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憂鬱な13No.s  作者: EBIFURAI9
プロローグ
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過ぎた話

 私の人生が不幸続きだったかと聞かれると、そうでもない。


 たしかに父親は居なくて寂しかったし、家は貧しかった。母は私を養うために遅くまで働いていたから、独りの時間も多かった。それでも私は友人には恵まれていたから、学校で孤立した事はない。わずかでも母と過ごす時間は楽しかったし、かけがえのないものだった。


 上手い事バランスの取れた人生だったと思う。


 中学に上がってからは、いろいろなものを頑張った。塾に行く余裕がないと分かっていたから、授業と教科書だけで高い成績を取れるように励んだ。体育は苦手だったけれど、それも地道に体を鍛えて対応した。完璧である必要はなかったし、自分もそれを求めたわけではなかったけれど、やはり母に心配をかけたくないという思いがあったのだと思う。


 推薦をもらった時、私は就職するつもりだった。けれど、母が行った方が良いと言って、高校に上がらせてくれた。あの時うれしいと思えた感情の起因するものが、何にあるのかは未だに分からないけれど、私は確かに喜んで、そして母に感謝した。


 母の厚意を無下にしないために、それまで通りに、そしてそれまで以上に努力した。そうする事が生き甲斐だったのかもしれない。思えば私の行動は、母に理由を求めたものが多かったように思える。母のために。母の苦労を無駄にしないため。母が喜んでくれるから。そんなところだ。


 ……


 だからこそ、それを奪われれば崩壊するのは当然の事だった。私がここまでぶっ壊れた理由はそれくらいしか思いつかない。


 私は私自身が穢された事よりも、母を奪われた事の方に怒りを感じている。

 いや、怒りでは足りない。憤り。憎悪。いや、まだだ。……言葉で、この心中に渦巻く感情を表現する事などできやしない。


 八月十九日午後八時三十六分。

 突然家に、一人の男が入ってきた。男はTシャツにヨットパーカーというラフな格好で、フェイスマスクで頭を覆っていた。対応しようと玄関に出た母は、その場で殴り殺された。物音を聞きつけ廊下に出た私は、男に組み伏された。おそらく最初からそのつもりだったのだろう。私は男に凌辱された。


 理由なんて理解できるはずもない。ただただ野蛮で、欲望に任せただけの暴力だった。頭の中が真っ白になって、私はただされるがまま虚空を見つめていた。男はなにやらぶつくさ言っていたけれど、それを聞く気力なんてなかった。ただ、なんとなく聞き覚えのある声だなと思った。


 気が付いた時には男は居なくなっていて、私は独り暗い廊下に倒れていた。痛みと、喪失感に耐えて、無気力な体を起こす。

 母の遺体を確認し、携帯電話で警察を呼んだ。警察は私の話を信じてくれたけれど、私を疑う事も忘れはしなかった。それはかなり不快な仕打ちだったけれど、それを責める気はしない。


 病院で検査と簡単な治療を受けている間に、叔母が来た。後の手続きは全て叔母がしてくれた。昔からよくしてくれるこの人は、私を引き取ることを決めてくれた。それだけは幸いだったと思う。けれど、そんな事は私にはもう関係のない事だった。


 私は、私自身が終わるその時が近づくのを感じながら、ただ一つお願いをした。皆に別れを言うために、もう一度だけ学校へ行きたいと。叔母はお前がそうしたいのならと、許してくれた。


 八月二十六日。私は学校へ登校した。噂というものは何処からか流れてくるもので、多くの生徒が私を遠目に見ていた。私の身に起こった事を虚実入り混じった形で認識しているのは、聞こえてくる話し声で分かった。それでも気を遣って誰一人声をかけてこない分、いくらかは気持ちが楽だったかもしれない。正直、席にただ座っているだけで吐きたくなるくらいに不快だった。こんな状態でもここに来たかったのは、とある推測を確かめたかったからだ。


 ホームルームで担任の■■■■■■先生が教壇に立って話し出した時に、私の疑惑は確信へと変わった。あの夜浴びせられた不快な声は、この男のものだった。彼は何事もなかったかのように平常だったけれど、私と目を合わせることはなかった。


 不快な八時間を過ごし、放課後職員室を訪ねた。■■■■■■先生に相談があると言った。私の事情は程度の差こそあれ、教員たち全員が知っている事だ。■■■■■■がそれを断れるはずもなかった。


 ■■■■■■を屋上へ連れ出した。■■■■■■は澄ました顔を作ろうと必死だったみたいだけれど、見て取れるくらいに動揺していた。


 私はしおらしく振る舞って、彼に言った。


「――あの夜の事が、忘れられないんです。……私、もう分っているんですよ。お願いします、もう一度シて下さい」


 ああ、吐き気がする。


 でも、効果はあった。私がそう言った途端に■■■■■■はころりと態度を変えた。下卑た笑みを浮かべて、まとわりつくような不快な視線をぶつけてきた。


 なんて単純で、醜い男だろう。


 私は陶酔するような気分で、彼へと近づいた。その感情の生まれる源は純粋な殺しの誘惑だったけれど、彼はどんな風にそれを受け止めていたのだろう。


 ■■■■■■が私のブレザーに触れた瞬間、私は隠し持っていた包丁で■■■■■■を刺した。

 刺して。刺して。刺して。刺して。刺して。刺して。刺して。刺して。刺して。刺して。刺して。刺して。刺して。刺して。刺して。刺して。刺して。刺して。刺して。刺して。刺して。刺して。刺して。刺して。刺して。刺して。刺して。刺して。刺して。刺して。刺して。刺して。刺して。刺して。刺して。刺して。刺して。刺して。刺して。刺して。刺して。刺して。刺した。

 ■■■■■■が私にしたように、何度も何度も繰り返し刺して、刺して、刺した。


 私の腕は、いつからか私の意思とは無関係に動いていた。ただ、上下に刃を振るだけの機械みたいになっていた。ようやく疲れ果てて腕を下した頃には、彼の胴体は元の形が思い出せないくらいに崩壊していた。


 私の周りに残ったのは、醜悪な香りと、血のように赤い空と、ヒグラシの煩い鳴き声だけ。初夏の夕暮れ時には、不思議な郷愁に駆られる。


 私は気が付くと、空を見上げて泣いていた。


 どうして泣くのか、何が悲しいのかを、もう考えられない。


 無意識に触れた口元は、歪んでいた。


 ああ、そうか。悲しくなくても涙は流れる。この感情は歓喜なんだ。私は人を殺して喜んでいる。復讐が実った事に、私は震えるほどの快感を得たのだ。


 とうとう本気でぶっ壊れた。


 私が感じていた終わりの形はきっとこうだった。私は、壊れてしまった私自身を許せない。これがプライドってやつなのか。

 人を殺しておいて、プライドだって? 人の尊厳を奪って、己の尊厳を語るのか。ああ、なんて惨めなのだろう。誰か私を笑ってくれよ。誰か私を罰してくれよ。


 こんな姿を、お母さんには見せられない。


 こんな、こんな不気味な娘に育ってしまって、本当にほんとうに、ごめんなさい……


 命にリセットは効くのだろうか。それなら今度はちゃんと生きるから。生まれ変わったら、いい子になるから。戻してくれよ、すべての時間を。返してくれよ、私の人生を。



 高い高いフェンスの上から見えたのは、とても綺麗な世界だった。世界は美しい。そしてそれ故に、醜い私はここでは生きられない。


「くたばれ――」


 私を見放した美しすぎる世界へ言い放ち、私は身を投げ出した。


 なにもかもが裏返った世界で、私は嗤って死んだ。

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