも」
私はカウンターを出て、ロビーの階段を駆け上る。
ふと、背後で女が動いたのが分かった。
音と気配。
この身体のなせる業か、女が魔法で氷塊を飛ばしたことすらも、振り向かずに感じ取る事が出来た。
私は振り向きながら氷塊を回避し、女に氷塊を撃ち込んだ。胸を貫かれ、女は悲鳴を上げて倒れた。
……
私は二階へ登り、廊下を真っ直ぐに突き進んだ。正面の扉を飛び蹴りで吹き飛ばす。
最奥の部屋は、まるで王族の寝室だった。豪華な調度と、毛足の長い真っ赤な絨毯で彩られた部屋。
その中央にある天蓋付きのベットには、一人の小太りな男が膝をついて立っていた。その服装から、裕福な身分の人間だと分かる。
扉を破壊して入ってきた私に、男は呆けた顔を向ける。振り向いた男の向こうに、横たわる少女の姿が見えた。
「そこをどけぇ!」
私の怒号に、男は逃げるようにベットから飛び降りた。
私はベットに乗り込み、少女の顔を確認する。
――アリエッタだった。
彼女は目覚めていたが、生気のない虚ろな瞳で、虚空を見つめていた。
名前を呼ぶ――返事はない。
身体を揺さぶる――反応はない。
小瓶が手に当たった。薬入れのような本当に小さな瓶だった。それを見て、私の中で不吉な推測が浮かび上がる。
私は小瓶を手に取って、男に詰め寄った。
「お前っ、この子に何を飲ませた!」
「い、いつもは大丈夫なんだ。なのに、なのに今日は――」
答えになっていない。
私は怒りに任せて、男を殴りつけた。男は子供みたいに悲鳴を上げて、床を這いつくばる。
「い、命だけは――命だけわぁ……」
繰り返す。まるで駄々をこねる意地汚い子供のように。
こんな男に、私の大切な物が穢された事が許せない。
私は嫌気がさして、男の背を踏みつけた。足から雷撃魔法を放ち、男を感電死させる。ビクンと四肢が跳ねて、体から煙が上がった。
私はアリエッタの元へ戻り、その身体を抱き上げようして――――気が付いた。
私の両手は真っ赤に染まっていた。纏っていたボロにも返り血がべっとりと染みついている。
――コレハ、ダレノ血ダ?
問いかける。
――無意味な問い。
私は分かっている。
――私は何をした?
背後には焼けた死体がある。
――考えない。
トランスした感情が、そこで一気に冷え切った。思考が正常な形へと戻っていく。
冷たくて、どこまでも無感情。
見ると、私の手は震えていた。私は纏っていたボロで手を拭う。
下着姿のアリエッタを毛布で包み、抱きかかえて部屋を後にした。
逃げ出したくて、私は走る。
長い直進の廊下を抜けた先は、地獄だった。壁や調度は黒々とした赤いペイントに彩られ、絨毯の赤はより濃く深い紅によってぬかるんでいた。その上には、貌の無い死体が散りばめられている。
男も女も関係ない。平等に、冷酷に、この空間は死で満ちていた。
「――これを、私がやったの?」
独り言つ。
問うまでもない事。自分の記憶には、私がこの死を創り上げた事実が色濃く焼き付いている。
それなのに、信じる事ができない。こんな恐ろしい事を、自分がやってしまったということに。
心は冷え切っていた。
恐ろしいのは、命を奪った事じゃない。奪っても、心が動かない事に私は慄いている。
平静すぎる。罪悪感は無い。
ただ、無感動な自分が異常であると良識が訴えていて、自分が壊れているという事実がたまらなく恐ろしかった。
勘違いをしていた。
なまじ人の形をしていたから、私は忘れてしまっていた。
私は人間じゃない。こんなにも無感動に、無感情に人を殺せる私が、人間なはずがない。
もはや、復讐にすら歓喜は無い。そんな感情は、とうの昔に命と共に捨ててきたのだから。
私は生まれ変わってなんかいなかった。転生なんてしちゃいない。
私は死んだままここに居る。多くのモノが欠如したまま、この世界に居る。
私は、紛れもなく怪物だ。
そうか、そうかそうかそうか!
どれだけ穢れていようが、どれだけ醜かろうが怪物ならば許されるだろう。
怪物ならば、人を憎んで裁いても許されるだろう。
ようやく私は、私自身を受け入れる事ができる。もはや何も恐れない。恐れる理由がない。
「はっ――ははははははははは」
肉と体液を踏みつけて、私は人の真似事をする。狂気に歓喜して嗤うふりをする。
何も感じない。
私の中にあるのは、アリエッタの事だけ。
彼女はこんな私でも、受け入れてくれるのだろうか。




