試験の話
三週間が経った。
戦闘学習と、体の操作練習に費やしたこの半月は、あっけない程に足早に過ぎていった。
季節は移り始めているようで、窓から見える外の景色は葉を散らす街路樹や、服を着こんだ通行人たちによって、冬の到来を告げていた。
あれから、アリエッタが汚れて帰宅する事は無くなった。アリエッタによると、アグラード先生が守ってくれるので、ロアン達に攻撃されることも無くなったのだという。そのおかげか、最近の彼女は以前にも増して明るくなった。
だが、問題というのはどうも次から次へとやって来るもので、最近ではオルコットがアリエッタの送り迎えをする様になっていた。その理由は、今私の手元に在る新聞にある。
『リアチーヌの惨劇再び』と銘打たれた見出しには、アリエッタの通う学校の生徒が斬殺された事件が載っていた。深夜に寝込みを襲われたらしい。共通の手口で、この三週間の間にすでに五人もの生徒が殺されている。記事の考察によると、貴族に反感を持った革命論者の仕業ではないかと書かれていた。
私としては、顔の知らない誰が死のうと構わないが、アリエッタが巻き込まれるのだけは避けたい。だが、そんな事を思ったところで私は外出できない身体なので、屋敷に残って留守番しているしかない。
そう言う訳で、この時間が一番もどかしい。
とはいえ、試験を明日に控えた身としては、今は自分の心配をしなくてはいけない。オルコットの設計思想に沿った動きができるように演技する事が、私の仕事だ。なおかつオルコットの名を下げない程度に、試験に落ちるように振る舞わなくてはいけないというのが難しい。オルコットは自分の作品を兵器として世に出す気は無く、私はこの家に居続けるために不採用を取らなくてはならないのだ。
自主練習をしようと、私はコートを着て帽子をかぶり、裏庭へと移動した。ご近所さんに私の姿を見られて騒がれてはそれこそ問題なので、敷地の中でも外に出るときは、この程度の変装でもしなくてはいけない。
オルコットが設置してくれた的に向けて、私は覚えた順に火球や雷撃を飛ばす。
アリエッタから聞いた話によると、この世界における魔法とは、元々自然探求の学問なのだという。それを戦いの歴史の中で戦闘技術へと転用していった結果、現代では武技としての側面が強くなってしまったらしい。
そういった戦闘用の魔法は特に即効性を重視して作られたもので、種類はせいぜい二十から三十くらいしか無いのだそうだ。
軍の発注内容に従って、私には基礎的な魔法十種がインストールされた。
もちろん、自律兵器として戦うためには魔法だけでなく、近接での格闘戦もできなくてはいけない。こちらもオルコットが動きをインストールしてくれたのだが、私の自我が身体の主導権を持っているせいか、かなり動きに淀みがある。しかも魔法と違って、格闘戦の練習には相手が必要となる訳だが、あの親子にそんな荒事ができるわけも無く、私はひたすら案山子相手にスパーリングする日々を送った。これでは掛かり稽古にすらならない。不安要素があるとすればそこだろうか。
試験に落ちることを目標にしているのに、審査基準は通らなくてはならない。これはなかなかに難しい。
「おっ、やっているね」
案山子相手に殴打をかましていると、後ろからオルコットの声が聞こえた。振り向くと、外套姿のオルコットとアリエッタが居た。帰宅後すぐに、屋敷の外周を回って様子を見に来たらしい。
「お帰りなさいませ」
二人に一礼すると、アリエッタがてこてこと歩み寄ってきた。
「お疲れ様、ミュー。さっきの動きすごかったわ。これなら、明日の試験は大丈夫そうね」
「さあ、どうでしょうか。私としてはまだ不安です」
「そうなの?」
アリエッタは首をかしげて聞き返す。
オルコットが近づいて来て、そうでもないよと言った。
「それだけ動けるなら大丈夫だよ。何も試験で実戦をするわけじゃないんだ。――それにしても、よく頑張ったね。三週間前は歩くのもやっとだったのに」
「いえ。そんな大したものでは――オルコットが動き方を教えてくれたおかげです」
「動作の書き込みは、あくまでも覚えるだけの事だ。それを使いこなすための努力をした君は、やっぱりすごいよ。ありがとう、ミュー。君のおかげで、明日の試験は無事に終わりそうだ」
オルコットは私の頭を撫でてくれた。
「恐縮です……」
心が詰まる様な、そんな感覚。思えば、私は昔から褒められるのがたまらなく嬉しい子供だった。
ふと、思考に陰が差す。
――いいのだろうか? 私がこんなに、幸福になって。人を■ろした私が、こんな風に……
「ミュー、どうしたの?」
突然湧き上がってきた黒く澱んだ思考は、アリエッタの声にかき消された。何をしているんだ、私は。
「すみません。少しぼうっとしてしまって」
オルコットがこちらを心配そうに見て、困ったように笑った。
「訓練はもういい。明日に備えて、休みなさい」
「はい。そうします」
アリエッタに手を引かれ、私は屋敷の中へと入る。
そうだ。もう、忘れなくては。今の私は■■■■■じゃない、ミューなんだ。この親子に造られた、この親子の人形なんだ。
言い聞かせる。言い聞かせる。
一日が終わった。
試験当日が来た。私は箱詰めにされて、犬車で軍の施設へと運ばれた。暗闇の中だったので時間の感覚はあいまいだが、一時間くらいそうしていただろうか。再び外の光とオルコットの顔を見たときには、私は見慣れない部屋に居た。部屋にはオルコットの他に、緑の制服を着た男が居た。おそらく軍人だろう。
軍人が居るせいか、オルコットはいつもの様に話しかけてはこない。彼はスイッチを入れるような演技をした後、表情と頷きで私に立てと合図した。
指示通りに立ち上がり、直立不動で制止する。ロボットである様に演技をする。人であった頃の名残りなのか、油断すると動きに緩みが出てしまうので、気を付けなくてはいけない。
私はオルコット付き添いの下、軍人に連れられて運用試験を行った。これらは、自律人形を発注する際に軍部が要求した、最低限の性能が引き出せるかを見る試験だった。これさえ通れば、オルコットに一応の報酬が支払われる。私たちの目的はこれだ。
最初に、指定された十種の戦闘魔法を発動できるか見られた後、走ったり跳んだりという基本的な動作を行なえるかを確認された。最後に接近戦で、兵士との簡単な模擬戦闘を行って試験は終了した。
「お疲れ様。頑張ったね、ミュー」
控えの部屋に戻って二人きりになったところで、オルコットが私を労ってくれた。
「どうでしたか。うまく立ち回る事ができたでしょうか」
「うん。ばっちりだよ。あれなら問題ない」
「しかし、オルコット。あんなにきちんとやってしまって良かったのでしょうか? 指示された通りに動きましたが、私たちの目的は不採用を取る事なのでしょう?」
その目的とは裏腹に、私はオルコットに普通にやって大丈夫だと指示され、その通りに完璧にこなしたつもりだ。
オルコットは子供みたいに、無邪気に笑った。
「それは大丈夫。実を言うと君が召喚される前から、僕はその人形を採用されないように設計していたんだ。僕はね、君のその身体に職人としてこれまで培ってきた全ての技術を注ぎ込んだんだ。それはもう、量産するのには向かないくらいに精密にね。もともと、人型で在ること自体が受け入れられない風潮もあるし、そういう意味でも、設計図を提出した時点で不採用が確実になるくらいの一点物に仕上げたつもりだよ。とはいえ、やはり君という存在が居てくれなかったら、ここまでの物は完成しなかったと思う。だから、本当に感謝しているよ」
「それを聞いて安心しました。それじゃあ、これでもう心配いらないんですね」
「ああ。全部終わりだ。帰ろう――」
オルコットの言葉を遮って、部屋の扉が乱暴に開いた。さっきの軍人が入って来ると、一瞬不思議そうな顔をしてから、オルコットの方を向いた。
「オルコットさん。帰るのはもう少しお待ちください。急で申し訳ありませんが、支部長の命令で人形同士の模擬戦闘を行う事になりました」
「人形同士で、ですか?」
オルコットが訝しげに眉を下げる。
「はい。実戦で成果を出した機体を採用したいという、支部長のお考えです」
「……そうですか。分かりました」
渋々、オルコットは頷いた。軍人は用件だけ伝えて、足早に部屋を出て行った。
「さて、困った事になったね。どうしようか」
オルコットは申し訳なさそうに、私を見た。私は気にしないでと、首を振る。
「予定外ですが仕方ありません。私が上手く負ければいいことですから」
「すまない。苦労を掛けるね」
「謝らないでください。私は貴方の人形です。創造主の為ならば、どんな労も惜しみません」
そう言って私が立ち上がるのと同時に、誰かが部屋の前の廊下を通った。あの軍人、扉を閉めて行かなかったらしい。廊下を歩いていた男は、部屋の中に居るオルコットが目についたようで、足を止めた。
「おや、誰かと思えばオルコットじゃないか。お前も発注受けたのか?」
男は馴れ馴れしく部屋に入って来た。
いつも温厚なオルコットが、一瞬とはいえ嫌悪の表情を見せる。その時点で、私の中ではこの男の敵認定が決まった。
「ガムチラさん。どうも、お久しぶりです」
ガムチラというらしい男に、オルコットは小さく頭を下げる。
「本当に久しぶりだなぁ。お前が俺の工房を出て行って以来か? まさか職人を続けていたとはなぁ」
「……あの時は貴方のではなく、師匠の工房だったでしょう」
「はっ、今でもあの時のこと根に持ってるのか? 小さい男だなぁ……おっ、これがお前の自律人形か」
ガムチラは私に気づいて(入って来た時に気づくはずだから、多分わざとだ)舐めるように私を見た。
「ふうん。どうなるか楽しみだな。聞いたか? 人形同士の戦闘、最初に俺とお前の所で勝負だってよ」
「……そうですか」
下品に笑うガムチラに対し、オルコットはにべもない。
「やる気出せよ。良いじゃねえか。俺に不満が有るってんなら、その場で決着つけようぜ。まあ、たいした知名度も無いお前の工房とウチじゃあ、比べ物にならんだろうけどな」
ガムチラは、素っ気ないオルコットへ挑発の言葉を残して、笑いながら部屋を出て行った。
「……あの下品な男は何者ですか?」
思わず声に怒気が混ざってしまった。
オルコットは困った顔で笑う。
「下品って……ちょっと笑い方が大仰なだけだよ。彼は僕の兄弟子でね。師匠が亡くなった時、跡継ぎの問題で揉めて、彼に追い出されたんだ。僕はそれほど興味は無かったんだけど、師匠は僕に目をかけてくれていたから、邪魔だったんだろうね。あの人は人心掌握に長けた人だったから、他に居た兄弟弟子をまとめ上げて、工房の名前を全国に広めたんだ。性格はあんなだけれど、腕は良いんだよ」
オルコットは人が良いのか、どうも控えめに話しているように思えた。私としては、煮え切らないのは好きじゃない。
「……結局、オルコットはあの男の事をどう思っているのですか?」
「どうねえ……あまり快く思っていないのは事実だよ。やっぱり追い出されたのは腹が立つ。でも、それも十年以上も前の話だしね」
「時間なんて関係ありません。決着を付けるというのなら、受けて立ちましょう。私は、オルコットを馬鹿にしたあの男が許せません」
「僕よりも君の方がやる気と言うのもおかしな話だが――そうだね。一戦くらい本気の君を見てみたい。でも、無理しちゃだめだよ」
「承知しております。貴方の造った私がどれだけ優秀か、あの男に目にもの見せてやりますよ!」
私は闘志を燃やして、しっかりと頷いて見せた。
そんな成り行きで、私は初めての実戦に挑むこととなった。