崩れる日常の話1
朝になって外を見ると、雪で街が白く染まっていた。オルコットによると、例年よりも降るのが早いらしい。
私はオルコットの指示で、アリエッタにお茶を運ぶ。昨夜の一件以来、彼女が自室から出てくる事は無かった。夕食も朝食も取っていないので、オルコットが作った軽食も一緒に運んで行く。
「アリエッタ、お茶をお持ちしました」
……返答はない。扉には鍵がかかっていて、入る事が出来なかった。アリエッタが部屋に鍵をかけること自体、珍しい。
「……下に置いておきますので、冷める前に食べてください。今日は冷えますから」
私は扉の脇にトレイを置いて、部屋の中に居るアリエッタに一礼してから下の階へと戻った。
私は感じないので分からないが、今朝は冷えるようで、朝食を取っているオルコットは寒そうに厚着をしていた。この世界の暖房器具は火か蒸気なので、ファンヒーターみたいな便利なものはまだ無い。
この屋敷には暖炉が有るが、オルコットは貧乏性なのか一人の時に火を起こす事はしない。一日の大半を過ごす作業場にも、暖房器具は無かった。もっともアリエッタによると、作業場は窓が無く壁には特殊な加工がされているせいか、冬でもそれなりに暖かいのだそうだ。
不意に、来客を知らせるベルが鳴った。
「おや、こんな時間に珍しいね」
「見て来ます」
私は玄関へ向かい、警戒しながら扉を開ける。昨日の不審な二人組の事もあるし、何が起こるか分からない。
外に居たのは、複数の男たちだった。全員統一された意匠の冬用コートを着ていて、一度見ている私はそれが軍服であるという事がすぐに解った。
「軍の方が何の御用でしょうか?」
私がそう尋ねると、一番手前に居る男が書状を広げて私に見せた。
「オルコット氏には、国家への反逆を謀った容疑がかけられている」
そう言うと、軍人は私を押しのけて強引に扉を開けた。止める間もなく、軍人たちは屋敷の中へと侵入する。
その物音を聞きつけてか、オルコットが玄関まで走ってきた。
「ミュー、何事だい? ――っ」
オルコットは軍人たちを見て、目を見開いた。
「これはいったい、何のまねだ」
「オルコット、貴方には国家反逆罪の容疑がかかっている。来てもらおうか」
「国家反逆罪? 僕が何をしたというのだ」
「昨夜、敵国の諜報員二人を捕まえた。君が自律兵器の技術をバスティアへ売却し、亡命しようとしていたことは連中の証言ですでに分かっている」
「馬鹿なっ! 僕は断ったさ。何かの間違いだ!」
「取り押さえろ」
指示を飛ばされ、二人の軍人がオルコットに迫る。私がそれを阻止しようと動いた矢先、オルコットが制止した。
「いい。止めるんだ、ミュー。――いいよ、分かった。大人しく付いて行こう」
「オルコットっ!」
「大丈夫。僕は無実だ。ミュー、アリエッタの事を頼む」
「……承知いたしました」
本当にそれでいいのか? 私がそう思ったところで、オルコットが命じるのならば仕方ない。ここで無理に逃げても彼の立場は逆に危うくなるだけだ。何か、彼なりに考えがあるのかもしれない。
アリエッタが血相を変えて走ってきた。連行されるオルコットを見て、その顔色は更に悪くなる。私は彼女の元へと駆け寄った。
「お父さんっ!」
アリエッタの姿を見た途端、気丈だったオルコットの表情が曇った。それからまた、平静を装ってオルコットは言った。
「アリエッタ! すぐに戻る。僕が帰るまで、ミューと待っていてくれ」
「あっ……ああ――」
アリエッタの身体が力なくよろめく。倒れそうになる彼女を私は支えた。
「どういう事なの? どうしてお父さんが?」
アリエッタは私に掴みかかるように訊いてきた。
「昨夜、オルコットの元に男たちが来て、技術を売るように言ってきたそうです。もちろん、オルコットはそれを拒みました。それが何かの手違いで、オルコットが技術を売り渡して、国を裏切った事になっているらしく……」
情報を整理しながら、私はできるだけ落ち着いて状況を説明した。
聞き終えると、アリエッタは私を離して外へと走っていく。
「待ってください! 父が、そんな事をするはずが――――っ!」
外に居る何かに気づいて、アリエッタが後退した。不審な動きを案じて彼女の元へ行くと、一人の男がやって来るのが見えた。裕福な身なりの男だった。歳は四十よりは上だろう。
「ギャラン叔父様、なんの御用でしょうか?」
アリエッタは私の後ろへ隠れながら、男へ棘のある声をかける。
ギャランというらしいこの男は、きつい目を細めて、にやりと笑った。
「ふんっ、いやなに。君の父上が大変なことになっていると聞いてね。君の様子を見に来たのさ」
たった今、目の前でオルコットが犬車に乗せられて軍人たちに連行されて行く。この状況で、こんな台詞を吐くこの男は何者なのだろう。
「これは貴方の仕業ね。ロアンの件を揉み消すために、父に罪を着せる気?」
相当無理をしているのだろう。アリエッタの声は震えていた。
「口の利き方には気をつけろよ。お前も牢に入れられたいか?」
敵意をむき出しにするアリエッタを一蹴し、ギャランは屋敷の敷居を跨ごうとする。私は前に出て、それを制止した。
「お引き取りを。貴方は主人の来客ではない」
それまで澄ましていたギャランが、明らかな嫌悪の表情を私に向ける。
「小間使い風情が偉そうに、私に指図するなっ! この俺を誰だと思っている。この街の王、パスフィリクだぞ! お前の主人はたった今、咎人となった。お前はクビだ! この屋敷の正当な所有者はこの俺だぞ」
「いいえ。私の主人はアリエッタ様です。それに、このお屋敷はユーフィリア様のものであり、そのご息女で在らせられるアリエッタ様には受け継ぐ権利があります。このお屋敷はアリエッタ様のものです」
この世界の法律には詳しくないが、道理で言うならそうだろう。
以前にオルコットから、この屋敷の権利書が唯一の財産だという話を聞いた事がある。それがこちらの手元にある以上、元の持ち主であってもパスフィリク家が権利を主張する事はできないはずだ。
賭けであったが、こちらの主張は正当だったらしく、ギャランは一歩退いた。それでも、あきらめずに反論を浴びせてくる。
「だが、アリエッタはまだ十四だぞ。権利を主張できるようになるには、あと二年足りないはずだがな?」
痛い所を突かれて、私は黙り込む。たしか、この国の法律では十六歳にならないと成人としては認められないはずだ。
私がどう反論しようか考えを巡らせていると、背後からアリエッタが言った。
「み、ミューは私の後見人よ。か、彼女なら、権利を主張できるわ」
「ミュー? そいつはどこにいる?」
「私です」
ギャランは私をまじまじと見て、鼻を鳴らす。
「はんっ、小間使いがこの屋敷を所有するだと?」
「法的には正当な主張だと思いますがね」
不意に別の声が聞こえて、全員が門の方へ目を向けた。そこに居たのはアグラード先生だった。
「権利を保持できるアリエッタ君が、後見人として成人のミュー君を指名したのなら、法的に有効だ。必要だというのなら、私が書類を作っても良い。法の番人たる領主様が、まさか法を覆すことはしないでしょうね」
流暢に私たちを弁護するアグラード先生へ、ギャランは顔をしかめる。
「貴様何者だ? 余所者が家族の問題に口を出すな」
「おや、お忘れですかな。レナーリス婦人の夜会でご挨拶させていただいた、アレンでございます。アレン・アグラード、思い出していただけましたかな?」
アグラード先生は、自分の名前をやけに強調して言った。アグラード家は、パスフィリク家よりも地位の高い家らしい。その名を聞いて、ギャランの顔色が変わった。
「これは、失礼いたしました。まさかアグラードのご令嬢がこんな場所に現れるとは思いもしませんでしたので。――ですが、やはりこれは家の問題ですので、アレン様には――」
「私に口を出すなと言いたいのですな。分かります。確かに私は部外者かもしれない。ですがね、アリエッタ君は私の教え子なのですよ。教師としては、やはり生徒の味方をしてやらなくては」
アグラード先生の弁には無理があったが、この場合は主張の内容よりも家の名前が効力を持っている。ギャランは立場的に、アグラード先生に逆らえない。
「……分かりました。今日のところは帰りましょう」
ギャランは私の方を非難がましく一瞥すると、帰って行った。彼を乗せた犬車が走って行くのを見届けて、私はアグラード先生を中に入れた。
アグラード先生とアリエッタを客間に連れて行き、急いで暖炉の火を起こす。この世界では不作法な事なのだが、私は火炎魔法で薪に火をつけた。一気に燃え上がった炎が薪を燃やす。
「今、お茶をお持ちしますので」
「いや、お構いなく。それよりも、状況を説明してほしい」
「かしこまりました」
私がアグラード先生に一礼すると、アリエッタが「隣に座って」と言った。不安なのか、落ち着かないのか。おそらく、両方だろう。私がソファーに座ると、アリエッタが手を握ってきた。
「――そうか。オルコットさんが……おそらく、ロアンの件を揉み消すためだろうな」
話を聞き終えたアグラード先生は、眉を寄せて呟いた。それはアリエッタがギャランに対して言ったのと同じ推測だった。
さっき、アリエッタはギャランの事を叔父様と呼んだ。そしてロアンはアリエッタの従妹。話の流れとその情報を合わせると、二人は親子で、ギャランは娘の犯罪を隠蔽するために、オルコットとアリエッタに攻撃を仕掛けてきたという事らしかった。
「私が思うに、昨夜訪ねてきたという二人組もギャランの手の者だろうな。あの男なら、憲兵や軍部を抱き込んでそのくらいの事はやりそうだ」
「お父さん……父は大丈夫なのでしょうか。助ける方法はないんですか?」
アリエッタの懇願にも似た問いに、アグラード先生は難しい顔をする。
「難しいというのが、正直なところだ。国家反逆罪というのがまずい。あの手の犯罪の捜査は憲兵団ではなく軍が行うからね。貴族とは対極にある独立した派閥の様な連中だ。私でも手が出せない。それでも動いてはみるが、期待はしないでくれ」
アグラード先生は、こういう事をぼかさずに言ってしまう人の様だ。配慮がないと責めたくなるが、そうしたところでこの件が解決するわけでもないと、私は黙っている。
「それも問題だが、君たち二人もこれから用心しないといけないぞ。ギャランはこの屋敷――いや、この家の財産を狙っているようだからな」
「どういう、ことですか?」
私が訊いた。
「ギャランは豪遊で有名な男だが、最近多額の負債があるという話を聞いた。しかも、借りた相手が相当危険な連中と来た。アシュメスで構成されたアアルメリオという犯罪組織だそうだ。聞いた事は――まあ、ないか。ギャランは金を返せなければ、殺されかねない状況という訳さ。おそらく、今回の件も隠蔽に便乗して、この屋敷を乗っ取ろうという意図があるのだろう。国家反逆者となれば、財産を没収できるからな。あの男なら、君たちから身ぐるみ剥ぐくらいの事は平気でやるぞ。用心しろ」
「なるほど。それでさっきはあんなに、屋敷の権利を主張したがっていたんですね」
「ああ。屋敷の所有者がオルコットさんではなく、アリエッタのお母様だった事が幸いしたな。それなら、没収される財産の範囲からは抜けられる」
アグラード先生が言い切るより先に、アリエッタが声を上げた。
「屋敷なんてどうだっていいんですっ! ――――……すみません、叫んでしまって。……………ごめん。ミュー、後をお願い」
アリエッタは立ち上がってアグラード先生に一礼すると、速足で部屋を出て行った。その後ろ姿に力は無く、今にも崩れてしまいそうなほどに危うかった。当然だろう。唯一の肉親であるオルコットが、犯罪者として連れていかれてしまったのだから。その心中は、痛いほど理解できる。
「アリエッタ……」
「……心配で様子を見に来たのだが、かえって逆効果だったな」
アグラード先生は悲しそうな表情で頭をかく。
「いえ。アグラード先生のおかげで、さっきは助かりました」
私が気を遣って礼を言うと、アグラード先生は力なく笑った。
「あれくらいしか、力になれないからね。とはいえ、ギャランがまた何かしてくるのは間違いない。用心しろよ」
「ええ。分かっています」
「うん。また何か困った事があれば、すぐに私を呼びなさい。――今日のところは私も帰るとしよう」
そう言って、アグラード先生は立ち上がる。
私は彼女を玄関まで見送り、火の始末をしてからアリエッタの部屋へと向かった。
結局その日一日、彼女は部屋から出てこなかった。