小さな娘と王太子
パーティーが開かれているとある貴族家の一室。
「同じ男性と何度も踊るのはみっともないと教えてもらえなかったのかしら、キャロリナ・ナファバルアー嬢?」
数名の貴族娘達が一人の娘を取り囲んでいた。
部屋には他にも娘が数名いるのだが、皆、遠巻きに状況を見ている。といっても、責められている娘はとても背が低いため周囲からはほとんど見えない。そういう状況なのだから中で集中的に冷たい視線を向けられている娘の受ける威圧感はどれほどか。
室内は険悪なムードが充満し、うつむいている小柄な娘を助けようとする者は一人もいなかった。ナファバルアー家といえば裕福な家で、貴族娘達がより家柄の良い男性に選ばれようとやっきになっているというのに、彼女は逆に男性を選ぶ立場にあるからだ。
容姿も劣り、教養も何もかも優れているとは思えない娘が、よりにもよって王太子を独り占めしているのでは、文句をいいたくなるというもの。
「王太子殿下は王家の血を引くナファバルアー家の娘だから貴女の相手をしてくださっているだけ。それなのに、王太子殿下と何度も踊ってそばを離れないなんて、図々しいにもほどがあるわ」
「そうよ。今日は私を含め何人も王太子殿下の婚約者候補が来ているのよっ。邪魔しないでちょうだい!」
娘達はキャロリナ・ナファバルアーを責め立てた。
実際、パーティーでは様々な人と踊り多くの人と交流するべきとされていて、同じ男性と続けて何度も踊るのは好ましくないとされている。
結婚相手を探すため王太子がパーティーに来るというので期待と熱意をもってやってきたというのに、彼女が王太子を離さないのでは……。
「アシェリナ・ナファバルアー嬢の妹だからお相手してくださっているというのも、わかってないのかしら?」
「せめて貴女の姉くらいの容姿ならよかったのに、その容姿では、ね。残念だけれど、自覚なさったほうがいいわ。みっともないから」
「ほんとうに」
「さっさと家にお帰りなさい。社交場にはもう少し勉強なさってからいらっしゃることね。でも、覚えられないかしらね」
クスクスと笑いが室内に広がり、陰湿な空気が伝染していく。
そこへ。
「キャロリナ・ナファバルアー嬢、王太子殿下が探しておられます。どちらにおられますか?」
この屋敷の家人が戸口で室内に向けて尋ねた。キャロリナは王太子という言葉に反応した娘達から、さらなる悪感情を向けられるのだが。
「今、行きます」
キャロリナは顔を上げ、しっかりした声で答えた。傷ついている様子も反発する様子もなく、何もなかったかのような顔をして。
「退いていただけますか?」
普通の言葉だったが、普通すぎて違和感が強い。さっきまで笑っていた娘達も言葉を詰まらせる。
キャロリナが何も言い返さずうつむいているので、娘達は非難が効いているのだと思っていた。しかし、彼女の表情には何も見えず、薄ら笑いを浮かべているようにも見えた。彼女の顔はのっぺりしているせいか感情がわかりにくいのである。
「キャロリナ・ナファバルアー嬢、いかがされました?」
家人からの催促の言葉に、不満に思いながらも娘達はキャロリナに道を開けたのだった。
キャロリナは王太子の待つ部屋へと案内されながら、彼と初めて会った時のことを思い返していた。
あれは彼女が十歳の誕生日を迎えた数日後のことだった。キャロリナは、突然、何の説明もなくいきなり数人の男の子に会わされたのだ。男の子といっても十歳くらいの子供ばかりではなく、もう大人ではないのかと思うような若い男性まで幅広く。その男の子たちを前に、父はこう言った。
「将来、お前が結婚してもいいと思う相手はいるかい?」
キャロリナは父が何を言いたいのかよくわからず、すぐには答えられなかった。男の子達も知らされていなかったのか、父の言葉に驚いたり反発したりしていた。誰が何を言ったのかまでは覚えていないけれど、その中で黙って動かず表情も変わらずじっとキャロリナを見ている男の子がいた。淡い金髪がとてもきれいで、目を惹かれたキャロリナは。
「あの子なら、結婚してもいいわ」
そう言って指さした。それが王太子だった。
そして後日、キャロリナは王太子の婚約者となったのである。
婚約者のいない独身王子がいて、ナファバルアー家に娘が生まれた場合、ナファバルアー家の娘は王子と出会う機会を設けなければならないという王家との密約があるらしい。
実は姉アシェリナが十二歳の時に同じような機会が設けられたのだが、幼馴染だった親族男子がその場に入り込んで姉へ愛の告白。アシェリナはその彼を選んだ。キャロリナの父ナファバルアー卿は、王子達を含む王家の男子と娘が出会う機会は設けたとして密約の完遂を国王に報告したのだが。王太子は恋仲の娘と会わせるのは酷い、恋人のいない娘と出会わせてほしいと訴えた。
しかし、ナファバルアー家の娘はナファバルアー家親族男子にとっても強く惹かれる存在である。そんな存在を、王族などに渡したいはずがない。ナファバルアー家は多産家系のため親族は非常に多く、男子の人数も多い。加えて、ナファバルアー家の娘は結婚相手に身分を問わないのだから、恋人の座を争うライバルは数知れず。王家との密約を快く思う親族男子などいない。
その親族男子の一人であり数多のライバルを蹴落とし現夫人を射止めたナファバルアー卿は、王太子の度重なる嘆願を退けることに何の躊躇もなかった。たとえ恋仲の男子がいようと、出会いが遅かろうと、娘の気持ちを変える可能性はあったのだ。そうならなかったのは、それだけの縁だったということだと王太子に返すのみ。
しかし、王太子はどうしても諦められずナファバルアー卿へ再考の嘆願を送り続けた。その熱意を認めたのは、当主ナファバルアー夫人だった。キャロリナはナファバルアー家の娘としては珍しく金髪に生まれ、容姿がいま一つ。一般的にそう判断されることは珍しくないが、親族男子にまで不人気だったため、母ナファバルアー夫人は娘の将来を案じていた。
父である卿の目には娘達は可愛くしか映らないようで、夫人がキャロリナの容姿がかなり劣るなどと言えば喧嘩になって話にならない。そこで、夫人は当主権限で王太子へ返事をしたのである。次女キャロリナに会わせてもいいと。
卿は最後までしぶり、王太子とキャロリナが会う場に何人もの男子を集めて邪魔しようとしたのだが、彼女が選んだのは王太子だったというわけである。
「王太子殿下、お探しと聞きましたが何か御用でしょうか?」
キャロリナは王太子が待つ部屋へと入るなり声をかけた。
屋敷のやや奥にある小さな部屋ではパーティーの賑やかな人の声は遠い。その部屋にはどっかりとソファに座り戸口を見ている男性が一人。サラサラの淡い金髪に青い瞳、端正な顔なので笑っていないと不機嫌にも見える。
キャロリナはそんな王太子の容姿がとても好きだった。綺麗な金髪が特に。キャロリナは自分が縮れた暗い色の金髪だから、彼のような淡い柔らかな髪に憧れていた。それだけでなく、すっと通った鼻筋も切れ長の目も、王太子はすべてにおいてとても素敵な容姿で、キャロリナはいつもその姿に見惚れてしまう。
密約のために婚約したとしても、キャロリナを大事にしてくれる王太子の気持ちを疑うわけではない。大事にされているからこそ、彼が本当に好きな人に出会ってしまったらとか、いつか自分に愛想をつかせてしまうのではないかとの不安も尽きないのである。
キャロリナは自身の容姿だけでなく様々な点において素晴らしい女性と称賛される娘ではないとわかっている。だから、貴族女性達が彼を独り占めする自分を妬ましく思うのも当然だとキャロリナは思っていた。不似合いな自分に悪意をぶつけられるのは悲しいけれど仕方ないことなのだとも。
「あまりに戻ってくるのが遅いので、どこかで倒れているのではないかと心配した」
王太子は心配そうな顔をして立ち上がった。それは非の打ち所のない優雅な所作で、キャロリナはそばにいくのをためらった。王太子にふさわしくないと責められた言葉は、消そうとしても胸にくすぶり、彼女を俯かせてしまうのだった。
◇◇◇ ◇◇◇ ◇◇◇ ◇◇◇ ◇◇◇
王太子は戻ってきた途端に視線を外され怪訝に思った。キャロリナは戸口あたりから動こうとしない。近づいてこないつもりらしい。
ダンスの後、頬が紅潮するくらい楽しんでいたキャロリナが、沈んだ様子で戻ってきた。ということは、ドレスを直しに行った間に何かあったのか。
王太子は大股で近寄ると、彼女を腕の中に囲い込んだ。
相変わらず小さくて小さくて柔らかい。うっかりすると衝動的に動いてしまいそうになるのを抑え、王太子はできるだけ静かに尋ねた。
「どうした、キャロ? どこか具合でも悪いのか?」
ゆっくりと彼女の頬に手を添え、上向かせる。そうしないと小さな彼女の顔をのぞき込むのは容易ではないのだ。
「いいえ。そうではありません」
小さな声でキャロリナが答えた。なめらかな肌、小さな唇、小さな鼻、小さくて黒めがちな目が王太子を見上げる。目が潤んでいるのか、やや拗ねたような顔が何ともいえず。王太子はさらに彼女を引き寄せた。
「何があった?」
彼女は抵抗もなく王太子の腕に身体を預ける。王太子が彼女に会える回数は多くはなかったが、彼女とはじめて会ってから五年が過ぎ、五歳下の彼女に身体を預けてもらえるほどの信頼を勝ち取っていた。
「何も……」
「何もなかったようには見えない」
さらに尋ねようとすると、彼女は王太子の胸に顔を伏せてしまった。それは王太子に身を寄せることになり、王太子は小さな背中に腕を回ししっかりと抱きしめた。
彼女の香りが王太子の鼻孔をくすぐり、指や腕は彼女の弾力を噛み締める。もう少し力を籠め、前面にも彼女の体を押し付けたいところだが。
「キャロ?」
王太子は腰をかがめて彼女に顔を寄せた。ピンク色のふっくらした唇がためらいがちに開く。そこからちらりとのぞく舌が愛らしい。
「王太子殿下の婚約者候補の方々が……いらしているのでしょう?」
つぶらな瞳が王太子を見上げた。少し陰ると黒にしか見えない彼女の家にだけ生まれるナファバルアーの黒い瞳。艶やかなのは潤んでいるせいなのか。喜ぶ顔もいいのだが、彼女のこうした感情を堪えるような顔は非常にくるものがある。
「私の婚約者候補?」
王太子は彼女の言葉よりも他のことに意識をとばしたいところを、抑えて抑える。婚約者候補とは何のことだったか。
「あぁ、私に結婚の予定がないので、勝手に婚約者候補とやらを選出しようとしているらしいな」
王太子とキャロリナは婚約しているつもりだが、正式な文書が交わされているわけではない。あくまで口約束でしかなく、当然、公表されてもいない。二人はただの恋人だ。
王家としては早く結婚の話を進めたいのだが、キャロリナはまだ十六歳になったばかりで、ようやく社交場に出られる歳になったところ。ナファバルアー家がキャロリナが十七歳になるまでは正式な婚約は認めないというのである。
キャロリナは王太子の言葉に目を伏せた。睫毛がふるふると揺れ、彼女の指がきゅっと王太子の服を握る仕草が、頼られているようで王太子の気を高める。
「だが、私の婚約者はキャロリナだけだ。公表していないので勝手に騒いでいる者達がいるようだが、父上も母上もキャロと結婚することを認めている。あと一年……いや、半年もすれば公表できるだろう。だから、私を信じて待っていてくれ」
「……はい、殿下」
あと半年と自分で言っておきながら王太子は長すぎることに絶望感がこみ上げるが、微笑む彼女にそれなりの満足を得る。彼女を抱きしめ軽いキスをしながら、半年をあと三か月にできないものかと思案するが、適案は浮かばない。
「ごめんなさい、殿下。殿下は王位を継ぐ方、妃は何人も娶るものなのに。こんなことくらいで落ち込むなんて、私、全然ダメですね」
「そんなことは」
「もっと、しっかりなれるように頑張ります。だから……」
「だから?」
「今は、私だけの恋人でいてほしいです」
「あぁもちろん。いつだって私はキャロだけの恋人だ。キャロも私だけの恋人だろう」
「はい、王太子殿下」
奥まった部屋に二人きり。この屋敷の家人は王太子がやんわりと伝えた言葉の意味を酌み、客を誰も部屋へは近づけないでくれているようだ。全く人の来る気配はない。それなら、と彼女を抱き締めたままソファの位置を確認し、王太子は屋敷の家人へ合図を送ろうと戸口を見たのだが。
戸口には見覚えのある顔が立っていた。あれは、ナファバルアー家の警備役。王太子がキャロリナに会う時の見張り役だ。女でなく男であるのは、たとえ王太子であっても力づくで止めると暗に仄めかしているのである。絶対的なナファバルアー家への忠誠心を持つ者。
それがこんなところにいるとは。わざわざ姿を見せ王太子へ視線で咎めているのは、うちのお嬢様に何を不埒な真似をしているのでしょうか?との抗議のためか。
彼の報告如何によっては、あと半年がさらに延びる可能性もある。王太子は非常に残念だが部屋に二人きりという好機を放棄せざるを得ないと判断した。
しかし、いい雰囲気をこのまま手放したくない王太子は。
「私の馬車で家まで送るよ、キャロ」
キャロリナの耳に囁いたのだが。
「それは……できません」
「キャロ?」
「お母様に、殿下の馬車に乗ってはいけないと……言われてしまいました」
「ナファバルアー夫人に? なぜ? 今まで何度も同乗したじゃないか」
「それは……」
「どういうことだ? 今になって、夫人は私とキャロリナの婚約に反対しているのか?」
「違います」
「なら、何が原因だ?」
「この前、王太子殿下に送っていただいた時……、お母様に問い詰められてしまって……」
「あぁ……、そういう、ことか」
王太子は理解した。だから、戸口にナファバルアー家の警備人がいるのかと。
以前はキャロリナと会うのは明るい時間だったので、幼い昼用ドレス姿ばかりだった。しかし、社交場で彼女に会うようになってからはいつも大人びた夜会用ドレス姿となった。彼女が結婚できる年齢になったことを実感するとともに、彼女のまろやかな胸元や肩、首など王太子の目には毒な状況が続いていた。
この前の彼女を送り届ける馬車の中、つい、彼女の柔らかさに屈し、いつも以上の情熱をもって触れてしまったのである。狭く暗い場所でそばには愛らしい彼女がいるのだからキスをするのは当然で。そうしていれば密着度も増し、熱に浮かされ。結婚できる年齢になったのだから、もう少しさらにもう少しとエスカレートするのは必然で。
確かに前回は多少いきすぎた感はあった。だが、それでも恋人なら当然の触れあいだと次の機会を待っていたのだが。
ナファバルアー夫人には許せない範疇だったらしい。
「お誘いくださったのに申し訳ありません、王太子殿下」
「そうか……仕方がないな」
王太子は気落ちしているらしいキャロリナの背中を撫でた。
悲しそうな顔で頭を持たせかけている彼女はとても可愛い。唇を軽くついばめば可愛らしくキスを返してくる。戸口の警備人さえいなければ……。
普通の貴族娘であれば男と親密なシーンを他者に見つかれば騒がれはするものの結婚へ一直線なのだが。ナファバルアー家の娘の場合は異なる。そんな手段をとる男は当主夫人から信用を得られず、別れさせられてしまうのだ。娘が貴族社交界にいられないとしても、基本的にナファバルアー家の娘は相手の身分を問わないので、親族系社交場や庶民系社交場にと選択肢は多く、結婚相手に困ることはないのである。
もしも王太子がそうした手段をとれば、キャロリナとの婚約は白紙にもどされ、キャロリナと二度と会えなくなるかもしれない。キャロリナが他の男に簡単に乗り換えるとは思いたくないが、そうなった場合、王太子である自分が妃を娶らずにいられない可能性もある。そんな危険はおかせない。
警備人の目の届かない場所はないものか。
「キャロリナ、踊らないか?」
一旦、踊りの中に紛れ、その後で庭なり小部屋なりに抜けよう。王太子はそう考えたのだが。
「王太子殿下とはもう何度も踊りましたので、私は……。他の方と踊っていただけますか」
王太子は断られたことにショックを受けた。踊らないことには庭に誘えないではないか。
同じ相手と何度も続けて踊るのは社交マナーに反することは知っているが、王族にそんなものを押し付ける輩はいない。だから構わないと言いたいが、キャロリナとしてはそうはいかないのだろう。ナファバルアー家の者も大概その点は自由にふるまっているため嫌われているのだが、キャロリナは知らないのか。
「私が他の女性と踊っている間、キャロはどうする? 貴女の叔父もここにはいない。他の男と踊るのか? それは許さない」
「お待ちしていますわ」
「キャロが一人になるのを待っている男は大勢いる。広間でキャロを一人になどさせられるはずがないだろう」
「そんなことありませんわ。私は……不細工ですもの。誰も、」
「可愛い、キャロ。自分のことをそういう風に言うのは感心しないな」
「王太子殿下」
「私にとってキャロはとても愛らしい。キャロらしくあってくれればいいと思っている。心無い誰かの言葉に、そのように顔を曇らせてほしくはない」
「はい」
素直に頷き、笑顔を返そうとするキャロリナに王太子は満足だったが。警備人をまく手段が見つからない。
「では、私はそろそろお暇します。王太子殿下、お相手くださってありがとうございました」
王太子が悩んでいる間に、キャロリナの帰る宣言。キャロリナも戸口の警備人の存在に気付いたらしい。おそらく奴に帰るよう促されたのだろう。
キャロリナの目には常に素晴らしい王太子殿下という称賛を浮かべ続けてほしいという理由から、王太子はこれ以上粘ることを断念せざるを得なかった。非常に残念だったが。
「キャロ、私は同じ女性と何度も踊ることを許される身だ。キャロを独占しても何の問題もない。だから、次も私一人と踊っておくれ。いいね?」
「そうだったのですか。はい、もちろんです」
次回こそは……。王太子は無念を胸の奥にしまい、彼女の手を引いた。
「馬車まで送ろう」
「はい」
王太子は馬車のところまで彼女と歩きながら、二人きりになれる場所はないものかと目で探ったが、とうとう見つけることはできなかった。
若いカップルというものは何かと悩みが多いのである。
~The End~