――の話2
……痛くて、とても苦しい。
これは心の痛みで、永遠に永久に癒えることのない傷だ。
魂が腐っている。醜悪な憎悪と後悔が蝕み続ける、取り返しのつかない腐敗。
人を殺したことで負った罰。
しかしそれは、本当に正当な罰なのだろうか?
だって私は、命を奪うのに釣り合うだけの物を、奪われたじゃないか。
多くを望んでいた訳じゃない。私はただ普通に生きていたかっただけ。母さんと一緒に居られれば、それだけで良かった。母さんに褒められるような、優秀な娘で居られれば良かった。私の望みは、それだけだったのに。
あの男は私からそれを全て奪っていったじゃないか。私の未来と、人生と、母さんを。私の心まで侵して、何もかも奪っていったじゃないか。
違う。そうじゃない。そうじゃないんだ。
痛みは訴える。
復讐を後悔した事などない。人殺しを後悔した事などない。
私が本当に苦しいのは、痛むのは、それを後悔していないからなんだ。
罪の意識がないという事に罪を感じる、不安定さ。
私は人を殺したことに喜んでしまった。罪を犯した事に陶酔してしまった。それはどうあっても許されない悪。
復讐は正当化できるだろう。正義感は正当な物だろう。でも、私はその枠から大きく外れてしまった。きっかけは同じでも、行き着いた感情は悪辣なものになってしまった。
いや、もしかしたら最初から私は間違っていたのかもしれない。元から壊れていたから、私はそんな結末に向かって行ったのか。
……今となっては、どうでもいい事だ。
私はもう、私自身を肯定できない。する気も無く、興味も無い。
だから死んだのに。私はいまだに無くなれない。
存在する事に耐えられない私が、存在するはずの無いモノへと生まれ変わった。
人を憎悪する私が、人に近しいモノに生まれ変わった。
醜く腐って穢れた私が、清く清浄な彼女の元へと生まれ落ちた。
感情を否定したい私が、新たに生まれた愛情や敬意によって生かされている。
幸せなはずのそれらは、きっと本当のところ、私への罰なのだろう。
痛みは増す。苦しみは消えない。温かければ温かいほど、腐敗の進む私の心。
いつか私が壊してしまうような気がして、恐ろしい。
私が傍に居る事で、あの綺麗で温かい女の子を、穢してしまうかもしれない。
だったら去ればいいのに、それができない。私の命はちっぽけな石ころ一つ。砕いてしまえばいい。それができない。
怖いのに、離れたくない。傍に居たい。
そんなふうに思うたびに、痛たくて、苦しくて、私は泣けない身体を後悔した。
/
夢を見た。この身体になってから、そんなものを見たのは初めてだった。眠らない私の意識は、いつの間に落ちたのだろう。
私はベッドの上で横になっていた。ふだん寝る事のない私がどうしてこんな事になっているのかは、隣で寝ている少女の姿を見て、すぐに思い出すことができた。
アリエッタは、私の腕を抱くようにして眠っていた。
あの事件から四日が経った。日中のアリエッタは明るく振る舞っていたが、夜になると恐怖がぶり返すのか、震えが止まらなくなる。そのせいで眠る事ができなくなったアリエッタは、疲れを溜め込んだのか四日目に倒れてしまった。そんな状態のアリエッタに、一緒に寝てくれと頼まれたのだ。
疲労が溜まっていたからか、それとも私が居たからか、どちらかは分からないけれど、今夜はよく眠れている様だ。
私があんな夢を見たのは、アリエッタと眠っていたからだろうか。枕の下に入れた物の夢を見るみたいな話か。……冗談。
だとしても、あれは紛れもない私の本心だ。向き合うのが辛くて恐ろしい、私の本音。
この親子を守りたいなら、本当は私が傍に居てはいけない気がする。私が悪影響を与えるか、もしくは良くないモノを呼び寄せてしまうか、どんな形かは分からないけれどそう思ってしまう。
願わくば、このまま何事も起こらないでほしい。今はアリエッタにとって辛い時だけれど、それもいつかは解消されて、このまま三人で平和に暮らしていければいい。
もう二度と家族を失うような目には遭いたくない。私はひたすらに祈って、夜を明かした。
◇
十分に休むことができたのか、今日のアリエッタは調子が良く見えた。
ここ最近のアリエッタは、無理に明るく振る舞おうとしている雰囲気があったが、それも今日は感じられない。しっかり眠れたことで、気持ちが落ち着いたのかもしれない。
私もオルコットも、彼女の状態を案じていたので、少し安心した。
オルコットはあの日の言葉通り、本気で私の身体をどうにかするつもりらしく、アリエッタと二人で新たな身体造りを始めた。それについては、私に協力できる事は無さそうなので、私は二人のお茶汲みや、掃除洗濯といった家事で一日を過ごすのが日課になっていた。
戦闘訓練に明け暮れていた頃よりも充実感がある。二人のために働けるというのが、私には嬉しいらしい。
私が作業場にお茶を運んでいくと、二人は何かの設計図を前に唸っていた。どうやら行き詰っているようだ。
設計図には人形の形とは程遠い、なにやらメカニカルな物が描かれていた。私には二人が何をしているのか理解できない。作業の邪魔をしないようにと、それを訊く事もしなかった。二人が私をどうするつもりなのかは分からないが、心配や不安はないからだ。必要であれば、そのうち聞かせてくれるだろう。
「お茶をお持ちしました」
私は運んできたワゴンの上でカップに茶を注いで、二人に渡した。
「ありがとう。……しかし、その恰好はどうしたんだい?」
カップを受け取ったオルコットが、驚いたように私を見る。
今の私が使用人の服装をしているからだろう。あまり詳しくはないが、メイドってやつだろうか。
「ええ。頂いた服を汚してしまうのは忍びないので、倉庫にしまってあった物を使わせていただきました。……駄目でしたでしょうか?」
「いや、大丈夫。少し驚いただけだよ。家にそんなものが在ったんだね。ここがパスフィリクの別宅だった頃に、使用人が使っていたのかな?」
「その恰好も素敵よ、ミュー。……あっ、言外の意味とかないからね。別に、ミューを使用人だとか思っているわけじゃないのよ」
アリエッタがあたふたしながら弁解をする。やはり以前よりも、少し気弱になっているようだ。
「分かっていますよ、アリエッタ。ありがとうございます」
私がそう返すと、アリエッタは息をついて笑った。私にまで気を遣うようになってしまったのは、心配だ。オルコットも同じように思ったのか、私の方に一瞬だけ困ったような表情を見せた。
「……やはり行って来たらどうかな? 気分を変えた方が良いと思う」
オルコットがアリエッタに言った。アリエッタは顔をしかめて黙り込む。
何の話か分からず首をかしげていると、オルコットが説明してくれた。
「実はね、今朝アグラード先生から手紙が届いたんだ。アリエッタを夕食に誘いたいって」
オルコットが便箋を差し出す。受け取ってみると、高級そうな紙に達筆な文字で、アリエッタを招待する旨が書かれていた。最後にはアレン・アグラードの名前と、家紋らしきものが押されている。
どうやら二人が唸っていたのは、この手紙の事だったようだ。
「そうでしたか。それで、アリエッタはどうされるのです?」
「……お誘いは嬉しいけれど、外に出るのが……怖い」
アリエッタはスカートを強く掴んだ。やはりまだ、彼女の心の傷は癒えていない。あんな思いをすれば、当然だろう。
「アグラード先生は、アリエッタの気持ち次第で良いと言ってくれているけどね……」
オルコットの言いたい事も分かる。アリエッタの精神的にも、屋敷に籠もり続けるのは良くない。ただ、外へ出るにはまだ早すぎるのではないかという危惧もあって、はっきりと言えないのだろう。
事件から四日しか経っていない。落ち着くためには、もう少し安静にしていても良いと思う。
だけど、こういうのは本人が決めなくては結局どうにもならない事だろう。周囲であれこれ言っても、本人が辛いだけだ。
私は膝をついてアリエッタと同じ目線になる。
「アリエッタが決めれば良い事です。ただ、もし行くというのでしたら、私が付いて行きましょう。これでも戦闘人形ですから、護衛には自信がありますよ」
「ミューが、付いて来てくれるの?」
アリエッタの顔色が、少しだけ良くなった。
「ええ。オルコットに頂いたこの頭なら、外に出ても問題ないでしょう。どうです、オルコット?」
「ああ。もちろんだよ。誰も人形だとは思わないだろう。そのために造ったのだしね」
オルコットの了解を得て、私はアリエッタに向き直る。
「……なら、行くわ。貴女が一緒なら、行く」
小さく呟くように言って、アリエッタは頷いた。




