――の話3
「それでは、行ってまいります」「行ってきます」
私たちはオルコットに見送られて、夕暮れの街へと出掛けた。
アリエッタの不安を少しでも解消できればと、私は彼女に手を差し出す。アリエッタはそれを直ぐに握り返してきた。木製の手が軽く軋む。
震える手は、寒さからか。それとも――
アリエッタの吐く息が白い。防寒に徹した彼女の服装を見れば、外がそれほどに寒くなっている事が分かる。
外出前、オルコットから半ば無理やりにマフラーを巻かれたが、その理由がよく分かった。エプロンドレスだけでは、かえって目立ってしまうからだろう。私は寒さを感じない分、そういうところに意識が回らなかった。
「こうしていると、姉妹みたいに見えるのかな」
アリエッタが不意に呟いた。
「どうでしょう。そうなると、背の高さ的に、私がお姉ちゃんでしょうか」
私の方が、頭一つ分彼女より高い。私の返しに、アリエッタは不満げに唸った。
「ミューがお姉ちゃんかぁ……分かるような、分からないような」
「……まあ、そうかもしれませんね。アリエッタには、色々な事を教わりましたから。確かに貴女の方が姉っぽいかもしれませんね。――それにしても、随分と小さいお姉ちゃんですね」
私がからかってそう言うと、アリエッタはむくれた。
「むぅ……すぐに大きくなるもの。そうしたら、ミューの事なんてすぐに抜いてしまうんだから」
「ええ、本当ですかー」
「あぁっ! 今日のミュー、ちょっと意地悪ね」
「ふふっ、すみません。……あっ、でもこの服装だと、姉妹よりも。主従の方がしっくりくるかもしれませんね。令嬢とその侍女みたいな」
「えぇ、私そんな柄じゃないよぉ」
「そうですか? 私は似合うと思いますけどねぇ……お嬢様っ」
「もう、止めてったら」
アリエッタがくすくすと楽しそうに笑った。このところ見る事の無かった、彼女の本当の笑顔だ。
――ああ、良かった。
「あっ、少し遠回りをしてもいいかしら?」
十字路に差し掛かり、アリエッタが提案した。私は当然、それに従う。
「この先にね、私の好きな場所があるんだ。ミューをいつか連れて来たいと思っていたの」
アリエッタが私の手を引いた。その事に少し驚きつつ、安堵する。
家を出たときには辛そうに固まっていた表情も、今は穏やかで明るいものに変わっている。やはり、アリエッタを外に連れ出したのは正解だった。
アリエッタに引かれて訪れたのは、商店の多く並ぶ区画だった。街灯とショーウィンドウの輝きが古い街並みを美しく照らしていて、洒落た雰囲気の場所だ。
人通りが一気に増えて怖くなったのか、アリエッタは私にしがみつくような形で歩いていた。心配だが、彼女がここに来たいと言ったのだから、どうしようもない。
アリエッタは仕立物屋のショーウィンドウの前で止まった。
「ここよ、アリエッタ」
「おぉ……」
思わず声が漏れてしまう。
ショーウィンドウにはマヌカンが三体並んでいて、女性物の服を着飾っていた。その周りを、冬を意識した煌びやかな装飾が彩っている。作った者のセンスを称賛したくなるような光景だった。
「すごく素敵ですね、アリエッタ」
「でしょう? このお店、季節ごとにショーウィンドウの中身が変わるんだけど、毎回すっごく綺麗なの。しかもここにある人形は、全部お父さんが造ったものなんだよ」
「へえ、これが全部」
ショーウィンドウの飾りの中には、いくつか人形がある。妖精や小人を模した小さな人形が、雪の中で楽しげに踊っていた。今にも動き出しそうな、生命力を感じる人形たちに、私は心の底から感心した。
「オルコットは、本当に良い職人ですね。彼の作品には、なんというか、優しさがある」
ただ精緻であるというだけではない。見ているだけで安心するような、そんな柔らかさがこの人形たちにはある。オルコットの人柄が表れているようだ。
アリエッタは隣で頷く。
「うん。分かるよ。見ていると、とっても温かな気持ちになれるよね。私、お父さんが造った人形が大好き」
「ええ。私もです」
私たちはしばらくその光景に見入っていた。普段なら一分もすれば見飽きてしまうようなものなのに、私はそこから離れがたかったのだ。きっと、アリエッタも同じだった事だろう。
ふと見たアリエッタの横顔は、とても印象的だった。真剣と表現してもいいほどに彼女はショーウィンドウの中を見つめていて、その瞳だけが彼女の感情を表すようにキラキラと輝いていた。幸福な子供の顔。そしてその姿に私もまた、幸せを感じてしまう。
私が願う時間がここにある。永遠に、このままだったらいいのに。
それでも約束の時間というものが在るので、私はアリエッタに声をかけて、再び歩き始めた。完全に夜を迎えた街は、人通りが更に増えてにぎやかになっていた。
私はアリエッタを抱き込むような形で、道を急いだ。アリエッタの身体が震えている。ここから一刻も早く離れたかった。
通りを抜けて商店の少ない場所まで行くと、人通りは一気に減った。地図によると、ここから先は住宅街になるので、もう大丈夫だろう。私はアリエッタの手を取り、再び並んで歩いた。
私は周囲に気を配りながら、アリエッタの様子を定期的にうかがった。顔色は良い。家を出る前よりも、ずっとすっきりとした顔をしていた。
そのせいで、私に隙が生まれてしまったのかもしれない。
曲がり角に差し掛かったところで、急に建物の陰から男が現れた。アリエッタが男と衝突して倒れそうになるのを、私は慌てて受け止める。
「ごめんなさ――」
「気をつけろっ!」
男は怒鳴ってこちらを一瞥すると、謝りもせずに去って行ってしまった。謝罪を怒気で遮られたアリエッタは、声を詰まらせる。
「チッ――あの男……大丈夫ですか、アリエッタ?」
アリエッタは私にしがみついていた。脚が大きく震えて、生まれたばかりの小鹿の様になっている。
「だ、大丈夫よ――――あ、あれ? おかしいな……」
アリエッタはその場に崩れ落ちてしまった。私を見上げるその表情は、酷く怯えている。唇は震え、瞳は視点が定まっていない。
「アリエッタっ!」
「ミ、ミュー、助けて、助けてぇっ! 私、おかしい。おかしいよ……体が、動かない――」
アリエッタは、すがる瞳で私に訴える。
私自身どうして良いか分からず、アリエッタを抱きしめた。守ると言ったくせに、なんて様だ。
「大丈夫です。……大丈夫。私が――お傍に居ます」
幸いなことに通行人は居なかった。これで見知らぬ他人がこの場に居れば、状況はもっと悪化していたかもしれない。
アリエッタが落ち着くのを待って、私は彼女を背負って道を引き返した。もう、アグラード先生の元へ行くほどの気力はアリエッタに無いだろう。今も私の背でぐったりとしている。
最悪だ。最悪で最悪で最悪だ。
何のための私なんだ。どうしてついて来たっ!
最悪だ。守るって言ったのに、私はアリエッタを裏切ってしまった。これじゃあ、状況を悪化させただけじゃないか。私は、わたしはなんて――
自分を責める事以外、何もできない無力さに憤りながら、私は屋敷へと戻った。
屋敷へ戻ると、アリエッタは何も言わずに自室に籠ってしまった。閉め出されてしまった私は、心配するオルコットに状況を報告をする。
「……そうか。そんな事が――ありがとう、ミュー。一応言っておくけれど、君は悪くない。自分を責めないように。いいね?」
話を聞き終えたオルコットは、私の心中を見透かしたようにそう言った。
「ですが……やはり私にも非があります。護衛としての役目を果たせず、申し訳ありません」
「なってしまったものは仕方ないさ、ミュー。不測の事態だったんだろう? なら、もういいよ」
オルコットの声は少しだけ苛立っているようだった。それとも、憤っていたのか。どちらにしても、似たようなものには違いない。
私は黙って頭を下げると、その場を後にした。
どうも、今は居場所がない。私は意味も無く、屋敷の中を徘徊する。思考の中で渦巻いているのは、後悔ばかり。結局それは、ただ自分を慰めているだけの行為だと気が付いて、私は壁を殴った。
来客を知らせるベルが鳴った。
私は意識を切り替えて、玄関に向かう。オルコットと玄関で鉢合わせた。私が玄関の扉を開ける。
外に立っていたのは、二人組の男だった。どちらも真っ黒な服装で、夜中に尋ねてくる時点でおよそ堅気には見えない。
「どちら様でしょうか」
警戒しながら訊ねる。
「我々は、人形師のオルコット氏と会いたい。取り次いでもらえるか」
ほとんど命令みたいな口調で、男の一人が言った。
どうしようか迷っていると、後ろからオルコットが出た。
「僕がオルコットだ。何のご用ですか?」
「ここでは話せない。入れてもらえるかな?」
「……いいでしょう。どうぞ」
オルコットも警戒しつつ、それでも謎の来客を客間へと通した。
私は臨戦態勢を取っていたが、茶を出すようにオルコットから指示されてしまったので、仕方なく台所へと向かった。
アリエッタの事もあって胸騒ぎがしたので、一刻も早く戻るために手早く茶の準備を済ませる。
お湯を沸かしている最中にオルコットの怒号が聞こえて、私は客間へと走った。オルコットが声を荒げるなど、そうそうある事ではない。一ヶ月以上共に暮らしているが、初めての事だ。
「――僕はいくら積まれたって、国を裏切る事はしない。それに、あの人形はもう破棄してしまった」
オルコットの声が聞こえてくる。さっきよりは落ち着いているが、それでも彼らしからぬ強い口調だ。それにしても、何の話だろうか。人形?
「オル――旦那様っ! 何事ですか」
私はそう叫んで客間の扉を開けた。
客間には応接用のソファーがあり、それに座って向かい合わせに話していたらしい。というのも、オルコットだけは立ち上がって、対面の男たちを睨んでいたからだ。
「……ミュー、お客様はもうお帰りだ。送ってさし上げなさい」
オルコットは不快そうに顔をしかめて、私にそう命じた。
話は終わったとオルコットに宣言されてしまった二人は、静かにソファーから立ち上がった。私は二人を先導し、玄関まで送って行った。念のために二人が門の外まで行くのを確認してから、戻った。
オルコットは元の優しい様子に戻って、私に謝った。
「悪かったね。ありがとう、ミュー」
「いえ。それよりも、さっきの方たちはいったい?」
「……敵国の軍人らしいな。どうも、僕が造った人形を――つまりは君を買い取りたいと言ってきた。僕とアリエッタも亡命させるって」
「それであんなに怒っていらしたのですか」
「聞こえてしまったかい?」
オルコットは恥ずかしそうに頬をかいた。それからまた深刻な表情に戻って、説くように私に言った。
「――それよりも、気になるのはアリエッタだ。あの二人がもしかしたら何かしてくるかもしれない。家の中に居ても、用心してくれ。頼むよ、ミュー」
「……承知いたしました」
私はしっかりと頷く。これ以上、アリエッタに怖い思いはさせられない。今度こそ、私が守らなくては。
しかし、そうした決意を裏切って、不幸とは続くものなのか。私の力が及ばないような場所から、その最悪は始まった。それは、今年初めての雪が降った朝の事だった――




